ななだる旅情
旧天城トンネルを抜け、下田街道へと出る。
ここまで来れば、旅行の目的地河津七滝まではもうすぐだ。
車窓越しに二階滝を見たが、生い茂る葉に滝の全容を見る事は出来ない。
「葉の無い冬に見るのが、良いそうだ」
スマホで調べたのだろう、運転している坂本にそう告げる。
【駐車場からなら、全部ではないですが良い感じに見れるそうですよ】
エリザベスがプラカードを翳すが、運転中の坂本にその文章を読む事は出来ない。
山道で脇見運転する訳にはいかなかった。
気付いた桂が代わりに読み上げるが、車はもう進み過ぎていてバックしなければならない所に来ている。
「すまん。冬までの楽しみに、とっといてくれぇ」
今回はスルーするとの言葉に、二人は笑顔で頷いた。いつになるかは分からないが、約束が一つ増えたと喜んで。
国道414号線(下田街道)を走って河津町へと入る。
見えて来たのは大きな河津七滝ループ橋だ。それは二連の円を描いていて、まるでジェットコースターのように見える。
走りたい衝動に駆られたが、酔いやすい体質を考えると今日の所は諦めた。
河津七滝入り口と書かれた標識に従って、ループ橋の下を通り七滝観光センターの横をも通り抜ける。
今夜の宿にと予約を取っていた大滝近くの旅館の駐車場を目指した。
辿り着いたアマギ山荘は、純和風の落ち着いた旅館で老舗らしい風格がある。
美しく整えられた庭園風の表玄関から、広いロビーに入ると女将と仲居が出迎えてくれた。
坂本がチェックインの手続きをしている間、桂とエリザベスは中庭に面した大きなガラス窓横のテーブルセットに案内され、お茶とお茶菓子のもてなしを受ける。
「辰馬、ありがとう」
手続きを終え合流してきた坂本に、桂は礼を言って迎えた。
坂本は笑顔で応え、桂の隣に座って出されたお茶を飲む。
「さすが静岡じゃな、お茶が美味いぜよ」
褒め言葉に喜んだ仲居は、お茶の銘柄や供した茶菓子は旅館内の売店にある事を宣伝する。
そうして談笑とお茶を楽しんだ後、絨毯を敷き詰められた廊下を渡り今夜宿泊する部屋へと案内された。
「こちらは、窓から大滝が見えるんですよ」
仲居が館内施設の説明と共に、部屋の窓からの景色も教えてくれる。
部屋は玄関を開けると短い廊下で、その横にトイレがあった。
中は二間続きの和室で、手前の部屋にテレビと座敷机が置かれ奥の部屋は押入れと箪笥代わりの物入れ。
その更に奥が縁側になっており、窓を開けると左右を竹垣で囲われた部屋付きの露天風呂に出られる仕様になっている。
つまり、露天風呂を楽しみながら大滝が見られるのだった。
「では、ご夕食は七時からですね。当館は、布団敷きはセルフサービスで行っておりますので宜しくお願い致します」
最後の確認を終えて仲居が部屋から下がると、坂本は部屋に置いてある旅館と観光案内のパンフレットを広げる。
左右から桂とエリザベスも覗き込んで来た。
「おお! 大浴場に、洞窟風呂もあるのか! 凄いなっ」
「露天風呂は、総ヒノキじゃと。小太郎、一緒に入ろうな」
桂の手に手を重ね、甘い雰囲気を作る坂本を無視してエリザベスがプラカードを上げる。
【七つも滝があるんですね】
「おん! 今から、全部回るがでよ」
「ふむっ。ここの隣の大滝から出合滝、かに滝、初景滝、蛇滝、えび滝、釜滝で一時間程か」
「『たき』じゃのおて、『だる』と読むらしいよ」
坂本がパンフレットの説明文を指差して、桂に教えた。
この地域に伝わる平安時代からの民族語で、水が垂れるから『滝』を『だる』と読むのだと。
「なるほど。この七滝は、ななだると読むのだな」
桂が納得した所で、坂本が立ち上がる。
「ほれじゃ、行くぜよ」
「うむっ。エリザベス、行くぞ!」
桂も立ち上がり、坂本と二人して左右からエリザベスの腕を取って立ち上がらせた。
【え? 温泉と夕食だけの約束では?】
「あははっ、あははっ。ほがなこと、ゆうたかぇ?」
「歩いて腹を空かせた方が、飯が美味いぞ!」
プラカードに文字を書いた所で、読まれなければ通じない。
