おんしの右手は、わしの右手


「なんじゃあ、中もひやいのぉ」
見廻りに出て行ったエリザベスと入れ替わるように、買い物に出ていた坂本が帰って来て開口一番にそう言った。
ハッとして、桂は顔を上げる。
書類仕事でパソコンを使っていて、玄関の開く音にも坂本の近付いて来る気配にも気付かなかった。
いや、坂本だからというべきだろう。
心許している存在だからこそ、逃げの小太郎の危機管理能力は発揮されず安心して近付く気配に無頓着で仕事に集中していられた。
「節約するがもえいが、体調を崩しちゃなんちゃーじゃならんよ」
説教染みた事を言いながら、エアコンのリモコンに手を伸ばしオンにする。
「おかえり。別に節約ではなく、寒く無かっただけだ。お前が出かける前までは、付けていただろう」
首だけで振り返り、隣に座るだろうと予想して詰めようとした。
だが坂本は卓袱台の上にリモコンを戻し「ただいま」と返事をしてから、中腰のまま桂の唇に口づける。
軽い挨拶キスのあと、着ていた赤いコートを桂の肩へと着せ掛けた。
別に寒くは無いのだと言おうとしたが、コートから微かに香る坂本の匂いを感じて言うのは止める。
本人がすぐ側にいるのに、抱き締められているような感覚を覚えた。口元に、笑みが刻まれる。
桂の笑みに、坂本も釣られるように微笑み返した。
「仕事は、終わったかえ?」
「うむっ、一段落ついた」
「ほれじゃ、ちっくとお土産を付けてくれんかぇ?」
「土産だと?」
おん。と、頷きながら手にしていた紙袋を桂に手渡す。
「また、無駄遣いではないだろうな?」
平べったい形状と手に持った軽量さだけでは何なのか判らず、上目遣いに坂本を見た。
坂本は紙袋を指差して、ニコニコと笑顔で早く見るよう促す。
「役に立つもんぜよ。ほれ、開けてみや」
言葉からして実用品なのだろうと察し、一先ず説教態勢は解除して紙袋を開けて中身を取り出した。
それは、通販番組などでよく見る女性が頭に着けているもの。
見たことはあるが、名前も使い方も分からない。だから、役に立つのかさえ謎だった。
「……これは?」
「ヘッドセットぜよ」
「へっどせっと?」
桂はヘッドセットのマイク部分を掴み、くるくる回しながら言葉を続ける。
「それで、コレが何の役に立つのだ?」と。
「この線を、ココに差し込んで。ほれ、貸してみ」
口で説明するよりも実際に使う方が早いと、端子をパソコンに差し込み接続して設定を済ませる。
「おい?」
「えいきに。ほれ、こがあして」
坂本か何をしようとしているのか分からず、声をかけるとヘッドセットを頭に装着させられた。
「よくない! 俺のパソコンに、何をしているのだ?!」
何かのソフトをDLしているのは分かるが、その目的が分からない。
展開してゆくファイル名も、知らない単語だった。
「……いぷ?」
「おん! 完了ちや」
パソコン前から立ち上がると、アイフォンを取り出して何かやり始めるが、座ったままの桂からは見えない。
不審げな顔で坂本を見詰めていると、今度は覆い被さってマウスを動かした。
「え?」
パソコン画面に坂本と自分の横顔が映っている事に驚き、思わず声が漏れる。
『小太郎、聞こえるかぇ?』
坂本の声が真上からと、ヘッドセットをした耳の中と、二重に響く。
『面白いじゃろ?』
パソコン画面に映る坂本の瞳には、悪戯坊主独特の輝きがあった。
「ほうっ。これが、テレビ電話とかいうものか?」
まじまじと、画面に向かって話しかける。
声だけでなく、顔を見て話せるのは素直に嬉しい。坂本と離れている間は、メールか音声通話だけ。
それも地球と宇宙に離れてしまえば、太陽系がギリギリ圏内。
けれど、その通信料は高価過ぎてたとえかけて貰った電話でも長々と話すのは気が引けた。
声を聴くだけの僅かな時間は、返って淋しい思いを募らせる。
疲れた時や人肌恋しい夜などは、余計に電話など出来ない。
けれど、これなら顔を見る事が叶う。
「……確かに、実用的……かも知れぬな」
心に渦巻く思いが、そう言葉を漏らさせた。
「辰馬。これは、宇宙からでも……ん?」
振り向いても、傍らに坂本はいない。いつの間に消えたのかと、部屋を見回してからもう一度パソコン画面を見た。
画面の中で、坂本が手を振っている。その背景は、見覚えがあった。この家の寝室だ。
「……そんな所で、何をしている?」
『うん、実験ぜよ』
「実験? なんの実験だ?」
何の実験だろうかと、桂が身を乗り出す。画面に向こうの坂本は、相変わらず楽しそうな笑顔をしていた。
『わし一人じゃー出来ないから、協力してくれんか?』
「それは、」
桂は一瞬戸惑うが、たかが電話の実験ならば大した事は無いだろうと「分かった」と頷く。
『途中で投げ出したりしやーせきくれよ?』
真面目な表情での念押しに、桂も真面目に頷いた。もしかして、何か難しい実験なのだろうかと。
「分かった、投げ出さぬ」
『武士に、二言は?』
「無いっ!」
キッパリと言い切ると、坂本は満足気に頷いてその場に座り込んだ。
コトリと、桂の耳に僅かな音が伝わって来る。
画面に映る坂本の顔の位置が仰って見えるのは、アイフォンを文机にでも置いたからだろうか?
