エリザベスまん、覚えてる?
秋も終りの頃。
冷たく吹く木枯しに、坂本は襟を立てた。
そろそろ下駄履きからブーツに替えるべきだろうかと思うが、桂から贈られた下駄のつま先カバーをもう少し愛用したい。
地球にいる間、しかも冬しか使えないのだから、出来るだけ長く使いたいとブーツの誘惑を払い除けた。
だが、桂の待つ隠れ家まではまだ歩く。少し暖を取りたくて、坂本は目についたコンビニへと入った。
ぐるりと店内を見回し雑誌を物色するか、それともコーヒーでも注文するかとレジカウンターの方へ視線を移す。
「おっ?」
思わず声を漏らすほど興味を引いたのは、レジ横の保温器の中身だった。
ほかほかさが伝わって来るような白くてドーム形のフォルム。
くっきり描かれた大きな丸い目と、それを縁取る睫毛。印象的な、黄色い嘴。
「エリザベスまん、じゃあ!」
桂が喜ぶと、勇んでレジ前へと近付いた。
何年か前に発売された宇宙怪獣ステファンを型取ったすき焼きまんが、再び販売されていたなどとは知らなかったと、保温器の中をまじまじと見詰める。
すると、エリザベスまんに対する記憶も甦って来た。
桂の要求に従って、創意工夫して幾つ食べただろう?
胸焼けと共に桂の可愛い反応も思い出し、口元が緩まないよう唇を引き結ぶ。
「……いらっしゃいませ」
レジ店員が、坂本の厳しい表情に幾分怯えたように声をかけた。
坂本は溢れてくる思い出を遮断して、保温器の中のエリザベスまんを指差す。
「こりゃあ、エリザベスまんかの? 前と同じ、すき焼き味かえ?」
「はい、同じです」
コクコクと首を縦に振る店員に「ほれじゃあ、貰おうかの」と、伝えて一瞬言葉を切らせた。
(小太郎のことじゃ。また、可愛いから食えん言うぜよ。やき、わしとエリーの分ばあでええの。夕飯まで間があるきに、二個ずつで)
自分の中で考えがまとまると、うんと頷いて言葉の続きを口にする。
「エリザベスまん、四つ貰えるかの」
***
日暮れにはまだ少し早いが、夕方には変わらぬ頃合い。
遠くなった真選組の捕り物の声が完全に聞こえなくなってから、屋根上から人気の無い道路を見付けて飛び降りる。
ふわりと舞い降りて膝に着いた汚れを叩き落とし、懐を探った。
懐中時計の蓋を開けて、時間を確かめる。
坂本から贈られた時計は、すっかり手に馴染んでいた。
「そろそろ帰って来る頃だな」
今朝出しなに今夜は早く帰って来られると言っていたから、これぐらいだろと懐中時計を懐深くしまって帰途への一歩を踏み出す。
そんな桂の目に、前方にあるコンビニの幟に書かれた文字が飛び込んで来た。
「復刻! エリザベスまん……だとっ?」
桂は目を瞠り、口元に笑みを浮かべる。
次の瞬間には『逃げの小太郎』の名に恥じぬ駿足で、コンビニへと走り込んでいた。
逸る鼓動を抑え、レジ横の保温器の中をじっと見る。
「うむっ!確かに、この輝く白さ、愛らしさ。間違いなく、エリザベスまんだッ!」
自身に言い聞かせる様に独り言を呟いた後、不審者に対する目付きをしている店員に声をかけた。
「すまぬが、この愛らしいエリザベスまんを……」
(俺は食べられそうにないから、辰馬とエリザベスの分だけにするか)
一拍、間を開けてから「四つ、包んでくれぬか」と注文する。
もう以前の様な失敗は、こりごりだった。
エリザベスまんの可愛さにつられ、買ったものの食べることが出来ず坂本に食べさせたはいいが、その食べる姿を見ているのも中々に複雑な気分だったことを思い出す。
完食するまでに、途中食べ物を粗末にするような事もあったしと反省する。
今回は、絶対にそんな真似はさせないと決意し、ほかほかのエリザベスまんを買って帰途についた。
***
晩秋の夕暮は早い。
あっという間に、黄昏が薄闇に変わる。
坂本と桂が互いの姿を視認できたのは、隠れ家からほんの数メートル先だった。
互いの姿を認めると急ぎ足になり、玄関先で示し合わせたように一緒になる。
「おかえり」と「ただいま」の言葉を交わした後、抱き付いて来ようとする坂本の腕をまだ路上だからと桂の手が制す。
そのやり取りで、互いの下げているコンビニ袋に視線が止まる。
