願いごと書けた?
目覚まし時計のアラームが夕方の六時を告げる。
軽い電子音は桂小太郎の手によって、僅か数秒で止められた。
「エリザベス、そろそろ準備を始めるぞ」
【はい、桂さん! ご飯も炊けました】
呼び掛けに、プラカードと杓文字を持ったエリザベスが応える。
二人は頷きあってから、一心不乱におにぎりを握り始めた。
それは、これから出掛ける先で食べる為のもの。成人男性三人分だからと、具もご飯もたっぷり使った。
「これを食べたら、辰馬は驚くだろうな」
鰹のタタキを具にしたおにぎりに海苔を巻きながら、坂本のするであろう笑顔を思い微笑する。
【ンまい棒入りおにぎりの方が驚くと思います(苦笑)】
エリザベスは桂の珍しい悪戯を指摘する返事をした。
今日の桂は、悪戯心を起こすほど浮かれている。
いや、厳密にいうなら午後からだが。
七月に入ってすぐ、坂本から笹と七夕飾りのセットが送られて来た。
今年は一緒に七夕祭りが出来るとのメッセージも添えられて。
だから二人は早々に色紙を切って飾りを作ったり短冊を用意したり、坂本と一緒に過ごせる日のメニューを話し合いながら、指折り数えて七夕当日を待っていた。
しかし昨夜から雨が降り出し、二人の心も雨模様になる。
それでも、朝には止むかも知れないと期待を込めて眠りに就いた。
けれど翌朝も雨は止む気配が無く、更に坂本から家に帰れなくなったとの連絡が届く。
その知らせに二人はがっかりしたが、仕事なのだから仕方無いと諦め、買い込み過ぎた食料を冷蔵庫に収め昼食も終わった頃、また坂本からメール届いた。
それは嬉しい知らせ。
二十時頃、晩飯休憩が取れるから二時間程度でも良ければ逢いに来て欲しいと書かれてあった。
待ち合わせ場所は、ターミナルから少し離れた自然公園だと現地の地図が添付されている。
雨に濡れない場所があるから飾り付けた笹も持っておいでと、楽しい提案まであった。
桂はおにぎりを持って行くと返信をしてから、携帯を懐にしまう。その後エリザベスに向き合い満面の笑みで、おにぎりの具に関する悪戯を話して聞かせた。
「普通のおにぎりと、変わり種おにぎりを作るぞ!」
【変わり種ですか?】
エリザベスの問いに、ンまい棒やワサビといった罰ゲーム系の具材と坂本の好物のハンバーグや鰹のタタキなどを具体例としてあげる。
【じゃあ、飲み物もたっぷり持って行きましょう】
賛成の意思表示として、そう付け加えた。
***
夜の公園とは言え、天気が良ければ人気もあっただろう。しかし今夜は雨、それも時間が経つにつれ降り方が強まっている。
桂とエリザベスはそれぞれ傘を差し、笹にはビニール袋を被せた上で、屋根のあるベンチの下に立っていた。
そこまでしても、微風が吹けば雨粒に濡らされる。
せっかくの浮いた気分も、ジメジメとした湿気の多い空気と夜の闇のせいで段々落ちてゆく。
「遅い! いつまで待たせるつもりだ?」
【桂さん、まだ約束の十分前です】
「約束と言えば、五分前行動すべきだろう!」
【まだ、五分前じゃありません】
苛つく桂に突っ込みながら、エリザベスはこっそり笑いを噛み殺す。
いつも穏やかで落ち着いている桂だか、こと相手が坂本になると我儘な子供じみた態度を見せる。
本人は気付いているのか、いないのか? たとえ気付いていたとしても、認めないのではないかと思えた。
坂本の方は、いついかなる時でも桂に甘えられるのが嬉しい様子だから似合いの相手なのだろうと、エリザベスは一人頷く。
「エリザベス、なにをニヤついているのだ?」
【あ! あそこで手を振っているのは、坂本さんじゃないですか?】
桂の追及には答えず遠くの人影を指差して矛先を躱すと、見事なタイミングで坂本の大声が夜の公園にこだました。
「おーい! こっち来やー!」
「うむっ、五分前だな。行くぞ、エリザベス!」
懐中時計を確認してから、桂は笑顔になって坂本の立つ場所へと一歩を踏み出す。
途端、傘と笹を包んだビニール袋に雨粒が叩き付けられる音が激しくなった。勿論、それしきの事で怯んだりはしない。
疎らな常夜灯の明かりを頼りに、坂本の近くまで辿り着く。
「小太郎、エリー。すまんの」
家で一緒に過ごす約束を守れなかった事に対する詫びと、雨の中をわざわざ外出させた詫びの気持ちを言葉に込める。
その声音だけで、坂本が申し訳なく思っているのが伝わってきた。
「気にするな。仕事では仕方無い」
【雨に濡れない場所は、どこですか?】
