なんちゃーがやない(攘夷)
「ああ、空が青いな」
桂小太郎は、小さく区切られた空を見上げて呟いた。
陽は今、中天にある。雲の流れが速いのは、じきに雨が来るのを知らせているのだろうか?
このままでは不味い、そう思ったが手足はピクリとも動かない。
ただの偵察だったのに、気が付けば天人に取り囲まれていた。
必死に囲みを破って仲間を逃がしたまではよかったが……
自身も逃げ切る最後に一太刀、背中に傷を受けた。
胴着のお陰で、深手は免れたが決して軽傷とは言えない。
爆破後の荒れ地に逃げ込み深い竪穴の中に身を潜める事が出来たので追跡から辛くも逃れたのだが、天人の気配を感じなくなった時にはすべてが手遅れになっていた。
握り締めたままの刀を、一旦鞘に納めようとして違和感に気付く。
自分の意思とは無関係に、体は重力に従って後ろに落ちる。
刀を握り締めたまま、穴の中で仰向けに横たわってしまった。
身を起こそうと足掻いても、気持ちが焦るだけで四肢に力が入らない。
斬られた太刀に毒が仕込まれていたのだろう、体が痺れて動かなくなっていた。
痺れのせいで痛覚がマヒしているのか、背中の傷の具合も分からない。
それでも、じわじわと血が流れ出しているのは分かった。
このままでは、出血死も有り得る。たとえ血が止まっても、雨に降られれば血を失った体は体温を奪われ衰弱するだろう。
何より、こんな穴倉の中では捜索隊を出して貰っても見つからない可能性の方が高い。
手足が動けば、止血も出来るし穴から這い出すことも出来るのに。
「運次第か……」
最悪の可能性を考えつつ、最終的には運を天に任せて青い空を見上げる。
こんな状況であるにも関わらず、不思議なことに空を見上げていると心が落ち着いた。
青く高く、広がる空色。
¬¬━ なんちゃーがやない ━
不意に思い出した見上げる空色と同じ青い瞳と明るい笑顔、優しく穏やかな声の男を。
桂浜の龍という、二つ名を持って仲間に加わって来た男・坂本辰馬。
出会った当初は、声の大きい無神経で大雑把な男だと思っていたのだが。
その大声や高身長といった目立つ印象とは裏腹に、彼はいつも自然に人の心情に寄り添い理解し勇気や慰めを与えてくれていた。
そして気が付けば昔からの仲間の様に皆の中に溶け込んで、変わらず大声で笑っていた。
それは、桂とて同じこと。
坂本の言葉に勇気づけられ、固く握りしめられた手に志を貫く力を貰った。
明るい笑顔に心慰められ、預け合う背中に信頼を感じ未来を信じる事さえ出来た。
仲間を失い辛い日々も、何もかもうまくゆかず行き詰った時も。
坂本の『なんちゃーがやない』と、その独特な抑揚の言葉と支えてくれる温もりに心を助けられて来た。
まだ、大丈夫だと。
まだ諦めない、志を貫く。先生をこの手に取戻し、この世界に新たな夜明けを。
信じていれば、強く有れる。手に手を取って、望んだ明日を夢見て掴める。
彼となら、ずっと……
「……坂本」
思わず零れ出た呟き。
手を動かすことが出来たなら、青い空に向かって伸ばしただろう。
思っていたより更に、坂本辰馬という存在が自身の中で大きかった事を知った。
誰に対しての想いとも違う、傍にいて欲しいと願った存在にあらためて気付く。
尚更、こんな所で人生を終わりにしたくは無い。
「俺は、諦めぬ。だから、」
だから、俺を見付けてくれと強く願った。
陣に戻った仲間が、状況を説明してくれるだろう。
そうすれば戻らぬ者の捜索を開始してくれるはずだ。
きっと坂本は先頭に立ち、捜索の指揮をするだろう。
桂に出来る事は、耳を澄ませ捜索隊の気配を察知する事だけ。
その時まで、無駄に動こうと努力するのは止める。
まだ降らぬ雨への心配も止めた。
目を閉じ、神経を研ぎ澄まして待つこと数刻。
ザッザッと、幾人かの足音と気配がした。
桂は瞼を上げて、声を出そうと唇を湿らせる。
だが、それより早く大声が耳に届く。
その声は、天から降り注ぐ陽の温もりの様に思えた。
「桂っ! こがなとこに、おったがか!」
「坂本、すまぬ。自力で、上がれぬ」
逆光で坂本の表情は分からないが、答えた桂の声に即座に反応して穴の中に飛び込む。
土の上に横たわった桂の側に膝を着き、坂本は言葉を失う。
流れ出た血液が土を湿らし、生臭い匂いを放っていた。
「背を斬られたのだが、どうやら毒に当てられて身動きが」
「うん、わかった。はや、喋らのうてえい。ちゃんと手当して、連れいきやるき。なんちゃーがやないだ」
最後まで話させず、桂の頬を撫でて安心させるよう笑顔を見せる。
桂は黙って頷こうとしたが、押し寄せる眩暈に頭を振る事は叶わなかった。
代わりに瞬きで答え、そのまま目を閉じる。
坂本は桂の手から刀を取り外し鞘に納めると、そっと桂の背に手を差し入れ抱き上げた。
桂の着物は血を吸って重く、坂本の腕や手にも生温い液体が伝わって来る。
これ以上、桂の身に負担を掛けたくなかったが抱いたままでは穴から出ることは出来ない。
「すまんのぉ。ちっくとばあ、我慢してくれ」
「んっ」
桂は、朦朧としているのかはっきりと返事も出来なくなっていた。
しかし、ここでグズグズしている場合では無いと坂本は桂の腰紐を引き抜き、両手を縛る。
壁に半身を凭せ掛けてから、縛った腕の間に自分の頭を入れて桂を背負った。
これなら痺れて力の入らない桂をおぶって、穴を這い上れる。
「誰か! おるか?! 手を貸してくれッ!」
上空に向かって大声を上げ、助けを求めた。
坂本の声を聞き付け、複数の足音が近付く。
穴の縁から、中を覗き込む数人の顔が見えて坂本は安堵の息を漏らした。
桂を背負い、首が絞まりそうになるのを堪えて穴を這い上る。
穴の縁が近付くと、幾人もの手が伸びて来て坂本と桂を引き上げた。
衛生兵が広げた木綿の布の上に、桂を横たえる。
治療の為、鎧や着物を剥ぎ取ってゆく横で、坂本は桂の頭の方に回って声をかけた。
「今から、止血をするきな。はやなんちゃーがやないだ」
坂本の声に、桂の瞼が僅かに震える。ほんの少し口角が上がり、薄く開いた目に坂本の顔が映り込む。
「さかも……ぞっ、ありが、と」
囁きのような呟きを残し、また桂は目を閉じた。
「か、つら? 桂!」
血の気を失った蒼白い顔色に、坂本は取り乱しそうになる。
「坂本さん、大丈夫です。失血で気を失われただけです。傷は深くありません」
衛生兵に窘められ、坂本は黙って桂の顔を見詰めた。
確かに、死相はでていない。
どころか、痺れて動かなかったはずの手がいつの間にか坂本の着物の袖を握り締めていた。
それに、口元には安心したような笑みが浮かんでいる。
「ほうか、なんちゃーがやないじゃったか。良かった。良かったぜよ」
桂の無事を噛み締める様に、なんちゃがやないと何度も呟いた。
その呟きが、坂本自身を落ち着かせるだけでなく桂をも強くしているのだと、二人が自覚するのはもう少し先のお話。
了
2018.12.3
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