Memories (未来捏造)


坂本と桂の目は、艦橋のスクリーンに奪われた。
通常は正面と上下左右と分割されているのだが、今は全てのスクリーンを1枚の窓の様に仕立て、星の海に浮かぶ青い宝石・地球を遠く映し出している。
その輝きを引き立たせる為に、艦橋内の照明も引き絞られ、淡い光を浮かび上がらせるのはたくさんの計器類の漏らす反射光だけだった。
それも快臨丸の乗組員達が背中に隠すようにして立ち上がっている為に、ごく僅かにしか見えない。
出入り口側から見渡すと、まるで宇宙空間に立っている様な錯覚に囚われそうになる。
宇宙船の中に居るのは頭で理解していたが、圧倒的な星の大海を前にして心持ちを呑まれた桂は無意識の内に指先で坂本の手を掴む。
坂本はその心境に気付き、掴んできた手を柔らかく握り返して周囲には聞こえぬ小声で「なんちゃーないぜよ」と囁いた。
安心感から桂の指先の力が抜ける。そしてもう一度、今度は堪能するようにスクリーンを見上げた。
桂の瞳にも、坂本と同じく星の海に浮かぶ蒼い惑星の姿を心から楽しむ輝きが宿る。

その様子に陸奥は満足の笑みを浮かべ頷くと、一歩を踏み出した。
「永岡」
正面スクリーンの前に立つ、坂本と同じぐらいの体躯の男を呼び寄せる。
「紹介するぜよ。新艦長の永岡じゃ」
坂本と桂の前に進み出た男は、二人に頭を下げた後「ご無沙汰しております」と笑んだ。
それは、坂本の懐刀として海援隊創設の頃から暗躍して来た男。
二人の良く知る人物だった。
「おんしか!!」
坂本は満面の笑みを浮かべ、永岡の手を握る。桂も、その姿に微笑んだ。
陸奥でなければ、この男と決めていた後継者。そう言わずとも、陸奥には通じていたらしい。
さすが剃刀副官だと、坂本は内心嬉しくて仕方ない。
纏う雰囲気で坂本がご機嫌になったのが分かった桂も、ほっと胸を撫で下ろした。
海援隊の事には口出し無用と軽口で艦長解任について軽く流したものの、やはり坂本の後を継ぐのがどんな人物なのかとの関心は深い。
それが、坂本の信頼も厚く己も良く知る人物と分かり安心した。
場の雰囲気は和やかになり、祝いの言葉や礼の言葉から軽口のやり取りへと変わる。
それでもまだ艦橋内は暗いままで、二人は中央部へと導かれた。
「はやめっそう、電気を付けたらどうじゃ?」
「俺も、十分星の海を堪能させて貰った。これ以上、航行の邪魔をしては申し訳ない」
その言葉に、陸奥と永岡は目配せし合う。
「それもそうじゃ、さっさと済ませるぜよ」
「むしろ、遅すぎたぐらいですから」
何があるのだろうかと首を傾げる坂本と桂を取り囲むように、快援隊の隊士たちが集まってきた。
それでも、まだ照明は点灯されない。
隊士の一人が進み出て、永岡の肩に黒い礼装用のマントを着せ掛ける。

