墓前にて

***
未来捏造(30代後半)・辰桂です。
桂さん、お誕生日おめでとうございます。
注・薄く銀高要素あり
***

「どうやら今年は、空梅雨のようだな」
長い黒髪を六月にしては爽やかな風に遊ばせて、桂は後ろから付いて来る坂本の方を振り返った。
「おん。お陰で、荷物持ちも楽ぜよ」
手付きの水桶や掃除道具の他にも、何やら大きい木箱を大事そうに持っている。
「だから、水も俺が持つと言っただろう。つか、その箱はなんだ?」
桂は仏花を持っていない方の手を、坂本の方へと突き出す。
「はや、ちっくと内緒やき」
「さっきから、そればかりではないか」
「ほーじゃったかの?」
「もう、よい。付いて来るな」
「嫌ぜーよー」
二人は今、萩にある桂家の菩提寺を訪れていた。
寺の裏手に作られている墓所は、山の段々を利用していて広く小高い。
平日の昼間だからか、二人の他に人影は無かった。
だから後数年で四十代にも手が届きそうな男が二人、子供の様な言い合いをしている。
もちろん激しい物言いでは無く、どこか楽しんでいる風でもあった。
空は青く、吹く風は穏やかで優しい午後。
今日は、桂の誕生日でもある。
こんな日に言い合いするのも馬鹿らしいと、桂は「勝手にしろ」と一言投げて会話に終止符を打った。
ほんの少しだけ歩調を速めて、山道を歩く。
木々の緑が作る日陰を歩いて、ひんやりとした空気を楽しんだ。


激動の幕末から維新へと。
長くもあり、短くもあった日々。
もう直に明治政府が樹立する。自身も参議としての生活が待っていた。
そうなると、今度はいつ来られるか分からない。そんな思いの里帰りと墓参り。


登りが緩やかになってくると、桂家の墓まで後少し。
また振り返って、故郷の村を俯瞰する。
後をゆっくり歩いて来る坂本も同じように、優しい表情で眼下の村を見下ろしていた。
(あっ……)
桂は、そっと心の中で声を出す。
背の高い坂本の、普段あまり見る事の無い旋毛が見えた。
癖の強い髪は相変わらずだが、ほんの少しだけボリュームがなくなっている。
そういえば先日、己も坂本に白髪を発見されてしまったと思い出す。
互いに歳を取ってきている証拠なのだが、何故か白髪の発見に坂本の方がショックを受けていた。
参議に就任すれば、今以上に忙しくなる。
そろそろこの髪も切ろうと思っているが、それを伝えたら坂本はどんな顔をするだろうか?
もしかすると、本気で泣くかも知れない。
己が髪を切ると伝えるのと、髪が薄くなっているぞと教えるのと、どちらがより堪えるだろうか?
そんなことを考えていると、おかしくなった。
桂の口元に微笑が浮かぶ。
坂本といると、いつも穏やかで楽しい気分になった。
それは、いつまでも変わることない。
「なんじゃ、思い出し笑いかえ?」
風景を眺めていたはずの坂本が、目敏く桂の微笑に気付く。
「小太郎は、むっつりじゃのぉ……いや、はや孝允と呼ばないといかんか?」
木戸孝允、それは改姓後の名前。
桂小太郎と、昔のお尋ね者の名では新政府に向かないと改姓を余儀なくされた。
「いや、小太郎でいい」
坂本にだけは、昔通りの名で呼んで欲しい。
公の場になれば、言わなくとも木戸の名で呼ぶだろう。
だから余計、二人の時は思い出の詰まった名で呼んで欲しかった。
そんな気持ちがわかったのか、応と答えて水桶を下ろすと片腕だけで桂の身をやんわりと引き寄せ、額に口づける。
幾つになっても、こういう事に躊躇いが無い。
桂も最近は、周りに人がいなければ注意しなくなっていた。いや、諦めたと言うべきか。
坂本の態度はおそらく生涯変わらないだろうと、長い付き合いが達観させてくれた。
「行くぞ。後の予定も、あるのだからな」
「わかっちゅうよ」
桂の言葉に従って、残りの道のりは並んで歩く。
水桶は、二人で持つことにした。
時代の波に乗り、二人の服装は洋装だったからだろう同じ歩幅、同じ歩調で歩む。