気に病むなというように、桂とエリザベスが坂本の左右に立つ。二人の言葉と態度に、坂本も気持ちを切り替えた。
「こっちぜよ」
ひょいと桂の手から笹を抜き取り、奥の駐車場の方角を指さす。
降りしきる雨の中二人は目を凝らすが、その方角には闇が横たわるばかりで何も見えない。
それでも坂本は二人に背を向け、下駄を鳴らし水飛沫を上げて先に進んで行く。
「おい、待て!」
【坂本さん!】
「あははははっ、あははははっ」
追い駆けっこを楽しむような笑い声を上げ、坂本は足を早めた。
桂もエリザベスもムキになって、同じく速度を上げる。
そんな短い追い駆けっこの終了は、駐車場に到着した時だった。
***
「どうじゃ?」
黒くて大きな物体の前で、坂本は誇らしげに胸を張る。
「どうと言われても……」
【暗くて、よく見えません】
明かりの少ない駐車場では、物の形が朧な輪郭でしか分からない。
どうだと言われても、それが何か分からなければ反応のしようもないと桂とエリザベスはただ首を傾げた。
「これならどうじゃ? 見えるやお!」
二人の薄い反応に負けじと、傘を肩に挟みポケットから携帯を取り出してライトを点灯させ背後の物体を照らして見せる。
「ほれ! この太い胴体と高翼式主翼、補助ロケットも付いちょるきにゼロ距離発進も可能ぜよ!」
サングラスの下の瞳を輝かせ自慢の小型航空機の説明をするが、携帯の明かりでは機体の一部も照らせていない。
おまけにこの天候では、感心しろと言う方が無理な要求だ。
月明かりの下ならもう少し反応して貰えただろうにと思いつつ、時間が無いので残念な気持ちを立て直す。
「この雨じゃ、仕方無いの。ほれ、ここから中に乗り込きくれえ」
航空機の胴体扉をスライドさせて笹を投げ込むと、桂とエリザベスにも中に入るよう指示した。
傘から落ちる雫で足を滑らせないようライトで照らしてやり、中に濡れた体を拭けるタオルを用意してある事も教える。
機体の中は暗いから気を付けるよう注意すると扉を閉め、自身は操縦の為に機体の前方にある一段高いコックピットへ入った。
最新鋭の操縦席はほとんどコンソールだけで操縦できるよう設計されている。
そのお陰で、こうして一人で桂達を迎えに来ることが出来たのだ。
「じゃ! 発進するき、シートベルトを締めるぜよ!」
壁面に取り付けられたシートに並んで座った桂とエリザベスが、手探りでベルトを探しだす。
カチッと二つの音が重なって、桂が装着したことを告げた。
「締めたぞ!」
「おん! 発進じゃあ!」
坂本の指が動くと軽い電子音が響き、航空機が機械独特の唸りを上げる。
ライトが風防の向こう側を照らし、細かな雨の糸をキララに浮かび上がらせた。
殆どアプローチの要らない機体とはいえ駐車場から飛立たせるのに、坂本は神経を集中させる。
後部座席で、桂とエリザベスもまた緊張感を高めていた。
足元からせり上がってくる飛行前の細やかな振動。
シートベルトから身体に伝わる圧力は、機体が加速したことを知らせる。
だが、それも数十秒の事。横への圧が、縦への圧に取って代わられた。
緩やかに上昇するかに思われたが、風に煽られる木の葉のようにガタガタと機体が揺れる。
「おい! 大丈夫なのか!?」
「なんちゃーがやない、ただの乱気流やきすぐに抜けるぜよ。それより、まだシートベルトを外すがやないよ」
坂本の落ち着いた声に、桂は胸を撫で下ろす。そして余裕が出来た所で、投げ入れられたままの笹がどこにあるか視線で探した。
乱気流のせいで袋から飛び出し向かい側の席の上層部、格納庫のような部分の取手に引っ掛かっている。
まるで最初からそこに吊るされていたような様子になっていて、桂はひっそりと口元を綻ばせた。
(あとで、辰馬に教えてやろう)
操縦に集中している今、また声をかけるのは止めにして隣のエリザベスを見る。
桂の視線から気がついたのか、エリザベスも斜め前方を見上げていた。
その膝の上には、しっかりと風呂敷包みが乗せられている。
あんなにテンションを上げて作ったのに、その存在をすっかり忘れていた。
「すまぬ、エリザベス。ずっと持たせたままだったな、代わろう」
【重くないので、大丈夫です】
桂は覚えていたぞという顔をして手を差し出すが、エリザベスは左右に首を振り片手でプラカードを上げて断る。
そんなやり取りをしている間に嫌な揺れは収まり、いつの間にか坂本が二人の前に立っていた。
