愛の囁きって、大事(辰桂バレンタイン2018)
1月も下旬。それでも、まだまだ寒い日は続く。
それも深夜となれば、凍える様なと言う比喩が比喩ではなくなる冷気が辺りを満たしていた。
桂は夜道を忍び歩く。今夜は夜回り当番だった。
攘夷党党首といえど、当番は公平に回している。
過激派による闇討ちや、幕府の狗の捕縛などを心配する声も上がったが、それら全てを説き伏せた。
穏健派になったとはいえ、己は苛烈な攘夷戦争を生き抜いた侍。
「何かあれば、返り討ちにしてくれるわ!」と、豪語した。
そんな夜回りも担当地区を回り終り、目指すは坂本とエリザベスが待つ我が家。
二人とも、もう眠っているだろうと足音を忍ばせ玄関の戸をくぐる。
だが、予想外に居間に明かりが点いていた。
「エリザベス? 辰馬?」
どちらか、それとも二人とも起きているのだろうかと、居間を覗き込む。
明々と点った照明の下、炬燵に突っ伏すように坂本が眠っていた。
炬燵の上には、ノートパソコンと仕事の資料だろう冊子が数冊積み上げられている。
「辰馬。ほら、こんな所で眠っていては風邪をひくぞ」
ゆさゆさと揺すっても坂本は起きずに、揺すった拍子に冊子が数冊落ちた。
「まったく、もう。大雑把に積み上げるから、こうなるのだ」
文句を言いつつも、散らばった冊子を片付ける。
その桂の手が、落ちて開いた一冊の紙面上で止まった。
「……これは?」
ページに書かれている文字は天人の物で読めなかったが、通販カタログに良く似ている。
取引用の資料なのか、坂本の私的な本なのかが分からないが、興味をそそられた。
少し読んでみたい気持ちが込み上げて来たけれど、本を閉じ今は坂本優先と背中を叩く。
「辰馬、辰馬」
「ちゃあ、はや飲め……よ」
寝言と、二ヘラと緩む口元。
楽しい夢を見ているのだろうと起こすのは可哀想になったが、転寝で朝を迎えさせるわけにはいかない。
自分が寝入った時は坂本が寝床まで運んでくれているのだから、ここは一つ同じ男として運んでやろうと思った。
腰を落とし、坂本の身を炬燵から引き出す。
畳の上に仰向けにしてから、その背中と膝の裏に腕を差し込み持ち上げ……
「くっ、重いっ」
軽く持ち上げられる自信があったが、予想以上に重かった。
奥歯を噛み締め「ふんぬっ!」と掛け声と共にもう一度、腕・肩・腰と下肢に力を込めて立ち上がる。
一歩進んだところで、何かを踏んだ。つるりと、足袋が滑ってバランスを崩す。
「うわっ!」
腕に抱く坂本の体重のせいで踏ん張りが利かず、後ろへと倒れ込む。
咄嗟に手を付いて炬燵の天板に頭をぶつけるのは免れたが、両手を空ける為に抱えていた坂本を放り出していた。
「たっ、」
辰馬と、慌てて手を伸ばすも落下速度に追い付かず、居間に鈍い音が響く。
「な、なんじゃあ?」
畳の上で見事に大の字に転がった坂本は、痛みよりも驚きに目をパチクリさせた。
桂は這い寄り、坂本を起こす。
「すまぬ! お前を運ぼうとしたのだが、足を滑らせてしまっ」
「滑ったじゃと! どれ、捻挫しちょらんか?」
最後まで話させる事無く、桂の足首を両手で掴んだ。
「大丈夫だ、それよりお前の方が」
「うん、なんちゃーがやないぜよ」
触っていた足首から手を放し、ほっとした笑顔を向ける。
それは桂の質問に答えるよりも、桂の足に異常がない事に安堵している様子。
「まったく、お前は」
自分の事を優先させろと言いたかったが、どうせ聞かないと分かっている。
いつも大事な宝物のように扱われて面映ゆい気持ちになるが、大切に思われているのは嬉しい。
だから、小言は止めにした。
「小太郎、おかえり。夜回り、ご苦労さんじゃったの」
桂の表情が緩んだ途端、坂本は腕の中にその身を抱き寄せる。
「ただいま、辰馬」
触れ合わせる、唇と唇。
後は、いつもの夜を過ごすのだった。
*****
日々は穏やかに流れて、やがて2月に入る。
2月と言えば、世間ではバレンタインの季節。
互いに三十路前、付き合いも十年以上が過ぎた。
今更チョコなどとは思うが、坂本の方は毎年ソワソワしている様子を見せる。