やがて、桂家先祖代々の墓が見えてくる。
桂の胸に去来する、祖母や両親の思い出。
二人は墓石の前で合掌礼拝し、まばらな雑草を取り始めた。
「思っとったより、きれえじゃのぉ」
「ああ、たまに掃除をしに来てくれているらしい」
「おん、谷梅之助殿じゃな」
「うむっ。銀時と共にな」
二人して、共犯者の笑みを交わす。
『谷梅之助』とは、とある男の偽名だった。
その男は桂の幼馴染・銀時と、この故郷の村で共に暮らしている。
主に銀時が、世話を焼いているらしい。
万事屋の子供たちが独立しても銀時は一人で生業を続けると思えたが、あっさりと止めてしまった。
そうして、故郷に隠れ住む梅之助の下にふらりと現れたらしい。
時折貰う手紙には喧嘩もせず仲良くやっていると書かれているが、桂と坂本は半分嘘だなと笑い合っていた。


今日は、この墓参りの後二人の家に挨拶に立ち寄るつもりにしている。
手紙のやり取りはあったが、会うのは久し振りだった。
懐かしい友の話題に、自然と桂と坂本の手は速まる。
雑草を抜き終わると、持参した手拭いと水で墓石を拭き清めた。
桂が花を供える横で、坂本が線香に火を点ける。
持参した饅頭を懐紙の上に置いて、二人静かに手を合わせた。


瞼を閉じた桂の脳裏に、様々な思い出が浮かぶ。
幼い頃の事、松下村塾での少年時代。
青年期は、攘夷の志故に帰郷は夢のまた夢。
やっと宿願叶い、この国の夜明けを迎えたが過渡期の繁雑さから休暇もろくに取れず、墓参りは今日まで延び延びになってしまった。
祖父母と父母にこれまでの日々を報告し、これからも国の為に尽くすと誓う。


随分長い時間を費やしてしまったと思い、坂本が退屈していないだろうかと瞼を上げて隣を窺った。
ところが予想に反して、坂本はまだ黙祷を捧げている。
もしや居眠りだろうか? と、名前を呼んでみた。

「辰馬?」
「寝ちょらんよ」
考えていた事が、読み取られていたような返事に桂は目を丸くする。
「おんしのご両親に、お願いをしちょったがじゃ」
「お願いだと?」
首を傾げる仕草に、坂本は目を細めて笑う。
言葉にしなくても、その笑顔が坂本の心を伝える。
桂を、とても愛しく想っていると。
「小太郎」
坂本の両手が、桂の両手を掬い上げて握りしめる。
畏まった声音に、桂も表情を改めた。
「わしらは、はや長いこと夫婦の様に連れ添おてきた。男同士じゃけんど、幸いな事に周りもほれとのお理解してくれちゅう。わしらは、幸せじゃと思っちょる」
「うむ、それはそうだが……」
急に何を言い出すのかと面食らい、答える声に疑問が滲む。
「やき、ちゃんとケジメをつけたいぜよ」
「ケジメ?なんの?」
「ご両親に許可を貰おて、式を挙げるぜよ」
「はぁ?」
坂本が言い出した事に、理解が追い付かない。
急いで、頭の中で整理する。
「つまり、先程から熱心に祈っていた内容は、ケジメをつける為の……」
「おん!『小太郎と、生涯添い遂げる』事を許して貰う為ぜよ」
坂本は、桂の手を離して地面に両手を付き墓に向かって頭を下げた。
「小太郎くんのお父上、お母上。わしの気持ちは、先程申し上げた通りです。どうか、小太郎くんの生涯の伴侶となる事を許して下さい。二人で幸せにやっていくと、誓います。わしには小太郎くんが、小太郎くんにはわしが。互いに、大切な存在なんです」
まるでその場に生きた両親がいるような態度と、めったに聞く事の無い標準語のハッキリとした声で言い切る。
それだけで、坂本の真剣さが分かった。
嫁にくれという様な言い方では無く、生涯の伴侶となるという言葉が嬉しい。
幸せにして貰うのではなく、互いに幸せになろうと。
唯一無二の存在が口にする、一つ一つの言葉に愛しさが溢れだす。
桂もまた、墓前に両手を付いた。
「父上、母上。この男が、俺の選んだ生涯の伴侶・坂本辰馬です。彼と添い遂げる覚悟はとっくにしておりましたが、紹介が遅れ申し訳ありませんでした」
思ってもみなかった援護の言葉に、坂本が頭を上げる。
視線が合うと、桂は晴れやかな笑顔を見せた。
「ふつつかな息子ですが、幾久しく宜しくお願いします。と、返事を貰えたぞ」
その許可を受けて、再び墓前で頭を下げる。
「ありがとうございます。小太郎くんを、一生大切に致します」
厳かに呟いてから、桂に向かい合う。
地に付けていた掌をスラックスに擦り付け拭うと、再び桂の手を取った。
「まだまだ未熟もんじゃが、これからもよろしゅう頼むぜよ」
「不束者が二人なら、共に補い合えるな。こちらこそ、よろしく頼む」
「ほりゃあ、いい。長い人生、一緒に歩いて行くぜよ」
どちらからともなくコツンと額をくつっけて、クスクスと笑い合う。
晴れた青空は、まるで二人を祝福している様に柔らかな陽射しを降り注いだ。
暑く感じるのは上がり始めた気温のせいだけでなく、再確認した互いを想いあう心の作用かも知れない。


