桂浜の龍


『やき! 真ん中バースデーぜよ!』
『何だそれは? 意味が分からん』
『とにかく!ざんじ、江戸湾マリーナに来てくれ。待っちょるからな』
『マリーナとは何だ? おい、たつっ』
言いたいことだけ言って、携帯は切れてしまった。
「なんなのだ、一体。いつも、いつも、一方的に……あっ」
桂小太郎は文句を言いつつ、自身のスマホを見て言葉を途切らせる。
通話の終わった画面を見ると、真っ暗で電池切れになっていた。
どうやら一方的に話を終わらせたのは、通話相手の坂本辰馬では無く自分の方だったと気付く。
しかし、今から充電していては江戸湾に行くのが遅くなる。
「うむっ……」
桂は手にしていたスマホを充電器に突っ込むと、台所にいる相棒のエリザベスに声を掛けた。
「エリザベス。今から江戸湾に行って来る。辰馬からの呼び出しでな……少し、遅くなると思う」
【わかりました。気を付けて行ってらっしゃい】
夕食をどうするかや、何時ごろ帰るかなどと言った野暮な事は聞かない。
良くできた相棒は、全て心得ていた。
桂は軽く頷いてから、言葉を付け足す。
「何か急用が出来たら、辰馬のスマホの方に連絡をくれ」
桂は、スマホを持って行かない事にした。充電切れの事を言われても、白を切り通せると。
尤も、坂本がそんな事で攻め立てたりしないのは分かっていたが、ただバツが悪かった。

***

江戸湾に着いた桂は、道行く人にマリーナとはどこだ? と尋ね目的地に辿り着く。
マリーナとひと言で言っても広い。商業施設を含めた複合施設だ。
スマホも持たず、人を捜すのは大変だろう。だが、相手は坂本。
耳を澄ませば、きっと探し出せる。
それにと、桂は思う。どこにいようと、辰馬は俺を捜し出せると根拠の無い自信があった。
『小太郎。おんしは、わしの港。わしの灯台ぜよ』
坂本が、折に触れて良く口にする言葉を思い出す。
桂は「根拠は、あったな」と呟いて、微かに笑んだ。
さて、どこから見て回るかと顔を上げ、湾内にある建物の列を見廻す。
「おん! こっちじゃあ! ここ、ここにおるぜよ!」
海まで届きそうなデカい声の方向を見れば、捜し人がぶんぶんと手を振る姿が見えた。
「大声を出すな、馬鹿者! 恥ずかしいでしょーがぁ、もうッ!」
応える桂も大声を出しているのだが、坂本は突っ込まない。
上機嫌で、桂が走って来るのをニコニコと眺めている。
桂が坂本の立つ場所に辿り着くと、途端に腕を引かれた。
「おい、待たぬか! 何をそんなに急いでいるのだ?」
「ほにほに、まだ内緒ちや」
明らかに、サプラズ的な事を考えている表情。瞳が悪戯な色を湛えている。
こんな顔をしている時には、尋ねたところで答えは返ってこない。
長年の付き合いで、すっかり熟知していた。
なにかヒントは無いかと、坂本が立っていた店の屋号を目の端に捉える。
(大江戸マリン倶楽部? 海のゲイバーだろうか?)
だが、わざわざゲイバーで遊ぶ為に呼び出したとは思えない。
引き摺られながら考えている内に、商業施設を通り過ぎる。
「ほれ、あっこじゃ!」
坂本が指差す先は、船着場だった。大小の帆船が並び、小型ボードなどもある。
「あれが、何なのだ? 船見物か?」
「おんし、メール見とらんがか?」
「うっ……スマホは、家に」
きょとんと見詰められて、桂は思わず視線を外す。
忘れたと言い掛けて止める。忘れたと言えば嘘になる、しかし置いて来たと言って何故だと突っ込まれるのもアレだと黙り込んだ。
「忘れたがか? ほれじゃー、行く方が早いちや」
自身のスマホを出しかけた坂本は、出すのを止めて更に桂の手を引いた。
桂が言い淀んだことは、さらりと流す。通話が切れた事で、既に予想はしていたのかも知れない。
今、ここに桂がいてくれる。その現実があれば、他の細かな事はどうでもいいのだろう。
坂本は船着場から緩く「く」の字に曲がった桟橋の前で立ち止まり、もう一度指差した。
それは桟橋の左右に並ぶヨットやクルーザーの中で、船体が赤と青に塗り分けられた小型の船。
「まさか、あれを買ったのではあるまいな?!」
桂の脳裏に、坂本のプレゼント癖が過る。いや、贈り物で無く自分で使うにしろ、忙しく宇宙を飛びまわる人間が乗れる時間など高が知れている。桂から見れば、勿体無い事この上ない。
「レンタルぜよ。ほがな怖い顔、しのうてえい」
小型のクルーザーまで近付くと、怪しむ桂に船体の一か所を指し示す。
「ほれ、見てみ」
丁度、塗装の赤から青に塗り替える境界線の辺り。そこに白い文字で【大江戸マリン倶楽部】と書かれてあった。
「……疑って、すまぬ」
「えい、えい。気にしな」
桂を促し先にクルーザーに乗せると、坂本はビットから船を繋ぐロープを解くとクルーザーに飛び乗り舵を取った。
「出発ぜよ!」
「え? お前、運転できるのか?!」
「なめんな、船舶免許は一通り持っちゅう」
「いや、分かった。俺は後ろに座っているぞ」
酔わないのかという意味で言ったが通じていないようなので、それ以上聞くのは止める。
運転が嬉しくて、酔う事を忘れているのかも知れない。
寝た子は起こさぬに限ると、運転座席の後ろに備え付けてあるソファーに腰を下ろして、遠くなる海岸線を眺めた。

