色づいた世界の先に
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自分が不運だなんて思ってない。
ただ、ほんの少し他人とは違う境遇だったというだけ。
うちの学校は高校にしては珍しく部活動が強制されている。
特別な事情においてその限りでは無いけれど、周りの目もありただサボりたいからって適当な理由で入った部活。
部員なんて私一人でこのまま適当にやっていけば良いって思っていた所に、二年になって三人の参入部員が入ってきた。
正直言えば面倒くさい。
必然的に自分が面倒見なければならなくなるし、正直言えば私にそんな時間はない。
適当に部室に顔だけ出した後、さっさと帰ってバイトに向かおうとしていると後輩たちは楽しそうに映画の話題に花を咲かせて何を思ったのか私にまでそれを振ってきた。
「先輩はどんな映画が好きですか?」
「私?私は正直あんまりなかぁ…。なんかオススメある?」
「じゃあ、これなんかどうですか?すっごく泣けるんです。あと、これとこれと…」
「え。吉野君、ちょ…ちょっと待って…」
適当に聞いたつもりだったのに差し出された一本のDVD。
それに手を伸ばすと次から次へと述べられていく映画のタイトルにこちらの思考はついて行かない。
けれどその眩しくキラキラとした笑顔に断る気にもなれず躊躇いながらもそれを受け取ると、見たら感想教えてくださいとなどと言われて聞かなければよかったと思う気持ちまで湧いてくる。
うちは父子家庭。
母子家庭に比べて援助は少なく、母が亡くなってから気落ちした父は体調を崩しがちで自分のバイト代が家系を支える大切な稼ぎになって居た。
最低でも高校だけは何とか卒業したい。
そうでなければ今後まともな就職先にさえありつけなくなってしまうし、父がもし働けなくなった時に親子揃って共倒れになってしまうから。
「時間が出来たら…見るね」
「はい!絶対楽しいですから」
「あ、うん…」
私の曖昧な返事に返ってくるのは満面の笑顔。
…これは見なければいけないなぁ…と思いつつもその時間がいつ取れるかまでは定かではなかった。
正直気が重い。
誰とも深く関らず、私は平穏に生きて居たいだけなんだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
高校生の私がバイトできる時間は限られている。
年齢を誤魔化して飲み屋でバイトしようと思ったこともあったけれど、それだけは止めてくれと父に泣きつかれて、結局法的に許された時間だけのバイトで何とかやって居た。
「ただいまぁ…」
疲れ切った脚を引き摺りながら帰宅しても「お帰り」という返事はなく、テーブルに置かれた一人分の夕飯。
父は体調が少しでも良くなると無理をしがちで、それを幾度止めても親である以上私に負担を掛けたくはないからと無理をする。
コンビニで済ませるから良いと言っているのに、忙しい合間に作ってくれた食事を一人で平らげると食器を洗い、あとはお風呂に入って眠るだけ。
一人の空間にも、もう慣れたものだった。
お風呂に入り、遅くに帰って早くに出て行ってしまう父のためにお弁当を作っておくことが私の仕事の一つで、互いに支え合って今日まで暮らしてきたことに寂しさを覚えた時期もあったけれど不満なんてない。
けれど父はもっと普通の女の子みたいにさせてやれなくてごめんと…いつも私に謝った。
…そんな言葉、いらないのに。
「見たら感想…か」
あんな満面の笑みで言われたら、そのうち向こうから見ましたか?どうでしたかなどと聞かれかねない。
それはそれで面倒で…時刻はまだ日付の変わる手前。
幸いにも明日はバイトが休みの日。
少しくらいなら夜更かししても大丈夫だろう。
なにより、あんなに楽しそうに映画を話してオススメを教えてくれた彼の気持ちを蔑ろにしてしまうのは申し訳ない気がして、私は部屋に置かれたテレビの電源を付けるとその下に置かれたデッキにDVDをセットした。
「…なに、これ」
上映が始まって数十分もすると私は吉野君の思惑通りになっていた。
複雑な心理描写、練られたストーリーと展開にあっという間に映画の世界に引き込まれていく。
エンドロールが流れる頃にはボロボロと流れる涙が止まらなくなるとティッシュを箱で使い切りそうなほど号泣してしまった私は翌日、腫れ上がった瞼を冷やすことに朝の時間を費やした。
何とかマシになったであろう顔を事あるごとに鏡で確認しながらその日の授業を終えて部室に向かうと、そこにはまだ誰の姿もない。
棚に並べられたたくさんのDVDに今まで目を向けたことはなかった。
そんなことをしてる時間があるなら家のことを、バイトを、父の負担になる事少しでも自分引き受けてあげたら良いと思って居たから。
「…みんな、まだ来ないのかな」
自分らしくもなく溢れた独り言。
並べられたDVDの中には古いものもたくさんあったけれど、どれも丁寧に扱われて居て状態はとても良い。
…本当に、映画が好きなんだな。
自分にはそんなに好きだと胸を張って言えるものなんてない。
その日を如何に平穏に終わらせるか…そんな人生悟った夢も何もない様なことしか考えてない。
まともに見えるようにしなければ父子家庭だから「可哀想」だと勝手なレッテルを貼られる。
一体何を見てそう思うのだろう。
世間の「普通」と少し違うと周りは勝手に可哀想、気の毒だと私達を下に見る。
何かあったら何でも言ってね、そんな口先だけの言葉を掛けて偽善者を気取る。
私は、可哀想でもなければ不幸でもないのに。
そんな事をぼんやりと考えていると、部室の引き戸が開かれて待ち兼ねて居た後輩がやってくる。
普段は誰よりも遅くきて早く帰る私が一番に部室に来て居た事に驚いた吉野君は目を見開きながら私の方を見ていた。
「あれ、先輩早いですね」
「あ、うん。…昨日みた映画、早速見ちゃった。そしたら感想いいたくなっちゃっ…」
「え!?どうでした!?」
被せるように返された返事に驚きながらも、吉野君は私からの話を聞きたくて仕方ないのかキラキラの笑顔をしていた。
その表情は年齢より幼く見えて、宝物を見つけた子供のような顔に思わずわた私の顔が綻んでいく。
「正直めっちゃくちゃ良かった。ティッシュ一箱使い切るんじゃないかってくらい泣けたよ。…主人公のあのシーンは泣かない人きっと居ないよね」