一応、隠しているつもりなのだろうが……
坂本が口に出さなくとも、桂は態度で分かるようになっていた。
今年は時間もあるし久しぶりに手作りにしてみるかと、昔買ったレシピ本を探し始める。
だが、本当に久しぶり過ぎて本は見つからなかった。
幾度も隠れ家を移してゆく内に、失くしてしまったのだろう。
「むっ、コレはあの時の?」
テレビ台の下の隙間から、一冊の本が見つかった。
表面がつるりとしている表紙で、書かれているのは天人の文字。
先月、炬燵で転寝していた坂本が積み上げていた本だった。
足を滑らせたのは、この本を踏んでしまったせいかも知れない。
その拍子に、本の方も勢いで台の下へと入り込んでしまったのだろう。
パラパラと、ページを捲ると可愛らしい猫のイラストが出てきた。
それは冊子を落とした時に、興味を引かれたページだったと思い出す。
「エリザベス! ちょっと、エリザベスーぅ」
坂本の元にいたエリザベスなら天人の文字も読めるのでは無いかと、台所に向かって呼び掛ける。
桂の声を聞くと、エリザベスはすぐに台所から飛び出してきた。
【桂さん、どうしました?】
「この本、読めるか?」
本を掲げて見せると、エリザベスはそれを受け取って表紙を見てからページを捲る。
【食品専門の、銀河ネット通販カタログですよ】
エリザベスの言葉に、やはり思った通りだったと頷く。
天人の通販雑誌だが、地球からでも申し込みが出来る事。
この江戸の街にも、小さな代理店があってそこでの受け取りも可能な事が、エリザベスの説明で分かった。
【何か注文されるなら、一緒に見ましょうか?】
「いや、眺めていただけだ。ありがとう、エリザベス」
台所に戻ってゆく背中に感謝の言葉をかけた後、再び通販カタログに視線を落とす。
気になっていた猫のイラストを暫く見つめてから、ノートパソコンの電源を入れた。
カタログに書かれている、URLにアクセスする。
そこには、カタログよりも遥かに多い種類の商品画像がUPされていた。
その中から、カタログの猫のイラストのページを探し出す。
カタログには無い、他の猫のイラスト商品もたくさん出てきた。
その中でも、愛らしい数点の画像には星印が付けられている。
お勧め商品という事だろうかと、画像をクリックした。
それは、中に詰められているチョコや飴が肉球型になっている物ばかり。
「ふむっ? 肉球特集の印だろうか?」
書かれている説明文字は読めないが、共通点が肉球型だったのでそう納得した。
「可愛いし、珍しそうだから……よし!手作りは止めにして、これにしよう」
パッケージが黒猫で、肉球がピンク色に模られているチョコを選んでネットの買い物かごに入れる。
決済画面は地球・日本を選ぶと密林(ア○ゾン)ページに飛んだので、安心して日付も指定した。
舶来品のプレゼントは坂本の専売特許ではないぞと、桂は満足気な笑みを浮かべる。
「届くのが楽しみだな」
そう呟いて、ノートパソコンを閉じた。
バレンタイン前日に届いたチョコレートは、こっそり冷蔵庫の奥に隠しておいた。
そして、迎えた翌日。
出勤前の坂本が冷蔵庫を開ける事もなく、帰ってきても台所に立ち入る様子は無かった。
やがて坂本と桂とエリザベスの三人で囲む夕食も済むと、坂本がソワソワしだす。
【お風呂、お先にいただきます】
エリザベスが居間を出て行った途端に、坂本は桂の方へ視線を向ける。
「ん? なんだ?」
素知らぬ振りでノートパソコンを開きながら見返すと、期待を込めた瞳に見詰められた。
「いや……小太郎さん、今日は何日じゃったかぇ?」
普段は「さん」づけなどしないのにと、下手に出られるのが面白くて桂は笑いを噛み殺す。
チラっとカレンダーを見て「14日だ」と、短く答えた。
そのまま視線は、坂本ではなくパソコンに向ける。
「ほうか、14日じゃったな……」
いつも明るい声で話す男が、しょげかえった声を出すのに絆されて、意地悪は止めにした。
手元の湯呑を持って、立ち上がる。
「お前も、飲むか?」
尋ねてみたが、早々に諦めたのだろう。
