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ザクッザクッザクッ……
深い樹海を、フォレスターはただただひたすらに歩き続ける -
フォレスター
ふぅ……この辺りで、いいかな
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フォレスターが持ってきた荷物は少ない。だが、フォレスターにとっては充分過ぎる荷物だった
-
フォレスター
……ほんと、静かだな
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草木がどこまでも広がり、遠くでは鳥がさえずっていて、頭上では、青々とした葉が風に揺れては光を零していた
-
フォレスター
ここでなら、きっと……
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フォレスターは何かを決意したように、小さな鞄から、丁寧に折り畳まれたビニールシートを広げてそこに腰を下ろした
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フォレスター
もう少し、ここにいよう……
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ガサガサッ!
-
フォレスター
……!
-
フォレスターは急いで立ち上がった。こんなに深い森の中なのだから、獣がいてもおかしくないはずだ
-
フォレスター
だ、誰……っ?!
-
ノートン
それはこっちのセリフだけど?
-
しかし、茂みから出てきたのは、巨体な熊でも、ましてや小動物でもない、人間だった
-
フォレスター
す、すみません……ちょっと、散歩に
-
フォレスターは後ろのビニールシートを目配せながら慌てて言い繕った
-
ノートン
ふぅん、散歩ね
-
それ以上、彼は何も言わなかった。というか、フォレスターの周りをある一定の距離を保ったままゆっくりと歩き、こちらの様子を伺っているようだった
-
フォレスター
あのー……
-
ノートン
見たところ、探鉱者ではなさそうだ。ライバルじゃないなら別にいいけど
-
フォレスター
は、はぁ……
-
探鉱? ここは、宝石か何かが掘れるところだというのだろうか
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ノートン
何? 場所は教えないけど
-
フォレスター
何を?
-
ノートン
探鉱の場所だよ……
-
ノートン
てか、どうしてここに人間がいるの
探鉱のことも知らないで、おまけに荷物も少ない -
フォレスター
あ……えっと、ほんと、軽い気持ちで
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ノートン
迷子なんだ?
-
フォレスター
あ、いえ……いや、そう、かもしれないです……
-
フォレスターは声が先細りながら、おずおずと答えた
-
ノートン
出口まで案内するけど?
-
フォレスター
あ、いや、でも、その……
-
ノートン
高く払ってもらうけどね
-
フォレスター
そんな……私、お金なんて
-
彼はフォレスターの言葉には全く興味がないかのように、ビニールシートに置いたままの鞄を見やった
-
ノートン
少しくらい何かあるでしょ
-
ノートン
こっちだってただで仕事をしている訳じゃないし
-
フォレスター
あ……!
-
彼は、フォレスターの制止も聞かずに、勝手に鞄を漁り始めた
-
フォレスター
やめて下さい!
人のものを勝手に…… -
しかし、彼は気にも止めずにフォレスターの鞄にあったものを取り出してビニールシートの上に広げた
-
ノートン
ティッシュにハンカチ……あとは何も入っていない布袋だけ?
-
フォレスター
えっと……
-
彼はフォレスターを、一文無しと言いたいのだ。フォレスターは言い返す言葉もなく口ごもる
-
ノートン
こんなんでここまで来るなんて
随分舐められたものだね、この森も -
フォレスター
……ほんとに、軽い気持ちだったんです
-
ノートン
軽い気持ちで? 本当に?
-
彼が真っ直ぐとフォレスターを見つめた
-
ノートン
ここ、自殺志願者が多いんだよ
知らなくて来た訳じゃないでしょ -
フォレスター
そ、それは……
-
ノートン
おかげでここにはあちこちに人の気配が残ってて、息がしづらいと思っていたんだよね
-
ノートン
鉱石がいくつも残っているのに、仕事がしづらくて嫌になるよ
-
ノートン
……で?
誰に何を出されてここに来たの -
フォレスター
え……?
-
ノートン
ただでここに来る訳ないでしょう?
本当は誰かに金か何かを掴まされてここに来た -
ノートン
そうだな、荷物は少ないし、どこかに何かを隠し持っているものがあるとしたら……
-
ノートン
死体探しとか?
-
フォレスター
そういう人も、ここに来るんですか?
-
ノートン
そうやって話を逸らすんだね
-
ノートン
ああ、ここまで来て、また人間にうんざりするなんて
-
フォレスター
すみません……
-
フォレスター
でも、本当に私、軽い気持ちでここに来て……
-
ノートン
自殺しようとしてきた?
-
フォレスター
え
-
ノートン
最初から気付いていたよ。ここに来るやつはみんなそうだったし
-
ノートン
でも、ロープも持っていないなんて
樹海でどんなふうに死ぬかまでは考えてなかったの? -
ノートン
それとも、獣に襲われるまでじっとしているつもりだった?