「そう!そうなんだよ!!あのシーンは隠れた名シーンって言われてるくらいで、その後の描写にも大きく繋がるから…って、あ。ごめんなさい、熱くなりすぎちゃって」
ぐいぐいと距離を詰めてくる彼は私の感想に共感してくれたのか興奮が抑えきれない様子で、驚いて一歩下がった私の背中が棚にぶつかる音で我に帰ったのかしゅん…と子犬のように肩を落として謝罪してくる。
大人しそうな子だと思っていたけど、好きなものに対してはこんなに熱く語るんだと彼の意外な一面を知れた気がするのと同時に、先程とはまるで別人の姿にクスクスと肩を揺らすとしょぼくれたまま、吉野君は私の方に視線を向けている。
「ハハ…ッ、おかし。気にしてないから大丈夫だよ。ね、もっとオススメあったら教えてくれない?敬語も使わなくて大丈夫だよ」
「え…?あ、うん!…えっと、これなんかどうかな。ちょっとグロいけど、その分心理描写が複雑で見応えあって。それからこれなんかもオススメで…」
棚に並んだDVDを手に取り、机に並べた吉野君はそれぞれ話の概要やオススメするポイントなんかを丁寧に説明して私に教えてくれた。
驚くのはその内容の説明がネタバレまではいかなくても話の内容を理解するのに十分で、見てみたいと私に十分思わせてくれるものだった事。
「吉野君は、なんでそんなに映画が好きなの?」
「え、あ…。うち母子家庭で、小さい頃から一人で過ごす事が多くて。昔たまたま見たテレビで見た映画の主人公がすっごくかっこよくて、自分もこんなふうになれたらなとか、そんな憧れからかな。良い作品に出会えると感動も大きいし、エンドロールが流れてもその世界の余韻に浸っていられる。そんな世界が…多分好きなんだと思う」
「そっか、なんか良いな。私にはそんなに夢中になれる物も無いから。あ、これ借りてってもいい?バイト休みの時に見たい」
「もちろん!…あ、でも無理しなくても…。先輩、忙しそうだし」
普段ちゃんと顔を出すことすらあまりない私に遠慮しているのか、見たいと言い出した私に嬉しそうにしながらも気遣ってくれる様子や彼の家庭環境を聞くと、私達は似た物同士のような気もして、普段は自ら話すことなんて殆どないのに私は自分の事について話していた。
「うちも父子家庭なんだよね。お父さん、身体弱くて無理しがちだからバイト辞めれないんだ。でも、それを可哀想とから思われたくなくて…ちょっと意地になってたのかな。楽しそうに映画の話してる吉野君のこと見てたらちょっと羨ましくなっちゃった。
これからは時間がある時にはここに来るから、私も話に混ぜてくれる?」
「え、勿論!!」
「ありがと。じゃあ今日はバイトあるからお先に。見たらまたら話しようね」
机に並べられたDVDをスクールバッグに詰め込むと私は時間を確認して部室を後にする。
バイト先でも考えることは帰ってから時間が作れるかどうかとか、早く見て感想を伝えたいとか…そんなことばかりでいつもは気にもしないバイトの時間が今日は少しだけ長いものに感じた。
帰宅して部屋に並べたDVD。
それを誰から見ようかと真剣に考え、既に十分程時間を無駄にしている。
グロいと言われたものは寝る前に見るのは避けたくて…でもどれも見たいと思わせる説明をしてくれたので気になって仕方ない。
私が見たよって言ったら、また喜んで一緒に話をしてくれるのかな…。
「連絡先、聞けばよかった…」
悩みに悩んだ末、一つに絞っては見たもののそれもとても好みに刺さりこっちはどうだろうという好奇心に打ち勝つことができず、結局私はその日に二本の映画を見終えて翌日も泣き腫らした瞼と格闘することになる。
気がつくと吉野君と話すことが、私の学校生活での一番の楽しみになっていた。
時間が有ればじゃなくて何とか時間を作っては部室に通い、少しでも吉野君と映画の話をして家に帰ってDVDを見てまた感想を語り合う。
私の生活が少しだけ、キラキラと輝き始めた気がする。
「この間勧めてくれたのも良かった…!吉野君と映画の好み一緒で本当ラッキーだよ。ハズレだと思った作品ないくらい」
「本当?…なんか、嬉しいな」
「家でゆっくり見るのも良いんだけど、大きなスクリーンで見るのってどんな感じなのかな。吉野君は映画館とかよく行く?」
「行くよ。やっぱり迫力が違うし、家にはない良さがあるから。先輩、今度僕が好きな映画のリバイバル上映があるんだけど…その、よかったら一緒にいかない?」
スマホで見せてくれた映画の情報に目を通すと面白そうと興味を惹かれるもので、映画の概要を聞くと尚更見てみたいという気持ちは膨れ上がり、私は自分のスケジュールを確認すると残念ながらその日はバイト…。
肩を落としながらもせっかく誘ってもらえた映画が見てみたい気持ちに勝てず、私はその場でバイト先に連絡をするとシフトの変更が出来ないかと相談をしてみることにした。
今まで、急な休みに対応してバイトに出たことは幾度も有れど自分から予定ができたと言ってシフトを変えてもらったことは無かった。
最近、なんだか明るくなったね。
綺麗になったね、なんてまるで親のように私の事を気に掛けてくれていた店長はデート?と揶揄いながらも二つ返事で変更を引き受けてくれて、それを吉野君に伝えると少し申し訳なさそうにしながらも嬉しそうに笑ってくれた。
「じゃあ、当日は休みだから映画館の前で待ってるね」
「わかった。あ、連絡先聞いても良い?…あとね」
「なに?」
「…たまに、連絡しても良い?映画の事とか楽しかった事とか、何でも良いから…学校以外でも話したいなって」
少しでも彼と話せる時間が欲しい。
いつからかそう思うようになった私はきっと、映画の事を楽しそうに語る後輩のことが好きなんだと自覚し始めていた。
吉野君も今のところ彼女はいない様子で…映画に誘ってくれるということは少しは期待しても良いのだろうか。
そんな淡い期待が胸を過ぎる。
けれど映画の事はあんなに考察して深く考える吉野君は私の言葉を深くは捉えて来れなくて、こういう事は意外と鈍いのかと少し肩を落としながらも私の言葉に頷いてくれた事に内心ホッとしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
待ちに待った約束の日。
前日から服をどうしようか、靴は?鞄は?