「なんだ? 艦長の引き継ぎ式か?」
「いや、ほがなもん知らんぜよ?」
額を合わせ、小声でヒソヒソと囁き合う坂本と桂。その背中を、陸奥が押す。
「ほら、グズグズしちょらき前へ出んか!」
左右で力加減を変えたのか、桂は数歩前に出ただけで済んだが、坂本の方は前へ倒れ込むぐらいの勢いだった。
桂が支えようとして手を前に出したが、間に合わず空振りする。
それでも坂本は踏みとどまった、いや正確に言うならば咄嗟に永岡の腕を掴み転倒を免れたのだった。
「転んで、台無しにしないでくださいよ」
「うん?」
永岡の手に助けられて、体勢を立て直す。
それは引き継ぎ式の事だろうかと視線を合わせた所で、含み笑いをされた。
上司と部下では無く、まだ若かった頃に共にしていた悪巧みの表情を見せられる。
「俺が艦長を引き受けたのは、最初にこの役目をさせて貰えるからだって事、覚えといてください」
「役目じゃと?」
全く何のことか分からず目を白黒させている内に、引っ張られて桂の隣に並ばされた。
周りの輪は、一段と狭まる。
桂も何が行われるのか分からず、ソワソワとして坂本の方を見た。
だが、坂本とて意味が解らず桂を安心させてやることが出来ない。
それでも不安にだけはさせないよう、二人の立つ隙間を詰めた。
永岡が、桂と坂本の反対側に立つ。ちょうど二人の真ん中に相対する位置。
コホンと咳払いすると、先ほどマントを着せ掛けた隊士が今度は何か本を差し出した。
それは坂本が良く見知っている冊子。快臨丸の航海日誌だった。
あっ、と坂本の口から小さな合点の声が漏れる。
自身も、何度となく隊士達の為にしてきた役目を思い出す。
何一つ不安も無い、いや、それよりも。
「お二人とも手を、こちらに」
永岡の言葉に間違いないと確信した坂本は、大胆に桂の手を握り指を絡めた。
隊士達に囲まれている中での恋人繋ぎに、桂は驚き振り払おうとする。
「小太郎。なんちゃーがやない、何ともないぜよ。ほれ、右手を本の上に置きいや」
「いや、しかし……」
戸惑う桂に、心からの笑顔を向けて説明の言葉を続けた。
「皆はや、解ってくれちょる。こりゃあ神聖で正式な儀式なちや。長い航海をする快援隊の船長にゃ、司祭の役目もあるきに。やき、こりゃあ、わしらぁの結婚式ぜよ」
いきなりの思ってもみない展開に、桂は目を白黒させる。
周囲に自分たちの関係が知れているという事に驚いただけでも一杯一杯なのに、更に結婚式などとは言葉も出ない。
坂本に握られた手を振り解くのは止めたが、依然として右手は上げられなかった。
そんな桂の背中に、陸奥の声が掛かる。
「坂本は、十分おまんを待っとったと思うぜよ。そろそろ、ちゃんとしても良い頃合いがやないか? ほれとも、わしらぁの頭に不足でもあるか?」
「そ、それはっ……」
攘夷を成すまでは、日本の夜明けを見るまではと、ここまで懸命に走ってきた人生だった。
必死だった、心折れそうになった事とて何度もある。それでも、ここまでやって来られたのは坂本辰馬という心の支えがいたからだ。不足など無い、むしろ己の方が坂本にとって不足では無いのだろうかとの不安が過る。それゆえに、言葉が途切れた。
「こ、小太郎さん? え? わしじゃ……」
坂本の不安気な声音に慌てて否定の言葉を続けようとしたが、先に陸奥が口を開く。
「ほりゃあ坂本は馬鹿で不真面目で、女好きやしキャバクラ通いも酷いし、馬鹿だし髪の毛は爆発しちょるし、すぐフラフラとどっかに行ってしまう糸の切れた凧の様な馬鹿ぜよ。その上、性病持ちじゃし、大酒飲みで加齢臭も酷い馬鹿じゃし、あれ? 良い所が一つも無いぜよ? やはり、この結婚式は止めるか?」
畳みかけるように、怒涛の不足要素をぶちまける。
「このクソ女! 馬鹿が多すぎぜよ! つか、性病なんぞ持っちょらん! ほがな事、小太郎が一番よお知っちゅうぜよ! のぉ、こた、痛っ!!」
「黙れ、馬鹿者ッッッ!」
永岡の手から奪い取った航海日誌の角で、思い切り坂本の頭を殴りつけて黙らせた後、上気してはいるが素知らぬ顔で日誌を返した。
「で、止めますか? 続けますか?」
日誌を受け取った永岡も涼しい顔で、質問する。
「こんな馬鹿者は、俺が生涯世話するしかあるまい」
坂本を見てから、陸奥に視線を移し、最後に永岡に戻すと右手を日誌の上へと置いた。
「こたろうぅ、まっことか?」
痛みに蹲り頭を抱えていた坂本が、情けない声を発する。
「ほれ、さっさと立たんか!」
陸奥が坂本の尻を蹴って、立ち上がるよう促した。
いつもの艦長と副官の様子に、隊士の間から忍び笑いが漏れる。
それも坂本が立ち上がり、桂と共にならんで日誌に左手を置くと静まった。

永岡が、坂本と桂の名を呼ぶ。二人は、顔を上げ永岡の方を見た。

「汝らは、健やかなる時も病める時も、喜びや悲しみの時も、富める時も貧しき時も、互いを愛し、敬い、慰め合い、助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