クルーザーの中は、見かけから想像していたより天井も高く広々としている。
ワゴン車内を、少広くしたような感じだろうか。
運転席の後ろ側にソファーがあり、その向かいはテーブルとそれに向かい合わせの椅子が二客並んでいる。
桂はソファー側の窓を開けて、海風を胸一杯吸い込んだ。
午後の陽射しは波を反射させキラキラと光る。
潮風は心地良く、桂は長い髪を風に遊ばせた。
坂本が連れ出してくれなければ、こうしてのんびり海を楽しむ事も無い。
陸の見えなくなった海上には他に船影も無く、あるのは青い空と青い海だけ。
桂は真選組に追われる心配も無く、坂本も不意の仕事が入る気配も無い。
まるで、世界に二人きりでいるような気分になった。
桂は立ち上がると、坂本の傍に立つ。
「そういえば、どうして急に海上散歩などする気になったのだ?」
「うん?」
坂本は手動から、オートパイロットに切り替えて桂の手を取る。
そのまま、先ほどまで桂が座っていたソファーへ導くと並んで腰を下ろした。
「これぜよ」
赤いコートのポケットからスマホを取り出して、画面を見せる。
そこには、日付の並んだ画像があった。
桂の誕生日と、坂本の誕生日が並んでいて、その更に下に今日の日付。
「真ん中バースデー?」
書かれている文字を読む。確か電話で、坂本がそんな言葉を言っていたと思い出した。
「ツイッターのタグで見つけたんじゃ。おんしとわしの誕生日を入力すると、二人の真ん中の日がの」
「それが、今日という事か?」
「おん、正解ちや」
素早く桂の腰を引き寄せ、額に口づけを落とす。
「では、つまりこれは」
「わしらぁの、誕生日・クルージングぜよ」
「お前は! やはり、無駄遣いではないか。こんな事しなくとも、ケーキの一つでも買えば良いではないか」
坂本の手を引き剥がし立ち上がると、胸の前で腕を組み向かい合った。
説教体勢に入った所で、波の煌めきが桂の目を射る。
天空と海の境目がキラキラと輝いて、日常とはかけ離れた眩い青の世界の風景に思わず続ける言葉を失う。
風が運ぶ潮の香が、懐かしい故郷を思い起こさせた。
坂本の手が、そっと桂の両手を取る。
「ありがたい事に、わしらの誕生日はこちやとの人が祝ってくれる。やき、どういても二人で祝う時間は夜ばあになるじゃろう。じゃけんど、今日の様な祝いなら二人きりで祝えるきに。しかも、二人分のお祝いやか」
「二人きり……」
言われてみれば、確かに二人で過ごす時間は短い。それでも、夜は甘く濃密で満たされていると思っていた。
思ったが……
(それではまるで、躰を重ねる事だけで満足しているようではないか!)
桂の頬に朱が差す。
「ほうぜよ、二人きり。こちやと話して、こちやと……?」
ゆっくりと桂の手を引き寄せていた、坂本の動きが止まる。
だが、桂は坂本が何かに気を取られた事に気付かない。
たくさん話そうと言われて、増々顔を赤らめた。
「……なんじゃ?」
「な、な、何でもない! 俺は、決して躰だ」
狼狽える桂の横を摺り抜けて、坂本は運転席へ戻る。
「……エンジンが、止まっちゅう!」
「え?」
その一言に、桂も気を取り直し坂本の後ろから運転席を覗き込む。