半透明の袋の中に何やら丸っこい物が入っているのを目にしただけで、互いの買い物にピンときた。
「おん、ほりゃ!」
「それは、もしや!」
互いの袋を指差して、問うたタイミングも返事も同じ。
「「エリザベスまん?!」」
一時のパニックが過ぎ、鍵を開けて坂本と桂は居間で向かい合って座る。
エリザベスは、夕飯の買い出しでまだ帰って来ていないようだった。
卓袱台の上には、コンビニ袋から取り出されたエリザベスまんが八つ並んでいる。
「まさか、お前が買って来るとはな……」
「こりゃ、わしとエリーばあじゃ食べきれんぜよ。おんしも、最低二つは食べて貰わにゃーならん」
腕を組みエリザベスまんを見詰める桂に向かって、坂本が厳かにノルマを告げた。
途端、桂は正座を崩して後じさる。
「お、俺に、エリザベスを食え……だ、とッ? よくも、そんな酷い事を!」
両手を口の前で交差させ、食べられないと伝える様に左右に首を振り瞳を潤ませた。
坂本は、畳に両手を付いて桂の方へ身を乗り出すと真剣な表情で言い聞かせる様に一言、一言を区切って説得する。
「エリザベスがやない、エリザベスまんじゃ。しかも、贅沢なすき焼き味じゃぞ。一口齧れば、美味うてあっという間にペロリぜよ。なんぼ食のちんまいおんしでも、二個ばあ食べられるやお?」
「食えぬから、お前たちの分だけ買って来たのだぞ!無理を言うな!」
及び腰になりつつも、声だけは張り上げて反撃した。
だが、坂本も引く気は無いようで更に覆い被さって決断を迫る。
そして、桂の痛い所を突いた。
「食べ物を粗末にしちゃならんと、教わらなかったかえ?」
サングラスを外した厳しい眼差しで問われ、桂の脳裏には両親を始め祖母や恩師の顔が浮かぶ。
桂自身も子供の頃からその教えを守って来たし、攘夷戦争時代は特に口を酸っぱくして説教する側にいた。
その言葉を持ち出されては、どうしようもなくなる。それでも……
「辰馬! 貴様は、鬼か! あの様に可愛らしいものを噛めと? その上、飲み込んで食べろと言うのか!」
坂本ならそんな反論でも許されるのではないかと、責められっぱなしの体勢から身を起こして反撃する。
潤んだ瞳で蒼い瞳を見詰め返せば、返って来たのは優しい笑顔。
「ほうじゃのぉ」
穏やかな声音に、分かってくれたのかと桂も笑み返す。
「じゃったら、見えなければえいがやか?」
「え?」
言われている意味が分からないと首を傾げる桂を置いて、坂本は箪笥の抽斗から手拭いを取り出し戻って来た。
嫌な予感に、桂は再び逃げようとする。
だが、坂本の伸ばした手はしっかりと桂の足首を捉えた。
「おい、辰馬? 何をする気だ?」
「ちっくとの間、見えなくするばあちや」
楽しそうな笑顔で桂の膝の上に体重をかけて座ると、両手で手拭いを伸ばす。
「重いぞ! 退かぬか、おいっ」
押し退けようとした両手に、さっと手拭いが巻かれて手首を縛られる。
「ちょ?」
「いい子やき、大人しくしっちょり」
はらりと、もう一枚隠し持っていた手拭いを慄く桂の目前に見せつけた。
「止めんかッ!」
「止めんよー」
数度の押し問答も坂本の強固な姿勢を覆す事は出来ず、壁際まで追い詰められる。
「ほれ、観念しや」
桂の頭を手拭いで壁に押し付ける様にして、目隠ししてしまった。
手首を縛られ視界も遮られて憤る桂を、坂本はヒョイっと抱え上げ卓袱台の横まで連れ戻す。
背を抱いたまま、組んだ膝の上へと下した。
「おい! 悪ふざけも大概にせんか!」
身を捩り足をバタつかせても、坂本の腕はがっちりと桂を胸に抱き込んで離れない。
「てんごうしちょる訳じゃー無いぜよ。おんしが食べやすいよう、手伝おちゅうばあやき」
卓袱台の上にあるエリザベスまんを掴んで、桂の口元へと運ぶ。
だが、桂は唇を固く閉じて左右に首を振って拒絶した。
見えなくとも、エリザベスまんの可愛さは瞼の裏に焼き付いている。この柔らかな皮に、歯を立てるなど出来ない。
「いごっそうじゃの」
坂本の呟きと共に、唇に寄せられていたエリザベスまんの柔らかな感触が離れた。
諦めたのか、別の手を使うつもりなのか、それとも呆れてしまったのだろうか?