桂も姿勢を正して、次の言葉を待った。
パソコン画面に、坂本の右手が映る。
『今から、おんしの右手は、わしの右手になって貰うきにの』
「お前の右手?」
『わしの指示通り、動かしてくれ。自分の手と思わず、わしの手やと思って欲しいぜよ』
画面越しとはいえ、真っ直ぐに向けられる視線に桂は良く分からないまま頷く。
「今から、お前の右手だな」
右手を挙げて画面の前で振ってみせると、やっと坂本が柔らかく笑った。
その笑みに、桂も笑み返す。
『まずは、頭を撫でてみてくれぇ』
「こうか?」
自分の頭に右手を乗せて、わしゃわしゃと髪の上で前後させる。
『おん、上手ちや』
優しい声が耳元で聴こえて、思わずドキリと胸が鳴った。
電話でのやり取り以上に、声が近い。耳がくすぐったくなる様な感覚に捕らわれていると、次の指示が来た。
『今度は、額から頬まで撫でてみ』
言われた通り、掌を額から頬へと滑らせる。
この指示が、どういう意図で出されているのか分からずひと撫でして手を下ろした。
『わしの右手は、ほがーに雑に扱ってたかが?』
思わぬ文句と、残念そうな表情を見せられる。
「いや……あい、すまぬ」
実験だと言うのに、真面目さが足りなかったと反省し桂は素直に謝った。
(辰馬の右手、辰馬の右手)と、心の中で暗示をかける様に繰り返して額に手を押し当てる。
目を閉じて、坂本が自分に触れて来る時の感触を思い出そうと努めた。
己よりも、大きくてゴツゴツとした手。暖かで、宝物でも扱う様に、優しく触れてくる。
そっと、額から頬へと撫で下ろす。
その動きに合わせる様に、鼓膜を震わせる熱い声が『こたろう』と呼んだ。
桂の背筋に、ゾクリと震えが走る。
声が近過ぎて、頬に当てた手が坂本の手の様に感じられた。
目を開けば、画面に映る坂本と目が合う。その瞳には、情熱が宿っている様に見える。
『小太郎、どがぁした?』
聴こえてきた声は、いつもの明るい声。自分の勘違いだろうかと、桂は首を振った。
「いや、何でもない。……まだ、続けるのか?」
桂の問いに、坂本は当然と次の指示を発する。
髪や頬を撫でる一連の動作を繰り返し、その後右手で左手を握れと言った。
『おんしなりのアレンジを加えても構わんよ』
「アレンジって……」
そんな事をする方が難しいが、実験だからと言われるままに従い右手を動かす。
坂本はどんなふうに触れていただろうかと思い出しながら、己の手で追体験を重ねる。
坂本の動きを思い、己の肌に触れているとおかしな気分になって来た。
刺激され鋭敏になった五感は、肩にかかったままのコートから坂本の匂いを嗅ぎ取り、耳は坂本の息遣いを拾う。
自分で自分の呼吸が速まってゆくのが分かり、そのせいで画面の坂本から視線を外してしまった。
視線を感じるのが、無性に恥ずかしく感じる。
己の指先は頬や額だけでなく、耳や瞼や唇から首筋にまで触れていた。
『こた……もっと、下の方も触らせてくれ』
一段低まった声が甘く強請ってくるのに、桂は逆らえない。
いつも坂本がするように、着物の袷へと右手を差し入れた。
部屋が冷えていたなら、冷気で我に返れたかもしれない。
けれど部屋は暖房で暖められ、袷の中へと動いた空気は桂の上がり始めた体温を下げる事は無かった。
指先も、散々摩擦した後で温まっている。その温度は、己の通常よりも坂本の体温に近い。
だから意識しなくとも、脳は侵入してきた指を坂本の指だと勘違いした。
指先が、胸の尖りに辿り着く。その刺激に、桂は小さく息を呑んだ。
そんなタイミングを逃す事無く、坂本は声に熱を込める。
『はや、こがーに勃っちゅう』
「っあ、違っ……」
『違わんやお? ほれ、はだけて見せてみ』
「いや、だっ」
『嫌? わしの右手は、気持ち良おないか? んっ、こた』
甘く蕩かす声が、桂の鼓膜を震わせた。
声に触発され、右手は乳首を捏ね左手はゆっくりと着物の袷を引いて弛ませる。
必死に声を抑えようとしているが、吐息に甘い喘ぎが混ざっていた。
『ほれ、やっぱり勃っちゅう。左ばあ可愛がらんと、右のおっぱいも揉んじょき』
画面の向こう側で、坂本が身を乗り出したのが分かる。
興奮しているのだろう、ヘッドセットを通して聞こえる息が荒い。
己もまた、同じく息が荒くなってきている。右手も左手も、理性では止められなくなっていた。
坂本が望む様に、露わになった乳首を指先で摘まんで捏ねたり弾いたりと刺激し続ける。
(これでは、まるで……)
実験などと言う言葉に乗せられたが、実際にやっている事は自慰行為だ。
それも、画面越しに見られている。
変態染みていると頭の片隅で思うのに、淫らな欲望が湧き上がって下腹部が重くなってゆく。
『こた…… 濡れちゅうじゃろ?』
見透かす様に、指摘する言葉。次にどうするべきかを、命令しようとしているのが分かる。
己自身も、取り出して慰めてやりたいと思っているのだから。
そして握ってしまえば、次に欲しくなるものも……。
『こたろ。右手を、』
坂本の声と桂の右手が下半身に伸びるのに、そう時差は無かった。
けれど、次の瞬間は同時。
坂本が接続を切り、桂が着物の乱れを直す。