坂本は無言で、あちこちのスイッチを操作し調べている様子だったが桂には良く分からなかった。
ただ、黙って見ているだけしか出来ない。
坂本は十数分を費やした後、厳しい顔つきで運転席から立ち上がり船の内部と前方デッキまで周り、帰って来ると再び運転席の周りを点検して頭を抱えて唸った。
「いかんちや」
「動かぬのか?」
エンジンの心配よりも、打ちひしがれている坂本の方を心配して声を掛けた。
「小太郎、すまんぜよ。わしのミスじゃ。安全確認を、怠っとった」
計器を指差して、説明する。オートパイロットにする前に気が付くべきだったと。
燃料タンクが故障しているのか、エンジンが故障しているのか分からないが、軽油の減りが異常に早い。
計器は0に近い数字を示しており、もう船は動かせない状態だ。
予備の軽油も積んでいないし、救援して貰う為の信号紅炎も無い。
航海灯の準備をと思ったが、バッテリーも反応しないと。
「おまけに、コレぜよ」
坂本は自分の携帯画面を、桂に見せる。
「圏外だ……と。他に、電話は」
「おんしのスマホ……いや! ほれじゃ、無線ぜよ!」
何故見落としていたのかと、幾分元気になって笑い声をあげた。
「おんし、鏡は持っちょらんか?」
無線で救難信号を送った後、坂本は桂に尋ねた。
「そんなもの、持ち歩いている訳なかろう」
桂の返事に「ほうじゃな」と相槌を打って苦笑する。
「鏡なぞ、どうするつもりだ?」
「うん、鏡も立派な救難信号に使えるぜよ。飛行船に、合図するにゃちょうどえい」
「うむっ。そういうものか。なるほどな」
感心して頷く桂に、再びソファーへと誘う。坂本が色々と動いている間、桂もずっと立ち尽くしていたのだった。
「出来る手は打ったきに、後は座して待つばあやか」
桂を先に座らせると、その足元に膝を着く。両手を握って、黒い瞳を覗き込んだ。
坂本はしゅんとして、飼い主に叱られた犬の様な表情を見せる。
「すまんかったの」
「何をそんなにしょげかえる事がある? 救難信号も送ったのだろう。じきに助けが来るだろうに」
珍しく弱気な坂本に、桂は笑んで見せた。
目前に跪かれているせいで、癖の強いもじゃもじゃした毛が撫でるにはちょうど良い場所にある。
桂は自分の欲求に従って、坂本の髪に指を差し入れよしよしと混ぜっ返した。
「わしは、海の恐ろしさをよおしっちゅう」
身を乗り出し、両腕で桂の腰に抱き付く。桂は坂本のしたいようにさせ、頭を抱くように撫でる。
「そうだな。お前は、桂浜の龍だからな」
同調するように身を傾け囁くと、腰を抱く腕の力が強まった。
「おんしを連れて出るがやき浮かれて、安全確認を怠るらぁてあってはならんぜよ。やき、すまんよ。海に出る時は、もしもの気持ちを忘れちゃあならんがやきに」
まだ昼間で陽光は明るく、転覆の心配も無い船で、救難信号も送っている。
なのに何を恐れる事があるのだろうかと、桂は不思議に思った。
だからその疑問を、そのまま質問する。今日のお前は大袈裟過ぎるぞと、言葉を付け足して。
坂本は桂の膝に乗せていた顔を上げ、真剣な視線を向ける。