見えないだけに、坂本がどう思ったのかが分からない。ただ、怒っていない事だけは分かる。
自分に対しては、滅多な事で怒ったりはしないのだと確信があった。
それに、あと少しすればエリザベスも帰って来る。
このまま口を閉ざしていれば諦めるだろうと息を潜めるていたが、いきなり鼻をつままれた。
鼻呼吸が出来なければ、口を開くしかない。ましてや、手首を縛られて抵抗も出来ないのだ。
我慢にも、限界がある。
「ンぷはぁ!」
肺の中の空気を使いきり、桂は釣り上げられた魚のように空気を求めて口を開いた。
新鮮な空気が、口内を潤し喉を通り抜け肺を満たす。
「貴様っ!俺を殺す気、ンッん」
またしても、文句を言い終わる前に口を塞がれた。
今度は、見えなくとも分かる。
覚えのありすぎる感触が、開いた唇の隙間から忍び込み舌を絡め取って口内を蹂躙してゆく。
「ンッ、ふっ、ンーンーッ!」
坂本の舌技に酔わされる前に逃れようと足掻くが、肩を抱いていた手がいつの間にか首筋まで這い上がっていて、大きく首を振る事も出来ない。
強く抱き込まれて次第に気持ちが蕩け、理性が麻痺した様にぼうっとしてくる。
桂の全身から力が抜け一切の抵抗も止めた所で、坂本はディープなキスから啄む様な軽いキスに変えた。
物足りなさに、桂の唇から強請る吐息が零れる。
「うん? 口淋しいなが」
視覚を奪われた分、聴覚が敏感になっていた。
声に含まれた甘い響きを感じ取り、桂は素直にこくりと頷く。
「ほれ」
声と共に唇を割り入ってくる坂本の節高い指が与えてくれる快感を思い、舌を絡めて吸い付いた。
「……?」
口の中に広がる肉感は肉感でも指の肉感では無く、しっかりとした味わいのある物。
それは、すき焼き風味の……
そう、エリザベスまんの中身の味だった。
まんまと坂本の誘惑作戦に引っ掛かってしまったのだと気付き、銜えた指を噛んでやろうかと思ったその時。
廊下と居間を隔てる障子の引かれる音がした。
「おん、エリザベスおかえり」
続く坂本ののんびりとした声。
どうやらエリザベスが帰って来たらしいと、思った所で桂は自分の状態を思い出した。
手首を縛られたまま、両腕を上げて親指の付け根全体を使い目隠し代わりの手拭いを必死に額の方へと引き摺り上げる。
まだ坂本の膝の上だったが、何の妨害も無く目隠しをずらすのに成功した。
最初に目に入ったのは、廊下を背に佇んでいるエリザベスの姿。
それから、掲げられているプラカードの文字。
【SMプレイ中でしたか、すみません。先に夜の見回り済ませてきますので、夕飯までに終わらせてください】
「すまんのぉ」
「ち、違うぞ、エリザベスッッッ! 辰馬! 貴様も、何を肯定しているっ!」
必死に弁明するも、縛られている姿では説得力が無い。
【あ、コレ。懐かしかったので、後で一緒に食べて下さい】
エリザベスは、座っている二人の前にコンビニの袋を置いた。
「ほりゃあ……」
「もしや、それは……」
半透明の袋の中に、丸みを帯びたシルエットの物が数個。
【エリザベスまんです。六つ買ってきました】
「六つだと!」
「合計で、十四じゃ……の」
固まる二人にエリザベスは【では、行ってきます】と背を向けて、出て行った。
再び二人っきりに戻った部屋で、坂本が呟く。
「これでおんしも、何がなんちゃー食べて貰わんとな」
「……分かった、覚悟を決める。決めるから、これを解いてくれ!」
坂本の目前に両手首を差し出したが、その言葉はスルーされて別の返事が返って来た。
「せっかくエリーが気を使ってくれたきに、わしらぁも先に腹の減る運動するぜよ」
ニヤリと悪い笑みを湛えた坂本が、桂を畳の上に横たえ覆い被さった。
了 2018.11.27 (いい夫婦の日11/22に遅刻)
冷たく吹く木枯しに、坂本は襟を立てた。
そろそろ下駄履きからブーツに替えるべきだろうかと思うが、桂から贈られた下駄のつま先カバーをもう少し愛用したい。
地球にいる間、しかも冬しか使えないのだから、出来るだけ長く使いたいとブーツの誘惑を払い除けた。
だが、桂の待つ隠れ家まではまだ歩く。少し暖を取りたくて、坂本は目についたコンビニへと入った。
ぐるりと店内を見回し雑誌を物色するか、それともコーヒーでも注文するかとレジカウンターの方へ視線を移す。
「おっ?」
思わず声を漏らすほど興味を引いたのは、レジ横の保温器の中身だった。
ほかほかさが伝わって来るような白くてドーム形のフォルム。
くっきり描かれた大きな丸い目と、それを縁取る睫毛。印象的な、黄色い嘴。
「エリザベスまん、じゃあ!」
桂が喜ぶと、勇んでレジ前へと近付いた。
何年か前に発売された宇宙怪獣ステファンを型取ったすき焼きまんが、再び販売されていたなどとは知らなかったと、保温器の中をまじまじと見詰める。
すると、エリザベスまんに対する記憶も甦って来た。
桂の要求に従って、創意工夫して幾つ食べただろう?
