桜の花咲く頃

今回の仕事は太陽系内で済む商いだから二週間で帰ると言って旅立って行った坂本が、約束通り今日帰って来る。
指名手配のテロリストである桂は、出迎えにターミナルまでは行けない。
だから、隠れ家の最寄り駅で坂本の帰りを待っている。
告げられた電車の到着時間まで、駅前に植えられた桜の下で七分咲きの花を楽しみながら。

やがて目当ての電車が到着し、改札口に人波が押し寄せる。
帰宅するのだろう寺小屋の学生や会社員の姿に、頭一つ抜き出る男を視線で探す。
愛するもじゃもじゃ頭に黒いサングラス、いつもの赤いコートの坂本を。

急ぎ足で走って行く学生の塊を避け、改札口の向こう側を眺めた。
駅構内の方が少し高いのだろう、改札口から外の景色が見える。
正面に植えられている大きな桜の木の下に立つ、魅力的な存在を見付けた。
黄昏時の独特な空の色と霞む街並み、一本の桜木。それらを背景にして立つ愛おしい恋人、桂の姿を。
長い黒髪と同じ、真っすぐ伸ばされている背筋、辺りを祓う清廉な風を感じさせる佇まい。
坂本の口元に、笑みが浮かぶ。自然に、足が速まる。
坂本の姿を見付けた桂も、花が綻ぶような笑みを見せた。

「おかえり」
「ただいま」
口元に笑みを残したまま、互いに向き合い挨拶を交わす。
唇に視線を注がれたのに気が付いた桂は、いち早く坂本の腕を引く。
「さあ、帰るぞ! エリザベスが、夕餉の用意をして待ってくれているからな」
桂が人前での抱擁と口づけを警戒して急かしたのが分かり、坂本は少しだけ残念そうに笑みを引っ込めて歩き出す。
坂本的には人目など気にならないが、桂はそれを気にしていた。
それは自身の照れでは無く、坂本の公的立場を慮っての事らしい。
思いやりからだと分かっているから、無理強いは止めた。
けれど、人目が無ければ想いを伝えるのに躊躇はしない。

そして二人並んで帰途に就く途中、坂本がいきなり声を上げた。
「おん!」
「なんだ、急に?」
立ち止まった坂本に合わせて、桂も立ち止まる。
「ターミナルの売店で、買おたぜよ」
コートのポケットから、袋菓子を取り出して桂に手渡す。
上下が和風の緑色に、中央が透明になった袋の中に餡玉が入っている。
「しょうろ?」
袋に印刷されている松露という菓子の名前を読んで、聞いた事の無い名前だと首を傾げた。
「おんし好みの味じゃよ! ほれ、一つ」
桂の手から袋を取り上げて、口を開く。
試食で食べたから味は保証すると捲し立て、袋に指を突っ込もうとした。
「子供かっ! こんな往来で開くな、馬鹿者」
「でもはや、開けてしまおったきに」
行儀が悪いと窘める桂に、坂本はまた残念そうな顔を見せる。
流石に二度目の表情には参ったのか、桂の声も小さくなった。
「帰ってからで良かろう?」
声音にも、優しさが滲む。
それを感じ取った坂本は、きょろきょろと辺りを見回した。
「来や、あっこに公園があるぜよ」
「あ、こらっ、手を……」
帰り道とは逆方向になるが、小さな公園の入り口を見付け桂の手を握って引っ張る。
坂本の強請る様な視線に負けて、大人しく付いて行った。

公園はこぢんまりとしていて、遊具はほとんど無い。
そのせいかだろうか、それとも時間的に遅いからか?
遊ぶ子供の姿も、散策する人の気配も無かった。
だが花壇は綺麗に手入れされ、公園外周に数本植えられている桜もひっそりと咲いている。
その桜木の下に設えてあるベンチの一つに、二人は並んで腰掛けた。
坂本はさっそく、手にした袋から餡玉を取り出す。
「小太郎。ほれ、アーン」
「一つだけだからな」
夕食前だからというよりも、食べさせてもらう事が恥ずかしくて出た言葉。
坂本は鷹揚に頷き、軽く指先で餡玉を桂の口の中に放り込む。
「どがぁじゃ?」
サングラスをずらして覗き込んでくる蒼い瞳に、こくこくと頷き返した。
「……美味い。甘過ぎず、だがしっかり餡の味がして、ほろほろと融ける様な優しい味わいが口の中に広がり、」
まるでグルメ番組のコメンテーターのようなセリフに、坂本が続く言葉を付け足す。
「お茶に合うじゃろ?」
「うむっ。渋味のな」
満足気に頷き合った所で、坂本はサングラスと菓子袋を差し出した。
桂は反射的に受け取ったものの、菓子はともかくサングラスをどうしろというのかと疑問に思い視線を上げた瞬間。
「じゃー、美味しいお土産のお礼を貰おる」
そんな言葉と共に、両頬を大きな手に包まれ口づけを掠め取られた。
不意打ちのキスに一瞬固まるも、坂本の悪戯っぽい瞳の輝きに呪縛が解ける。
「貴様はっ! 場所を考えぬかっ!」
両手を振り上げて怒鳴るが、坂本は全く悪びれない。
「桜しか、見ちょらん。なんちゃーがやないよ」
振り上げた手を、宥める様に包み込まれてしまう。
すっかり坂本のペースになっていて、ここで説教しても無駄と覚った桂は立ち上がる。
「帰るぞっ!」
つっけんどんに言い放ったが、宥める手は離さずニコニコしている坂本に毒気を抜かれた。
呆れる様に天を仰げば、目に映る桜色。ふんわり優しい気持ちになる。
桂に釣られて、坂本も視線を上げた。桜の柔らかな色合いに、楽しい事を思い付く。
「うん。夕餉が済んだら、エリーも連れてココで花見するぜよ。松露と渋茶でのぉ」
「またお前は、勝手に決めおって! 決めるのは、エリザベスの意見も聞いてからだ」
明るい月と夜桜を肴に、美味しい和菓子とお茶。楽しい花見の宴になるだろう。
賛同しない言葉とは裏腹に、そう思ったのが分かったのだろう。
坂本が、からかう様に指摘する。
「小太郎、顔が笑っちゅう」
「笑ってなどおらん」
笑った、笑ってないと、子供のような口喧嘩を楽しみながら並んで歩く。
桜の花咲く頃の小さな思い出がまた一つ増える喜びに、手を繋いだままなのも忘れて。



2018.3.25





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