挨拶は最初が肝心(大学生パロ)
俺の名前は、桂小太郎。
先月26日で、20歳になったばかりの大学生。
生まれは山口県の萩市だが、攘夷大学に進学したのでここ東京に住んでいる。東京での一人暮らしは、ナウでヤングなシチィーボーイ風だと思われるかも知れない。いや、俺自身そう思っていた。
憧れ一杯で上京したが、一人暮らしは夢見た甘いものでは無くて……
入学してから学業と生活の為のバイトで手一杯だった1年が終わり、気が付けば同じ大学の坂本辰馬という男とルームシェアしていた。
まあ、色々あって坂本とは友達以上の、そのなんだ……いわゆる、れ、レンアイ関係にある。
つまり別の意味では甘い生活と、言えなくもない。甘いというか、甘酸っぱいというべきか?
俺達は爛れた関係ではなくて、多少じれったさのあるプラトニックと、いや厳密に言うと手を握ったり抱き締めあったりはした。
けれどキスは額だけで、唇はまだ触れ合わせていない。
そんな行為は、俺達にはまだ早いと思う。いや、きっと互いにそう思っているに違いない。
正直なところ男同士で好きだの何だのと、そういうのは別世界の事と想像もしていなかった。
だから俺にも坂本にも戸惑いがあって、恋人同士の深い触れ合いにブレーキがかかっているような気がする。
いや、本当は怖いのかも知れない。
何がって、まぁ、その……この先の色々が。
そう、たとえば今の状態もそうだ。
「小太郎、どがぁした? バス停は、あっこの出口じゃろう?」
「ちょっと待て! 最後の確認をする」
「最後って……ほれ言うの、はや5回目じゃぞ?」
家を出る時と、東京駅と新幹線の中、新山口を過ぎてからと、指折り数え挙げられる。
憎ったらしいぐらい、余裕の表情なのが腹立たしい。
「煩い! 今度こそ、これが最後だ!」
俺の気も、知らないで。いや、知っているくせに!
焦る気持ちを静めて、本日5回目の質問を繰り返した。
「本当の本当に、付いて来るんだな?」
夏季休暇を利用しての里帰りに、坂本が付いて来ると言い出したのは先生に連絡を入れた後。
ああ、先生というのは俺の育ての親の事だ。名を、吉田松陽という。
俺は早くに両親を亡くし、代わりに育ててくれた祖母も亡くした。
天涯孤独となった小学生の俺を引き取り、大学進学の世話までしてくださった大事な恩人。
その人に、坂本が挨拶したいと言い出したのだ。恋人として! 恋人としてだ!(大事な事なので、2回言った)
坂本との交際を、後悔してはいない。が、それを公言できる程の覚悟がまだなかった。
ましてや、先生に男の恋人が出来たなどと伝えるなんて……
時期尚早だと、諫めてみたが坂本は譲らなかった。
俺も先生に帰ると連絡したのだから、それを取り止める気は無い。
挨拶させない、する、の平行線のまま、無駄と知りつつ返事を待った。
「まっことの、まっことぜよ。同棲までしちょるがやき、挨拶の一つもせんのは不誠実じゃろう」
曇りの無い真っ直ぐな瞳で、そう言い切られるたび胸が苦しくなる。
不安と戸惑いと、真剣に想ってくれているのだと実感する甘い喜びに。
「分かった、ココまで来れば仕方ない。俺も、覚悟を決めよう」
口では覚悟を決めたと言ったが、気持ちはまだ揺れている。
「バス停は、あちらだ」
何とか気持ちを落ち着けようと構内を通り抜けず、遠回りになる反対側の道路に面したロータリーへと出たが、それが返って不味い結果を呼んでしまった。
「小太郎!」
ロータリーに停車している車窓から、聞き覚えのある声が俺の名前を呼ぶ。
「……お、朧兄さん?! どうして、ここに?」
「先生に頼まれて、迎えに来たんだが……」
ちらっと、坂本の方へ視線を投げてきた。その目は、無言で誰だと問うている。
「あ、コイツは、俺の友達で坂本辰馬っていいます」
「あぁ、ヅラ兄さんの同棲相手の」