胸焼けと共に桂の可愛い反応も思い出し、口元が緩まないよう唇を引き結ぶ。
「……いらっしゃいませ」
レジ店員が、坂本の厳しい表情に幾分怯えたように声をかけた。
坂本は溢れてくる思い出を遮断して、保温器の中のエリザベスまんを指差す。
「こりゃあ、エリザベスまんかの? 前と同じ、すき焼き味かえ?」
「はい、同じです」
コクコクと首を縦に振る店員に「ほれじゃあ、貰おうかの」と、伝えて一瞬言葉を切らせた。
(小太郎のことじゃ。また、可愛いから食えん言うぜよ。やき、わしとエリーの分ばあでええの。夕飯まで間があるきに、二個ずつで)
自分の中で考えがまとまると、うんと頷いて言葉の続きを口にする。
「エリザベスまん、四つ貰えるかの」
***
日暮れにはまだ少し早いが、夕方には変わらぬ頃合い。
遠くなった真選組の捕り物の声が完全に聞こえなくなってから、屋根上から人気の無い道路を見付けて飛び降りる。
ふわりと舞い降りて膝に着いた汚れを叩き落とし、懐を探った。
懐中時計の蓋を開けて、時間を確かめる。
坂本から贈られた時計は、すっかり手に馴染んでいた。
「そろそろ帰って来る頃だな」
今朝出しなに今夜は早く帰って来られると言っていたから、これぐらいだろと懐中時計を懐深くしまって帰途への一歩を踏み出す。
そんな桂の目に、前方にあるコンビニの幟に書かれた文字が飛び込んで来た。
「復刻! エリザベスまん……だとっ?」
桂は目を瞠り、口元に笑みを浮かべる。
次の瞬間には『逃げの小太郎』の名に恥じぬ駿足で、コンビニへと走り込んでいた。
逸る鼓動を抑え、レジ横の保温器の中をじっと見る。
「うむっ!確かに、この輝く白さ、愛らしさ。間違いなく、エリザベスまんだッ!」
自身に言い聞かせる様に独り言を呟いた後、不審者に対する目付きをしている店員に声をかけた。
「すまぬが、この愛らしいエリザベスまんを……」
(俺は食べられそうにないから、辰馬とエリザベスの分だけにするか)
一拍、間を開けてから「四つ、包んでくれぬか」と注文する。
もう以前の様な失敗は、こりごりだった。
エリザベスまんの可愛さにつられ、買ったものの食べることが出来ず坂本に食べさせたはいいが、その食べる姿を見ているのも中々に複雑な気分だったことを思い出す。
完食するまでに、途中食べ物を粗末にするような事もあったしと反省する。
今回は、絶対にそんな真似はさせないと決意し、ほかほかのエリザベスまんを買って帰途についた。
***
晩秋の夕暮は早い。
あっという間に、黄昏が薄闇に変わる。
坂本と桂が互いの姿を視認できたのは、隠れ家からほんの数メートル先だった。
互いの姿を認めると急ぎ足になり、玄関先で示し合わせたように一緒になる。
「おかえり」と「ただいま」の言葉を交わした後、抱き付いて来ようとする坂本の腕をまだ路上だからと桂の手が制す。
そのやり取りで、互いの下げているコンビニ袋に視線が止まる。
半透明の袋の中に何やら丸っこい物が入っているのを目にしただけで、互いの買い物にピンときた。
「おん、ほりゃ!」
「それは、もしや!」
互いの袋を指差して、問うたタイミングも返事も同じ。
「「エリザベスまん?!」」
一時のパニックが過ぎ、鍵を開けて坂本と桂は居間で向かい合って座る。
エリザベスは、夕飯の買い出しでまだ帰って来ていないようだった。
卓袱台の上には、コンビニ袋から取り出されたエリザベスまんが八つ並んでいる。
「まさか、お前が買って来るとはな……」