髪型も変えた方が良いのではないかと悩んでは止めてを繰り返しまるで初デート気分。
緊張と高揚からなかなか寝付くことが出来ず、念のためにと早めに掛けてあったアラームに感謝さえしたくなると小一時間、鏡と睨めっこを続けて自分の納得いく姿を確認してから私は気づかれないようにそっと玄関に向かう。
けれどこういう時こそ親の勘というものが働くのか、あっさり父にバレてしまうと声をかけられて歯切れの悪い返事しか返せない。
「珍しく出かけるのか?」
「…あ、うん。ちょっと後輩と映画に…」
「そうか、楽しんでおいで。あまり遅くならないように」
「…うん、行ってきます!」
言葉を濁したものの、父はきっといつもとは違う私の服装や気合いの入れ方にやんわりとデートだとは勘付いて居るのだろう。
それでも心配よりも私が休日にこうして遊びに行く事を喜んでくれて居るように思えて、時間には気をつけながらも楽もうと玄関の扉を潜ると待ち合わせの映画間まで脇目も振らずに脚を進めた。
「吉野君!」
「先輩、早かったね。何か飲み物買う?」
「ねぇ、ポップコーンって売ってるのかな?映画でポップコーンってちょっと憧れ」
「ハハ、売ってるよ。僕、買ってくるから半分こしよう」
映画館を熟知しているのかその場を離れていった吉野君は数分後には飲み物とポップコーンを抱えて戻ってくる。
テレビでしかみたことのない映画館らしい雰囲気に私のテンションは上がっていくとつまみ食いをしようと伸ばした手は阻止するようにポップコーンがヒョイと私の手を避けて逃げていく。
「あ、だめだよ。これは映画が始まってから」
「ちょっとだけ。…だめ?」
「ダメ!僕はそこ厳しいからね」
吉野君はさすがというべきか映画に関して拘りは人一倍強いらしい。
他愛のないやりとりを繰り返している間に時間も迫り、スクリーンに移動した私達は人もまばらの中で一番後ろの列の真ん中という全体を見渡せる場所に腰を下ろした。
「まだ食べちゃダメ?」
「だーめ、始まってからだよ。もうすぐだから」
ポップコーンに意識ばかり向いてしまう私を笑いながらも吉野君は今日の映画の概要をもう一度説明してくれる。
その話を聞きながら期待に胸を膨らませていると徐々に薄暗くなっていく室内の照明と映し出された銀幕に私達の視線は向いていく。
内容としてはとても引き込まれるものだった。
やっとお許しの出たポップコーンに時折手をのばすと吉野君の指が触れそうで、触れなくて…そっと視線を向けると真剣な顔をして銀幕を見据える視線は内容を知っているはずなのにこれからどんな展開が待っているのかと心躍らせる少年のように見えた。
…そう思っていたのも束の間だった。
「……」
「…先輩、ごめん」
スクリーンから響くのは女の人の艶かしい声と男の人の荒い息遣い。
本当に久しぶりに見る映画らしく、そんなに長くないこともあって吉野君も濡れ場があることを忘れていたらしく目元を手で押さえながら謝罪する声が小さく響いた。
そんなに長くない…はずなのに、この気まずい空気はとてつもなく長いものに思えて、恥ずかしくて画面に視線わ向けることも出来ず俯いていると膝に置いたままの私の手に吉野君の手が重なる。
ドクドクと脈打つ鼓動が手からでも伝わってしまうのではないかと思うほど早鐘を打っていて、手汗さえ滲みそうな状況に手を離したいのに、想像以上に力強く握られた手を振り解く術がなく部屋が暗くてよかったと思えるほど私の顔は赤く染まっていた。
「…出よう」
「え、吉野君?」
「ごめん、内容ちゃんと覚えてなくて…」
立ち上がった吉野君は私の手を引いて席を離れようとする。
…一人ならこんな事をしなくて済んだのに、私を誘ったせいであんなにワクワクしていた顔を曇らせてしまうのは私が嫌で…。
その場で小さく首を振ると、大丈夫だからと小さく呟いた。
それでもチラリと銀幕に視線を向けて未だ続く濡れ場に勢いよく視線を逸らした吉野君の席をポンポンと叩いて座る事を促すと私は身体を少し捻って彼の方を向き、繋がって居ない方の手を吉野君の膝に置く。
「キス、してもいい?」
「…先輩?」
スクリーンに背を向けた私の視線は吉野君に向いて、彼の視線も映し出された妖艶な映像ではなく私の方に向いて居た。
暗がりの中、少しずつ近づいたお互いの顔はほんの僅かに唇を掠めて離れていく。
銀幕の中で繰り広げられている行為とはまるで違う、辿々しくて拙いものでもこの日一番に私の心臓は破裂しそうなほどうるさく鳴り響いて居て、ここが本当に薄暗い灯の中で良かったと心から思った。
「…好き、みたい」
「なにが?」
「私、順平君のこと…好きみたい」
ここまで来たら言うしかないだろう。
真っ直ぐに目を見て言うことなんて叶わなくて、俯きながらその返事を待ってもなかなか順平君からの返事はやってこない。
…ただ、映画の好みが合うだけの先輩としか思われてなかったのだろうか。
せっかく楽しく過ごして居たのに、こんな形で今後気まずくなってしまうのは嫌だと思うものの、相手があることだから仕方がない。
私と彼とでは気持ちの向き方がほんの少し違った。
それだけの事だと瞬きを繰り返しながら滲んできた涙を無理矢理押し込めると、顔を上げて謝って…全部誤魔化してしまおうとさえ思っていた時に順平君が私の事を「先輩」とではなく、「真那さん」と呼んでくれて…私は顔を勢いよく上げた。
「真那さん、ずるいよ。僕が先に言おうと思ってたのに」