坂本は左右に首を振って要らないとの意思表示をしてから、卓袱台に肘を付きテレビのリモコンに手を伸ばした。
拗ねた訳ではないだろうが、背中が寂しそうに見えたので桂は足早に台所に向かう。
冷蔵庫を開けてリボンでラッピングされているチョコを取り出し、忍び足で居間へと戻った。
ノートパソコンの前では無く、坂本の隣に寄り添う様に座る。
「辰馬」
「うん?」
名を呼ばれテレビ画面から視線を移すその瞳が、桂の手元を見て明るく輝いた。
「お待ちかねは、コレだろう?」
「小太郎!」
両手で差し出された包みに、坂本は破顔一笑する。
「既製品で、すまぬ。手作りにしようかと思ったのだが、コレがあまりにも可愛くてな」
「ほがなことは、気にせんよ。嬉しいやか」
包みを持つ桂ごと、ぎゅっと抱きしめ頬を摺り寄せた。
無邪気な反応が嬉しくて、桂も自然と口元が綻ぶ。
「食べてくれるか?」
「もちろんぜよ!」
言葉と共に、唇が軽く寄せられる。
「ばか者、ソッチでは無い」
「分かりゆうよ」
あはははっと、いつもの笑い声を上げながら、腕の中から桂を解放した。
桂の手から受け取った小さな四角い箱のリボンを解いて、包み紙を剥がす。
中の箱は、可愛らしい猫のイラストが描き込まれている。
あまり見ないタイプの絵だが、桂の趣味には合っていたので「可愛いのぉ」と一言だけ呟く。
隣で坂本の反応を窺っていた桂は、にっこりと満足気な笑顔を見せた。
「中のチョコも、可愛いぞ!」
坂本が開くのを、待ちきれないのだろう。
隣から手を出して、蓋を外した。
「ほぉ、こりゃ凝っちょるのお!」
縦横3列ずつのチョコが並んでいて、それらは全部肉球の形になっている。
大きなピンク色の肉球の上にちょこんと小さな肉球が4つ並んでいて、その先に爪の先を模ったクリーム色のチョコが付いていた。
「ほら、辰馬」
正直、天人の通販で買った物だから、味の方は分からない。
分からないが天人も地球の物を食べているのだし、そう味覚は変わらないだろう。
大体、甘味の味など似たようなものだと結論付ける。
それよりも焦らした分、普段はしてやらない事をした。
チョコを摘まんで、坂本の口元へと運んでやる。
「あーん」
っと言ったのはどちらが先か。
とにもかくにも、暫しの間チョコより甘い視線と笑みを与え合う。
残り3つという所で、坂本がチョコでは無く桂の指をしゃぶった。
「そろそろ、おんしのチョコ棒も食わせてくれんか?」
「全く、堪え性のな……い」
着物の上から太腿を撫でる手に手を添えて身を預けると、ゆっくりと畳の上に身を横たえられる。
覆い被さってくる背中に手を回そうとした所で、襖が開かれる音がした。
二人は慌てて、身を離す。
【お風呂、お先でした。先に寝ますのでお気遣いなく】
「あ、あ、ああっ。そうか、うむっ。辰馬、先に入ってこい!」
「お、おん!おんしも、一緒に」
「いや、俺は書類の続きを作らねばならん」
「ほうか! 続きは、後での」
綻びだらけの場を取り繕って、坂本は風呂に向かい、桂はノートパソコンに向かった。
*****
寝室は、柔らかな明かりを灯す竹細工の行燈だけを光源にする。
今夜の桂はどことなくいつもより優しくて、念入りに可愛がりたくなったので色々流されてくれるようにと、雰囲気作りに行燈まで引っ張り出したのだ。
枕の具合を確かめながら、ソワソワと浮き立つ気持ちを何とか抑える。
もうすぐ、桂が風呂から上がってくるだろう。
そう思う間に、廊下に足音がする。
襖が開けられ、桂の視線が行燈に行ったのが分かった。
ここで勝手に引っ張り出したとの小言が無ければ、あとはお楽しみが待っているだけ。
布団に寝ころんだまま、桂を見上げるが何の小言も出て来ない。
それに安堵して、掛布団の縁を持ち上げる。
「待たせたな」
膝を付き、そう言って布団の中に身を滑らせた。
坂本の腕が桂の腰を抱き、桂の手が坂本の肩に回る。
布団の中で、互いの身が上下に重なり合う。
淡い灯に照らされ、浮かび上がる互いの顔は熱い欲に上気し始めている。
落ちて来る口づけに応えようと、愛しい名前を口に上らせた。
「たつま」
「こたニャン」
閉じかけていた桂の瞼が、一瞬で開く。