「こりゃ、わしとエリーばあじゃ食べきれんぜよ。おんしも、最低二つは食べて貰わにゃーならん」
腕を組みエリザベスまんを見詰める桂に向かって、坂本が厳かにノルマを告げた。
途端、桂は正座を崩して後じさる。
「お、俺に、エリザベスを食え……だ、とッ? よくも、そんな酷い事を!」
両手を口の前で交差させ、食べられないと伝える様に左右に首を振り瞳を潤ませた。
坂本は、畳に両手を付いて桂の方へ身を乗り出すと真剣な表情で言い聞かせる様に一言、一言を区切って説得する。
「エリザベスがやない、エリザベスまんじゃ。しかも、贅沢なすき焼き味じゃぞ。一口齧れば、美味うてあっという間にペロリぜよ。なんぼ食のちんまいおんしでも、二個ばあ食べられるやお?」
「食えぬから、お前たちの分だけ買って来たのだぞ!無理を言うな!」
及び腰になりつつも、声だけは張り上げて反撃した。
だが、坂本も引く気は無いようで更に覆い被さって決断を迫る。
そして、桂の痛い所を突いた。
「食べ物を粗末にしちゃならんと、教わらなかったかえ?」
サングラスを外した厳しい眼差しで問われ、桂の脳裏には両親を始め祖母や恩師の顔が浮かぶ。
桂自身も子供の頃からその教えを守って来たし、攘夷戦争時代は特に口を酸っぱくして説教する側にいた。
その言葉を持ち出されては、どうしようもなくなる。それでも……
「辰馬! 貴様は、鬼か! あの様に可愛らしいものを噛めと? その上、飲み込んで食べろと言うのか!」
坂本ならそんな反論でも許されるのではないかと、責められっぱなしの体勢から身を起こして反撃する。
潤んだ瞳で蒼い瞳を見詰め返せば、返って来たのは優しい笑顔。
「ほうじゃのぉ」
穏やかな声音に、分かってくれたのかと桂も笑み返す。
「じゃったら、見えなければえいがやか?」
「え?」
言われている意味が分からないと首を傾げる桂を置いて、坂本は箪笥の抽斗から手拭いを取り出し戻って来た。
嫌な予感に、桂は再び逃げようとする。
だが、坂本の伸ばした手はしっかりと桂の足首を捉えた。
「おい、辰馬? 何をする気だ?」
「ちっくとの間、見えなくするばあちや」
楽しそうな笑顔で桂の膝の上に体重をかけて座ると、両手で手拭いを伸ばす。
「重いぞ! 退かぬか、おいっ」
押し退けようとした両手に、さっと手拭いが巻かれて手首を縛られる。
「ちょ?」
「いい子やき、大人しくしっちょり」
はらりと、もう一枚隠し持っていた手拭いを慄く桂の目前に見せつけた。
「止めんかッ!」
「止めんよー」
数度の押し問答も坂本の強固な姿勢を覆す事は出来ず、壁際まで追い詰められる。
「ほれ、観念しや」
桂の頭を手拭いで壁に押し付ける様にして、目隠ししてしまった。
手首を縛られ視界も遮られて憤る桂を、坂本はヒョイっと抱え上げ卓袱台の横まで連れ戻す。
背を抱いたまま、組んだ膝の上へと下した。
「おい! 悪ふざけも大概にせんか!」
身を捩り足をバタつかせても、坂本の腕はがっちりと桂を胸に抱き込んで離れない。
「てんごうしちょる訳じゃー無いぜよ。おんしが食べやすいよう、手伝おちゅうばあやき」
卓袱台の上にあるエリザベスまんを掴んで、桂の口元へと運ぶ。
だが、桂は唇を固く閉じて左右に首を振って拒絶した。
見えなくとも、エリザベスまんの可愛さは瞼の裏に焼き付いている。この柔らかな皮に、歯を立てるなど出来ない。
「いごっそうじゃの」
坂本の呟きと共に、唇に寄せられていたエリザベスまんの柔らかな感触が離れた。
諦めたのか、別の手を使うつもりなのか、それとも呆れてしまったのだろうか?