困った様に笑う順平君の顔は少し照れ臭そうで、顔が赤くなっていたのはきっと気のせいなんかじゃない。
いつのまにか銀幕の映像はクライマックスに差し掛かり、それを気にすることも出来ず順平君が私の頬に手を添えると今度は彼からのキスが私の唇に降ってくる。
きっとお互いはじめての不器用なもの。
それでも、この満ち足りた気持ちはどんな映画のクライマックスよりも感動的なものだと言える。
エンドロールが流れ始めて、照明が戻った時にはお互いの顔は真っ赤になっていたけれど先程の様に逃げる様に掴まれた手はいつのまにか指が絡むものに変わっていて、行こうと言った彼の声は照れ臭さを滲ませながらも優しいものだった。
「…本当にごめん。今度からはちゃんと見直してから映画誘うから…」
「結果オーライじゃない?私はこれで良かったって思ってる。…その、私と付き合って、くれる?」
「あー!!!ずるいよ…それも僕が先に言おうと思ってたのに…」
映画館を出てもお互いの指が離れる事はなかった。
夕暮れ時の少し薄暗くなった空は、街灯の灯りがつくまでとは行かなくても人通りの少ない道となると一人で歩くのは心許ないと家まで送ってくれると言ってくれた順平君の言葉に甘えて帰路に着く。
お互い恥ずかしさが抜けきらず、それでもちゃんと言葉にしないとあやふやないままになってしまうと焦りを感じ始めた私が言葉を紡ぐと、順平君はその場で座り込み顔を隠しながら少し不貞腐れた様な顔をしていた。
「順平君?」
「…僕と、付き合って下さい」
自分から先に言っておいて、改めて言われる立場になると色んな意味で恥ずかしさが募り、目線を合わせるためにしゃがみ込んだ私もそのまま蹲って少しの間顔を隠す羽目になる。
人気の無い道路は普段のバイト帰りは少し怖くて、足早に通り過ぎるのに順平君と一緒だからか…まだ一緒に居たいと欲が出ているからか怖くもなければもっと道が長ければ良かったのにとさえ思えた。
「真那さん、返事は…?」
「よろしく、お願いします…」
「…良かったぁ!今日言おう言おうって決めてたんだけどあんなシーンがあるって事忘れてたし、嫌になっちゃったらどうしようかって気が気じゃなくて」
尻餅をついて空を仰ぐ順平君は緊張から解放された様に深く息を吸ってゆっくりと吐き出しながら気持ちの整理をしていた。
私も道路だと言うことさえ忘れてその場に座り込むと何故かとても可笑しくなってきてしまって、二人でケラケラ笑いあって家までの道を進む。
「今度はどんな映画にしようかな」
「来週公開するやつは?ちょっと気になってだんだけど」
「あ!それ僕も見たいと思ってたんだ。…けど、バイト大丈夫?」
「休みの日なら平気だよ。流石に毎日は働かせて貰えないから…その、休みの日連絡するから一緒に帰ったりデート、したいな」
「うん、しようよ。一緒に見たい映画たくさんあるんだ」
手を繋いだまま、先程より近くなった互いの距離。
パッと私が手を離すと、順平君は驚いたように此方を見て、私は彼の腕を取るとその腕にしがみつく様に引っ付いてみせる。
「こっちの方が恋人っぽい?」
チラリと上を見上げると自分より少し高い目線の彼は耳まで真っ赤に染めながら私から顔を背けていく。
その姿に満足していると順平君はキョロキョロと辺りを確認しながら私を民家の外壁の方に押しやってくる。
「真那さん」
「なに…っん」
不意に塞がれた唇。
キョトンと瞬きを繰り返す私に追撃がやってくると順平君にキスされている事を認識して、やっと冷めた私の顔は再び一気に熱を帯びる。
「仕返し」
悪ガキの様な顔をした順平君にしてやられた思いながらも、胸は高鳴るばかりだから始末が悪い。
これから一緒にどんな映画を見ようか。
どんな話をしようか。
どんなところへ出かけようか。
これから紡ぐ二人の物語はどんな映画よりもきっと、素敵なストーリー。
ただ、ほんの少し他人とは違う境遇だったというだけ。
うちの学校は高校にしては珍しく部活動が強制されている。
特別な事情においてその限りでは無いけれど、周りの目もありただサボりたいからって適当な理由で入った部活。
部員なんて私一人でこのまま適当にやっていけば良いって思っていた所に、二年になって三人の参入部員が入ってきた。
正直言えば面倒くさい。
必然的に自分が面倒見なければならなくなるし、正直言えば私にそんな時間はない。
適当に部室に顔だけ出した後、さっさと帰ってバイトに向かおうとしていると後輩たちは楽しそうに映画の話題に花を咲かせて何を思ったのか私にまでそれを振ってきた。
「先輩はどんな映画が好きですか?」
「私?私は正直あんまりなかぁ…。なんかオススメある?」
「じゃあ、これなんかどうですか?すっごく泣けるんです。あと、これとこれと…」
「え。吉野君、ちょ…ちょっと待って…」
適当に聞いたつもりだったのに差し出された一本のDVD。
それに手を伸ばすと次から次へと述べられていく映画のタイトルにこちらの思考はついて行かない。
けれどその眩しくキラキラとした笑顔に断る気にもなれず躊躇いながらもそれを受け取ると、見たら感想教えてくださいとなどと言われて聞かなければよかったと思う気持ちまで湧いてくる。
うちは父子家庭。
母子家庭に比べて援助は少なく、母が亡くなってから気落ちした父は体調を崩しがちで自分のバイト代が家系を支える大切な稼ぎになって居た。
最低でも高校だけは何とか卒業したい。