坂本の瞳も、驚愕に瞠られた。
「な、なんだ?」
「い、いや、わしにもわからニャン」
「……え?」
坂本の背から手を外し、桂は身を起こす。
坂本も、それを追う様に半身を捩じって起こした。
「違うニャン! ふざけちょニャン!!」
ふざけてなどいないと、言いたいのに出てくる言葉の語尾には必ず『ニャン』が付く」
「なんじゃニャン?!」
頭を抱える坂本の横で、桂は突然立ち上がる。
思い当たったのは、天人のチョコレート。
「もしや、あのチョコは?」
「こ、こたろニャン? どがぁしたニャン?」
困惑する坂本を置き去りにして、台所までチョコの残りの入った箱を取りに行く。
箱の裏には、天人の文字が並んでいた。
これに何か説明が書かれているかもと、寝室へと戻る。
部屋の電気を付けて、坂本の前に箱をひっくり返して差し出す。
「もしや、このチョコのせいだろうか?」
恐る恐るといった桂の様子を見て取り、文字を読む前に大丈夫と頭を撫でた。
それで一応落ち着いたのか、読めない文字を覗き込む桂に坂本は内容を読んで聞かせる。
「冬限定の猫になり切ろうチョコレート、ニャン。シリーズは、『ニャン』『みゃう』『ニャー』とシークレットが2つ、ニャン。効果は一粒1時間ニャン。注意・各星人によって時間・作用に若干の違いがあります、ニャン」
煩いほどのニャン付き説明だが、間違いなくこのチョコのせいだった。
「辰馬、すまぬ! まさか、このようなチョコだとは思わず……」
「いや、ニャン。わしが、箱の裏に気付かんかったばあニャン。おんしは、悪く無いニャン」
そっと桂の肩を抱き寄せ、悪戯っぽい笑みを見せる。
「こりゃあ、いつもと逆しーじゃニャン。わしにゃ、人の事言えんしニャン」
いつもは、自分の方が妙なものを持ち込んで桂を困らせているのだから、たまにはこんなことも良いと。
「……たつま」
怒ることなく、逆に慰めてくれる坂本の言葉に桂の瞳が潤む。
「こたニャン、笑っとうせニャン」
このまま雰囲気でキスに持ち込めるかと思ったが、桂が堪え切れず噴き出した。
「す、すまぬ! その顔と、その声で『ニャン』ってのはちょっと」
真面目に囁かれると、その落差にどうしても耐えられない。
「ほがな……せっしょうニャン」
「うむっ、悪い。ちょっと、我慢してみるから」
しゅんとする坂本に向かい合い、桂は目を閉じる。
せめて見なければ、なんとかなるのではないかと。
引き寄せられるまま、身を預けた。
坂本の指先が頬を撫で、吐息が耳を擽る。
いつもの優しい愛撫に、大丈夫イケると思ったが。
「こたニャン」
「むーりーぃぃぃ!」
ドンと坂本の身を突き飛ばし、桂はその場で腹を抱えて笑い出す。
「頼むっ!その声で、(ぶはははっ)好きだのなんだのまで(ぷくくっ)言うな。つか、名前だけでも無理っ」
笑い交じりに拒絶され、坂本も自棄になる。
「おんしも、食べるニャン!」
残っているチョコを取り出して、口に含むと蹲っている桂の上に覆いかぶさり口づけた。
「ぅんっ! ちょ、なっ? ンググッ」
唇を抉じ開けられ、舌で押し込まれたチョコを飲み込んでしまう。
「貴様ッ! なんてことを!」
「安心するニャン。おんしは、3時間ですむニャン」
「そうか、寝ている間に?」
即効性では無いようだが、3時間なら朝には効果が切れるだろう。
そう安心した所で、坂本が悪い笑みを見せた。
「無論、寝れたらの話ニャン」
「……え? どういう?」
1時間後。
坂本の言葉通り、眠る事は出来なかった。
どころか、もう桂は坂本の語尾など気にならない。
ただひたすら、自身の上げる声が恥ずかしくて堪らなかった。
「あっ、あっ、いっニャン! ソコ、だめニャンっ! たつ、ニャン。もっ、ゆるしてニャぁーン!」
同じ語尾でも桂が発すると、どうしてこんなにも可愛いのか。
組み敷いた快楽に溺れる肢体を、つくづく眺める。
そして溢れそうになる言葉を必死に噛み殺し、腰使いを荒げる事に変換した。
ここで精を使い尽し、チョコの効果が切れるまで目覚めてなるものかと。
了
2018.2.14 バレンタイン