軽い電子音は桂小太郎の手によって、僅か数秒で止められた。
「エリザベス、そろそろ準備を始めるぞ」
【はい、桂さん! ご飯も炊けました】
呼び掛けに、プラカードと杓文字を持ったエリザベスが応える。
二人は頷きあってから、一心不乱におにぎりを握り始めた。
それは、これから出掛ける先で食べる為のもの。成人男性三人分だからと、具もご飯もたっぷり使った。
「これを食べたら、辰馬は驚くだろうな」
鰹のタタキを具にしたおにぎりに海苔を巻きながら、坂本のするであろう笑顔を思い微笑する。
【ンまい棒入りおにぎりの方が驚くと思います(苦笑)】
エリザベスは桂の珍しい悪戯を指摘する返事をした。
今日の桂は、悪戯心を起こすほど浮かれている。
いや、厳密にいうなら午後からだが。
七月に入ってすぐ、坂本から笹と七夕飾りのセットが送られて来た。
今年は一緒に七夕祭りが出来るとのメッセージも添えられて。
だから二人は早々に色紙を切って飾りを作ったり短冊を用意したり、坂本と一緒に過ごせる日のメニューを話し合いながら、指折り数えて七夕当日を待っていた。
しかし昨夜から雨が降り出し、二人の心も雨模様になる。
それでも、朝には止むかも知れないと期待を込めて眠りに就いた。
けれど翌朝も雨は止む気配が無く、更に坂本から家に帰れなくなったとの連絡が届く。
その知らせに二人はがっかりしたが、仕事なのだから仕方無いと諦め、買い込み過ぎた食料を冷蔵庫に収め昼食も終わった頃、また坂本からメール届いた。
それは嬉しい知らせ。
二十時頃、晩飯休憩が取れるから二時間程度でも良ければ逢いに来て欲しいと書かれてあった。
待ち合わせ場所は、ターミナルから少し離れた自然公園だと現地の地図が添付されている。
雨に濡れない場所があるから飾り付けた笹も持っておいでと、楽しい提案まであった。
桂はおにぎりを持って行くと返信をしてから、携帯を懐にしまう。その後エリザベスに向き合い満面の笑みで、おにぎりの具に関する悪戯を話して聞かせた。
「普通のおにぎりと、変わり種おにぎりを作るぞ!」
【変わり種ですか?】
エリザベスの問いに、ンまい棒やワサビといった罰ゲーム系の具材と坂本の好物のハンバーグや鰹のタタキなどを具体例としてあげる。
【じゃあ、飲み物もたっぷり持って行きましょう】
賛成の意思表示として、そう付け加えた。
***
夜の公園とは言え、天気が良ければ人気もあっただろう。しかし今夜は雨、それも時間が経つにつれ降り方が強まっている。
桂とエリザベスはそれぞれ傘を差し、笹にはビニール袋を被せた上で、屋根のあるベンチの下に立っていた。
そこまでしても、微風が吹けば雨粒に濡らされる。
せっかくの浮いた気分も、ジメジメとした湿気の多い空気と夜の闇のせいで段々落ちてゆく。
「遅い! いつまで待たせるつもりだ?」
【桂さん、まだ約束の十分前です】
「約束と言えば、五分前行動すべきだろう!」
【まだ、五分前じゃありません】
苛つく桂に突っ込みながら、エリザベスはこっそり笑いを噛み殺す。
いつも穏やかで落ち着いている桂だか、こと相手が坂本になると我儘な子供じみた態度を見せる。
本人は気付いているのか、いないのか? たとえ気付いていたとしても、認めないのではないかと思えた。
坂本の方は、いついかなる時でも桂に甘えられるのが嬉しい様子だから似合いの相手なのだろうと、エリザベスは一人頷く。
「エリザベス、なにをニヤついているのだ?」
【あ! あそこで手を振っているのは、坂本さんじゃないですか?】
桂の追及には答えず遠くの人影を指差して矛先を躱すと、見事なタイミングで坂本の大声が夜の公園にこだました。
「おーい! こっち来やー!」
「うむっ、五分前だな。行くぞ、エリザベス!」
懐中時計を確認してから、桂は笑顔になって坂本の立つ場所へと一歩を踏み出す。
途端、傘と笹を包んだビニール袋に雨粒が叩き付けられる音が激しくなった。勿論、それしきの事で怯んだりはしない。
疎らな常夜灯の明かりを頼りに、坂本の近くまで辿り着く。
「小太郎、エリー。すまんの」
家で一緒に過ごす約束を守れなかった事に対する詫びと、雨の中をわざわざ外出させた詫びの気持ちを言葉に込める。
その声音だけで、坂本が申し訳なく思っているのが伝わってきた。
「気にするな。仕事では仕方無い」
【雨に濡れない場所は、どこですか?】
気に病むなというように、桂とエリザベスが坂本の左右に立つ。二人の言葉と態度に、坂本も気持ちを切り替えた。