そうでなければ今後まともな就職先にさえありつけなくなってしまうし、父がもし働けなくなった時に親子揃って共倒れになってしまうから。
「時間が出来たら…見るね」
「はい!絶対楽しいですから」
「あ、うん…」
私の曖昧な返事に返ってくるのは満面の笑顔。
…これは見なければいけないなぁ…と思いつつもその時間がいつ取れるかまでは定かではなかった。
正直気が重い。
誰とも深く関らず、私は平穏に生きて居たいだけなんだから。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
高校生の私がバイトできる時間は限られている。
年齢を誤魔化して飲み屋でバイトしようと思ったこともあったけれど、それだけは止めてくれと父に泣きつかれて、結局法的に許された時間だけのバイトで何とかやって居た。
「ただいまぁ…」
疲れ切った脚を引き摺りながら帰宅しても「お帰り」という返事はなく、テーブルに置かれた一人分の夕飯。
父は体調が少しでも良くなると無理をしがちで、それを幾度止めても親である以上私に負担を掛けたくはないからと無理をする。
コンビニで済ませるから良いと言っているのに、忙しい合間に作ってくれた食事を一人で平らげると食器を洗い、あとはお風呂に入って眠るだけ。
一人の空間にも、もう慣れたものだった。
お風呂に入り、遅くに帰って早くに出て行ってしまう父のためにお弁当を作っておくことが私の仕事の一つで、互いに支え合って今日まで暮らしてきたことに寂しさを覚えた時期もあったけれど不満なんてない。
けれど父はもっと普通の女の子みたいにさせてやれなくてごめんと…いつも私に謝った。
…そんな言葉、いらないのに。
「見たら感想…か」
あんな満面の笑みで言われたら、そのうち向こうから見ましたか?どうでしたかなどと聞かれかねない。
それはそれで面倒で…時刻はまだ日付の変わる手前。
幸いにも明日はバイトが休みの日。
少しくらいなら夜更かししても大丈夫だろう。
なにより、あんなに楽しそうに映画を話してオススメを教えてくれた彼の気持ちを蔑ろにしてしまうのは申し訳ない気がして、私は部屋に置かれたテレビの電源を付けるとその下に置かれたデッキにDVDをセットした。
「…なに、これ」
上映が始まって数十分もすると私は吉野君の思惑通りになっていた。
複雑な心理描写、練られたストーリーと展開にあっという間に映画の世界に引き込まれていく。
エンドロールが流れる頃にはボロボロと流れる涙が止まらなくなるとティッシュを箱で使い切りそうなほど号泣してしまった私は翌日、腫れ上がった瞼を冷やすことに朝の時間を費やした。
何とかマシになったであろう顔を事あるごとに鏡で確認しながらその日の授業を終えて部室に向かうと、そこにはまだ誰の姿もない。
棚に並べられたたくさんのDVDに今まで目を向けたことはなかった。
そんなことをしてる時間があるなら家のことを、バイトを、父の負担になる事少しでも自分引き受けてあげたら良いと思って居たから。
「…みんな、まだ来ないのかな」
自分らしくもなく溢れた独り言。
並べられたDVDの中には古いものもたくさんあったけれど、どれも丁寧に扱われて居て状態はとても良い。
…本当に、映画が好きなんだな。
自分にはそんなに好きだと胸を張って言えるものなんてない。
その日を如何に平穏に終わらせるか…そんな人生悟った夢も何もない様なことしか考えてない。
まともに見えるようにしなければ父子家庭だから「可哀想」だと勝手なレッテルを貼られる。
一体何を見てそう思うのだろう。
世間の「普通」と少し違うと周りは勝手に可哀想、気の毒だと私達を下に見る。
何かあったら何でも言ってね、そんな口先だけの言葉を掛けて偽善者を気取る。
私は、可哀想でもなければ不幸でもないのに。
そんな事をぼんやりと考えていると、部室の引き戸が開かれて待ち兼ねて居た後輩がやってくる。
普段は誰よりも遅くきて早く帰る私が一番に部室に来て居た事に驚いた吉野君は目を見開きながら私の方を見ていた。
「あれ、先輩早いですね」
「あ、うん。…昨日みた映画、早速見ちゃった。そしたら感想いいたくなっちゃっ…」
「え!?どうでした!?」
被せるように返された返事に驚きながらも、吉野君は私からの話を聞きたくて仕方ないのかキラキラの笑顔をしていた。
その表情は年齢より幼く見えて、宝物を見つけた子供のような顔に思わずわた私の顔が綻んでいく。
「正直めっちゃくちゃ良かった。ティッシュ一箱使い切るんじゃないかってくらい泣けたよ。…主人公のあのシーンは泣かない人きっと居ないよね」
「そう!そうなんだよ!!あのシーンは隠れた名シーンって言われてるくらいで、その後の描写にも大きく繋がるから…って、あ。ごめんなさい、熱くなりすぎちゃって」
ぐいぐいと距離を詰めてくる彼は私の感想に共感してくれたのか興奮が抑えきれない様子で、驚いて一歩下がった私の背中が棚にぶつかる音で我に帰ったのかしゅん…と子犬のように肩を落として謝罪してくる。
大人しそうな子だと思っていたけど、好きなものに対してはこんなに熱く語るんだと彼の意外な一面を知れた気がするのと同時に、先程とはまるで別人の姿にクスクスと肩を揺らすとしょぼくれたまま、吉野君は私の方に視線を向けている。
「ハハ…ッ、おかし。気にしてないから大丈夫だよ。ね、もっとオススメあったら教えてくれない?敬語も使わなくて大丈夫だよ」