読む気もなさそうな二人の態度に諦めて、エリザベスも七滝(ななたる)観光に参加することにした。
***
「大滝はしまいの楽しみに取っておいて、出合滝から回らんか?」
宿を出る間際、見送りの仲居から何か聞いたらしい坂本が二人にそう提案する。
大滝は宿の窓から見えるほど近くにあるので、ここに滞在する間はいつでも見る事が出来ると二人も簡単に賛同した。
「ほれじゃ、歩きゆうよ」
サッと両手を出して、桂の手とエリザベスの腕を掴もうとする。
「馬鹿者、ちゃんと前を見て歩かんか!」
【坂本さん、危ないですよ】
家族旅行のような感じで嫁と息子の手を引きたいと思った坂本の儚い夢は一蹴されたが、元々ポジティブシンキングな男なだけに拘りは捨て友人的な距離に切り替える事にした。
二人が共に楽しんでくれれば、それでいいと。
宿で貰った観光案内図を見ながら十五分ほど歩くと、河津観光センターに着いた。
そこでもわさびソフトが販売されていて帰りに食べるかなどと相談しつつ、バス停横を通り過ぎる。
「ねぇ、ねぇ。修善寺方面のバスに乗って、水垂で降りると往復しなくて済むよー」
他の観光客がガイドブックを見ながらそう話しているのが聞こえて来たが、夕食に豪華舟盛りが待っている三人は往復する気満々だったのでその情報を気に留める事無く案内板に従って出合滝を目指した。
観光センターからすぐ近く、手摺の付いた細い石階段を下るとすぐに出合滝が見える。
落差は二メートル・幅二メートルの滝で豪快な水音はしないが、滝壺の色が実に美しい。
流れ込んでくる飛沫の白、岩陰の深い群青、陽に透けて煌めく淡い緑。
桂は感嘆の声を上げ、坂本の袖を引く。
「青緑というのだろうか? 深い綺麗な色の水だな」
「瑠璃色ぜよ。まっこと、きれえじゃのぉ」
滝を見詰める桂の横顔に、優しい声音と笑顔で返事をした。
仲睦まじい二人に、エリザベスが滝の説明看板のありかを教える。そこには名前の由来が記されていた。
河津川と荻野入り川の二つの流れが、この場所で出合って一つの流れになる。その事から、出合滝と名付けられたそうだ。
三人は暫しの間、午後の涼やかな風と滝壺の美しい色合いを堪能する。
それから、そこにあったハート型の絵馬に三人の名前と今日の日付を書き込み吊るした後、次の滝を目指した。
川沿いを簡単な柵で区切りもう片側は山を切り出して、その間に作られた遊歩道をのんびり歩く。
出合滝から五分ほど歩いて左側に曲がると、かに滝の看板が見えた。
看板に落差二メートル・幅一メートルと書かれている。
三人は石段を降りて川縁に立つ。
【さっきの滝より、小さいですね】
「うむっ、どの辺がカニなのだろう?」
「あこに、岩があるろう。あれがカニの甲羅に見えるからだと、書いてあるぜよ」
坂本が観光案内図片手に指差したのは、滝の横にある玄武岩だった。
「おお! 確かに見えない事も無い」
桂が納得しているのか、いないのか分からない返事をしながら小さな滝の左手側の岩をまじまじと眺める。
その横で、エリザベスがスマホのカメラを起動していた。カシャっと電子音をさせて、かに滝を撮る。
「あっ! 出合滝で撮るのを忘れていたッ!」
「慌てのうても、帰りも寄るからなんちゃーがやないだよ」
エリザベスが撮影しているのを見て、今にも戻って行きそうな勢いの桂を坂本が後ろから抱き止めた。
「そうであったな…… お前達も、撮るのを忘れていたようだし。今度は覚えていてくれよ、もう!」
坂本の腕の中で、少し拗ねたように唇を尖らせる。
実はエリザベスも坂本もちゃっかり撮っていたのだが、言えなくなってしまった。
きっと、正直に言えば桂が拗ねてしまうだろうから。
下手に追及される前に、エリザベスがまたシャッター音を響かせた。
坂本はしっかり反応して、桂を胸に引き寄せる。
「え?」
「ほれ、もう一枚! チーズぜよ」
「ばか者っ! 破廉恥な写真を撮るなッ!」
かに滝をバックに、坂本に抱き締められる桂と桂に叩かれる坂本の写真二枚が、エリザベスのスマホの画像ファイルに収められた。
