焔立つ(攘夷)
バチバチと木材を爆ぜさせる音を響かせながら、炎の舌が部屋の柱や天井を嘗め上げてゆく。
押し寄せる波にも似た勢いで、四方の壁も火に焼かれていった。
立ち込める煙は渦を巻き、出口を探して暴れている大蛇のように見える。
ここは、一刻も待たずして焼け落ちるだろう。
それは自然発火や不始末の火では無い、人為的に狙ったものだった。
「ちゃ、ちゃ、ちゃ。こりゃ、全く逃げ場が無いのぉ」
「だから、早く扉を壊そうと言っただろうッッッ!」
唯一の出入口前で、火の海を眺めながら呑気な声を出す坂本に、桂は怒鳴った。
「あの時に壊していれば、もう少し火の手はマシだった筈だ!」
「うん。じゃが、あの時じゃー扉は破れんかったぜよ」
この状況下で、不思議なぐらい余裕を持ってやんわりと言い返す。
その態度に、頭に上りかけた血が下がった。
***
元々は、部下が持ってきた情報だった。
攘夷軍に支援をしたいが幕府の目があるので、それを避けるため夜中に町外れの寺院まで来て欲しいと。
怪しみ渋っていたが、軍の懐は火の車で貰えるものなら何でも欲しいのが実情。
だがすぐに飛び付く愚は避けて、坂本達との軍議にかけた。
「幕軍の罠ではないだろうか?」
「罠かも知れんけんど、貰えるもんは貰っちょいたらえい」
「行くだけ行って、怪しけりゃその場で斬ればいいだろーがァ」
「世の中、そー甘くねぇって。罠だよ、罠。行くだけ、無駄だって」
銀時だけが、行く事すら反対する。
「てめぇらボンボンは、考えが甘ぇよな。何でもかんでも、父ちゃんに買って貰ってた思い出が染みついてんじゃねーの?」
「テメェの息ほど、甘かねぇェよ! 先生にさんざ強請ってたのはどこのどいつだァ?」
「んだとっ! アレは俺の正当な報酬だってぇの!」
「報酬だァ? サボり魔の癖に偉そうな事を抜かしやがるッ」
互いの胸倉を掴み合い、殴り合いになりそうな雲行きに桂が立ち上がった。
「貴様ら、いい加減にしろッ!」
だが二人は手を離す事無く、攻撃的な視線を向ける。
「「煩せぇ!!」」
「ほれ、喧嘩は外でやりや」
坂本が高杉と銀時の首根っこを掴み持ち上げて、廊下へと放り出した。
後ろ手に襖を閉めると、桂に向き合う。
「で、どがぁする?」
「うむ、罠かも知れんが……町外れの寺院だからこそ、人目を忍べて怪しまれぬという考えも分かる」
「じゃー、行くか?」
まだ迷いのある桂の瞳に、決断を促すよう視線を合わせる。
その蒼い瞳は、付いて行くつもりだとの気持ちを知らせた。
「何にしても、軍資金は欲しい」
「おん、罠とは限らんき。人の善意を信じる方が、気持ちがえいやか」
坂本の笑顔に、桂もつられる。いつの間にか、信じる気になっていた。
行くと決めたからには、行動は早い。
部下に承知の返事を持たせ、坂本と桂は連れだって指定された寺院に向う事にした。
高杉と銀時にも声を掛けたが、鬼兵隊の鍛練や面倒臭いという理由で二人とも共には来なかった。
「悪餓鬼二人がおらんと、おんしも淋しいじゃろ?」
町外れの寺院に向かう途中、月光に照らされた夜道を歩きながら坂本が尋ねる。
「いいや。あいつらが揃って付いて来ても、喧嘩されては堪らんしな」
足下に向けていた視線を上げ、坂本を仰ぎ見て答えた。否定はしているが、答える笑顔は少し淋し気に見える。
「ほうか、淋しいか」
「おい、俺は淋しくないと言っているのだぞ! 何をどう聞けば、そーなる?」
歩みを止め、ムッとした表情を見せた。時折、桂は子供のようにムキになる。
普段、周りに見せている大人びた冷静な顔とは全く違う、坂本にだけ見せる一面だった。
本人はそれを自覚しているのか、いないのか?