-
フォレスター
私……
-
バサバサバサッ……
-
彼は急に、手にしたままだった布袋を逆さまにして中身を全部地面に落とした
-
出てきたのは、大量の写真
-
フォレスター
な、何しているんですか! 私の大切なものを……
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ノートン
なんだ。ちゃんと物持ってたんだ
-
写真を慌てて拾うフォレスターに手伝うこともなく、彼は無感情に言い放った
-
フォレスター
こ、これは……
-
ノートン
母親?
-
言われてどきりとした。写真には、フォレスターと、母親の写っているものばかりだったからだ
-
フォレスター
……病気だったんです
-
フォレスター
一週間前に亡くなりましたけど
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思い出したくもない母親の葬儀が脳裏に浮かんで、フォレスターは何度も首を振った
-
ノートン
ふぅん
-
ノートン
だったらこれからは自由じゃん。見たところ貴方は成人か、その前後みたいだし
-
ノートン
そんなことなんかで死ねるものなんだね
-
フォレスター
何も知らないのに、適当なこと言わないで下さい!
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フォレスター
唯一の家族だったんです!
父親は私が小さかった時にはいなかったみたいだし -
フォレスター
兄弟だっていない……
-
フォレスター
就職先だって決まって、お母さんに伝えたかったのに……
-
ノートン
そっちこそ、勝手に決めつけて話さないでよ
-
ノートン
僕だって親はいないし、兄弟だっていない
-
フォレスター
す、すみません……
-
フォレスターは謝ってから、なぜこの男と悠長に会話などをしているのだろう、と冷静に考えるようになった
-
ノートン
何?
-
フォレスター
私のことはもう構わなくてもいいので……
-
ノートン
僕が邪魔だって?
-
フォレスター
えっと、まぁ……
-
ノートン
僕のこの顔にレッテルを貼ってるから?
-
フォレスター
え……?
-
突然何を言い出すのかと、フォレスターはここで初めて、彼の顔をよく見てみた
-
火傷か何かか、顔半分が爛れていて、皮膚の色が変色していた
-
フォレスター
あの、その顔は……
-
ノートン
何? はっきり言ったっていいんだよ
どうせ僕みたいな人間と、金がなけりゃ話したくもないだろうし -
フォレスター
そんな訳じゃ……
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一人で死にたいだけだったのに、どうもフォレスターは、やっかいな男に絡まれただけなのだとようやくここで悟った
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ノートン
簡単な話さ。僕は元々炭鉱夫で、予想外の土砂崩れで仲間も僕も生き埋めになって
-
ノートン
……僕はたまたま運がよかっただけ。一人で生き残ったって
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フォレスター
だったら、どうして探鉱を続けているんですか?
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思わず聞いてしまった言葉だった。早くこの場から離れたかっただけなのに、フォレスターの口からつい出てしまった質問に、彼はなぜか、にたりと笑った
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ノートン
金だよ、金、全て金のため。
金さえあれば地位も手に入る。地位さえ手に入ればなんだって僕の思い通り -
ノートン
あんな薄暗い場所にだって行かなくてもよくなる、そんなことも分からないの
-
フォレスター
私は、ただ……その、すみません
-
ノートン
まぁいいよ。だって貴方、今からここで死ぬんでしょ?
-
そう言って、彼は辺りの小枝や枯葉を集め始めた
-
フォレスター
だからあの、一人になりたいんですが……
-
ノートン
僕のことは気にしないで
空気と思ってくれていいよ -
ノートン
もう喋ったりもしないし、ほら、もう日が暮れる
-
フォレスター
え……
-
見れば、頭上からの木漏れ日が夕日色に染まっていた
-
ノートン
僕は貴方がどんなふうに死ぬのか興味が出たんだ
-
ノートン
それに、その胸飾り、かなり高価なものでしょう?
君が死んだら、僕がそれを金に替えて有効活用してあげるよ -
フォレスター
こ、これは……!
-
フォレスターはさっと胸元にある首飾りの宝石を握り締めた。青い宝石の首飾りだ
-
フォレスター
母の形見です! 人のものを勝手に盗らないで下さい!
-
ノートン
でも、死んだ後に人や獣が何をしようと問題はないでしょう?
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ノートン
貴方は死ぬんだから
-
フォレスター
そんな言い方って……
-
言いかけて、フォレスターは口を噤んだ
フォレスターは全てを悟ったのだ。結局、自分は死ぬ最後まで、他人に酷い扱いをされてしまう存在なのだと -
フォレスターは諦めて再びビニールシートの上に腰を落ち着けた。あとには、彼がその場でカチッと火を灯した音だけが聞こえ、間もなく、夜になった
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彼は本当に、何も喋らなくなった。ただ、彼が起こした焚き火だけが煌々と輝いていて、見取れてしまいそうになるところに彼と目が合って、フォレスターは慌てて視線を逸らした
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それでも彼は喋らなかった。再び焚き火を眺め、フォレスターもつられて焚き火を眺める
-
-
焚き火の光が届かないところはどっぷりと闇で、暗いところが怖いだなんて、子どもの時だけなのだと思っていたフォレスターの考えをひっくり返した
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その内、彼がガサゴソと動いたかと思えば、自分の腰にある袋から、固そうなパンを取り出した。そして、ザクザクとパンを食べ始めたものだから、フォレスターは思わず声をあげた
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フォレスター
私の目の前でパンを食べるなんて!