「はや二時を過ぎちょる。行き交う船が少のおなる時間じゃ。このまま流されて漂流してしまえば、発見されるのは容易がやないよ。ほれに天候が変わったら、打つ手がない。荒れた海ばあ、おっとろしやものは無いよ。こがな小さな船やと、あっとゆう間に海中に沈められてしまうぜよ」
船乗りでは無い桂には、坂本の話が今一つピンとこない。
ただ用意を怠った事を後悔しているのだけは、良く分かった。
窓の外の海は凪いでいて、坂本の言う天候の変化が来るとは思えない。
それに、坂本には剃刀副官が付いている。
発信機でも仕掛けているのではないかという程、坂本の居所を見付けるのが上手い。
もしもの時には、きっと探し当ててくれるのではないだろうかと確信があった。
だから自分は、坂本ほど海を恐れない。
「お前は海神に愛されていると、聞いた事があるぞ」
快援隊の隊士たちが、自慢気に口にしていた事を思い出す。
「わしの無事なんかどうでもえい。わしは、おんしを喪うことの方がおっとろしや」
桂の抱擁から抜け出て立ち上がると、上から覆い被さるように抱きしめた。
胸に痛い言葉。それは、俺の台詞だと言いたいのを堪える。
宇宙を股に掛ける坂本を、心配しない日など無い。
天人の宇宙船事故のニュースを見るたび、不安に駆られた。
互いに互いの持つ不安に蓋をしていたのは、信頼と絆があるからに他ならない。
今日は偶々、この広い海原が坂本の不安の蓋を開けてしまったのだろう。
きっと坂本は、色々な想いを海に沈めて来たのだと思う。
それらが坂本を引き摺り込もうとするなら、この手で掬い上げようと桂は坂本の背に腕を回ししっかりと抱き返した。
いつも、坂本に心救われて来た。だから、今日は自分の番だと。普段口にしない言葉を上らせる。
「では、俺は海神の恋敵という訳か。お前から、俺を引き離そうとすると?」
恋敵という言葉に驚き、坂本の腕の力が緩む。少しだけ身を離して、桂の顔をじっと見た。
桂はその視線に向かい、艶然と笑む。
「お前が、一番愛しているのは俺だろう。そんなお前から、俺を奪うなど無い。お前が悲しむことを、お前を愛する海神がするものか!」
「……小太郎?」
珍しい物を見たとでも言いたげな蒼い瞳に、桂は挑戦的な視線を返す。
「もっとも、俺とて簡単にお前から離れたりせぬ。海神に、お前を独り占めさせるなど御免被る。お前は、俺の龍だ」
見詰め合う瞳に、落ち着きと喜びが甦る。
坂本の口元に笑顔が戻ったのが嬉しくて、桂はその唇に唇で祝福を与えた。
坂本が桂の頭を引き寄せ、桂が両手が坂本の頬を包む。
繰り返し、繰り返し、なんども口づけを交わしてから、額を寄せてもう一度見詰め合った。
「おんしは、わしの桂浜じゃの」
「俺は、お前の帰る場所だ」
言い交し、同時にクスリと笑う。
「少しクサかったか?」
「えいよ。気分ぜよ」

二人が上空にいる快臨丸に気付くのは、もう少し後。



了 2018.9.8 辰桂真ん中バースデーに遅刻;(真ん中バースデーは9/5でした)








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