ひょっこり、助手席から顔を出して、問題発言(いや、合っているのだが)をかまして来たのは、先生の引き取っている里子の中で一番年下の女の子、信女だった。
松陽先生に引き取られたのは、俺だけでは無い。
一番上が朧兄さん、それから俺、1学年下に高杉晋助と坂田銀時がいて、末っ子で唯一の女の子が信女だ。
俺達は、疑似家族のように暮らしている。その中で、今は俺だけが東京で暮らしていた。
「ヅラじゃない、桂だ! つか、ルームシェアだっ!」
否定するも、勝手に頬に血が上る。
そんな俺とは対照的に、信女はまだ中学生なのに大人の女のような落ち着いた眼差しで坂本を見た後「ふぅん」とだけ頷いて、黙ってしまった。
「初めまして、わしは坂本辰馬といおる。朧さんに、信女ちゃんじゃのおし。小太郎から、お噂は聞いておるがやき仲良くしてくれると嬉しいぜよ」
坂本は俺のドキドキなど意に介さず、愛想良く二人に挨拶して早々に後部座席に乗り込んでしまう。
賽は投げられた! そんな気分で、俺も乗り込む。
後はもう、坂本の気が変わるのを天に祈るしかない。きっと、変えたりはしないだろうと思いはしたが。
こいつも俺も、こうと決めたら頑固なのだ。結局、ここは俺が折れるしかないだろう。
もっとも、普段は坂本の方が譲ってくれる事の方が多い。これでも、甘やかされている自覚はある。
先生を驚かせる事になるのは申し訳ないが、もう坂本を追い返すのは諦めた。
車は、実家に向かって走りだす。
駅前大通りを抜けて、小さな商店街から住宅地、そして町の風景が途切れると、道路と田畑と山並みが視界を埋める。
俺にとっては懐かしい風景だが、坂本にとっては初めて眺める風景。青みがかった瞳を輝かせ、楽しそうに流れゆく車窓の景色を楽しんでいた。
格好つけからか何のこだわりか知らないが、いつもは黒いサングラスをしていてこんな風に外で瞳の表情をのぞかせない坂本の姿にちょっとときめいて擦り寄りそうになったが、ルームミラー越しに信女の視線を感じて何とか堪える。
千々に乱れる心を抱えていようと、車は真っ直ぐ走り実家へと到着した。
懐かしい木の門と、その裏の立派な桜の木々の青い葉を見ると、心が落ち着きを取り戻す。
朧兄さんは裏の駐車場に車を回しに行き、信女は先に玄関から松陽先生を呼んでいた。
「坂本、ここが俺の育った家だ」
「おん、先生の家じゃな。あと、銀時と晋助っていう、弟君達もおるんやお?」
「残念ながら、二人ともバイトに出ていて夜まで帰ってきません」
話ながら玄関に入った所で奥から先生が現れて、俺達を出迎えてくれる。
ようこそと言う優しい笑顔に、坂本も笑顔で挨拶を返す。なんだか、和やかな雰囲気に俺も嬉しくなった。
先生の、この笑顔を曇らせたくない。やはり、坂本が何も言わないでくれればいいのにと思った。
それと同時に、少しホッとする。銀時と晋助がいないだけでも、助かった。
二人がいれば、きっと色々口出しされるに違いない。
なんとか二人には言わないよう説得できないだろうかと坂本を仰ぎ見るも、坂本も先生もスタスタと先に客間へ行ってしまう。
俺は、慌てて追いかけるしかなかった。
「小太郎、紹介して頂けますか?」
朧兄さんが淹れたお茶を一口味わってから、おもむろに先生が口を開く。
つか、朧兄さんもちゃっかり先生の隣に並んで座っている。
座敷机を挟んで、先生と朧兄さんの向かい側に俺と坂本は座った。
さっきまでニコニコ笑っていた坂本の表情もいつの間にか硬くなり、和室内の空気が緊張を孕んでいる。
とても、友達を紹介しますなんて雰囲気では無い。これは、あのテレビドラマなどで良く見るアレ的な雰囲気だ。
娘が初めて出来た彼氏を、父親に紹介する的な。
笑顔ながらも、心に般若を隠している父親の威圧感を先生から感じた。隣に座る朧兄さんは、さながら母親的役割だろうか?