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しかし、彼は淡々とこう返した
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ノートン
安心してよ。貴方にあげたりしないから
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ノートン
僕はこんなところでは死にたくないからね、貴方と違って
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ノートン
誰かにレッテルを貼られても、大切な誰かがいなくなっても。僕にはやらなきゃいけないことがあるんだ……
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フォレスター
金ですか
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ノートン
そうだよ、ふふ……僕と話したくなかったんじゃないの?
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そんなことより、彼がごく自然と笑ったことにフォレスターは驚き、そして、見取れてしまった。それに気付いた彼はすぐに真顔になったのだが
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ノートン
何
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フォレスター
あ、いえ……顔、きれいだなって
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ノートン
は?
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フォレスター
笑った顔、素敵じゃないですか
本当は、モデルとかやってたんじゃないですか? 背も高いし…… -
フォレスター
ああ、すみません、気にしないで……
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フォレスターはすぐにうつむいた。気を悪くさせたに違いないと思ったからだ
しかし…… -
ノートン
貴方は面白いこと言うね
-
ノートン
気に入ったから、ここの出口まで案内するよ
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フォレスター
え?
-
急に何を言い出すのだろう、とフォレスターがもう一度顔を上げた時、彼はすでにそばまで来ていて、こちらに何かを差し出していた
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ノートン
僕はノートン·キャンベル
これ食べて、明日の朝、ここを出よう -
突然の差し出されたパンに、フォレスターは戸惑った
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フォレスター
何を言って……
-
ノートン
僕は貴方を気に入ったんだ。嫌だったらここから逃げ出してもいいんだよ
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フォレスター
どうして突然……?
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ノートン
気まぐれだよ。じゃなかったらなんだと思う? 一文無しの貴方を助ける意味は?
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フォレスター
このネックレスを狙っているんじゃないですか?
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ノートン
ククッ……それもそうだけど
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そして、ノートンと名乗った彼は言葉を続けないまま、パンをフォレスターの傍らのビニールシートに置いて自分の位置へと戻って行った
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正直、お腹のすいているフォレスターにとって、手を伸ばせば届く距離にあるパンは一番のご馳走である
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ノートン
貴方の名前は?
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ノートンは相変わらず、パンにかじりついている。フォレスターはいてもたってもいられず、空腹を誤魔化そうと、彼のよく分からない質問に答えようと思った
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フォレスター
……フォレスター、ですけど
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ノートン
ふぅん、フォレスター
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ノートン
この辺りでは聞き慣れない名前だ
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ノートン
……もしかして……?
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フォレスター
そうですよ。私、遠くから来たんです
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ノートン
へぇ、そういうことか
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ノートン
だから貴方は死のうと思ったんだね
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フォレスター
え?
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ノートン
本当は、母親の死はきっかけでしかないんでしょう?
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フォレスター
何を言って……
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ノートン
僕がそいつらにやり返してあげようか? もちろんタダじゃやらないけど
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ノートン
僕の体質はちょっと変わっていてね。損はしないと思うよ……
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フォレスター
なんの話をしているんですか?
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ノートン
イジメられていたんでしょう?
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フォレスター
そ、それは……
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どきりとした。なぜノートンには、見抜かれてしまうのか。フォレスターは、どうしようもない悲しみや思考の減退を、ひたすら空腹のせいにしようとした
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ノートン
まぁ、僕は貴方の気持ちがどうなっているかなんて興味がない
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ノートン
大事なのは僕の気持ちさ。貴方もそう考えたら少しはマシだろうに
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フォレスター
……私がマトモじゃないと?
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ノートン
だってそうでしょう? 貴方は、たかが他人に傷つけられてたからって、ここまでやって来ているんだし
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ノートン
本当は空腹なのにそのパンも食べようとしない
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ノートン
気持ちと逆なことをするなんて、僕には考えられないね
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フォレスター
パンくらい……!
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煽られていることはフォレスターには分かっていたことなのだが、あまりにもノートンの言葉に苛立ってしまい、勢いでパンにかじりついたのだった
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ノートン
ふふっ
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ノートンはただ笑っただけだった。あの、整ったきれいな顔で
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パンは、少ししょっぱかった。どこか懐かしい気もするし、異国の風味もするような、そんな、ごく普通の庶民的なパン
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フォレスター
……お母さんの焼いたパンは、もっと柔らかかった
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そう言いながらも、フォレスターはパンを食べることをやめられなかった
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後から涙が溢れてきて、フォレスターのパンをさらにしょっぱくした
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ノートン
どう? 生きる気になった?
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彼は、最初から、これが狙いだったのだろう。それが彼にどんな利益をもたらすのか、フォレスターには分からないが
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フォレスター
私……生きたいです……
-
うつむきながら、フォレスターは涙声で応えた
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