それも深夜となれば、凍える様なと言う比喩が比喩ではなくなる冷気が辺りを満たしていた。
桂は夜道を忍び歩く。今夜は夜回り当番だった。
攘夷党党首といえど、当番は公平に回している。
過激派による闇討ちや、幕府の狗の捕縛などを心配する声も上がったが、それら全てを説き伏せた。
穏健派になったとはいえ、己は苛烈な攘夷戦争を生き抜いた侍。
「何かあれば、返り討ちにしてくれるわ!」と、豪語した。
そんな夜回りも担当地区を回り終り、目指すは坂本とエリザベスが待つ我が家。
二人とも、もう眠っているだろうと足音を忍ばせ玄関の戸をくぐる。
だが、予想外に居間に明かりが点いていた。
「エリザベス? 辰馬?」
どちらか、それとも二人とも起きているのだろうかと、居間を覗き込む。
明々と点った照明の下、炬燵に突っ伏すように坂本が眠っていた。
炬燵の上には、ノートパソコンと仕事の資料だろう冊子が数冊積み上げられている。
「辰馬。ほら、こんな所で眠っていては風邪をひくぞ」
ゆさゆさと揺すっても坂本は起きずに、揺すった拍子に冊子が数冊落ちた。
「まったく、もう。大雑把に積み上げるから、こうなるのだ」
文句を言いつつも、散らばった冊子を片付ける。
その桂の手が、落ちて開いた一冊の紙面上で止まった。
「……これは?」
ページに書かれている文字は天人の物で読めなかったが、通販カタログに良く似ている。
取引用の資料なのか、坂本の私的な本なのかが分からないが、興味をそそられた。
少し読んでみたい気持ちが込み上げて来たけれど、本を閉じ今は坂本優先と背中を叩く。
「辰馬、辰馬」
「ちゃあ、はや飲め……よ」
寝言と、二ヘラと緩む口元。
楽しい夢を見ているのだろうと起こすのは可哀想になったが、転寝で朝を迎えさせるわけにはいかない。
自分が寝入った時は坂本が寝床まで運んでくれているのだから、ここは一つ同じ男として運んでやろうと思った。
腰を落とし、坂本の身を炬燵から引き出す。
畳の上に仰向けにしてから、その背中と膝の裏に腕を差し込み持ち上げ……
「くっ、重いっ」
軽く持ち上げられる自信があったが、予想以上に重かった。
奥歯を噛み締め「ふんぬっ!」と掛け声と共にもう一度、腕・肩・腰と下肢に力を込めて立ち上がる。
一歩進んだところで、何かを踏んだ。つるりと、足袋が滑ってバランスを崩す。
「うわっ!」
腕に抱く坂本の体重のせいで踏ん張りが利かず、後ろへと倒れ込む。
咄嗟に手を付いて炬燵の天板に頭をぶつけるのは免れたが、両手を空ける為に抱えていた坂本を放り出していた。
「たっ、」
辰馬と、慌てて手を伸ばすも落下速度に追い付かず、居間に鈍い音が響く。
「な、なんじゃあ?」
畳の上で見事に大の字に転がった坂本は、痛みよりも驚きに目をパチクリさせた。
桂は這い寄り、坂本を起こす。
「すまぬ! お前を運ぼうとしたのだが、足を滑らせてしまっ」
「滑ったじゃと! どれ、捻挫しちょらんか?」
最後まで話させる事無く、桂の足首を両手で掴んだ。
「大丈夫だ、それよりお前の方が」
「うん、なんちゃーがやないぜよ」
触っていた足首から手を放し、ほっとした笑顔を向ける。
それは桂の質問に答えるよりも、桂の足に異常がない事に安堵している様子。
「まったく、お前は」
自分の事を優先させろと言いたかったが、どうせ聞かないと分かっている。
いつも大事な宝物のように扱われて面映ゆい気持ちになるが、大切に思われているのは嬉しい。
だから、小言は止めにした。
「小太郎、おかえり。夜回り、ご苦労さんじゃったの」
桂の表情が緩んだ途端、坂本は腕の中にその身を抱き寄せる。
「ただいま、辰馬」
触れ合わせる、唇と唇。
後は、いつもの夜を過ごすのだった。
*****
日々は穏やかに流れて、やがて2月に入る。
2月と言えば、世間ではバレンタインの季節。
互いに三十路前、付き合いも十年以上が過ぎた。
今更チョコなどとは思うが、坂本の方は毎年ソワソワしている様子を見せる。
一応、隠しているつもりなのだろうが……
坂本が口に出さなくとも、桂は態度で分かるようになっていた。