なんて馬鹿な事を考えて笑いそうになったが、笑いごとでは無かった。
そうだ。坂本はその彼氏的な事を、これから先生に言うつもりなのだ。
俺は、いったいどんな顔をしていればよいのだろう?
先生は昔から勘の良い方だったが、まさか男の俺が彼氏を連れて帰って来るなどと思ってはいない筈……
でも、もしかしたら? 信女も、同棲なんて馬鹿な事を口走っていたし。
(いや、本当の事なのだが)
何故だ? 重い! 空気が重いっ!
「小太郎、どうしました? 凄い汗ですよ、熱でもあるのですか」
「あ、いえ。何でもありません」
俺はハンカチで汗を拭い、その陰でそっと呼吸を整えた。
「先生、ご紹介します。こちらが、前に電話でお話ししたルームシェアしている友達・坂本辰馬君です」
頼む、空気を読んでくれ! 今日の先生は様子がおかしい!
そんな気持ちを込めて、友達という言葉の発音を強調した。
だが、坂本の表情から硬さは取れない。
「ほぅ。お友達の坂本辰馬君ですか」
気のせいだろうか? 先生の声が少し低まって聞こえた。朧兄さんもチラチラと、先生の方を見ている。
「はい、坂本とは大学の」
「おはつやかっ!!」
坂本が、耳を塞ぎたくなるほどの大声で俺の話を遮ってきた。
「じゃのーて、はじめまして。坂本辰馬と、申します」
どうやら緊張のあまり大声が出た様子だったが、その次は珍しい標準語!
東京に出て来て一年半以上経つのに抜けなかった方言を、ここにきてかなぐり捨てる気かと俺は言葉も忘れて坂本が話すのを見守ってしまった。
そう、ここは殴ってでも止めるべきだったのに。いや、後から思えば、見守っていてよかったのかも知れないが。
坂本は座布団から下りて、座敷机との間に距離を作るといきなり先生に向かって手を付いた。
「松陽先生! わしに、小太郎君を下さい! 一生、大切にします!」
「嫌です」
一瞬の攻防!!
俺も朧兄さんも言葉を失い絶句する中で、先生だけが笑顔のまま即答した。
つか、交際宣言じゃなかったのかァァァ!? なんで、いきなり結婚申し込みになってるんだ?!
俺がパニックで、声も出せないでいる間も坂本は先生に詰め寄る。
「わしは、真剣ぜよ。小太郎君を想う気持ちは、誰にも負けやーせん! 精神的にも、経済的にも、肉体的にも、小太郎を幸せにする自信がげに!」
「止めんか!! 馬鹿者がっっっ!」
デカい声は、それだけ必死の現れだろう。それだけ想われて、俺は嬉しい……
なんて、気にはなれなかった。思わず坂本を怒鳴りつけ、頭を殴る。
「肉体的って、肉体って! 俺達はまだ、まともにキスさえしていないのだぞ! それを、先生の前で何と破廉恥なっ!」
「ほりゃあ、おんしが初心やき! わしとしちゃ、精一杯我慢してゆっくり進めてるんぜよ!」
「なんだとっ! 俺のせいで、キスも出来ないと言うのか?!」
「おう! 手を握ったばあで真っ赤になっとったやか! それ以上の事をしたら、ぶっ倒れそうで怖いき我慢してるがやきに」
「な、な、なっ、なにをっ!」
「待て! 待たんか、小太郎!坂本君も、落ち着いて!」
朧兄さんの仲裁に、俺も坂本も我に返った。
……俺達は、なんか、とんでもない言い合いを? これは、俗にいう痴話喧嘩みたいな?
