辰桂バレンタイン2017


窓の外は、白い雪がチラチラ風に運ばれ舞っている。
桂の慎ましい生活なら、こんな日は半纏を羽織って凌ぐのだが……
今日の室内は、外の冷気など感じないほど暖かい。
それは例年に無い寒さ、最強寒波がやってくると聞いた坂本が、桂の許可も無く勝手に暖房を取り付けてしまったからだった。
軟弱だと怒る桂に対し、自分が居る時だけ使わせてくれ、宇宙に出るのに風邪のウイルスなど持ち込めないと、坂本は上手く丸め込む。
それでもなんとなく納得のいかない桂は、いつものノートパソコンを使わず紙と筆で書き物を始めた。
無駄に電気を使わないという無言の意思表示と、不機嫌アピール。
何の相談も無く、勝手に物事を進めてしまう強引さへの精一杯の抗議。
何よりも丸め込まれてしまうのがまた、悔しかった。
坂本の真意は分かる。伊達に長い間、付き合っているわけでは無い。
自分の身体を心配しての事だろうと、桂は小さく溜息を零す。
分かっているが、素直に礼が言えない。
先に怒って、怒鳴りつけてしまったのが気不味かったから。
「むっ?」
「どがぁした?」
坂本は、桂の声に反応し読んでいた雑誌から顔を上げる。
その声も、眼差しにも、何のわだかまりも感じられない。
いつも通りの、のんきな響き。
「……墨汁が切れた」
「買いに行くがか?」
「ああ」
桂は短く答えて、立ち上がる。
こんな時、坂本はズルいと思う。
喧嘩とまでいかなくても、こちらが怒っているのは分かっているのに、まったく気にした様子を見せない。
変わらぬ穏やかさで、接してくる。
だから、怒りを持続できない。
自分一人で怒っていて、馬鹿みたいだと思ってしまうのだ。
今度こそ! 流され、うやむやにされる事無いよう怒りを持続しよう。
そんな思いで、拳を握る。
「ほうか、じゃーぬくい格好せんと。ほれ、もこもこ帽子と、エリー柄のマフラー巻いて」
「え? あ、ああ? すまぬ」
珍しくテキパキ動く坂本の行動に驚いている内に、寒さ対策の完全防備をされてしまった。
握ったはずの拳は、いつの間にか開かれ手袋が填められて、坂本の手の中に握り込まれている。
「大江戸マートに、置いとるかのぉ?」
ぐいぐい手を引かれて、あっという間に玄関先。
「おい! 辰馬、ちょ、」
一緒に買い物に出る気は無いと、言葉を続けるつもりが先を制された。
「わしも、買い物を思い出したきに」
白々しさの滲む声音に、桂は冷めた視線を送る。
だが坂本は、そんな眼差しを逆手に取った。
「ほがな目付きをしちゅう人間に、お使いを頼めるばあ心臓が強く無いぜよ」
「嘘を吐くな! 貴様の心臓には、毛が生えているだろう」
「おん! 怖い、怖いぜよー」
返す言葉の刃を、ひらりと躱して坂本は玄関扉を開ける。
途端、びゅうっと冷たい風が吹き込んできた。
肌を刺す寒気に生理的な震えが来たが、それは一瞬の事。
「ほれ、出発じゃ」
肩を包むのは、エリザベス柄のマフラーと坂本の腕の温もり。
こちらの方が暖房器具よりも暖かいと伝えれば、どんな顔をするだろうかと想像して桂は笑みそうになる。
しかし、ここで甘い顔をしてはいけないと表情を引き締めた。
「引っ張るな、一人で歩ける」
肩に回された腕を解きはしたが、すぐ隣を歩く事には文句を言わない。
雪が降っているのに、急かされたせいで傘を持ち出せなかったのだ。
せめて風除けぐらいになって貰おうと、寄り添い歩く理由をこじつける。
そう、これは甘い顔ではないと、己自身に言い聞かせた。