今年は時間もあるし久しぶりに手作りにしてみるかと、昔買ったレシピ本を探し始める。
だが、本当に久しぶり過ぎて本は見つからなかった。
幾度も隠れ家を移してゆく内に、失くしてしまったのだろう。
「むっ、コレはあの時の?」
テレビ台の下の隙間から、一冊の本が見つかった。
表面がつるりとしている表紙で、書かれているのは天人の文字。
先月、炬燵で転寝していた坂本が積み上げていた本だった。
足を滑らせたのは、この本を踏んでしまったせいかも知れない。
その拍子に、本の方も勢いで台の下へと入り込んでしまったのだろう。
パラパラと、ページを捲ると可愛らしい猫のイラストが出てきた。
それは冊子を落とした時に、興味を引かれたページだったと思い出す。
「エリザベス! ちょっと、エリザベスーぅ」
坂本の元にいたエリザベスなら天人の文字も読めるのでは無いかと、台所に向かって呼び掛ける。
桂の声を聞くと、エリザベスはすぐに台所から飛び出してきた。
【桂さん、どうしました?】
「この本、読めるか?」
本を掲げて見せると、エリザベスはそれを受け取って表紙を見てからページを捲る。
【食品専門の、銀河ネット通販カタログですよ】
エリザベスの言葉に、やはり思った通りだったと頷く。
天人の通販雑誌だが、地球からでも申し込みが出来る事。
この江戸の街にも、小さな代理店があってそこでの受け取りも可能な事が、エリザベスの説明で分かった。
【何か注文されるなら、一緒に見ましょうか?】
「いや、眺めていただけだ。ありがとう、エリザベス」
台所に戻ってゆく背中に感謝の言葉をかけた後、再び通販カタログに視線を落とす。
気になっていた猫のイラストを暫く見つめてから、ノートパソコンの電源を入れた。
カタログに書かれている、URLにアクセスする。
そこには、カタログよりも遥かに多い種類の商品画像がUPされていた。
その中から、カタログの猫のイラストのページを探し出す。
カタログには無い、他の猫のイラスト商品もたくさん出てきた。
その中でも、愛らしい数点の画像には星印が付けられている。
お勧め商品という事だろうかと、画像をクリックした。
それは、中に詰められているチョコや飴が肉球型になっている物ばかり。
「ふむっ? 肉球特集の印だろうか?」
書かれている説明文字は読めないが、共通点が肉球型だったのでそう納得した。
「可愛いし、珍しそうだから……よし!手作りは止めにして、これにしよう」
パッケージが黒猫で、肉球がピンク色に模られているチョコを選んでネットの買い物かごに入れる。
決済画面は地球・日本を選ぶと密林(ア○ゾン)ページに飛んだので、安心して日付も指定した。
舶来品のプレゼントは坂本の専売特許ではないぞと、桂は満足気な笑みを浮かべる。
「届くのが楽しみだな」
そう呟いて、ノートパソコンを閉じた。
バレンタイン前日に届いたチョコレートは、こっそり冷蔵庫の奥に隠しておいた。
そして、迎えた翌日。
出勤前の坂本が冷蔵庫を開ける事もなく、帰ってきても台所に立ち入る様子は無かった。
やがて坂本と桂とエリザベスの三人で囲む夕食も済むと、坂本がソワソワしだす。
【お風呂、お先にいただきます】
エリザベスが居間を出て行った途端に、坂本は桂の方へ視線を向ける。
「ん? なんだ?」
素知らぬ振りでノートパソコンを開きながら見返すと、期待を込めた瞳に見詰められた。
「いや……小太郎さん、今日は何日じゃったかぇ?」
普段は「さん」づけなどしないのにと、下手に出られるのが面白くて桂は笑いを噛み殺す。
チラっとカレンダーを見て「14日だ」と、短く答えた。
そのまま視線は、坂本ではなくパソコンに向ける。
「ほうか、14日じゃったな……」
いつも明るい声で話す男が、しょげかえった声を出すのに絆されて、意地悪は止めにした。
手元の湯呑を持って、立ち上がる。
「お前も、飲むか?」
尋ねてみたが、早々に諦めたのだろう。
坂本は左右に首を振って要らないとの意思表示をしてから、卓袱台に肘を付きテレビのリモコンに手を伸ばした。
拗ねた訳ではないだろうが、背中が寂しそうに見えたので桂は足早に台所に向かう。