顔が上げられない。先生の顔も、坂本の顔も、見ることが出来なかった。
「落ち着きましたか、二人とも?」
「はい。すみやーせんでした」
先生の静かな声音に、坂本のハッキリとした声が答える。俺も、恐る恐る顔を上げた。
俺達を見詰める先生の目は優しく、少しも厳しい色は無い。
「私は、二人の結婚に反対している訳ではありませんよ」
「じゃーなき?」
「え、ちょっと、まっ」
「ただ、小太郎はあげません。大事な小太郎を、手放す気はありませんからね。小太郎と結婚したいなら、坂本君。君は、婿入りしてください」
「ああ、ほれなら問題ないきに」
「いや、だから、待って下さいって!」
「では、式もこちらで挙げて下さいね。ああ、もちろん大学卒業後で結構ですよ。でも、ちゃんと就職してください」
「ほんなら、就活は山口の方やかるとして。新居は」
「ここに住みなさい。部屋ならいくらでもありますから」
「待って、頼むから、待って下さいィィィ!」
俺の言葉なぞ、耳に入らないかのように先生と坂本の会話は続く。
朧兄さんは呆れたのか、お茶を入れ直してきますと立ち上がり部屋を出て行ってしまった。
先生と坂本の会話が、式の日取りや具体的な部屋割りにまで進む頃には俺も叫び続けるのを止める。
もう、何を言っても無駄だった。
俺と坂本は互いに譲らない程頑固だが、先生は更にその上を行く。
トントン拍子に決まってゆく俺と坂本の未来予想図に、指先でとんとんと座敷机を5回叩く。
も・う・だ・ま・れ! のサインだが、坂本と先生がその音に反応した。
「それ、この間ドラマでやってたヤツじゃろ? ア・イ・シ・テ・ルのサイン」
ニコニコ笑って、俺の指を絡めとる。心底嬉しそうな笑顔に、否定するのも忘れた。
それどころか場所も状況もアレなのに手を握られて、つい赤面してしまう。
「おめでとう小太郎。幸せになりなさい」
そんな俺達の様子を微笑ましそうに見詰めていた先生から、そんな言葉を頂いてしまった。
自然と口元が緩んでしまう。素直に嬉しい。
「はい、先生」
先生に認められ、祝福されて頷いてしまった。
きゅっと強められた手を握る力に、同じく力を込めて握り返す。
俺達の絆が、深まった気がした。
この後、帰ってきた銀時や晋助にからかわれ、立ち聞きしていた信女に色々質問攻めにあうのは、また別のお話。
了
先月26日で、20歳になったばかりの大学生。
生まれは山口県の萩市だが、攘夷大学に進学したのでここ東京に住んでいる。東京での一人暮らしは、ナウでヤングなシチィーボーイ風だと思われるかも知れない。いや、俺自身そう思っていた。
憧れ一杯で上京したが、一人暮らしは夢見た甘いものでは無くて……
入学してから学業と生活の為のバイトで手一杯だった1年が終わり、気が付けば同じ大学の坂本辰馬という男とルームシェアしていた。
まあ、色々あって坂本とは友達以上の、そのなんだ……いわゆる、れ、レンアイ関係にある。
つまり別の意味では甘い生活と、言えなくもない。甘いというか、甘酸っぱいというべきか?
俺達は爛れた関係ではなくて、多少じれったさのあるプラトニックと、いや厳密に言うと手を握ったり抱き締めあったりはした。
けれどキスは額だけで、唇はまだ触れ合わせていない。
そんな行為は、俺達にはまだ早いと思う。いや、きっと互いにそう思っているに違いない。
正直なところ男同士で好きだの何だのと、そういうのは別世界の事と想像もしていなかった。
だから俺にも坂本にも戸惑いがあって、恋人同士の深い触れ合いにブレーキがかかっているような気がする。
いや、本当は怖いのかも知れない。
何がって、まぁ、その……この先の色々が。
そう、たとえば今の状態もそうだ。
「小太郎、どがぁした? バス停は、あっこの出口じゃろう?」
「ちょっと待て! 最後の確認をする」
「最後って……ほれ言うの、はや5回目じゃぞ?」
家を出る時と、東京駅と新幹線の中、新山口を過ぎてからと、指折り数え挙げられる。
憎ったらしいぐらい、余裕の表情なのが腹立たしい。
「煩い! 今度こそ、これが最後だ!」
俺の気も、知らないで。いや、知っているくせに!