玄関扉が閉まる音がして、廊下にペタペタとした足音が響く。
桂は平常心をかき集めて、振り返る。
「エリザベス、早かったな」
【すみません。見廻りに行く途中で真選組が現れたので、戻ってきました】
「ほうか、真選組がのぉ」
奥の寝室から、坂本も何食わぬ顔で出て来てエリザベスに話しかけた。
【坂本さん、お帰りでしたか】
エリザベスのハッとした様子に、坂本と桂は一瞬視線を交わしてから大きく縦に首を振る。
「おん! 今さっき、帰ってきたばかりやか!」
「そうだぞ、エリザベス! ついさっきだ。な、辰馬!」
二人は先ほどまでの淫らな実験を気取られまいと、引き攣った笑顔を振りまく。
それでも、エリザベスは何か感じ取ったようで手をポンと叩き合わせた。
【少し早いですが、夕飯の買い物をしてきます。桂さんは、新しい機械を堪能して下さい】
桂の頭に装着されたままのヘッドセットを指差してから、買い物かごに手を伸ばす。
【では、坂本さん。お留守番をお願いします】
出来る男っぽいエリザベスに、二人は無言で頷き、その背中を見送った。
再び玄関扉の開け閉めする音が響く。

「小太郎、続き……」
「誰がするかッッッ! この馬鹿者がっ!」
桂は真っ赤になって怒鳴りつけると、居間から坂本を押し出しピシャリと襖を閉めた。





2018.12.30 





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