「報告も済んだし、そろそろ」
「まだぜよ」
立ち上がろうとした桂を、坂本が引き止める。
「式が済んじょらんきに」
早口でそれだけ言うと、抱えて来た箱に手を伸ばした。
やっと、中身を見せて貰えるのかと桂も興味津々で待つ。
「二人っきりの式じゃが……構わんじゃろ?」
桂の返事を待たず、坂本が箱から取り出したのは三献の儀の器だった。
朱塗りの三方、三ッ重杯、朱塗りの銚子には金で松竹梅が描かれている。
「三三九度、するぜよ」
得意げな顔で、銚子を振って見せた。
揺れ方から、すでに中に酒が入っていると分かる。
用意の良さに半分呆れつつ、桂は返事の代わりとばかりに一番小さい杯を手に取った。
そこに酒を注ぎながら、坂本が話す。
「一生、苦楽を共にする誓いぜよ」
「うむ、誓おう」
「じゃあ、わしから」
桂から盃を受け、三回に分けて酒を飲み干す。
次は桂が受け取り、再び注がれた酒を同じく三度に分けて飲んだ。
中ぐらいの杯、一番大きい杯と、互いの飲む順番を入れ替え三度三度、契りの儀式を進めてゆく。
取り仕切る者も無く、見守る者も無い。
唯二人だけの、墓前での静かな婚礼の儀式。
それでも、二人の心に寂しさは無い。
出逢って今日まで、何度も紡いできた絆が更に強固さを増すのだと、誇らしくさえあった。


滞りなく式を済ませ、もう一度二人揃って墓前に黙礼する。
風の悪戯か、線香の白煙が微かに揺れた。
そのさまが、両親からの返礼のように見えて二人は頷き合う。
「義父上、義母上。必ず二人で、幸せになりますきに!」
「父上、母上。どうか、見守っていて下さい」
これが最後と深々と頭を下げてから、片付けに入った。
帰りは空になった水桶を桂が持ち、坂本は三献の儀の器を収めた箱を持つ。
「まったく、お前には毎年驚かされてばかりだ」
誕生日の度に色々な贈り物をされてきたが、墓参りでのこれは予想の斜め上を行った。
「けんど、今回は場を考えて大人しくしてたやお?」
あはは、あははっと笑いながらエヘンと背を反らす。
「大人しいだと? どこがだ?」
「うん? わからんか?」
意外な言葉を聞いたという様に、坂本が立ち止まる。
つられて、桂も立ち止まった。
「つまり、こがーして……」
内緒話の距離に詰め寄られたと思った瞬間には、もう唇を掠め取られた後。
不意打ちの口づけに桂が睨むが、坂本はしれっと言葉を続けた。
「ご両親の前では、せんかったじゃろ」
誓いのキスまではしなかったと、言いたかったらしい。
「……それは、認めよう」
墓前とはいえ、やはり両親の前でそれはちょっとという思いが坂本の言い分を認めさせた。
「ほんなら今夜は、こちやとご褒美を貰おうかぇ」
「ご褒美?」
今度は何を言い出すのかと警戒して見上げると、坂本のニヤニヤ笑いが深まる。
「だって、今夜は新婚初夜やき」
相好を崩し、桂の肩を抱こうとした腕が空振りした。
「そうか、だが残念だったな。今日は俺の誕生日だから、銀時や梅之助と飲み明かす方が先約だ!」
やっと一本取り返したとばかりに、桂が楽しそうに笑う。
「ほがなぁ……泣いていっ?」
「ほら、キリキリ歩け!」
高笑いする桂の後を追う前に、坂本は空を見上げた。

(PS.天国の義父上、義母上。わしは早速、尻に敷かれそうじゃけんど、小太郎があがーに楽しそうに笑っちょるから幸せやか)

「おーい、辰馬!何をしている、置いてゆくぞっ」
「はい、はいよ。今、行きゆう!」



了 2017.6.26桂誕(に、遅刻2017.6.28)


*補足*

谷梅之助は、高杉晋作の用いた偽名の一つです。
未来捏造ということで、過激派・高杉晋助のままだと生き辛いだろうなと。
高杉は松陽先生を偲んで、萩に帰って隠居している気がしました。









1/1ページ
    スキ