いつか来る日の夢(辰誕)



宇宙商人・坂本辰馬の今年の誕生日は、快援隊の皆が遅くまで祝ってくれた。
なので、桂とエリザベスの待つ家に向かったのは日付の変わる一時間ほど前。
今日の予定を知らせていたので、家族三人での祝いの膳は前日に済ませてある。
二日続きの祝いの楽しい思い出とアルコールが、坂本の足取りを軽くし鼻歌まで引き出した。
最初は冬の星座を見上げながら、しかし住宅街に入る頃には歌うのを控える。
寝静まっている街中を騒がせてはいけないとの分別はまだあった。
ぽつりぽつりと疎らに小さな灯りがあるのは、まだ起きている住民もいるのだと知らせる。
(小太郎は、はや寝ちょるかのぉ)
胸中で問いかけたところで、答えは見つからない。
早起きな男だから、もう眠っている確率の方が高いだろう。
でも、もしかしたら誕生日の夜だから、起きて帰宅を待ってくれているかもしれない。
そんな予感が湧き上がり、足を急がせた。
次の角を曲がれば、帰るべき家が見えてくる。
小さな古い一軒家、申し訳程度の中庭と低い門扉。
横開きの曇り硝子扉の上部には、淡い色合いの常夜燈。それ以外の灯が漏れていたならば、きっと……
角を曲がると、常夜燈の光の下に人影が見えた。
ほっそりとした長身、光を受けた長い髪が艶めいている。
(小太郎?!)
玄関先に立つ男が誰なのか、ひと目で分かった坂本は一目散に駆けつけた。

「おかえり、辰馬」
玄関先で桂が待っていた事に驚いたが、嬉しさが勝る。
「小太郎、ただいまじゃあ」
満面の笑顔のまま、外だというのに思いっ切り桂を抱き締めた。
叱られたら、酔いのせいだと誤魔化す心の準備も出来ている。
「楽しかったようだな」
意外な事に、抱き締め返されて面食らった。
(暗がりやきろうか?)
桂の小言が出ないのをこれ幸いと、楽しかったとの返事もそこそこに『ただいまの口付け』を掠め取る。
その唇の冷たさに、またしても驚いた。
「おんし、いつからココで待っちょったがだ?」
瞳を覗き込んで尋ねるのに、背中に回していた手を桂の肩へと移動させる。
その手に、桂の手が重なった。
「ほんの数分だ。そろそろ帰って来る頃だろうと思ってな。良い勘だろう」
にっこりと艶やかに笑んで、重ねた手の指を絡める。
いつもと様子が違って見えるのは、夜の闇の悪戯か? それとも、アルコールの見せた幻か?
どちらでも構わないと、坂本の喉仏が上下する。
もう一度強く抱き締めたくて気持ちはソワソワし、絡めた指に力が籠った。
「冷えるから、はよぅ中に入ろう」
言外に、互いの体温で暖め合おうと誘いをかける。
けれど桂はくるりと身を躱し、向かい合わせから横並びへと体勢を転じた。
「辰馬、まだ腹に余裕はあるか?」
グイグイ腕を引いて、門扉から外へと出てしまう。
「美味い夜鳴きそばの屋台があるのだ」
桂の態度は誘いというよりも、すでに決定事項の様だった。
坂本も桂が食べたいというのなら、叶えてやりたい。幸い胃袋は頑丈な方だ。
「そういやぁ、〆のラーメンは食べちょらんの」
「よし! ならば奢ってやろう!」
望む返事を聞いた桂は、破顔して満足そうに頷く。
「おん、ありがとさんじゃあ」
桂が引っ張る事を止め、坂本が歩調を揃える。
夜の寒さが二人を寄り添わせ、互いの笑顔と疎らな常夜灯の淡い光が二人の心を温めた。

***

桂お勧めの屋台は、駅の高架下でひっそりと営業していた。
先客は二名いたが、他人同士のようで特に会話も無い。
桂達が入ると、少しずつベンチ席の隙間を詰めてくれた。
先客を気にすること無く、坂本は持ち前の明るさで店主と雑談を始める。
最初は相槌だけに留めていた桂も、いつの間にか彼等の会話に混ざり打ち解けて笑い声を響かせていた。
屋台の客が入れ替わり、出汁の話題になった時には桂の方が熱心に話を広げる。坂本は、その姿を愛おしそうに目を細め眺めていた。
やがて、二人の丼鉢が空になる。
「親父さん、勘定を頼む」
「ご馳走さんぜよ」
玄関先での約束通り、桂が勘定を持ち坂本が礼を言う。
腹の中から温もり、あとはひと風呂浴びて共に床に就くだけだと坂本が先に暖簾をくぐる。
勘定を済ませた桂が暖簾から顔を出した所で、引き寄せる様に腰を抱こうとした。
だがその手は腰を掴めず、反対に桂の手に掴まれる。そのままするすると腕の筋肉をなぞるように下ろされ、自ら坂本の手の中に収まった。
深夜とはいえ、桂にしては大胆な行動。
屋台では酒を飲まなかった。だから酔っての行動では無い。
首を傾げると、桂がにっこりと笑って手を引っ張った。
「辰馬」
「うん?」
名前を呼ぶ声に、甘さが含まれている気がする。桂が外で甘えるなど珍しいと、鼻の下が伸びそうになるのを抑えて真顔を保つ。
「少し寄り道してくれ」
「こがな時間に? 構わんが、どこへ行くんじゃ?」
「駅向こうの公園だ」
最寄り駅から向こう側には、大きな自然公園がある。駅のこちら側ほど住宅開発が進んでいない為、広大な敷地があり町人の憩いの場になっていた。
しかし未開発故に、深夜まで利用出来るような施設は無い。せいぜい入口付近にコンビニがある程度だろう。
「……公園かぇ?」
何も無い夜の公園で出来るコト。
頭に閃いた二人で出来るコトに、一瞬小鼻を膨らませた。
(いや、いや、相手は小太郎やき! 野外プレイなんそ、ありえんじゃろ?)
けれどすぐ、理性が戻る。桂に限って、そんな事は無いと。ただの散歩に決まっている。
「たまには良いだろう?」
上目遣いの視線で、含みを持たせるような表情をした。意識的なのか、無意識なのか?
翻弄される坂本の内心の動揺など知らぬ桂は、返事も待たず急かすように歩き始める。
最初から、坂本に選択肢は無いようなものだった。