坂本には分からないが、そうした顔を見せて貰えるのが気を許してくれているようで嬉かった。
「わしゃ、おんしと二人だけの時間を持てるがは、楽しいし嬉しいぜよ」
「な、なにを? おかしな事を……」
「ほれ、急がんと!」
困惑する桂の肩を押して、話の流れを切る。これ以上の好意の言葉を告げれば、強く拒絶されそうで怖かった。
軽口に紛らせて何度か好意の言葉を上げたが、いつも困惑顔をされるかふざけていると判断され、まともに気持ちが伝わった事は無い。
珍しく二人きりで夜道を歩く機会に恵まれたものの、やはり気持ちを告白するには時期尚早のようだ。
桂も切られた会話を続けるつもりは無いのだろう、坂本に促されるまま再び夜道を歩きだす。
真っ直ぐ前を見詰めて、坂本の方を見ることは無かった。
少し頑なに見える様子に気分を害したのだろうかと心配したが、肩に置いた手を振り払われはしないのに安堵の息を漏らす。
間近で聞こえた密かな吐息に、桂も心揺らした。
坂本の言葉一つに、動揺してしまう。
優しくおおらかな坂本の言動は、皆に等しく向けられているのだ。
なのに、自分だけが特別だと思ってしまいそうになる。本気にしてはいけないと身構えていなければ、思わず特別な意味での好意だと勘違いしてしまいそうな気がした。いや、そう願っているからこそ、そう聞こえるのかも知れない。
同じ男同士で、そんな意味合いの筈は無いのに。
互いが互いを密かに想っているなどとは気付かず、月明かりの下を黙々と歩く。
やがて町外れの道標の前も通り過ぎ、目指す寺院が見えてきた。
伝え聞いた情報によると、寺院の中は人払いされていて、中で待って居るのは名を伏せた支援者と供廻りの数名のみとの事。
二人は足を早め、辺りを窺ってから寺院の三門をくぐった。そこに立っていたのは奉公人らしい出で立ちの男。
一度頭を下げて合言葉を交わすと、それっきり押し黙りついて来いという様子で行く先を指差した。
壁沿いの回廊を経て、本堂ではなく別堂の方へと案内される。
「うん? せんばんと、変わった造りじゃのおし」
坂本が口にした問いに、桂も頷いた。
扉が二重になっており、入ると長い緩やかな螺旋状の階段が続いている。
突き当たりは襖ではなく、またしても観音開きの扉になっていた。
その扉を抜けると短い廊下があり、やっと家屋らしい襖と畳の部屋に行き着く。
小さな床の間には、掛け軸も美術品も飾られてはいない。
奥に窓があるが、障子の向こう側から月光も射し込んで来ないのは雨戸を閉めているからだろうか、それとも真夜中に吹く風に運ばれた雲が月を隠してしまったのかも知れない。
何よりも、簡素な部屋の様子よりそこが無人な方が気になった。
坂本と桂は嫌な予感に、視線を交わす。
二人の不審を嗅ぎ取ったのか、案内した男が頭を下げて口を開いた。
「申し訳ございません。主人は緊張から厠へ行かれたようです。すぐに呼んで参りますので、暫くお待ち下さい」
「……緊張だと?」
「ほりゃ、うちにゃ怖い鬼が二匹もおるから無理もないぜよ」
あはははっと笑って桂に話してから、男の方に声を掛ける。
「今夜は、鬼はおらんから安心しておおせと伝えてくれえ」
だが、男は安堵した様子も無く慌てて部屋を出て行ってしまった。
「ありゃ? 怖い鬼はおらんと、ゆうちょるがやき?」
「デカい図体に、デカい声が怖いのだろう。そんな事よりも、」
「なんじゃと?! わしばあ、怖さと縁遠い男はおらんじゃろうに。つか、ほがな事ってのは酷いぜ……よっ」
坂本の抗議の声も、尻すぼみに終わる。桂の険しい視線の行方を追って、坂本の視線も動いた。
「今、何か音が聞こえなかったか?」
「音?」
「もしやッッッ!」
襖に向けられていた視線は、その先を見通すように更に鋭くなり桂を突き動かす。
「おい、ヅラ?」
「ヅラじゃない、桂だ!」
言い捨てながら襖を開き、廊下へとかけ出る。坂本も、その後ろに続いた。
二人の正面には、先ほど通ってきた観音開きの扉が立ちはだかっている。
「ここを、閉めた音だったのか?」
「どれ……」
桂の横をすり抜け、坂本が扉を押す。
「びくともせんよ。みょうに、閂を掛けられたようじゃな」
