side ユリウス
数多の剣が花びらのように解け、風に舞い散る空の下。
光の剣が胸を貫いた瞬間。
「この私の攻撃も見えていたはずだ。しかし先程の時間魔法の発動を止めて、避けることは出来なかった」
口から溢れた鮮血よりも、身を焼く灼熱の痛みよりも、魔法帝ユリウスを苛むものがあった。
「お前は魔法帝だから」
白夜の魔眼頭首リヒトを前に倒れ、懐から魔石を奪われながら。
ユリウスは、魔法帝として抱くべき懸念よりも先に、たったひとりの少女を脳裏に描いた自身を認めざるをえなかった―――。
何もかもが夕焼け色に染まりゆく、黄昏の頃。
崩れた塔の瓦礫の上。横に置かれた仮面。頭首が纏う金色の夜明けのローブ。血溜まりに沈む魔法帝。
たった今辿り着いたばかりのヤミがそれらから導き出した結論。それに従い抜刀した同時、闇の魔力と殺気がその場に迸る。
「どういう事だ、ヴァンジャンス……!」
「ご機嫌よう、ヤミ・スケヒロ。私はリヒトだ……ウィリアムは眠っているよ」
「あ゛?! 覚悟できてんのか……?!」
リヒトを名乗る男が片頬から流す涙。氣を使うヤミがそれに気づかないはずはない。
けれどヤミは建物の中にいた側近のマルクスに医療魔道士を呼んでくるよう叫ぶだけだった。
敵の涙に意味などない。
「無駄だよ、この男はもう死ぬ……! 最後までこの国の人間を護り抜いた……敬意を表するよ、ユリウス・ノヴァクロノ。……だが」
頭首リヒトが白くブレる。それは光魔法による高速移動の予兆。
「我々とお前達が解り合うことは、二度とない……!」
離れた場所から顔を出した空間魔道士。
ヤミは迷わず空間魔道士のいる屋根に刀を、闇魔法を振り下ろした。
―――闇魔法、“闇纏・次元斬り”。
あまりに早すぎる判断。それでもなお、敵の方が速かった。
真っ二つに斬った空間魔法に人を斬った手応えはなく。残ったのは取り逃した感触のみ。
そして残されたのは、血にまみれた魔法帝。
「ユリウスの旦那……! しっかりしろ……!」
「……、ヤ……ミ」
―――刹那、飛んでいた意識が戻る。
夕闇が迫る。頬を撫で、髪を揺らす風が冷たい夜気を連れてくる。どんどん冷えていく指先。仰向けられた拍子に石を叩いた指輪の音に、ふ、と口の端が綻んだ。
左手薬指にはまるたったひとつの指輪。
その内側に刻まれた言葉が、こんなにも……ああ、言葉にならない。
「さっきの魔法……凄いね……空間を……斬るなんて……」
「んなこと言ってる場合かよ……!」
確かに、血の味しかしない口で話すことではなかったかもしれない。でも仕方ない。魔法を、こよなく愛しているから。
「本当に……凄い……魔法騎士になったね……」
「だから……もう28だって言ってんだろ……いつまでもガキじゃねーんだ……」
ああそうだ。ヤミの言う通りだ。かつて少年だったヤミも、ウィリアムも、自分の道を見つけた。やりたい事を見つけた。
ヤミに預けた僕の少女が、許されてもなおその肌に触れることを躊躇ってしまうような、美しい女性に育ったように。
「頼もしいね……次の世代がしっかりと育ち……更に次の世代が芽吹いている……」
あっという間に育っていく。大人になっていく。
「私の思いは……次代の魔法騎士達へと、続いている……」
今年の星果祭で登壇したふたりが、歳若い下民だったことが、どれほど嬉しかっただろう。どれほど心待ちにしてただろう。
目指したもの、作ろうとした未来。
それらは遠くない未来に訪れると、信じている。
「王族でも、貴族でも、平民でも、下民でも、人間じゃなくても……」