「え…?あ、うん!…えっと、これなんかどうかな。ちょっとグロいけど、その分心理描写が複雑で見応えあって。それからこれなんかもオススメで…」
棚に並んだDVDを手に取り、机に並べた吉野君はそれぞれ話の概要やオススメするポイントなんかを丁寧に説明して私に教えてくれた。
驚くのはその内容の説明がネタバレまではいかなくても話の内容を理解するのに十分で、見てみたいと私に十分思わせてくれるものだった事。
「吉野君は、なんでそんなに映画が好きなの?」
「え、あ…。うち母子家庭で、小さい頃から一人で過ごす事が多くて。昔たまたま見たテレビで見た映画の主人公がすっごくかっこよくて、自分もこんなふうになれたらなとか、そんな憧れからかな。良い作品に出会えると感動も大きいし、エンドロールが流れてもその世界の余韻に浸っていられる。そんな世界が…多分好きなんだと思う」
「そっか、なんか良いな。私にはそんなに夢中になれる物も無いから。あ、これ借りてってもいい?バイト休みの時に見たい」
「もちろん!…あ、でも無理しなくても…。先輩、忙しそうだし」
普段ちゃんと顔を出すことすらあまりない私に遠慮しているのか、見たいと言い出した私に嬉しそうにしながらも気遣ってくれる様子や彼の家庭環境を聞くと、私達は似た物同士のような気もして、普段は自ら話すことなんて殆どないのに私は自分の事について話していた。
「うちも父子家庭なんだよね。お父さん、身体弱くて無理しがちだからバイト辞めれないんだ。でも、それを可哀想とから思われたくなくて…ちょっと意地になってたのかな。楽しそうに映画の話してる吉野君のこと見てたらちょっと羨ましくなっちゃった。
これからは時間がある時にはここに来るから、私も話に混ぜてくれる?」
「え、勿論!!」
「ありがと。じゃあ今日はバイトあるからお先に。見たらまたら話しようね」
机に並べられたDVDをスクールバッグに詰め込むと私は時間を確認して部室を後にする。
バイト先でも考えることは帰ってから時間が作れるかどうかとか、早く見て感想を伝えたいとか…そんなことばかりでいつもは気にもしないバイトの時間が今日は少しだけ長いものに感じた。
帰宅して部屋に並べたDVD。
それを誰から見ようかと真剣に考え、既に十分程時間を無駄にしている。
グロいと言われたものは寝る前に見るのは避けたくて…でもどれも見たいと思わせる説明をしてくれたので気になって仕方ない。
私が見たよって言ったら、また喜んで一緒に話をしてくれるのかな…。
「連絡先、聞けばよかった…」
悩みに悩んだ末、一つに絞っては見たもののそれもとても好みに刺さりこっちはどうだろうという好奇心に打ち勝つことができず、結局私はその日に二本の映画を見終えて翌日も泣き腫らした瞼と格闘することになる。
気がつくと吉野君と話すことが、私の学校生活での一番の楽しみになっていた。
時間が有ればじゃなくて何とか時間を作っては部室に通い、少しでも吉野君と映画の話をして家に帰ってDVDを見てまた感想を語り合う。
私の生活が少しだけ、キラキラと輝き始めた気がする。
「この間勧めてくれたのも良かった…!吉野君と映画の好み一緒で本当ラッキーだよ。ハズレだと思った作品ないくらい」
「本当?…なんか、嬉しいな」
「家でゆっくり見るのも良いんだけど、大きなスクリーンで見るのってどんな感じなのかな。吉野君は映画館とかよく行く?」
「行くよ。やっぱり迫力が違うし、家にはない良さがあるから。先輩、今度僕が好きな映画のリバイバル上映があるんだけど…その、よかったら一緒にいかない?」
スマホで見せてくれた映画の情報に目を通すと面白そうと興味を惹かれるもので、映画の概要を聞くと尚更見てみたいという気持ちは膨れ上がり、私は自分のスケジュールを確認すると残念ながらその日はバイト…。
肩を落としながらもせっかく誘ってもらえた映画が見てみたい気持ちに勝てず、私はその場でバイト先に連絡をするとシフトの変更が出来ないかと相談をしてみることにした。
今まで、急な休みに対応してバイトに出たことは幾度も有れど自分から予定ができたと言ってシフトを変えてもらったことは無かった。
最近、なんだか明るくなったね。
綺麗になったね、なんてまるで親のように私の事を気に掛けてくれていた店長はデート?と揶揄いながらも二つ返事で変更を引き受けてくれて、それを吉野君に伝えると少し申し訳なさそうにしながらも嬉しそうに笑ってくれた。
「じゃあ、当日は休みだから映画館の前で待ってるね」
「わかった。あ、連絡先聞いても良い?…あとね」
「なに?」
「…たまに、連絡しても良い?映画の事とか楽しかった事とか、何でも良いから…学校以外でも話したいなって」
少しでも彼と話せる時間が欲しい。
いつからかそう思うようになった私はきっと、映画の事を楽しそうに語る後輩のことが好きなんだと自覚し始めていた。
吉野君も今のところ彼女はいない様子で…映画に誘ってくれるということは少しは期待しても良いのだろうか。
そんな淡い期待が胸を過ぎる。
けれど映画の事はあんなに考察して深く考える吉野君は私の言葉を深くは捉えて来れなくて、こういう事は意外と鈍いのかと少し肩を落としながらも私の言葉に頷いてくれた事に内心ホッとしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
待ちに待った約束の日。
前日から服をどうしようか、靴は?鞄は?
