焔立つ(攘夷)
部屋に戻って、なんとなく微妙な距離を置いて向い合せに座る。
行燈が一つだけ置かれている以外何も無い殺風景な部屋の中では、会話の種も生まれない。話す内容は頭に浮かぶが、どれもこれも別に今話さなくてはならない事ではないと思い至り、言葉にならないまま口内で分解されてゆく。
戦場では絶えず誰かがいて、静寂の中に二人きりなどという時間は無かった。
厳密に言えば二人の時もあったが、それは作戦を練る時だったり何らかの軍務や相談事に費やされ、そうでない時は酒という緊張を解す物が手近にあった。
今は、二人の共通項である悪餓鬼どもの話題さえ思いつかない。
互いの視線を捉えれば、そのまま離せなくなりそうで目を合わせる事さえ出来なくなっていた。
どれぐらいの時が過ぎたのか、とうとう室内に声が生じる。
「ヅ……いや、桂さ……ん。ちっくと、」
「少し、息苦しくないか?」
坂本の呼び掛けに、少し遅れて桂が立ち上がった。坂本は出鼻を挫かれた形になる。それでも、桂の言葉を優先させた。
「ほれに、蒸すのぉ。どれ、まさか窓まで塞がれてはおらんじゃろう」
相変わらず月明かりの射し込んでこない障子を開くと、窓は無く塗り込まれた土壁が現れる。
「……ココは、密室やという訳か」
「なんだとっ?!」
桂も立ち上がり、坂本の隣に立って土壁を見詰めた。手を伸ばし、ザラっとした壁を力一杯押してみる。そこはガッチリとした硬さを持ち、簡単に突き破るなど出来そうにない。
密室、塞がれた出口、息苦しさと蒸した空気。それらの事が脳内で混じり合い、桂を走らせた。
乱暴に襖を開き、観音扉に耳を押し付ける。
追ってきた坂本も、同じように扉の向こう側の気配を窺った。
「……聞こえるか?」
「出来れば、聞きたくない音じゃがのぉ」
分厚い扉を隔ててはいるが、バチバチと小さな爆ぜる音が伝わってくる。
閉じられた扉の継ぎ目から、きな臭い匂いと細い白煙が忍び込んできた。
やっと、相手方の思惑が分かる。やはり、罠だったのだ。
まんまと誘き寄せられ、閉じ込められて焼打ちにされるのだと。
「すまぬッ! 俺が、判断を見誤ったばかりに」
坂本が扉を破ろうかと聞いてくれたのに、自分はそれを止めた。
あの時破っていれば、火の手が上がらぬ内に脱出できたかもしれないのにと後悔の念が押し寄せる。
「いや、今からでもッ!」
刀を鞘から抜き、構える桂の腕を坂本が引く。
「ほれじゃー、刃が折れる。退け!」
桂を壁際に押しやると数歩戻って助走を付け、体全体で扉に体当たりした。
ダンッ、ズドンと何度も体当たりを繰り返し、ギシギシと扉を軋ませる。
見ているだけでも骨が折れるのではないかと思う程の音と勢いに、桂は暫し唖然とした。
何度目かの体当たりで、坂本の身が傾く。どこかを痛めたのだろうか、ぐぐもった唸り声を漏らした。
その唸りに、桂が我に返る。
「お、俺もッ!」
坂本より威力は劣るだろうが、加勢するつもりで踏み込む。
「これ以上は、無駄ぜよ。恐らく、鉄製の閂が掛けられちょる」
「そんな事! 二人がかりで挑めば、破れるかも知れぬだろうッ! 今、壊さねば本当に、脱出出来なくなるぞっ!」
止め立てするのを説得しようと腕を掴んだ途端、またしても坂本の口から低い唸り声が発された。
「坂本ッ! 肩か? 腕か? どこを痛めたッ?!」
「なんちゃーがやないだ、ちっくと時間を見るぜよ。扉の端に火がつけば、きっと閂が緩くなるきに。ほいたら、二人がかりで体当たりして破るぜよ!」
心配無用とばかりに、桂の手を外させようとする。だが、桂は外そうと伸ばしてきた坂本の手を掴み直して自分の肩へと導いた。そのまま、腕を担ぐように庇って座敷に誘導する。
「分かった。ならば、部屋で少し座れ」
塗り込められた窓を背にして、二人並んで座り正面の扉を見詰めていた。
少しずつ扉の隙間から白煙が流れ込んでいたが平常心を保ち、耳を澄ませる。
扉から木の爆ぜる音が聞こえ出したら、すぐさま扉を壊す為に。
「あちゃあ、読み間違えたぜよ」