扉から手を離して身体ごと向きを変え、桂を見下ろした。
「どがぁする? ブチ破るかぇ?」
「いや、無闇矢鱈と寺院を荒らすのは好かぬ。少し様子を見よう」
くるりと踵を返し、刀の束に手を掛ける。
「いざという時は、これを取り上げなかった事を後悔させてやるまでだ」
「おー、勇ましいぜよ! いざっちゅう時は、」
桂の背中を追い駆けながら、心の中で(わしが、おんしを護る)と付け足した。
しかし、そんな心の声は届かない。
「茶化すな、馬鹿者っ!」
ただ一蹴されて、終わった。
押し寄せる波にも似た勢いで、四方の壁も火に焼かれていった。
立ち込める煙は渦を巻き、出口を探して暴れている大蛇のように見える。
ここは、一刻も待たずして焼け落ちるだろう。
それは自然発火や不始末の火では無い、人為的に狙ったものだった。
「ちゃ、ちゃ、ちゃ。こりゃ、全く逃げ場が無いのぉ」
「だから、早く扉を壊そうと言っただろうッッッ!」
唯一の出入口前で、火の海を眺めながら呑気な声を出す坂本に、桂は怒鳴った。
「あの時に壊していれば、もう少し火の手はマシだった筈だ!」
「うん。じゃが、あの時じゃー扉は破れんかったぜよ」
この状況下で、不思議なぐらい余裕を持ってやんわりと言い返す。
その態度に、頭に上りかけた血が下がった。
***
元々は、部下が持ってきた情報だった。
攘夷軍に支援をしたいが幕府の目があるので、それを避けるため夜中に町外れの寺院まで来て欲しいと。
怪しみ渋っていたが、軍の懐は火の車で貰えるものなら何でも欲しいのが実情。
だがすぐに飛び付く愚は避けて、坂本達との軍議にかけた。
「幕軍の罠ではないだろうか?」
「罠かも知れんけんど、貰えるもんは貰っちょいたらえい」
「行くだけ行って、怪しけりゃその場で斬ればいいだろーがァ」
「世の中、そー甘くねぇって。罠だよ、罠。行くだけ、無駄だって」
銀時だけが、行く事すら反対する。
「てめぇらボンボンは、考えが甘ぇよな。何でもかんでも、父ちゃんに買って貰ってた思い出が染みついてんじゃねーの?」
「テメェの息ほど、甘かねぇェよ! 先生にさんざ強請ってたのはどこのどいつだァ?」
「んだとっ! アレは俺の正当な報酬だってぇの!」
「報酬だァ? サボり魔の癖に偉そうな事を抜かしやがるッ」
互いの胸倉を掴み合い、殴り合いになりそうな雲行きに桂が立ち上がった。
「貴様ら、いい加減にしろッ!」
だが二人は手を離す事無く、攻撃的な視線を向ける。
「「煩せぇ!!」」
「ほれ、喧嘩は外でやりや」
坂本が高杉と銀時の首根っこを掴み持ち上げて、廊下へと放り出した。
後ろ手に襖を閉めると、桂に向き合う。
「で、どがぁする?」
「うむ、罠かも知れんが……町外れの寺院だからこそ、人目を忍べて怪しまれぬという考えも分かる」
「じゃー、行くか?」
まだ迷いのある桂の瞳に、決断を促すよう視線を合わせる。
その蒼い瞳は、付いて行くつもりだとの気持ちを知らせた。
「何にしても、軍資金は欲しい」
「おん、罠とは限らんき。人の善意を信じる方が、気持ちがえいやか」
坂本の笑顔に、桂もつられる。いつの間にか、信じる気になっていた。
行くと決めたからには、行動は早い。
部下に承知の返事を持たせ、坂本と桂は連れだって指定された寺院に向う事にした。
高杉と銀時にも声を掛けたが、鬼兵隊の鍛練や面倒臭いという理由で二人とも共には来なかった。
「悪餓鬼二人がおらんと、おんしも淋しいじゃろ?」
町外れの寺院に向かう途中、月光に照らされた夜道を歩きながら坂本が尋ねる。
「いいや。あいつらが揃って付いて来ても、喧嘩されては堪らんしな」
足下に向けていた視線を上げ、坂本を仰ぎ見て答えた。否定はしているが、答える笑顔は少し淋し気に見える。
「ほうか、淋しいか」
「おい、俺は淋しくないと言っているのだぞ! 何をどう聞けば、そーなる?」
歩みを止め、ムッとした表情を見せた。時折、桂は子供のようにムキになる。
普段、周りに見せている大人びた冷静な顔とは全く違う、坂本にだけ見せる一面だった。
本人はそれを自覚しているのか、いないのか?