ここまで来れば、旅行の目的地河津七滝まではもうすぐだ。
車窓越しに二階滝を見たが、生い茂る葉に滝の全容を見る事は出来ない。
「葉の無い冬に見るのが、良いそうだ」
スマホで調べたのだろう、運転している坂本にそう告げる。
【駐車場からなら、全部ではないですが良い感じに見れるそうですよ】
エリザベスがプラカードを翳すが、運転中の坂本にその文章を読む事は出来ない。
山道で脇見運転する訳にはいかなかった。
気付いた桂が代わりに読み上げるが、車はもう進み過ぎていてバックしなければならない所に来ている。
「すまん。冬までの楽しみに、とっといてくれぇ」
今回はスルーするとの言葉に、二人は笑顔で頷いた。いつになるかは分からないが、約束が一つ増えたと喜んで。
国道414号線(下田街道)を走って河津町へと入る。
見えて来たのは大きな河津七滝ループ橋だ。それは二連の円を描いていて、まるでジェットコースターのように見える。
走りたい衝動に駆られたが、酔いやすい体質を考えると今日の所は諦めた。
河津七滝入り口と書かれた標識に従って、ループ橋の下を通り七滝観光センターの横をも通り抜ける。
今夜の宿にと予約を取っていた大滝近くの旅館の駐車場を目指した。
辿り着いたアマギ山荘は、純和風の落ち着いた旅館で老舗らしい風格がある。
美しく整えられた庭園風の表玄関から、広いロビーに入ると女将と仲居が出迎えてくれた。
坂本がチェックインの手続きをしている間、桂とエリザベスは中庭に面した大きなガラス窓横のテーブルセットに案内され、お茶とお茶菓子のもてなしを受ける。
「辰馬、ありがとう」
手続きを終え合流してきた坂本に、桂は礼を言って迎えた。
坂本は笑顔で応え、桂の隣に座って出されたお茶を飲む。
「さすが静岡じゃな、お茶が美味いぜよ」
褒め言葉に喜んだ仲居は、お茶の銘柄や供した茶菓子は旅館内の売店にある事を宣伝する。
そうして談笑とお茶を楽しんだ後、絨毯を敷き詰められた廊下を渡り今夜宿泊する部屋へと案内された。
「こちらは、窓から大滝が見えるんですよ」
仲居が館内施設の説明と共に、部屋の窓からの景色も教えてくれる。
部屋は玄関を開けると短い廊下で、その横にトイレがあった。
中は二間続きの和室で、手前の部屋にテレビと座敷机が置かれ奥の部屋は押入れと箪笥代わりの物入れ。
その更に奥が縁側になっており、窓を開けると左右を竹垣で囲われた部屋付きの露天風呂に出られる仕様になっている。
つまり、露天風呂を楽しみながら大滝が見られるのだった。
「では、ご夕食は七時からですね。当館は、布団敷きはセルフサービスで行っておりますので宜しくお願い致します」
最後の確認を終えて仲居が部屋から下がると、坂本は部屋に置いてある旅館と観光案内のパンフレットを広げる。
左右から桂とエリザベスも覗き込んで来た。
「おお! 大浴場に、洞窟風呂もあるのか! 凄いなっ」
「露天風呂は、総ヒノキじゃと。小太郎、一緒に入ろうな」
桂の手に手を重ね、甘い雰囲気を作る坂本を無視してエリザベスがプラカードを上げる。
【七つも滝があるんですね】
「おん! 今から、全部回るがでよ」
「ふむっ。ここの隣の大滝から出合滝、かに滝、初景滝、蛇滝、えび滝、釜滝で一時間程か」
「『たき』じゃのおて、『だる』と読むらしいよ」
坂本がパンフレットの説明文を指差して、桂に教えた。
この地域に伝わる平安時代からの民族語で、水が垂れるから『滝』を『だる』と読むのだと。
「なるほど。この七滝は、ななだると読むのだな」
桂が納得した所で、坂本が立ち上がる。
「ほれじゃ、行くぜよ」
「うむっ。エリザベス、行くぞ!」
桂も立ち上がり、坂本と二人して左右からエリザベスの腕を取って立ち上がらせた。
【え? 温泉と夕食だけの約束では?】
「あははっ、あははっ。ほがなこと、ゆうたかぇ?」
「歩いて腹を空かせた方が、飯が美味いぞ!」
プラカードに文字を書いた所で、読まれなければ通じない。
