ななだる旅情


部屋に戻ると既に料理が運び込まれていて、エリザベスが先に麦酒を飲んでいた。
「ただいま、エリザベス」
「待たせたのぉ」
二人はエリザベスの向かい側に並んで座り、我先にと大滝と蛍の話をする。
エリザベスは、二人の話に耳を傾けつつ飯櫃から三人分の飯をよそおい、一人用鍋の下に置いてある固形燃料に次々と火を付けた。
食事の準備を進めるエリザベスを見習って、坂本と桂も話を中断し互いのグラスに麦酒を注ぎ合う。
「美味そうじゃの!」
【食後のデザートは、冷蔵庫に入れて貰いました。あ、桂さん! 今の内に伊勢海老の写真を!】
「おお! そうであった!」
桂がえび滝で語った野望を忘れないよう助言してから、仲居から聞いた料理の説明の受け売りを述べた。
二人は喜んで、料理とエリザベスを交互に見る。
「ほれじゃ、乾杯するぜよ!」
「うむっ。美味い料理と、温泉と七滝に!」
【乾杯!】
麦酒を満たした三つのグラスが、高々と掲げられ小気味良い音を響かせて打ち合わされた。
最初の一杯は、一気に飲み干される。二杯目を注ぎ合い、和やかな楽しい食事が始まった。
座敷机には坂本が追加で頼んだ舟盛りが中央部に置かれ、伊勢海老は食べやすく身を解されて盛り付けてある。その下に敷かれている刺身のツマは、白髪大根に海藻とワサビ。周りにはマグロやハマチ、イカや甘エビ貝柱等々の数種の刺身が同じように彩良く盛られていた。
舟盛りを取り囲むように季節の天ぷら盛り合わせや、山海の珍味による煮物・焼物・汁物や和え物が所狭しと並ぶ。
一人用の鍋には、名物の猪肉が入っている。
桂の好物を坂本が伝えたのか、緑の美しい茶蕎麦も涼し気な硝子の小鉢に盛られてあった。
【桂さん、こっちの蕎麦もどうぞ】
「おん、猪肉が煮えちゅうがよ」
「辰馬、鰹のタタキもあるぞ!」
料理に舌鼓を打ち、互いの好物を分け与え、楽しい話題に花が咲く。
麦酒瓶が空になると、追加で頼んでいた酒が熱燗で運ばれて来た。
伊豆の地酒で、銘柄は『げんこつ』だと仲居が説明する。
「富士山湧水仕込みで、後口のキレが良いんですよ」
坂本とエリザベスは聞いて直ぐに盃を呷ったが、桂だけはふと遠くに視線を投げた。
「……小太郎?」
訝しむ視線で坂本が問うと、儚い笑みが返る。
「いや……」
「うん?」
「子供の頃、アイツらの喧嘩の巻き添えになって、先生からげんこつを頂いたものだと思いだしてな」
萩の片田舎にある村塾で過ごした懐かしい日々が、桂の脳裏に浮かぶ。
「ほうか……」
坂本の手が桂の頭を撫でて、肩を引き寄せる。
「ほれ、飲め。懐かしい味がするかも知れないぞ」
カチッと盃を合わせて、飲むよう促す。桂を見守る視線は、優しく包み込むようだった。
「そうだな、きっと……」
熱い酒を口に含むとガツンとした辛みを最初に感じるが、酒気が鼻腔に抜けるとあっさりとした喉越しに変わる。
好みの味に、桂は華やかな笑みを取り戻した。
それを見た坂本とエリザベスは、ほっとして再び箸を進める。
食事の席は、明るさを取り戻した。
銚子の追加が運ばれ、やがて座敷机の上に並べられていた数々の料理も全て平らげられる。
最後に冷蔵庫から、デザートが出された。
季節のフルーツ、メロンや甘夏を使ったゼリー寄せで宝石の様にキラキラと輝いて目を楽しませる。
味は上品な甘さで、食事の締めに丁度良かった。