焦る気持ちを静めて、本日5回目の質問を繰り返した。
「本当の本当に、付いて来るんだな?」
夏季休暇を利用しての里帰りに、坂本が付いて来ると言い出したのは先生に連絡を入れた後。
ああ、先生というのは俺の育ての親の事だ。名を、吉田松陽という。
俺は早くに両親を亡くし、代わりに育ててくれた祖母も亡くした。
天涯孤独となった小学生の俺を引き取り、大学進学の世話までしてくださった大事な恩人。
その人に、坂本が挨拶したいと言い出したのだ。恋人として! 恋人としてだ!(大事な事なので、2回言った)
坂本との交際を、後悔してはいない。が、それを公言できる程の覚悟がまだなかった。
ましてや、先生に男の恋人が出来たなどと伝えるなんて……
時期尚早だと、諫めてみたが坂本は譲らなかった。
俺も先生に帰ると連絡したのだから、それを取り止める気は無い。
挨拶させない、する、の平行線のまま、無駄と知りつつ返事を待った。
「まっことの、まっことぜよ。同棲までしちょるがやき、挨拶の一つもせんのは不誠実じゃろう」
曇りの無い真っ直ぐな瞳で、そう言い切られるたび胸が苦しくなる。
不安と戸惑いと、真剣に想ってくれているのだと実感する甘い喜びに。
「分かった、ココまで来れば仕方ない。俺も、覚悟を決めよう」
口では覚悟を決めたと言ったが、気持ちはまだ揺れている。
「バス停は、あちらだ」
何とか気持ちを落ち着けようと構内を通り抜けず、遠回りになる反対側の道路に面したロータリーへと出たが、それが返って不味い結果を呼んでしまった。
「小太郎!」
ロータリーに停車している車窓から、聞き覚えのある声が俺の名前を呼ぶ。
「……お、朧兄さん?! どうして、ここに?」
「先生に頼まれて、迎えに来たんだが……」
ちらっと、坂本の方へ視線を投げてきた。その目は、無言で誰だと問うている。
「あ、コイツは、俺の友達で坂本辰馬っていいます」
「あぁ、ヅラ兄さんの同棲相手の」
ひょっこり、助手席から顔を出して、問題発言(いや、合っているのだが)をかまして来たのは、先生の引き取っている里子の中で一番年下の女の子、信女だった。
松陽先生に引き取られたのは、俺だけでは無い。
一番上が朧兄さん、それから俺、1学年下に高杉晋助と坂田銀時がいて、末っ子で唯一の女の子が信女だ。
俺達は、疑似家族のように暮らしている。その中で、今は俺だけが東京で暮らしていた。
「ヅラじゃない、桂だ! つか、ルームシェアだっ!」
否定するも、勝手に頬に血が上る。
そんな俺とは対照的に、信女はまだ中学生なのに大人の女のような落ち着いた眼差しで坂本を見た後「ふぅん」とだけ頷いて、黙ってしまった。
「初めまして、わしは坂本辰馬といおる。朧さんに、信女ちゃんじゃのおし。小太郎から、お噂は聞いておるがやき仲良くしてくれると嬉しいぜよ」
坂本は俺のドキドキなど意に介さず、愛想良く二人に挨拶して早々に後部座席に乗り込んでしまう。
賽は投げられた! そんな気分で、俺も乗り込む。
後はもう、坂本の気が変わるのを天に祈るしかない。きっと、変えたりはしないだろうと思いはしたが。
こいつも俺も、こうと決めたら頑固なのだ。結局、ここは俺が折れるしかないだろう。
もっとも、普段は坂本の方が譲ってくれる事の方が多い。これでも、甘やかされている自覚はある。
先生を驚かせる事になるのは申し訳ないが、もう坂本を追い返すのは諦めた。
車は、実家に向かって走りだす。
駅前大通りを抜けて、小さな商店街から住宅地、そして町の風景が途切れると、道路と田畑と山並みが視界を埋める。
俺にとっては懐かしい風景だが、坂本にとっては初めて眺める風景。青みがかった瞳を輝かせ、楽しそうに流れゆく車窓の景色を楽しんでいた。