坂本が、天井を指差した。桂は、その指差す方向を見やる。
観音扉と襖の間にある短い廊下の天井から、パラパラと焼け焦げた破片が落ちて来ていた。
見る間に所々黒く焼け焦げてゆき、穴が開いた隙間から炎の揺れる様子がわかる。
このままでは、扉を破る前にここも火の海になるのではないかと、桂は言葉を失った。
そもそも、罠だと半分疑っていながら用心を怠ってしまった己自身に腹が立つ。
そんな思いで、唇を噛み締めた。己の読み間違いで、坂本の命まで危険に晒してしまったのが悔やまれる。
「これで、読み間違いはあいこじゃのぉ」
優しい声と共に、ツンと軽く頭を小突かれた。
まるで頭の中を読まれた気がして、立ち上がった坂本を呆然と見上げる。
視線が合うと、ニッっと笑まれて思わず赤面した。
「坂本……お前、」
続ける言葉を言いあぐねている内に、坂本が思いっきり弾みを付けて走り出し、扉に飛び蹴りを炸裂させる。
メキッと、今までとは違う音が室内に響く。
「おん! 手応え、じゃのーて、足応えあったぜよ!」
大声を張り上げて、桂のいる位置まで戻るともう一度助走して、蹴りを入れた。
厚い扉の表面に凹みが出来る。今度はソコを狙って体当たりを開始する。
「退け、坂本っ! 俺もやる!」
「怪我せんようにのっ」
「見くびるなッ!」
最初は互い違いに当たったが、扉の端が確実に傾いてきているのを見て、呼吸を合わせ同時に体当たりする方法に切り替えた。
十数度にわたる衝撃で、ゴトリと閂が外れ落ちる。落ちてしまえば、扉は簡単に開いた。
坂本と桂は視線を合わせ、達成感から抱き合う。この時ばかりは、照れも気まずさも忘れていた。
しかし扉が開いた為、なだれ込んできた熱風と炎の揺らめきに達成感は吹き飛ばされる。
炎は、厚い木の扉よりも奥の襖の方へ先に飛び火した。
「いかんっ!」
「うわっ!」
坂本は瞬時に燃え広がった炎に包まれた襖を蹴倒し、桂の身を担ぎ上げて奥の部屋へと転がり込む。
***
転がり込んだ部屋の中で桂を護る様に覆い被さっていると、その桂から腹を小突かれた。
「自分の身ぐらい、自分で守れる! 離れろ、馬鹿者!」
「お、すまんぜよ。じゃけんど……」
多少乱暴に扱ったのは申し訳ないと思ったが、馬鹿者扱いとは酷いと言い掛けて止める。
暑さのせいで汗に濡れ上気した肌の色と、伏せられた長い睫毛の下の瞳を間近で正視出来なくて、バネ仕掛けのカラクリ人形のように飛び退いた。
そんな場合ではないのに、抱き締めたいとの想いが湧き上がる。それを気付かれてはいけないと、さり気なさを装い出入り口の方へと移動した。
坂本の下から逃れた桂も、手を付いて立ち上がる。依然として、視線は下方へ落とされたまま拳を握りしめていた。
一刻も早く脱出しなければならないというのに、動悸は収まらず坂本に触れられた腕が、腹が、背中の温もりが、心を掻き乱す。
坂本に対する止めようのない想いに引き摺られないよう、自制心を取り戻さなければと焦った。
それぞれの想いを宥めようと、葛藤している間にも火の手は部屋を侵食してゆく。
襖から燃え広がった火は天井を舐め、柱を伝って四方八方へと伸びる。渦巻く煙も、下へと下り始めていた。
バチバチと木材の燃える音と、炎の熱と、振り落ちる火の粉。
状況が切迫しているのだと、気持ちを切り替えようとしている桂の耳に坂本の声が届く。
「ちゃ、ちゃ、ちゃ。こりゃ、全く逃げ場が無いのぉ」
呑気そうに聞こえる声音に怒鳴りつけたが、その言葉もやんわりと対応されてしまった。
楽天的な馬鹿なのか、勝算があっての大物なのか?
判別は付かないが、それでも坂本の物腰態度には人を落ち着かせる何かがあった。
「怒鳴ってすまない。だが……どうする?」
「どがあしようもないぜよ。一か八か、大火傷覚悟で走り抜けるしかないのぉ」
「走り抜ける? 馬鹿を言うな! ここの階段は、螺旋状なのだぞ」
大火傷だけで、済む筈は無いだろう。最悪、焼け死ぬ覚悟もしなければならない。
「こんな所で……無念だッ!」
そう吐き捨てて俯く桂の頬に、坂本の手が触れる。