「ごちそうさまでした」
「ごちそうさんじゃった」
【お茶を、どうぞ】
二人が手を合わせ料理に感謝している横で、エリザベスがお茶を入れる。
結局、隠れ家に居る時と同じ流れになってきた。
けれど、一息ついた所で仲居が現れ料理の器を下げてゆく。
全て下げ終わると座敷机が拭き清められて、部屋に案内された時と同じ綺麗な状態に戻った。
「では、おやすみなさいませ」
仲居が就寝の挨拶をして部屋を出てゆく。最初に聞かされた通り、布団の準備はセルフサービスになっていた。
エリザベスと桂が奥の部屋で押入れから布団を取り出す気配がして、坂本はテレビのリモコンに伸ばした手を引っ込める。
「わしも手伝うぜよ」
各自が、自分の布団を敷く。部屋の真ん中に、川の字で三組の布団が並んだ。
ほろ酔い気分なのか、桂が子供の様に布団の上にころりと転がる。
俯せになって手足を伸ばしている姿を見て、坂本は内心で可愛いと思い笑み崩れた。
その坂本の目前に、エリザベスがプラカードを差し入れる。
【では、今から先ほどお伺いした大滝で蛍狩りをして、洞窟温泉に浸かってきます】
「ほんなら、わしも付き」
付き合おうと、言おうとしたがまたしてもプラカードを捻じ込まれた。
【いいえ、お気遣いなく。それより折角の部屋風呂なんですから、楽しんで下さい】
エリザベスの視線は、窓の向こうの部屋付き露天風呂から布団の上の桂へと向けられる。
坂本の視線も、それを追い桂の上へと動く。つまり、また気を使ってくれているのだと気が付いた。
「いや、エリー。小太郎は、酔っちゅうようじゃし……」
ほら、この通り。と、伝えるように桂の後頭部を撫でる。
「俺は、酔ってなどおらぬー!」
ころんと布団の上で体を回転させ起き上がろうとするが、腕を立て上半身を起こした姿勢のまま直ぐに横へ転がった。
「むっ?! 地震か?」
転がった言い訳か、本当に架空の地震のせいで起き上がれなかったと思い込んでいるのか、真面目な表情からは判別が付かない。ただ、酔いが足に来ている事は間違いなかった。
【いいえ、酒のせいです。危ないので、部屋のお風呂で我慢して下さい】
転がったままの桂の前に、そう書いたプラカードを差し出す。
「……部屋の風呂だと?」
ガッとプラカードを掴み、プラカードにエリザベスと話しかける。
「小太郎、こーた。露天風呂じゃよ。ほれ、一緒に入ろう」
見た目より酔っている桂の肩を抱き上げ子供をあやす様に話して、窓の向こう側にある部屋付きの露天風呂を指差した。
「おお! 露天風呂か! 露天風呂は良いな」
プラカードから手を離し、満面の笑みを浮かべて背中を支えている坂本の胸に頭を擦り付ける。
【坂本さん、桂さんをお願いします】
酒のせいだろう。珍しく素直に甘えている桂の様子に安心して、頷く坂本にそう託しエリザベスは部屋を出た。

***

露天風呂とはいえ、部屋付き用なので三方を竹で編んだ高い壁に囲まれていた。
隣の部屋や中庭越しから見えない配慮だろう。坂本は少し狭苦しさを感じた。
それでも、視線を上に転ずれば大滝の岩場と夜空が見える。
何より狭くとも腕の中に桂を抱いているので、大抵の不満は消し飛んだ。
総檜造りの丸い湯船に浸かり、向かい合わせに膝に乗せた桂の腰を引き寄せる。
酔っている状態だったが、泥酔では無いので風呂で汗をかけば多少アルコールが抜けるだろうと共に入る事にしたのだった。
「こたろ、星がきれえぜよ」
優しく話しかけると、坂本の肩に頭を乗せていた桂が視線を上げる。
まだ酔いが残っているからか、動きは緩慢だった。
「星は美しいが、俺は……」
語尾を濁して見上げた視線を落とすと、両腕を坂本の肩に回して身を寄せる。
「こぉーたろ? どがぁした?」
「何でもない」
湯の中で腰を撫でる大きな手を感じながら、桂は坂本に抱きつく腕に力を込めた。
昔は星空を美しいと見上げるだけだったが、今は星を見上げると切なくなる。
いつも傍にいないお前のせいだと言えば困らせるだけだと分かっているから、素面でそんな言葉は言えない。
互いにやるべき事があるのだ。恋しさだけで縛ることは出来ない。
けれど、それでも……
「こた?」
「今は、星より俺を見てくれ」
酔いに任せてそれだけ呟き、唇を寄せた。
「うん、おんしばあ見ちゅうよ」
桂の胸中に巣食う淋しさを感じたのか、いつもより更に甘く優しく囁き両手で桂の頬を包み込む。
互いの下腹に当たる兆しを感じながら、唇を求め合った。
労り慰めるような柔らかで甘いキスは、やがて深く貪るような激しさへと移ってゆく。
坂本の唇が、桂の濡れた肌の上に愛情の印を刻みつける。
下へ下へと刻印してゆくのに従って、桂は喉を仰け反らせ甘い吐息を漏らした。
昂る心音に連動する様に、風呂の湯も掻き回され湯船から溢れ出る。
その水音と荒い呼吸音が、夜の空気を震わせた。
高く昇りつめ絶頂の感覚を共有したあと、再び穏やかな口づけを交わす。
そして確かめ合った愛情に、身も心も満たされた。