「こっちぜよ」
ひょいと桂の手から笹を抜き取り、奥の駐車場の方角を指さす。
降りしきる雨の中二人は目を凝らすが、その方角には闇が横たわるばかりで何も見えない。
それでも坂本は二人に背を向け、下駄を鳴らし水飛沫を上げて先に進んで行く。
「おい、待て!」
【坂本さん!】
「あははははっ、あははははっ」
追い駆けっこを楽しむような笑い声を上げ、坂本は足を早めた。
桂もエリザベスもムキになって、同じく速度を上げる。
そんな短い追い駆けっこの終了は、駐車場に到着した時だった。
***
「どうじゃ?」
黒くて大きな物体の前で、坂本は誇らしげに胸を張る。
「どうと言われても……」
【暗くて、よく見えません】
明かりの少ない駐車場では、物の形が朧な輪郭でしか分からない。
どうだと言われても、それが何か分からなければ反応のしようもないと桂とエリザベスはただ首を傾げた。
「これならどうじゃ? 見えるやお!」
二人の薄い反応に負けじと、傘を肩に挟みポケットから携帯を取り出してライトを点灯させ背後の物体を照らして見せる。
「ほれ! この太い胴体と高翼式主翼、補助ロケットも付いちょるきにゼロ距離発進も可能ぜよ!」
サングラスの下の瞳を輝かせ自慢の小型航空機の説明をするが、携帯の明かりでは機体の一部も照らせていない。
おまけにこの天候では、感心しろと言う方が無理な要求だ。
月明かりの下ならもう少し反応して貰えただろうにと思いつつ、時間が無いので残念な気持ちを立て直す。
「この雨じゃ、仕方無いの。ほれ、ここから中に乗り込きくれえ」
航空機の胴体扉をスライドさせて笹を投げ込むと、桂とエリザベスにも中に入るよう指示した。
傘から落ちる雫で足を滑らせないようライトで照らしてやり、中に濡れた体を拭けるタオルを用意してある事も教える。
機体の中は暗いから気を付けるよう注意すると扉を閉め、自身は操縦の為に機体の前方にある一段高いコックピットへ入った。
最新鋭の操縦席はほとんどコンソールだけで操縦できるよう設計されている。
そのお陰で、こうして一人で桂達を迎えに来ることが出来たのだ。
「じゃ! 発進するき、シートベルトを締めるぜよ!」
壁面に取り付けられたシートに並んで座った桂とエリザベスが、手探りでベルトを探しだす。
カチッと二つの音が重なって、桂が装着したことを告げた。
「締めたぞ!」
「おん! 発進じゃあ!」
坂本の指が動くと軽い電子音が響き、航空機が機械独特の唸りを上げる。
ライトが風防の向こう側を照らし、細かな雨の糸をキララに浮かび上がらせた。
殆どアプローチの要らない機体とはいえ駐車場から飛立たせるのに、坂本は神経を集中させる。
後部座席で、桂とエリザベスもまた緊張感を高めていた。
足元からせり上がってくる飛行前の細やかな振動。
シートベルトから身体に伝わる圧力は、機体が加速したことを知らせる。
だが、それも数十秒の事。横への圧が、縦への圧に取って代わられた。
緩やかに上昇するかに思われたが、風に煽られる木の葉のようにガタガタと機体が揺れる。
「おい! 大丈夫なのか!?」
「なんちゃーがやない、ただの乱気流やきすぐに抜けるぜよ。それより、まだシートベルトを外すがやないよ」
坂本の落ち着いた声に、桂は胸を撫で下ろす。そして余裕が出来た所で、投げ入れられたままの笹がどこにあるか視線で探した。
乱気流のせいで袋から飛び出し向かい側の席の上層部、格納庫のような部分の取手に引っ掛かっている。
まるで最初からそこに吊るされていたような様子になっていて、桂はひっそりと口元を綻ばせた。
(あとで、辰馬に教えてやろう)
操縦に集中している今、また声をかけるのは止めにして隣のエリザベスを見る。
桂の視線から気がついたのか、エリザベスも斜め前方を見上げていた。
その膝の上には、しっかりと風呂敷包みが乗せられている。
あんなにテンションを上げて作ったのに、その存在をすっかり忘れていた。
「すまぬ、エリザベス。ずっと持たせたままだったな、代わろう」
【重くないので、大丈夫です】
桂は覚えていたぞという顔をして手を差し出すが、エリザベスは左右に首を振り片手でプラカードを上げて断る。
そんなやり取りをしている間に嫌な揺れは収まり、いつの間にか坂本が二人の前に立っていた。
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