読む気もなさそうな二人の態度に諦めて、エリザベスも七滝(ななたる)観光に参加することにした。
***
「大滝はしまいの楽しみに取っておいて、出合滝から回らんか?」
宿を出る間際、見送りの仲居から何か聞いたらしい坂本が二人にそう提案する。
大滝は宿の窓から見えるほど近くにあるので、ここに滞在する間はいつでも見る事が出来ると二人も簡単に賛同した。
「ほれじゃ、歩きゆうよ」
サッと両手を出して、桂の手とエリザベスの腕を掴もうとする。
「馬鹿者、ちゃんと前を見て歩かんか!」
【坂本さん、危ないですよ】
家族旅行のような感じで嫁と息子の手を引きたいと思った坂本の儚い夢は一蹴されたが、元々ポジティブシンキングな男なだけに拘りは捨て友人的な距離に切り替える事にした。
二人が共に楽しんでくれれば、それでいいと。
宿で貰った観光案内図を見ながら十五分ほど歩くと、河津観光センターに着いた。
そこでもわさびソフトが販売されていて帰りに食べるかなどと相談しつつ、バス停横を通り過ぎる。
「ねぇ、ねぇ。修善寺方面のバスに乗って、水垂で降りると往復しなくて済むよー」
他の観光客がガイドブックを見ながらそう話しているのが聞こえて来たが、夕食に豪華舟盛りが待っている三人は往復する気満々だったのでその情報を気に留める事無く案内板に従って出合滝を目指した。
観光センターからすぐ近く、手摺の付いた細い石階段を下るとすぐに出合滝が見える。
落差は二メートル・幅二メートルの滝で豪快な水音はしないが、滝壺の色が実に美しい。
流れ込んでくる飛沫の白、岩陰の深い群青、陽に透けて煌めく淡い緑。
桂は感嘆の声を上げ、坂本の袖を引く。
「青緑というのだろうか? 深い綺麗な色の水だな」
「瑠璃色ぜよ。まっこと、きれえじゃのぉ」
滝を見詰める桂の横顔に、優しい声音と笑顔で返事をした。
仲睦まじい二人に、エリザベスが滝の説明看板のありかを教える。そこには名前の由来が記されていた。
河津川と荻野入り川の二つの流れが、この場所で出合って一つの流れになる。その事から、出合滝と名付けられたそうだ。
三人は暫しの間、午後の涼やかな風と滝壺の美しい色合いを堪能する。
それから、そこにあったハート型の絵馬に三人の名前と今日の日付を書き込み吊るした後、次の滝を目指した。
川沿いを簡単な柵で区切りもう片側は山を切り出して、その間に作られた遊歩道をのんびり歩く。
出合滝から五分ほど歩いて左側に曲がると、かに滝の看板が見えた。
看板に落差二メートル・幅一メートルと書かれている。
三人は石段を降りて川縁に立つ。
【さっきの滝より、小さいですね】
「うむっ、どの辺がカニなのだろう?」
「あこに、岩があるろう。あれがカニの甲羅に見えるからだと、書いてあるぜよ」
坂本が観光案内図片手に指差したのは、滝の横にある玄武岩だった。
「おお! 確かに見えない事も無い」
桂が納得しているのか、いないのか分からない返事をしながら小さな滝の左手側の岩をまじまじと眺める。
その横で、エリザベスがスマホのカメラを起動していた。カシャっと電子音をさせて、かに滝を撮る。
「あっ! 出合滝で撮るのを忘れていたッ!」
「慌てのうても、帰りも寄るからなんちゃーがやないだよ」
エリザベスが撮影しているのを見て、今にも戻って行きそうな勢いの桂を坂本が後ろから抱き止めた。
「そうであったな…… お前達も、撮るのを忘れていたようだし。今度は覚えていてくれよ、もう!」
坂本の腕の中で、少し拗ねたように唇を尖らせる。
実はエリザベスも坂本もちゃっかり撮っていたのだが、言えなくなってしまった。
きっと、正直に言えば桂が拗ねてしまうだろうから。
下手に追及される前に、エリザベスがまたシャッター音を響かせた。
坂本はしっかり反応して、桂を胸に引き寄せる。
「え?」
「ほれ、もう一枚! チーズぜよ」
「ばか者っ! 破廉恥な写真を撮るなッ!」
かに滝をバックに、坂本に抱き締められる桂と桂に叩かれる坂本の写真二枚が、エリザベスのスマホの画像ファイルに収められた。