「混んじゅうから、分かれて買い物するぜよ。買いやまったら、このレジ前に集合じゃよ」
坂本がそう言って、出入り口に一番近いレジを指差す。
大江戸マートは夕餉前の買い物客で混んでいたので、その提案に桂は黙って頷いた。
さすがの坂本も、スーパーでバカ高い買い物はしないだろう。
それに無駄遣いするなと暖房の事で説教した所だしと、背中を向けて墨汁を探しに行った。
一方、坂本の方は桂の背中が見えなくなるまで見送った後、目当てのコーナーへと急ぐ。
普段買う事の無い物が並ぶ陳列台から、真剣な眼差しで一つ選ぶと目隠し代わりのカゴに入れて待ち合わせのレジから死角になる場所で立ち止まる。
そこから、レジ待ち客の中に桂がいないか確認の視線を投げた。
いなければ、さっさと並ぶ。来ていたら、適度な列が出来るのを待つか他のレジに並ぼう。
今はまだ何を買ったか見られる訳にはいかないと、サングラスをずらして目を凝らす。
幸い、レジに桂らしい人影はなかった。
これはチャンスと、一歩を踏み出そうとした足を即座に止める。
思っていた方向とは反対側から現れた桂の姿を見て、とっさに身を引いた。
(危うく、鉢合わせするトコじゃった)
心の中で呟いて、ほっと胸を撫で下ろす。そして、もう一度そっとレジの方を窺い見る。
「墨汁一つに、わざわざカゴを使うとは、まっことクソ真面目じゃのぉ」
レジに並ぶ桂を見て出た、誰に聞かせるでもない独り言。
(まぁ、ほがなとこも可愛ええんじゃが)
続く言葉は胸の中に留め、桂が並ぶレジから、一番遠いレジに並びに行った。


「遅いっ!」
桂がエコバッグを片手に、坂本を睨みつける。
「すまん、すまん、ちっくと並ぶレジを間違えたぜよ」
坂本の並んだレジはカゴ一杯の買い物客が多く、その上レジは研修生が入っていた。
おかげで思った以上に時間を食い、桂を待たせてしまった。
「……いったい何を買ったのだ?」
素直に謝られると、次は坂本が何を買ったのか気になってくる。
坂本が手にしているのは、通常の透明なビニール袋ではなく色付きの物。
そんな袋に入れる品物は、限られている。
食品ではないだろうと、袋を上から覗き込もうとした。
「いや~ん、小太郎さんのえっち!」
「ばっ、何をっ!……もう良い、帰るぞ!」
坂本のふざけた物言いから、袋の中の品は衛生方面のアレかも知れないと桂は追及を止める。
「おん!待っとおせ」
踵を返し足早に去ってゆく背中を、慌てて追いかけた。
これ以上ご機嫌を損ねては、仲直りに時間がかかってしまう。
次の航海に出る時も、桂には笑顔で見送って欲しい。
いや、いつも笑顔でいて欲しいから。
仲直りの手立て、買い物袋の中身を家まで待たず、帰り道で見せることに決めて。
店外は、来た時より雪が本降りになっている。
そのせいばかりとは言えない桂の早歩きに追い付くため、坂本は走った。
「小太郎!待つちや」
引き止める為の大声を出し、手を伸ばす。
サングラスに吹き付く雪のお陰で、目測を誤り桂の腕ではなくマフラーを引いた。
「グェッ」
いきなり加えられた力は、マフラーを凶器に変える。そう、桂の首を絞める縄の代わりになった。
弛めようと後方に身を傾がせる桂の様子に、坂本は慌てて詫びる。
「うぉおおお!すまん!すまんぜよっ!わざとじゃ、無いきに!」
引っ張っていた手を放したばかりに、桂がバランスを崩して足を滑らせた。
坂本は、そのまま腕の中へ倒れ込んでくる背中をキャッチして、しっかりと抱き止める。
受け止められた桂の坂本を見る視線は、降りしきる雪よりもなお冷たい。
首を絞められ危うく転倒する所だったのだから当然と言えば当然なのだが、転倒から救われたのもまた事実。
どうしたものかと、徐々に睫毛を伏せる。
桂の逡巡などお構いなしに、坂本は桂の姿勢を直して立たせると前へと回り込んだ。
「おい、たっ」「小太郎!」
言葉を被せるように大きな声で名を呼んで、手にしたスーパーの袋を差し出す。
「おんしに、プレゼントしようと思って買ったもんやか」
手元にグイグイ押しつけられて、桂は袋を受け取り中を覗き込んだ。
「これは?」
袋の中身は、淡いパステルカラーの包装紙に包まれた小さくて平たい箱。
取り出してみると、包装紙は可愛らしい猫の絵柄でピンクのリボンが付いていた。
「チョコレートぜよ、バレンタインの!」
坂本の言葉に、視線を上げる。髪もサングラスも雪まみれで、コートの襟にも雪が積もり始めていた。
寒々しい姿なのに、その口元は暖かな笑みを刻んでいる。
桂は、ますますどんな表情を返してよいのか分からなくなった。