髪型も変えた方が良いのではないかと悩んでは止めてを繰り返しまるで初デート気分。
緊張と高揚からなかなか寝付くことが出来ず、念のためにと早めに掛けてあったアラームに感謝さえしたくなると小一時間、鏡と睨めっこを続けて自分の納得いく姿を確認してから私は気づかれないようにそっと玄関に向かう。
けれどこういう時こそ親の勘というものが働くのか、あっさり父にバレてしまうと声をかけられて歯切れの悪い返事しか返せない。
「珍しく出かけるのか?」
「…あ、うん。ちょっと後輩と映画に…」
「そうか、楽しんでおいで。あまり遅くならないように」
「…うん、行ってきます!」
言葉を濁したものの、父はきっといつもとは違う私の服装や気合いの入れ方にやんわりとデートだとは勘付いて居るのだろう。
それでも心配よりも私が休日にこうして遊びに行く事を喜んでくれて居るように思えて、時間には気をつけながらも楽もうと玄関の扉を潜ると待ち合わせの映画間まで脇目も振らずに脚を進めた。
「吉野君!」
「先輩、早かったね。何か飲み物買う?」
「ねぇ、ポップコーンって売ってるのかな?映画でポップコーンってちょっと憧れ」
「ハハ、売ってるよ。僕、買ってくるから半分こしよう」
映画館を熟知しているのかその場を離れていった吉野君は数分後には飲み物とポップコーンを抱えて戻ってくる。
テレビでしかみたことのない映画館らしい雰囲気に私のテンションは上がっていくとつまみ食いをしようと伸ばした手は阻止するようにポップコーンがヒョイと私の手を避けて逃げていく。
「あ、だめだよ。これは映画が始まってから」
「ちょっとだけ。…だめ?」
「ダメ!僕はそこ厳しいからね」
吉野君はさすがというべきか映画に関して拘りは人一倍強いらしい。
他愛のないやりとりを繰り返している間に時間も迫り、スクリーンに移動した私達は人もまばらの中で一番後ろの列の真ん中という全体を見渡せる場所に腰を下ろした。
「まだ食べちゃダメ?」
「だーめ、始まってからだよ。もうすぐだから」
ポップコーンに意識ばかり向いてしまう私を笑いながらも吉野君は今日の映画の概要をもう一度説明してくれる。
その話を聞きながら期待に胸を膨らませていると徐々に薄暗くなっていく室内の照明と映し出された銀幕に私達の視線は向いていく。
内容としてはとても引き込まれるものだった。
やっとお許しの出たポップコーンに時折手をのばすと吉野君の指が触れそうで、触れなくて…そっと視線を向けると真剣な顔をして銀幕を見据える視線は内容を知っているはずなのにこれからどんな展開が待っているのかと心躍らせる少年のように見えた。
…そう思っていたのも束の間だった。
「……」
「…先輩、ごめん」
スクリーンから響くのは女の人の艶かしい声と男の人の荒い息遣い。
本当に久しぶりに見る映画らしく、そんなに長くないこともあって吉野君も濡れ場があることを忘れていたらしく目元を手で押さえながら謝罪する声が小さく響いた。
そんなに長くない…はずなのに、この気まずい空気はとてつもなく長いものに思えて、恥ずかしくて画面に視線わ向けることも出来ず俯いていると膝に置いたままの私の手に吉野君の手が重なる。
ドクドクと脈打つ鼓動が手からでも伝わってしまうのではないかと思うほど早鐘を打っていて、手汗さえ滲みそうな状況に手を離したいのに、想像以上に力強く握られた手を振り解く術がなく部屋が暗くてよかったと思えるほど私の顔は赤く染まっていた。
「…出よう」
「え、吉野君?」
「ごめん、内容ちゃんと覚えてなくて…」
立ち上がった吉野君は私の手を引いて席を離れようとする。
…一人ならこんな事をしなくて済んだのに、私を誘ったせいであんなにワクワクしていた顔を曇らせてしまうのは私が嫌で…。
その場で小さく首を振ると、大丈夫だからと小さく呟いた。
それでもチラリと銀幕に視線を向けて未だ続く濡れ場に勢いよく視線を逸らした吉野君の席をポンポンと叩いて座る事を促すと私は身体を少し捻って彼の方を向き、繋がって居ない方の手を吉野君の膝に置く。
「キス、してもいい?」
「…先輩?」
スクリーンに背を向けた私の視線は吉野君に向いて、彼の視線も映し出された妖艶な映像ではなく私の方に向いて居た。
暗がりの中、少しずつ近づいたお互いの顔はほんの僅かに唇を掠めて離れていく。
銀幕の中で繰り広げられている行為とはまるで違う、辿々しくて拙いものでもこの日一番に私の心臓は破裂しそうなほどうるさく鳴り響いて居て、ここが本当に薄暗い灯の中で良かったと心から思った。
「…好き、みたい」
「なにが?」
「私、順平君のこと…好きみたい」
ここまで来たら言うしかないだろう。