見えないだけに、坂本がどう思ったのかが分からない。ただ、怒っていない事だけは分かる。
自分に対しては、滅多な事で怒ったりはしないのだと確信があった。
それに、あと少しすればエリザベスも帰って来る。
このまま口を閉ざしていれば諦めるだろうと息を潜めるていたが、いきなり鼻をつままれた。
鼻呼吸が出来なければ、口を開くしかない。ましてや、手首を縛られて抵抗も出来ないのだ。
我慢にも、限界がある。
「ンぷはぁ!」
肺の中の空気を使いきり、桂は釣り上げられた魚のように空気を求めて口を開いた。
新鮮な空気が、口内を潤し喉を通り抜け肺を満たす。
「貴様っ!俺を殺す気、ンッん」
またしても、文句を言い終わる前に口を塞がれた。
今度は、見えなくとも分かる。
覚えのありすぎる感触が、開いた唇の隙間から忍び込み舌を絡め取って口内を蹂躙してゆく。
「ンッ、ふっ、ンーンーッ!」
坂本の舌技に酔わされる前に逃れようと足掻くが、肩を抱いていた手がいつの間にか首筋まで這い上がっていて、大きく首を振る事も出来ない。
強く抱き込まれて次第に気持ちが蕩け、理性が麻痺した様にぼうっとしてくる。
桂の全身から力が抜け一切の抵抗も止めた所で、坂本はディープなキスから啄む様な軽いキスに変えた。
物足りなさに、桂の唇から強請る吐息が零れる。
「うん? 口淋しいなが」
視覚を奪われた分、聴覚が敏感になっていた。
声に含まれた甘い響きを感じ取り、桂は素直にこくりと頷く。
「ほれ」
声と共に唇を割り入ってくる坂本の節高い指が与えてくれる快感を思い、舌を絡めて吸い付いた。
「……?」
口の中に広がる肉感は肉感でも指の肉感では無く、しっかりとした味わいのある物。
それは、すき焼き風味の……
そう、エリザベスまんの中身の味だった。
まんまと坂本の誘惑作戦に引っ掛かってしまったのだと気付き、銜えた指を噛んでやろうかと思ったその時。
廊下と居間を隔てる障子の引かれる音がした。
「おん、エリザベスおかえり」
続く坂本ののんびりとした声。
どうやらエリザベスが帰って来たらしいと、思った所で桂は自分の状態を思い出した。
手首を縛られたまま、両腕を上げて親指の付け根全体を使い目隠し代わりの手拭いを必死に額の方へと引き摺り上げる。
まだ坂本の膝の上だったが、何の妨害も無く目隠しをずらすのに成功した。
最初に目に入ったのは、廊下を背に佇んでいるエリザベスの姿。
それから、掲げられているプラカードの文字。
【SMプレイ中でしたか、すみません。先に夜の見回り済ませてきますので、夕飯までに終わらせてください】
「すまんのぉ」
「ち、違うぞ、エリザベスッッッ! 辰馬! 貴様も、何を肯定しているっ!」
必死に弁明するも、縛られている姿では説得力が無い。
【あ、コレ。懐かしかったので、後で一緒に食べて下さい】
エリザベスは、座っている二人の前にコンビニの袋を置いた。
「ほりゃあ……」
「もしや、それは……」
半透明の袋の中に、丸みを帯びたシルエットの物が数個。
【エリザベスまんです。六つ買ってきました】
「六つだと!」
「合計で、十四じゃ……の」
固まる二人にエリザベスは【では、行ってきます】と背を向けて、出て行った。
再び二人っきりに戻った部屋で、坂本が呟く。
「これでおんしも、何がなんちゃー食べて貰わんとな」
「……分かった、覚悟を決める。決めるから、これを解いてくれ!」
坂本の目前に両手首を差し出したが、その言葉はスルーされて別の返事が返って来た。
「せっかくエリーが気を使ってくれたきに、わしらぁも先に腹の減る運動するぜよ」
ニヤリと悪い笑みを湛えた坂本が、桂を畳の上に横たえ覆い被さった。
了 2018.11.27 (いい夫婦の日11/22に遅刻)
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