バレンタインの事など、すっかり忘れていた。
もう何年も、互いの気持ちを確かめ合ってきている。
今更、こんな行事一つ忘れた所で揺らぐものでもない。
第一、
男二人でバレンタインなどと、騒ぐ歳でもないだろう。そんな気持ちだった。
それに、この寒い中。
喧嘩中なのに、こんな買い物をする為に付いて来たのかと少々呆れてしまった。
買ったのは坂本だが、きっと後で手渡して欲しいとか訳の分からない我儘を言い出すに決まっている。
駄々を捏ねる坂本の姿を思い描き、溜息で対応するべきだと思ったのに……

坂本の両手が、桂の頬を包む。
「すみやーせん。おんしを女扱いしてた訳じゃ無いがやき、当然のようにチョコ貰ってばかりじゃったがを反省しちゅう」
思ってもみなかった詫びの言葉に、桂は目を丸くした。
「今回の暖房の件も、わしの過保護過ぎた考えやき。おんしが、か弱いらぁてちっくとも思っていやーせん」
「……辰馬、お前」
坂本の中では、とっくに終わらせた話だと思っていた事柄。
まさか、その事を考え続けてくれていたなどとは思わなかった。
溜息対応は取りやめて、ゲンコツ一つで終わらせるかと袋を持った方の手で拳を固める。
「勝手なことをして、まっことにすみやーせんじゃった」
額にくっつきそうな距離ぎりぎりで、坂本が頭を下げた。
サングラス越しにチラリと見える蒼い瞳が、置き去りにされた犬の様な哀切の色を浮かべている。
ここまで深刻そうに頭を下げられては、ゲンコツさえ振るえない。
「まったく、お前は……」
桂は握った拳を解いた。袋と小箱を持ったまま、両腕を目の前の捨て犬みたいな大男の背中に回す。
怒ることも、呆れることも出来なくて、代わりに抱きしめた。
「ズルい男だ」
小さな呟きで、坂本は本当に許された事を知る。
両手を桂の頬から腰へと移動させ、今度は思い切り抱きしめ返した。
「帰ったら、チョコ一個ずつ食べさせちゃるきに」
チョコよりも甘い声音で、坂本が囁きかける。
「それは、楽しみだ」
答える桂が選んだ表情は、同じく甘い笑み。
「チョコが溶けぬよう、暖房は切るのだぞ?」
笑顔の下には、チクリと節電の意味が含まれていた。
「暖房の代わりに、わしが暖めちゃる」
坂本も、切り替え早く言外の意味を匂わせて応える。
早く帰ろうと互いに抱擁を解き、歩き出す。
降る雪に負けないように身を寄せ合い、繋がれた手は坂本のコートのポケットの中。



おしまい
2017.03.06(バレンタインに大遅刻)


「ところで、おんし。墨汁以外にも、何か買ったがか?」
「ああ、貼るカイロをな」
「なんじゃ!おんしも、ひやかったがやか」
「俺ではない、お前用にだ!」
「え?わし用?ケンカしてたがやきに、わしの為に?」
「う、うむっ、それはそれ。これはこれだ」
「小太郎!愛しちゅうよぉぉぉ!」
「わっ、馬鹿者っ!こんな所でっ、あっ、んっ」
(暗転)



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