真っ直ぐに目を見て言うことなんて叶わなくて、俯きながらその返事を待ってもなかなか順平君からの返事はやってこない。
…ただ、映画の好みが合うだけの先輩としか思われてなかったのだろうか。
せっかく楽しく過ごして居たのに、こんな形で今後気まずくなってしまうのは嫌だと思うものの、相手があることだから仕方がない。
私と彼とでは気持ちの向き方がほんの少し違った。
それだけの事だと瞬きを繰り返しながら滲んできた涙を無理矢理押し込めると、顔を上げて謝って…全部誤魔化してしまおうとさえ思っていた時に順平君が私の事を「先輩」とではなく、「真那さん」と呼んでくれて…私は顔を勢いよく上げた。
「真那さん、ずるいよ。僕が先に言おうと思ってたのに」
困った様に笑う順平君の顔は少し照れ臭そうで、顔が赤くなっていたのはきっと気のせいなんかじゃない。
いつのまにか銀幕の映像はクライマックスに差し掛かり、それを気にすることも出来ず順平君が私の頬に手を添えると今度は彼からのキスが私の唇に降ってくる。
きっとお互いはじめての不器用なもの。
それでも、この満ち足りた気持ちはどんな映画のクライマックスよりも感動的なものだと言える。
エンドロールが流れ始めて、照明が戻った時にはお互いの顔は真っ赤になっていたけれど先程の様に逃げる様に掴まれた手はいつのまにか指が絡むものに変わっていて、行こうと言った彼の声は照れ臭さを滲ませながらも優しいものだった。
「…本当にごめん。今度からはちゃんと見直してから映画誘うから…」
「結果オーライじゃない?私はこれで良かったって思ってる。…その、私と付き合って、くれる?」
「あー!!!ずるいよ…それも僕が先に言おうと思ってたのに…」
映画館を出てもお互いの指が離れる事はなかった。
夕暮れ時の少し薄暗くなった空は、街灯の灯りがつくまでとは行かなくても人通りの少ない道となると一人で歩くのは心許ないと家まで送ってくれると言ってくれた順平君の言葉に甘えて帰路に着く。
お互い恥ずかしさが抜けきらず、それでもちゃんと言葉にしないとあやふやないままになってしまうと焦りを感じ始めた私が言葉を紡ぐと、順平君はその場で座り込み顔を隠しながら少し不貞腐れた様な顔をしていた。
「順平君?」
「…僕と、付き合って下さい」
自分から先に言っておいて、改めて言われる立場になると色んな意味で恥ずかしさが募り、目線を合わせるためにしゃがみ込んだ私もそのまま蹲って少しの間顔を隠す羽目になる。
人気の無い道路は普段のバイト帰りは少し怖くて、足早に通り過ぎるのに順平君と一緒だからか…まだ一緒に居たいと欲が出ているからか怖くもなければもっと道が長ければ良かったのにとさえ思えた。
「真那さん、返事は…?」
「よろしく、お願いします…」
「…良かったぁ!今日言おう言おうって決めてたんだけどあんなシーンがあるって事忘れてたし、嫌になっちゃったらどうしようかって気が気じゃなくて」
尻餅をついて空を仰ぐ順平君は緊張から解放された様に深く息を吸ってゆっくりと吐き出しながら気持ちの整理をしていた。
私も道路だと言うことさえ忘れてその場に座り込むと何故かとても可笑しくなってきてしまって、二人でケラケラ笑いあって家までの道を進む。
「今度はどんな映画にしようかな」
「来週公開するやつは?ちょっと気になってだんだけど」
「あ!それ僕も見たいと思ってたんだ。…けど、バイト大丈夫?」
「休みの日なら平気だよ。流石に毎日は働かせて貰えないから…その、休みの日連絡するから一緒に帰ったりデート、したいな」
「うん、しようよ。一緒に見たい映画たくさんあるんだ」
手を繋いだまま、先程より近くなった互いの距離。
パッと私が手を離すと、順平君は驚いたように此方を見て、私は彼の腕を取るとその腕にしがみつく様に引っ付いてみせる。
「こっちの方が恋人っぽい?」
チラリと上を見上げると自分より少し高い目線の彼は耳まで真っ赤に染めながら私から顔を背けていく。
その姿に満足していると順平君はキョロキョロと辺りを確認しながら私を民家の外壁の方に押しやってくる。
「真那さん」
「なに…っん」
不意に塞がれた唇。
キョトンと瞬きを繰り返す私に追撃がやってくると順平君にキスされている事を認識して、やっと冷めた私の顔は再び一気に熱を帯びる。
「仕返し」
悪ガキの様な顔をした順平君にしてやられた思いながらも、胸は高鳴るばかりだから始末が悪い。
これから一緒にどんな映画を見ようか。
どんな話をしようか。
どんなところへ出かけようか。
これから紡ぐ二人の物語はどんな映画よりもきっと、素敵なストーリー。
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