玄関の風景



玄関扉に嵌め込まれた擦りガラスから差し込む陽光は、冬の物らしい鈍さを持っていた。
その光が三和土から廊下へ延びるのを邪魔する一つの影が、二つに離れる。
キスの後に見せる、少しぼぅっとした桂の表情が坂本は好きだった。
「行ってこい、気を付けてな」
見送りの言葉と笑顔に、もう一度とキスを仕掛けたくなる。
連れ添って長い年月を過ごしたのに、いまだ熱は冷めない。
毎日、毎日、愛しいという気持ちが積もってゆく。
幾重にも重なって、想いの年輪のようだ。
「おん。じゃあ、行くぜよ」
後ろ髪引かれる思いだが、おくびにも出さないで玄関扉に手をかける。
「あ、ちょっと待て!」
桂が、坂本の肩に手をかけ引き止めた。
「うん?」
忘れ物でもしていただろうかと振り返り、桂に向かい合う形に戻る。
「本格的に寒くなってきたから、用意しておいたのにすっかり忘れていた」
照れたように笑いながら、下駄箱の引き戸を引いて小さな箱を取り出した。
「買ったまま、しまい込んでいたのだ」
紙製の蓋を開けて、中身を見せる。
そこには、下駄用のつま先カバーが入っていた。
「ほら、付けてやるから脱げ」
「冷えは、足元から来るからな」と、言葉を続けて坂本の足元にしゃがみ込む。
「おん、すまんのぉ」
桂の背中に軽く手を添えて、片足ずつ持ち上げて装着してもらうのを持った。
口元は桂の優しい心遣いに、すっかり緩んでしまっている。
「よし! 出来た……何を、ニヤニヤしている?」
立ち上がった桂は、坂本の表情を見て首を傾げた。
「なーんか、幸せじゃのぉーと思ってな」
「そうか、足元が暖かくなると幸せなのだな。うむ、なるほど!」
相変わらず、桂は妙な関連性を見出して感心する。
それも可愛さの一つだと数えるのだから、自分も末期だと思う。
だが、それも悪くない。いや、ずっとこんな風なまま共に歳を重ねたい。
「では、これもちゃんと巻いて! もっと、幸せになると良い」
桂は手を伸ばし、坂本のマフラーを巻き直す。
最後にコートの衿の形を整えて半歩引き、坂本の姿を点検した。
「合格、かや?」
「うむ、良い男振りだ」
満足そうな笑みに、坂本も笑み返す。
「好きじゃよ、小太郎」
「分かってるから、さっさと仕事に行け。サボるなよ」
愛しさに抱きしめるも、あっさり厳しい言葉を貰ってしまう。
「つれんのぉ」と、小さく呟けば、同じく小さな忍び笑いが返ってきた。
「しっかり仕事してきたら、今夜は熱燗を付けてやる」
軽く抱き返してきた身体を、更に強く抱き込んだ。
「ご褒美は、ほれだけか? ほかに」
続ける言葉を、耳元に囁きかける。
可愛い反応が見たいが為の、ちょっとした言葉の悪戯。
案の定、桂の白い肌がうっすら朱に染まる。
「馬鹿者! さっさと行け!」
「あっははは。ほれじゃー今度こそ、行ってくるぜよ」
両手を広げ、その身を解放した。
桂は抱きしめられたせいで乱れてしまった髪を手櫛で直しながら、何も聞かなかったような澄まし顔をして姿勢を正す。
「ああ、いってらっしゃい」
どちらからともなく、もう一度近づく唇。
触れ合わせるだけで、幸せに心が満たされる。
玄関を出て、見送りの手を振る桂に手を振り返す。
二人の口元には、穏やかな笑みが宿っていた。




2016.11.22

いい夫婦の日によせて
辰桂には、幸せがよく似合うと思いました。




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