「いい湯じゃったな」
「そろそろ、エリザベスが帰って来る頃かも知れん」
「ほんなら、上がるか」
手を取り合い、濡れた石畳みで滑らないよう露天風呂と部屋とを区切る窓辺まで戻る。
板間で手早く身体を拭いて、浴衣に袖を通す。
布団を敷いた和室に入ったが、エリザベスの姿は無かった。
「まだ、帰ってきていないのか」
「じきに戻るろう。それまで髪を乾かしちゃるき、こっちに座れ」
座敷机のある方の部屋へと、桂を呼ぶ。
坂本が桂の髪をドライヤーで乾かし終わったタイミングで、エリザベスが帰ってきた。
おかえりとただいまの挨拶のあと、蛍狩りと大滝の感想を聞いて明日の朝は三人で行こうと約束する。
翌日の予定が立った所で、部屋の電気を消した。

セルフで敷いた布団に、三人はそれぞれ横になる。
左右を坂本と桂、真ん中にエリザベスと家族仲良く川の字になって眠れるのを坂本は喜んだ。
地球にいられる時間は少ないが、出来る限りこうして思い出を作りたい。
逢えない時間を淋しさだけで覆わないよう、楽しい想い出を思い出せるようにと。
「小太郎、エリザベス」
電気を消した暗い部屋で、語りかける。二人はまだ眠っていなかった。
身じろぎする気配を感じたので、話しを続ける。
「明日は、伊豆熱海ルートで帰ろう。海を見ながら走れるきにのぉ」
「そうか、それは楽しみだ」
エリザベスも【ありがとうございます】とのプラカードを上げたが室内は暗くて見えない。
それでも、カタリと軽い音がしたのを聞き取った坂本と桂に通じたようだ。
「そう言えば、夏には花火大会もあると聞いたが」
「おん! それほんなら、また夏に来んとな」
桂の言葉に、坂本が次の約束を口にする。
二人の間で、通じ合う思いがあった。
夏なら少し前倒しになるが、エリザベスの誕生日祝い旅行が出来ると。
「寝るかの」
「うむ、おやすみ」
【おやすみなさい】
話す事は話し、予定も新しい約束も出来た。心地良い疲労感から、三人の瞼が閉じられる。
窓の外から聞こえる滝音を子守唄に、夢の世界へと。


了  2019.6.26 桂誕に寄せて。


追記: 旅行話ですが、フィクションです。実は、河津には行った事がありません。
作中の滝の様子も山荘も料理その他全てネットの観光地情報を検索したり、完全妄想の産物です。
なので、実際いかれた事のある方、知っている方にとっては失笑を誘う物だと思います。
ごめんなさい、ほぼ空想だけで書いてるので内容は信じないでくださいませ。
ではでは、桂さんお誕生日おめでとうございます。
そして、某フォロワー様! 素敵な情報をありがとうございました! 
お陰さまで、辰桂+エリーに楽しい旅をさせる事が出来ました。



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