格好つけからか何のこだわりか知らないが、いつもは黒いサングラスをしていてこんな風に外で瞳の表情をのぞかせない坂本の姿にちょっとときめいて擦り寄りそうになったが、ルームミラー越しに信女の視線を感じて何とか堪える。
千々に乱れる心を抱えていようと、車は真っ直ぐ走り実家へと到着した。
懐かしい木の門と、その裏の立派な桜の木々の青い葉を見ると、心が落ち着きを取り戻す。
朧兄さんは裏の駐車場に車を回しに行き、信女は先に玄関から松陽先生を呼んでいた。
「坂本、ここが俺の育った家だ」
「おん、先生の家じゃな。あと、銀時と晋助っていう、弟君達もおるんやお?」
「残念ながら、二人ともバイトに出ていて夜まで帰ってきません」
話ながら玄関に入った所で奥から先生が現れて、俺達を出迎えてくれる。
ようこそと言う優しい笑顔に、坂本も笑顔で挨拶を返す。なんだか、和やかな雰囲気に俺も嬉しくなった。
先生の、この笑顔を曇らせたくない。やはり、坂本が何も言わないでくれればいいのにと思った。
それと同時に、少しホッとする。銀時と晋助がいないだけでも、助かった。
二人がいれば、きっと色々口出しされるに違いない。
なんとか二人には言わないよう説得できないだろうかと坂本を仰ぎ見るも、坂本も先生もスタスタと先に客間へ行ってしまう。
俺は、慌てて追いかけるしかなかった。
「小太郎、紹介して頂けますか?」
朧兄さんが淹れたお茶を一口味わってから、おもむろに先生が口を開く。
つか、朧兄さんもちゃっかり先生の隣に並んで座っている。
座敷机を挟んで、先生と朧兄さんの向かい側に俺と坂本は座った。
さっきまでニコニコ笑っていた坂本の表情もいつの間にか硬くなり、和室内の空気が緊張を孕んでいる。
とても、友達を紹介しますなんて雰囲気では無い。これは、あのテレビドラマなどで良く見るアレ的な雰囲気だ。
娘が初めて出来た彼氏を、父親に紹介する的な。
笑顔ながらも、心に般若を隠している父親の威圧感を先生から感じた。隣に座る朧兄さんは、さながら母親的役割だろうか?
なんて馬鹿な事を考えて笑いそうになったが、笑いごとでは無かった。
そうだ。坂本はその彼氏的な事を、これから先生に言うつもりなのだ。
俺は、いったいどんな顔をしていればよいのだろう?
先生は昔から勘の良い方だったが、まさか男の俺が彼氏を連れて帰って来るなどと思ってはいない筈……
でも、もしかしたら? 信女も、同棲なんて馬鹿な事を口走っていたし。
(いや、本当の事なのだが)
何故だ? 重い! 空気が重いっ!
「小太郎、どうしました? 凄い汗ですよ、熱でもあるのですか」
「あ、いえ。何でもありません」
俺はハンカチで汗を拭い、その陰でそっと呼吸を整えた。
「先生、ご紹介します。こちらが、前に電話でお話ししたルームシェアしている友達・坂本辰馬君です」
頼む、空気を読んでくれ! 今日の先生は様子がおかしい!
そんな気持ちを込めて、友達という言葉の発音を強調した。
だが、坂本の表情から硬さは取れない。
「ほぅ。お友達の坂本辰馬君ですか」
気のせいだろうか? 先生の声が少し低まって聞こえた。朧兄さんもチラチラと、先生の方を見ている。
「はい、坂本とは大学の」
「おはつやかっ!!」
坂本が、耳を塞ぎたくなるほどの大声で俺の話を遮ってきた。
「じゃのーて、はじめまして。坂本辰馬と、申します」
どうやら緊張のあまり大声が出た様子だったが、その次は珍しい標準語!
東京に出て来て一年半以上経つのに抜けなかった方言を、ここにきてかなぐり捨てる気かと俺は言葉も忘れて坂本が話すのを見守ってしまった。
そう、ここは殴ってでも止めるべきだったのに。いや、後から思えば、見守っていてよかったのかも知れないが。
坂本は座布団から下りて、座敷机との間に距離を作るといきなり先生に向かって手を付いた。
「松陽先生! わしに、小太郎君を下さい! 一生、大切にします!」
「嫌です」
一瞬の攻防!!