差別や憎しみのない国を。
君達と作る、新しい未来を。
妻に語った夢が蘇る。ちょうどこんな夕焼け空の下だった。
膝に抱き上げただけで真っ赤になるのが、可愛らしくて。
なのに、僕の夢を、その未来を、一緒に見たいと言ってくれた。
嬉しかった。心から、愛おしくて。
だから。
酷く悲しませるだろう未来が迫っていることを。
何ひとつ残してあげられない自分を。
申し訳なく、悔しく思う。
「白夜の魔眼頭首は……魔石の力を使わずとも、国民全員を殺す術を持っていた……彼の真の目的は、別にある……!」
魔法帝ユリウスが蓄えていた全ての魔力と時間を消費してやっと未然に防げるような、クローバー王国全土を覆う光魔法を頭首リヒトは使った。あれが別の場所で使われていたなら防げなかった。
つまり、白夜の魔眼の本懐がまだ残っているはず。
「この国に……何か恐ろしい事が……起こるのかもしれない……魔石を奪われてしまい……すまない……魔法帝として……あるまじき失態だ……」
「何言って……」
「……こんなことになってしまって……マルクスくんに……怒られるんだろうなぁ……フエゴレオンの目覚めを……迎えてあげられなくて……残念だ……」
息も絶え絶え。残り少なく命の灯火を燃やし尽くすかのよう。たったこれだけしか喋っていないのに。
ヤミが、見たこともない顔をしている。
「ふざけんなよ旦那……何、勝手に逝こうとしてんだ……!
ソフィアはどうするつもりだ……!」
「……ヤミ……」
責任を問うのではなく、ただ逝くなと。そう言ってくれたヤミの。
最後の言葉だけが、少し、飲み込みづらかった。
「後のことは任せたよ……!」
国のこと。騎士団のこと。未来のこと。
どうしようもなくなるほど泣いてくれるだろう、妻の、こと。
ヤミは。何かを言おうとして、渾身の力で呑み込んで。
そうして、震える指で、三つ葉の敬礼をした。
「……ああ……!」
魔法騎士団団長としての、敬礼だった。
それがただただ嬉しかった。
パラパラと回る
魔導書が夕風に乗って散り散りになっていく。まるで花びらのよう。
あの少女と過ごした、白薔薇の中庭に居るみたいだ。
泣くだろうか。悲しむだろうか。
いつか必ず訪れる僕との別離。きっと深く考えないまま僕の妻になり、恋をして、愛してくれた。何もかもを捧げてくれた、未だ幼い妻。
深く傷ついてくれるだろう事実を喜ぶ夫であると、あの子は知らないままだろう。可哀想に。
あの子の愛してると、僕の愛してるは、きっと永遠につり合わないまま。
それがどうしようもなく心地よかった。
同じじゃないからこそ、僕は、心奪われたのだから。
ふ、と。最後の最後。
肺に残ったものを全部吐き出すように、転がり落ちたものは。
「あー……色んな魔法が見れて……楽しかったなぁー……」
色んな人間に出会えて、楽しかったなぁ……。
言っても仕方ないのに。
僕はどうやったっていつかは置いていく、身勝手な男なのに。
まるで頑是無い子供のように。
気がつけば、勝手に口が紡いでいた。
「……
ソフィア……」
紅茶色の髪。琥珀の瞳。
抱きしめた時に香る花の匂い。僕を呼ぶ、いじらしい声。
柔らかで、小さな体。いつだって寄り添ってくれた優しい手。
ぜんぶ覚えている。一時も忘れられない。
会いたいなぁ。声を聞きたいなぁ。
ねえ、本当にどんなに時が経っても、君は僕を愛してくれる?
ソフィア。
僕は、愛しているよ。
―――息を引き取る間際。
最後の最後までユリウスを苛んだものは、国でもなく、敵でもなく。
たったひとりの少女だった。
fin.