***

二人、手を繋いで歩いてゆく。
夜の空気は澄んでいて、吐く息の白さもよく見えた。
「こまい雲みたいじゃの」と笑う坂本に、桂も頷いて微笑み返す。
暗い公園の遊歩道には他に人影も無く、二人の貸し切りの様だった。
けれど、淋しさは微塵も感じない。
存外晩秋の夜の公園は、鳴く虫の声で賑やかだ。
天には瞬く星、隣には愛しい人の温もり、地にはオーケストラ。
(確かに、悪くないぜよ)と、今すら過ぎる返事を心の中で呟く。
それでも桂には通じたのだろうか、絡めた指先に少し力が加わった。

「ほら、あそこが目的地だ」
指差す遊歩道の先には、ログハウス風の建物がある。その前面には、大きな池があって小さな桟橋が突き出ていた。
そこが目的地だと言うが、窓に明かりは無く扉も閉まっている。
建物の前にある白い看板にはボート乗り場と書かれていたが、こんな夜中に営業しているとは思えない。
それでも、桂が引っ張るのに任せて桟橋まで付いて来た。
「昼の内に、店主に頼んでおいたのだ」
勝手知ったる様子で、坂本の手を引きながら桟橋の先端へと歩いてゆく。
先端には、一艘だけ遊覧用の手漕ぎボートが舫ってあった。
「ちゃんと料金も払っておいたから安心しろ」
そう言いながらも、桂自身は舫ってあるロープに手も触れない。
それだけでなく、繋いでいた手も離してしまった。
賃料を払ったのだから、乗って良いのだろうが桂がどうしたいのかが今一つ分からない。
誕生日プレゼントのつもりだという事は分かるが、その割に積極的に乗り込もうとしないのは何故なのか?
「辰馬? 乗らぬのか?」
ボートを前に躊躇う坂本を見て、桂の顔からも笑顔が消えた。不安そうに、表情を曇らせる。
「うん、乗るぜよ」
訳が分からないからと、折角の心尽くしを無駄にしてはいけない。船に乗るのは、いつだって嬉しい事なのだ。
坂本は気持ちを切り替えて笑顔を見せる。
途端、桂もホッとしたように瞳の翳りを払拭した。
坂本は桂の前を横切り、船縁から乗り込んで中央部に立つ。
続いて桂が乗り込んで来るかと待ったが、桂は桟橋から動かない。
「小太郎……」
名前を呼ぶと、真っ直ぐに見詰め返して来る。
物言いたげな眼差しなのに唇は引き結ばれたまま、何かを待っている様子。
対峙する視線と、緊張感。この空気は、何度か経験したもの。
「小太郎」
坂本は、右手を桂の方へ差しだした。
何度も失意で終わって来た言葉を、今ここで繰り返す気になった。
(間違っちょらんよな?)
きっと桂は、この世で一番欲しい言葉をくれるつもりなのだろう。
坂本は、迷う事無くそれを引き出す言葉を口に上らせた。
「わしの船に、一緒に乗ってくれ」
心からの切望、共に宇宙へと飛び立ちたい。
けれど、桂には志があり地球を離れる事は出来ないと分かっている。
だからこれは、疑似的な形でしかない。それでも、言葉は心に沁みるだろう。
「辰馬、俺をお前の船に乗せてくれ。すっと、お前と共にいたい」
綺麗な笑顔と、よく通る声。望み通りの言葉は、音楽の調べの様だった。
喜びに輝く坂本の瞳に、差し伸ばされる桂の手が映る。
「おん!」
互いの手と手が、しっかりと結ばれた。
約束の成就の様に、固い絆の様に。

舫いを解いた後、中央の座席に並んで座り舳先を池の中央に向けて漕ぎ出した。
ボートは夜の闇の中、緩やかに進んでゆく。
潮の流れの無い池の表面は鏡のようで、天をそのまま映し出していた。
二人の視線は天の星々と池の星々を交互に眺めた後、互いの傍らへと戻る。
交わす眼差しは互いへの想いで煌めいて、自然と笑顔が溢れ出す。
「こう星が凄いと、まるで宇宙にいるようだな」
「いつか、おんしに本物の宇宙を見せちゃる。今夜みたいに、一緒に並き眺めるぜよ」
「ああ、約束だ」
「約束ちや」
互いに身を寄せて、囁き交わす約束の言葉は睦言の色を帯びる。
そっと唇が近付いて、約束の印を求め合った。
星明りの下で交わす口づけに酔う。
小舟に揺られて二人、いつか来る日の夢をみよう。



2019.11.20(辰誕に遅刻)


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