俺も朧兄さんも言葉を失い絶句する中で、先生だけが笑顔のまま即答した。
つか、交際宣言じゃなかったのかァァァ!? なんで、いきなり結婚申し込みになってるんだ?!
俺がパニックで、声も出せないでいる間も坂本は先生に詰め寄る。
「わしは、真剣ぜよ。小太郎君を想う気持ちは、誰にも負けやーせん! 精神的にも、経済的にも、肉体的にも、小太郎を幸せにする自信がげに!」
「止めんか!! 馬鹿者がっっっ!」
デカい声は、それだけ必死の現れだろう。それだけ想われて、俺は嬉しい……
なんて、気にはなれなかった。思わず坂本を怒鳴りつけ、頭を殴る。
「肉体的って、肉体って! 俺達はまだ、まともにキスさえしていないのだぞ! それを、先生の前で何と破廉恥なっ!」
「ほりゃあ、おんしが初心やき! わしとしちゃ、精一杯我慢してゆっくり進めてるんぜよ!」
「なんだとっ! 俺のせいで、キスも出来ないと言うのか?!」
「おう! 手を握ったばあで真っ赤になっとったやか! それ以上の事をしたら、ぶっ倒れそうで怖いき我慢してるがやきに」
「な、な、なっ、なにをっ!」
「待て! 待たんか、小太郎!坂本君も、落ち着いて!」
朧兄さんの仲裁に、俺も坂本も我に返った。
……俺達は、なんか、とんでもない言い合いを? これは、俗にいう痴話喧嘩みたいな?
顔が上げられない。先生の顔も、坂本の顔も、見ることが出来なかった。
「落ち着きましたか、二人とも?」
「はい。すみやーせんでした」
先生の静かな声音に、坂本のハッキリとした声が答える。俺も、恐る恐る顔を上げた。
俺達を見詰める先生の目は優しく、少しも厳しい色は無い。
「私は、二人の結婚に反対している訳ではありませんよ」
「じゃーなき?」
「え、ちょっと、まっ」
「ただ、小太郎はあげません。大事な小太郎を、手放す気はありませんからね。小太郎と結婚したいなら、坂本君。君は、婿入りしてください」
「ああ、ほれなら問題ないきに」
「いや、だから、待って下さいって!」
「では、式もこちらで挙げて下さいね。ああ、もちろん大学卒業後で結構ですよ。でも、ちゃんと就職してください」
「ほんなら、就活は山口の方やかるとして。新居は」
「ここに住みなさい。部屋ならいくらでもありますから」
「待って、頼むから、待って下さいィィィ!」
俺の言葉なぞ、耳に入らないかのように先生と坂本の会話は続く。
朧兄さんは呆れたのか、お茶を入れ直してきますと立ち上がり部屋を出て行ってしまった。
先生と坂本の会話が、式の日取りや具体的な部屋割りにまで進む頃には俺も叫び続けるのを止める。
もう、何を言っても無駄だった。
俺と坂本は互いに譲らない程頑固だが、先生は更にその上を行く。
トントン拍子に決まってゆく俺と坂本の未来予想図に、指先でとんとんと座敷机を5回叩く。
も・う・だ・ま・れ! のサインだが、坂本と先生がその音に反応した。
「それ、この間ドラマでやってたヤツじゃろ? ア・イ・シ・テ・ルのサイン」
ニコニコ笑って、俺の指を絡めとる。心底嬉しそうな笑顔に、否定するのも忘れた。
それどころか場所も状況もアレなのに手を握られて、つい赤面してしまう。
「おめでとう小太郎。幸せになりなさい」
そんな俺達の様子を微笑ましそうに見詰めていた先生から、そんな言葉を頂いてしまった。
自然と口元が緩んでしまう。素直に嬉しい。
「はい、先生」
先生に認められ、祝福されて頷いてしまった。
きゅっと強められた手を握る力に、同じく力を込めて握り返す。
俺達の絆が、深まった気がした。
この後、帰ってきた銀時や晋助にからかわれ、立ち聞きしていた信女に色々質問攻めにあうのは、また別のお話。
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