冷蔵庫を開けてリボンでラッピングされているチョコを取り出し、忍び足で居間へと戻った。
ノートパソコンの前では無く、坂本の隣に寄り添う様に座る。
「辰馬」
「うん?」
名を呼ばれテレビ画面から視線を移すその瞳が、桂の手元を見て明るく輝いた。
「お待ちかねは、コレだろう?」
「小太郎!」
両手で差し出された包みに、坂本は破顔一笑する。
「既製品で、すまぬ。手作りにしようかと思ったのだが、コレがあまりにも可愛くてな」
「ほがなことは、気にせんよ。嬉しいやか」
包みを持つ桂ごと、ぎゅっと抱きしめ頬を摺り寄せた。
無邪気な反応が嬉しくて、桂も自然と口元が綻ぶ。
「食べてくれるか?」
「もちろんぜよ!」
言葉と共に、唇が軽く寄せられる。
「ばか者、ソッチでは無い」
「分かりゆうよ」
あはははっと、いつもの笑い声を上げながら、腕の中から桂を解放した。
桂の手から受け取った小さな四角い箱のリボンを解いて、包み紙を剥がす。
中の箱は、可愛らしい猫のイラストが描き込まれている。
あまり見ないタイプの絵だが、桂の趣味には合っていたので「可愛いのぉ」と一言だけ呟く。
隣で坂本の反応を窺っていた桂は、にっこりと満足気な笑顔を見せた。
「中のチョコも、可愛いぞ!」
坂本が開くのを、待ちきれないのだろう。
隣から手を出して、蓋を外した。
「ほぉ、こりゃ凝っちょるのお!」
縦横3列ずつのチョコが並んでいて、それらは全部肉球の形になっている。
大きなピンク色の肉球の上にちょこんと小さな肉球が4つ並んでいて、その先に爪の先を模ったクリーム色のチョコが付いていた。
「ほら、辰馬」
正直、天人の通販で買った物だから、味の方は分からない。
分からないが天人も地球の物を食べているのだし、そう味覚は変わらないだろう。
大体、甘味の味など似たようなものだと結論付ける。
それよりも焦らした分、普段はしてやらない事をした。
チョコを摘まんで、坂本の口元へと運んでやる。
「あーん」
っと言ったのはどちらが先か。
とにもかくにも、暫しの間チョコより甘い視線と笑みを与え合う。
残り3つという所で、坂本がチョコでは無く桂の指をしゃぶった。
「そろそろ、おんしのチョコ棒も食わせてくれんか?」
「全く、堪え性のな……い」
着物の上から太腿を撫でる手に手を添えて身を預けると、ゆっくりと畳の上に身を横たえられる。
覆い被さってくる背中に手を回そうとした所で、襖が開かれる音がした。
二人は慌てて、身を離す。
【お風呂、お先でした。先に寝ますのでお気遣いなく】
「あ、あ、ああっ。そうか、うむっ。辰馬、先に入ってこい!」
「お、おん!おんしも、一緒に」
「いや、俺は書類の続きを作らねばならん」
「ほうか! 続きは、後での」
綻びだらけの場を取り繕って、坂本は風呂に向かい、桂はノートパソコンに向かった。
*****
寝室は、柔らかな明かりを灯す竹細工の行燈だけを光源にする。
今夜の桂はどことなくいつもより優しくて、念入りに可愛がりたくなったので色々流されてくれるようにと、雰囲気作りに行燈まで引っ張り出したのだ。
枕の具合を確かめながら、ソワソワと浮き立つ気持ちを何とか抑える。
もうすぐ、桂が風呂から上がってくるだろう。
そう思う間に、廊下に足音がする。
襖が開けられ、桂の視線が行燈に行ったのが分かった。
ここで勝手に引っ張り出したとの小言が無ければ、あとはお楽しみが待っているだけ。
布団に寝ころんだまま、桂を見上げるが何の小言も出て来ない。
それに安堵して、掛布団の縁を持ち上げる。
「待たせたな」
膝を付き、そう言って布団の中に身を滑らせた。
坂本の腕が桂の腰を抱き、桂の手が坂本の肩に回る。
布団の中で、互いの身が上下に重なり合う。
淡い灯に照らされ、浮かび上がる互いの顔は熱い欲に上気し始めている。
落ちて来る口づけに応えようと、愛しい名前を口に上らせた。
「たつま」
「こたニャン」
閉じかけていた桂の瞼が、一瞬で開く。
坂本の瞳も、驚愕に瞠られた。
「な、なんだ?」
「い、いや、わしにもわからニャン」