坂本には分からないが、そうした顔を見せて貰えるのが気を許してくれているようで嬉かった。
「わしゃ、おんしと二人だけの時間を持てるがは、楽しいし嬉しいぜよ」
「な、なにを? おかしな事を……」
「ほれ、急がんと!」
困惑する桂の肩を押して、話の流れを切る。これ以上の好意の言葉を告げれば、強く拒絶されそうで怖かった。
軽口に紛らせて何度か好意の言葉を上げたが、いつも困惑顔をされるかふざけていると判断され、まともに気持ちが伝わった事は無い。
珍しく二人きりで夜道を歩く機会に恵まれたものの、やはり気持ちを告白するには時期尚早のようだ。
桂も切られた会話を続けるつもりは無いのだろう、坂本に促されるまま再び夜道を歩きだす。
真っ直ぐ前を見詰めて、坂本の方を見ることは無かった。
少し頑なに見える様子に気分を害したのだろうかと心配したが、肩に置いた手を振り払われはしないのに安堵の息を漏らす。
間近で聞こえた密かな吐息に、桂も心揺らした。
坂本の言葉一つに、動揺してしまう。
優しくおおらかな坂本の言動は、皆に等しく向けられているのだ。
なのに、自分だけが特別だと思ってしまいそうになる。本気にしてはいけないと身構えていなければ、思わず特別な意味での好意だと勘違いしてしまいそうな気がした。いや、そう願っているからこそ、そう聞こえるのかも知れない。
同じ男同士で、そんな意味合いの筈は無いのに。
互いが互いを密かに想っているなどとは気付かず、月明かりの下を黙々と歩く。
やがて町外れの道標の前も通り過ぎ、目指す寺院が見えてきた。
伝え聞いた情報によると、寺院の中は人払いされていて、中で待って居るのは名を伏せた支援者と供廻りの数名のみとの事。
二人は足を早め、辺りを窺ってから寺院の三門をくぐった。そこに立っていたのは奉公人らしい出で立ちの男。
一度頭を下げて合言葉を交わすと、それっきり押し黙りついて来いという様子で行く先を指差した。
壁沿いの回廊を経て、本堂ではなく別堂の方へと案内される。
「うん? せんばんと、変わった造りじゃのおし」
坂本が口にした問いに、桂も頷いた。
扉が二重になっており、入ると長い緩やかな螺旋状の階段が続いている。
突き当たりは襖ではなく、またしても観音開きの扉になっていた。
その扉を抜けると短い廊下があり、やっと家屋らしい襖と畳の部屋に行き着く。
小さな床の間には、掛け軸も美術品も飾られてはいない。
奥に窓があるが、障子の向こう側から月光も射し込んで来ないのは雨戸を閉めているからだろうか、それとも真夜中に吹く風に運ばれた雲が月を隠してしまったのかも知れない。
何よりも、簡素な部屋の様子よりそこが無人な方が気になった。
坂本と桂は嫌な予感に、視線を交わす。
二人の不審を嗅ぎ取ったのか、案内した男が頭を下げて口を開いた。
「申し訳ございません。主人は緊張から厠へ行かれたようです。すぐに呼んで参りますので、暫くお待ち下さい」
「……緊張だと?」
「ほりゃ、うちにゃ怖い鬼が二匹もおるから無理もないぜよ」
あはははっと笑って桂に話してから、男の方に声を掛ける。
「今夜は、鬼はおらんから安心しておおせと伝えてくれえ」
だが、男は安堵した様子も無く慌てて部屋を出て行ってしまった。
「ありゃ? 怖い鬼はおらんと、ゆうちょるがやき?」
「デカい図体に、デカい声が怖いのだろう。そんな事よりも、」
「なんじゃと?! わしばあ、怖さと縁遠い男はおらんじゃろうに。つか、ほがな事ってのは酷いぜ……よっ」
坂本の抗議の声も、尻すぼみに終わる。桂の険しい視線の行方を追って、坂本の視線も動いた。
「今、何か音が聞こえなかったか?」
「音?」
「もしやッッッ!」
襖に向けられていた視線は、その先を見通すように更に鋭くなり桂を突き動かす。
「おい、ヅラ?」
「ヅラじゃない、桂だ!」
言い捨てながら襖を開き、廊下へとかけ出る。坂本も、その後ろに続いた。
二人の正面には、先ほど通ってきた観音開きの扉が立ちはだかっている。
「ここを、閉めた音だったのか?」
「どれ……」
桂の横をすり抜け、坂本が扉を押す。
「びくともせんよ。みょうに、閂を掛けられたようじゃな」
扉から手を離して身体ごと向きを変え、桂を見下ろした。
「どがぁする? ブチ破るかぇ?」
「いや、無闇矢鱈と寺院を荒らすのは好かぬ。少し様子を見よう」
くるりと踵を返し、刀の束に手を掛ける。
「いざという時は、これを取り上げなかった事を後悔させてやるまでだ」
「おー、勇ましいぜよ! いざっちゅう時は、」
桂の背中を追い駆けながら、心の中で(わしが、おんしを護る)と付け足した。
しかし、そんな心の声は届かない。
「茶化すな、馬鹿者っ!」
ただ一蹴されて、終わった。
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