二人は同時に頷き、一度互いの瞳の中に映る自身の姿を確認してから、再び永岡に向き合う。
「誓うぜよ」
「誓おう」
厳かに、ハッキリと誓いを言葉にする。
坂本としては誓いの口づけも交わしたかったが、皆の前で手を握っただけで狼狽えた桂の行動を思い我慢した。
誓いの儀式を中断したくは無い。船室に戻れば、いくらでも想いを交わせるのだからと。

「よろしい。本日、この時より二人の縁は永遠に結ばれた。快援隊諸君、祝福の大きな拍手を!」

宣誓の終わりを告げられて、誓いの言葉の間静まっていた場が、一斉に大きな拍手と数々の祝いの言葉に埋め尽くされた。
艦橋に灯りが付けられ、クラッカーの音が響き、坂本と桂は担ぎ上げられ何度も空中に放り上げられる。
その大騒ぎは、陸奥の怒鳴り声が響き渡るまで止む事は無かった。

***

「あの時は大騒ぎで、誰も写真など取る暇もなかっただろうに?」
パラパラと、ページを捲りながら小太郎が不思議そうに首を傾げた。
辰馬は、先ほどまで読んでいた手紙を広げて見せる。
「あン時は、急遽決めた事やきとカメラもビデオも用意なかった訳じゃ無うて、おんしが文○を警戒してたから撮影自体を自粛してたにかぁーらん」
「なんだとっ!」
驚き、手紙を引っ手繰って文面に目を通す。確かに、辰馬が言った通りの事が書かれていた。
「申し訳なかったな……そんなに、気遣われていたとは思ってもみなかった」
抱いていた肩が、しゅんと落ちる。辰馬は、沈んだ気持ちごと引き立たせようと両手で小太郎を抱きしめた。
「はや、過ぎた事じゃき。ほがな事より、今年の夏は久しぶりにエリーが帰って来るじゃろう? わしらの結婚式に出席できなかったがを残念がっとったことやし、この本を見せてやれば喜ぶぜよ」
二人がここで暮らし始めてすぐ、自分も生涯の伴侶を探すと宇宙へ旅立ってしまった懐かしい家族の帰国の話題を振る。
二人にとっては、息子も同然だった存在。その姿を思い浮かべるだけで、小太郎に笑顔が戻って来る。
「うむ、そうだな。写真一つ無い事に、随分落胆しておったからな。しかし、この写真を見て……」
小太郎が、声を出して笑う。
「うん、防犯カメラから発見して編集したと聞いたら、たまげるじゃろうな」
明るい笑顔が嬉しくて、辰馬も同じようにあはははっと声を出した。
だが、小太郎は左右に首を振る。じっと辰馬を見上げて、また可笑しそうに笑うのだ。
「いや、違う、違う。エリザベスは、がっかりするかも知れんのだ」
がっかりするのに、可笑しそうに笑うとはどう言う事だろうかと、今度は辰馬の方が盛大に首を傾げた。
「それはな」
辰馬の腕から抜け出て、内緒話をするように両手で口元を囲い耳元に囁く。
「あいつは、俺がウエディング・ドレスを着たと思い込んでいるのだ。五十も過ぎたおっさんが、そんな物着る訳あるまいと言っても信じなくてな」
これで疑いが晴れると、伸びをした小太郎を見上げて辰馬が懐の携帯電話を取り出した。
「もしもし、わしじゃが」
「おい? どこに、電話を?」
「大至急、ウエディング・ドレスを注文したいぜよ! いくらかかっても、構わんきに、最上級のシルクで頼む! サイズは、上から」
真剣な表情で、小太郎の胸元から腰をじっと見詰める。
視線がメジャーのように絡みつくのを感じて、小太郎は辰馬を写真集で殴りつけた。
その勢いで、辰馬の手から携帯電話が落ちる。
小太郎は素早くそれを拾い上げ「間違い電話だ、すまぬ」と伝えると電源ごと切った。
「辰馬、貴様はっ」
「あー、小太郎さん。ほんのてんごうやき、怒っちゃいややか」
「許さん! 説教フルコースだっ」

柔らかな日差しの午後。
太平洋を渡って桂浜から吹いてくる風が、縁側で響くごめんなさいの声を運んで行った。




2018.6吉日



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