「……え?」
坂本の背から手を外し、桂は身を起こす。
坂本も、それを追う様に半身を捩じって起こした。
「違うニャン! ふざけちょニャン!!」
ふざけてなどいないと、言いたいのに出てくる言葉の語尾には必ず『ニャン』が付く」
「なんじゃニャン?!」
頭を抱える坂本の横で、桂は突然立ち上がる。
思い当たったのは、天人のチョコレート。
「もしや、あのチョコは?」
「こ、こたろニャン? どがぁしたニャン?」
困惑する坂本を置き去りにして、台所までチョコの残りの入った箱を取りに行く。
箱の裏には、天人の文字が並んでいた。
これに何か説明が書かれているかもと、寝室へと戻る。
部屋の電気を付けて、坂本の前に箱をひっくり返して差し出す。
「もしや、このチョコのせいだろうか?」
恐る恐るといった桂の様子を見て取り、文字を読む前に大丈夫と頭を撫でた。
それで一応落ち着いたのか、読めない文字を覗き込む桂に坂本は内容を読んで聞かせる。
「冬限定の猫になり切ろうチョコレート、ニャン。シリーズは、『ニャン』『みゃう』『ニャー』とシークレットが2つ、ニャン。効果は一粒1時間ニャン。注意・各星人によって時間・作用に若干の違いがあります、ニャン」
煩いほどのニャン付き説明だが、間違いなくこのチョコのせいだった。
「辰馬、すまぬ! まさか、このようなチョコだとは思わず……」
「いや、ニャン。わしが、箱の裏に気付かんかったばあニャン。おんしは、悪く無いニャン」
そっと桂の肩を抱き寄せ、悪戯っぽい笑みを見せる。
「こりゃあ、いつもと逆しーじゃニャン。わしにゃ、人の事言えんしニャン」
いつもは、自分の方が妙なものを持ち込んで桂を困らせているのだから、たまにはこんなことも良いと。
「……たつま」
怒ることなく、逆に慰めてくれる坂本の言葉に桂の瞳が潤む。
「こたニャン、笑っとうせニャン」
このまま雰囲気でキスに持ち込めるかと思ったが、桂が堪え切れず噴き出した。
「す、すまぬ! その顔と、その声で『ニャン』ってのはちょっと」
真面目に囁かれると、その落差にどうしても耐えられない。
「ほがな……せっしょうニャン」
「うむっ、悪い。ちょっと、我慢してみるから」
しゅんとする坂本に向かい合い、桂は目を閉じる。
せめて見なければ、なんとかなるのではないかと。
引き寄せられるまま、身を預けた。
坂本の指先が頬を撫で、吐息が耳を擽る。
いつもの優しい愛撫に、大丈夫イケると思ったが。
「こたニャン」
「むーりーぃぃぃ!」
ドンと坂本の身を突き飛ばし、桂はその場で腹を抱えて笑い出す。
「頼むっ!その声で、(ぶはははっ)好きだのなんだのまで(ぷくくっ)言うな。つか、名前だけでも無理っ」
笑い交じりに拒絶され、坂本も自棄になる。
「おんしも、食べるニャン!」
残っているチョコを取り出して、口に含むと蹲っている桂の上に覆いかぶさり口づけた。
「ぅんっ! ちょ、なっ? ンググッ」
唇を抉じ開けられ、舌で押し込まれたチョコを飲み込んでしまう。
「貴様ッ! なんてことを!」
「安心するニャン。おんしは、3時間ですむニャン」
「そうか、寝ている間に?」
即効性では無いようだが、3時間なら朝には効果が切れるだろう。
そう安心した所で、坂本が悪い笑みを見せた。
「無論、寝れたらの話ニャン」
「……え? どういう?」
1時間後。
坂本の言葉通り、眠る事は出来なかった。
どころか、もう桂は坂本の語尾など気にならない。
ただひたすら、自身の上げる声が恥ずかしくて堪らなかった。
「あっ、あっ、いっニャン! ソコ、だめニャンっ! たつ、ニャン。もっ、ゆるしてニャぁーン!」
同じ語尾でも桂が発すると、どうしてこんなにも可愛いのか。
組み敷いた快楽に溺れる肢体を、つくづく眺める。
そして溢れそうになる言葉を必死に噛み殺し、腰使いを荒げる事に変換した。
ここで精を使い尽し、チョコの効果が切れるまで目覚めてなるものかと。
了
2018.2.14 バレンタイン
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