おやつの時間

大江戸マートは、丁度夕飯時前の混雑でごった返していた。
レジには買い物カゴを下げた人の列が形成され、生鮮食品売場にも人集りが出来る。
お菓子の陳列棚前では、おやつを巡る母子の攻防の声もチラホラ聞こえていた。
「うむっ? こんな所に」
桂が声を出して立ち止まったのは、製菓材料が並ぶ棚の前。一緒に買い物に来ていた坂本も、その声に振り返る。
「どがぁした? なんぞ、えいもん見付けたか?」
桂が立ち止まっている前の棚を、後ろから近付きひょいと覗き込む。
そこには小麦粉を始め、薄力粉などの粉ものと、ホットケーキの素や牛乳等を加えて作る簡単な製菓材料が並べられていた。
坂本の目には、どれもこれも同じように見える。パッケージにお菓子の絵柄が描かれている所から、そこが何売場なのかが知れた。
「うん? 食後のデザートでも、作ってくれるがか?」
甘える様に、坂本の腕が桂の肩を抱きしめる。
その手を叩いて外させると、下にある棚から小袋を一つ取り買い物カゴの中へと入れた。
「デザートではない、おやつだ」
坂本に向ける笑顔は優しく楽しそうで、坂本は人前だからと叩かれた事も忘れて今度は腰を抱き寄せようと手を伸ばす。
当然、抓られ叱られる。それでも気にする風も無く、買い物帰りには肩を並べて寄り添う様に隠れ家へと戻るのだった。


夕食の主役は、秋刀魚の塩焼き。エリザベスの作った特製サラダと、具沢山の味噌汁。
ほかほかご飯に、キュウリと茄子の漬物。出汁巻き玉子と、かぼちゃの煮物。
卓袱台に並んだ和食を前に、坂本と桂とエリザベスが「いただきます」と手を合わせる。
三人で囲む食卓はいつも通り楽しく、時々馬鹿話も飛び出すが和やかに過ぎた。
今夜の食後の後片づけは坂本の当番で、桂は風呂洗い。エリザベスはお休みでテレビを楽しんでいる。
洗い物が済んだ坂本とお風呂の湯が沸くまで時間が出来た桂が居間に戻って来ると、エリザベスが立ち上がった。
「んっ?」
「どうした、エリザベス?」
座った二人の視線が、エリザベスを見上げる。
【お茶を入れてきます】
当番制にしたけれど、やはりエリザベスは二人の世話がしたかったようだ。
台所へと入ってゆく後ろ姿が、どことなく楽しそうに見える。
坂本と桂は、目を見交わし静かに笑んだ。自然に近付く肩と肩。
畳の上に置かれた桂の手に、坂本の手が被さった。
「の、こた。今夜は一緒に、風呂」
「ああ、そうだっ!」
手を握り込み入浴のお誘いを仕掛けようとした所で、するりと手の中から手を引き抜かれる。
膝立ちになり、何かを思い出した様子の桂に肩を落とした。
「どがぁした?」
「忘れていた! おやつだ!」
「おやつ…… あれか!」
夕方一緒に買い物していた時の事を思い出す。桂も、頷いて「そうだ」と告げた。
「作ってやるからな。待っていろ」
さっさと立ち上がり、台所の方へ足を向ける。
「小太郎、ちょ」
そんなに甘い物を食べたい気分でもないし、せっかく片付けた台所をもう一度片付ける羽目になるのではと慌てて桂の後を追った。


一畳ほどの狭い台所の前に男が三人はあまりにも窮屈だと、エリザベスが茶器を持って居間へと戻る。
少し圧がなくなり、心持ち広くなった台所で「さて」と、掛け声一つ。桂は坂本に頼み事をする。
「辰馬、そこの小さい鉢を三つ取ってくれ」
食器棚を指差してから、夕方買った小袋の端を小さく切り取った。
坂本は言われた通り、小鉢を三つ流しの横に並べる。
桂は、そこに目分量で粉を振り入れてゆく。続いて、砂糖も付け足した。にこにこと楽しそうで、坂本も見ていて楽しくなってくる。
「何を、作るんじゃ?」
粉の色から見てきな粉だろうかと思ったが、それにしては色が濃い。なんの粉にしても、焼く準備も煮る準備もする様子がないので何が出来るのか気になった。
「おやつだ」
答えてから、コップに水を注ぎ粉の入った小鉢に分け入れる。粉と砂糖と水を馴染ませるようにスプーンで練りながら、答えの続きを話す。
「子供の頃、おばぁがよく作ってくれてな。はったい粉と砂糖を混ぜて練るだけの簡単な物だ」
「おん、おばぁの思い出のおやつか!」
桂の幼少の頃の話を聞くと度々登場する祖母の事と分かり、桂の笑顔に納得した。
「どれ、わしも」
桂が練り始めた二つ目の小鉢を、横から取り上げてスプーンで練り始める。
「うむっ、いい手付きだな」
「ほにほにっ」
桂に褒められて、坂本は得意気な笑みを浮かべた。
遊びに夢中な少年の笑顔のようで、桂の笑みも深くなる。
きっと自分の幼い頃も、今の坂本と同じ笑顔を祖母に向けていただろうと。


「よし、出来たぞっ!」
ひと匙掬って味見をする。仄かな甘味が舌の上で広がった。
「やはり、砂糖は少なめにして良かったな」
満足感から、うんと頷く。
「一人ばあ、味見はズルいぜよ」
文句と同時に近付いて来る口を目掛けて、桂はスプーンを突っ込んだ。
坂本がモグモグと味わったのを見届けてから、スプーンを引っこ抜く。
「どうだ? 良い塩梅の甘さだろう」
「はったい粉のおやつは甘いけんど、おんしは甘くないのぉ」
スプーンを持つ桂の手を掴んで、もう片手で腰を引き寄せる。
鼻先スレスレまで顔を近づけて、瞳を覗き込み囁く。
「どうせなら、二人で味見したかったがじゃがなぁ」
「どこを味見するつもりだ、馬鹿者!」
桂はにっこり笑顔を作って、坂本の額に向かって頭突きした。
「あ痛ッ! 痛いぜよぉー」
大袈裟に痛がる坂本の腕からするりと抜け出して、小鉢二つを持ち居間の方へ踵を返す。
台所と廊下を区切る暖簾の下で立ち止まり、背中越しに言葉を投げかけた。
「おばぁのおやつ、ちゃんと味わったら一緒に入ってやるから、さっさと来い」
「おん!」
坂本は余計な事は言わず、残った小鉢を取って桂の後を追う。
ほんのり甘いおやつの後は、もっと甘い『おやつの時間』が待っているのだ。
横に並んで見下ろす桂の頬が、微かに色付いているのは見ない振りをした。


了  2018.10.22 





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