Fly Me to the Moon
約束の曲、『Over The Rainbow』の旋律が音楽室内に流れ出し、二人の空間を満たしてゆく。
雨の後の輝く青空、流れる綿飴のような白い雲、雲間から差し込む太陽の光を受けて七色に輝く虹の橋。
爽やかに吹く風、風に乗って飛翔する青い鳥。空を映す海の青、煌めく湖水。
坂本の頭の中に、美しい風景が広がる。ピアノの音が紡ぎ出す澄んだ世界に、心遊ばせている感覚に酔う。
音の調べが、空を飛ぶ憧れを思い出させた。
細い指が白と黒の鍵盤の上で跳ねるように動く。
左右の手が追いかけっこをしているように左に流れては右に戻って、また同じリズムを刻む。
上手く弾かなければという思いは、演奏している内に消えてしまった。
音を楽しむ、その字の通り自身が奏でる調べに気持ちを乗せてゆく。
どんな演奏だろうと、背中に感じる暖かな存在は受け止めてくれるから。
何故そう思うのか、なぜこんなにも慕わしいのか。
今は、そんな疑念よりもこの時間がくれる心地良さが大事に思えた。
最後の一音を押さえていた指先が、そっと鍵盤に別れを告げる。
桂は両手を膝の上に戻して、長い息を吐いた。
演奏が終わった途端、上手に弾けただろうかと不安な気持ちが戻って来る。
坂本の反応が知りたくて、そっと後ろを振り向いた。
サングラスのせいで目を開けているのか閉じているのか分からず、もしや演奏が詰まらなかったので居眠りされてしまったのではと疑念を持ちそうになる。
けれど、それを確信するよりも早く坂本の手が動いた。
パチパチと拍手してから、サングラスを外して胸ポケットに収める。
「凄いやか! 桂君は、上手だにゃぁ! 先生、感動しちゅうよ」
右手の甲で、さり気なく目元を拭った。
「そんな、こ」
そんな事はありませんとの、謙遜の言葉が途中で止まる。
一瞬ではあったが、チラリと見えた右手の掌から手首へ繋がる傷が見えたのだ。
不可解な胸の痛みが、桂の眉間に皴を刻ませる。
「桂君?」
桂の表情と視線から、坂本は手の傷を見られた事に気がついた。
隠しているつもりは無かったが、傷跡など見ていて気持ちの良いものでは無い。
「こりゃ、はや大分昔の傷やき。なんちゃーがやないちや」
下手に隠すよりも、痛みなど無いのだと伝える方がいいと判断して傷跡を晒して見せる。
「でも、この傷では……」
『もう、握れない』そう、頭に浮かんだ続く言葉。
何を握るというのか、全く訳の分からない悲しみと悔しさのない交ぜになった感情が胸の中で荒れ狂う。
無意識の内に坂本の右手を取り、両手で包んでいた。
「どがあした? 桂君?」
坂本の呼び掛けに、桂はハッとして手を離す。
自分が何をしたのか分からないと、混乱したまま坂本を見上げた。
桂の視線を受け止めた坂本の瞳は、凪いだ海のような静かさと色合いで桂の心を落ち着かせる。
「まっことに痛くないちや。見た目は酷いけど傷は中学生の時のやき、はや大昔の事じゃ。ほれにあの頃は、」
向かい合わせになった桂の肩に手を置いて、本当に大丈夫なのだと伝えようと語りかけた。
それで、話しをお終いにするつもりが余計なひと言まで付けてしまう。
桂は、その続きを聞きたがった。
「あの頃って、何ですか? どうして怪我なんか! 中学なんて子供の頃ならもっと、凄く、痛かったですよね」
必死に食い付いて来る桂の迫力に押されて、坂本は再び口を開く。
桂の肩から手を離し、自分の膝の上に両手を置いた。少し背を丸めて躊躇する。
今更、昔の夢を話すのは胸が痛い。
けれど、この子になら話してもよいだろう。いや、もしかしたら聴いて欲しかったのかも知れない。
「交通事故ちや。運良く右手の怪我ばあで済んだんぜよ。ほりゃ、怪我は痛かったが。けどそれよりも、自分の夢を諦める方が痛かったのぉ」
当時の絶望感が甦る。どんなにリハビリを頑張っても、健常者と同じ作業をするのは無理だと宣告された。
ロボットアームを扱うのに、手の障害は致命的過ぎる。
ずっと幼い頃から夢見ていたのに……
話す内に頭が下がってゆき、俯いてしまった。
桂は椅子から下りて、坂本の前に膝を着く。坂本の手に、手を重ねて下から掬い上げるように見詰めた。
「坂本先生……」
見上げる坂本の目に涙は無かったが、泣いているように見える。
心の底から、この人を慰めたいという気持ちが膨れ上がり、抱き締めたい思いが込み上げて来た。
実際、坂本が言葉を続けなければ抱き締めていたかも知れない。
「わしの夢は、宇宙飛行士になる事じゃった。その為に留学も視野に入れとった。どがーに勉強しても、どがーに体を鍛えても、機械の操作に支障をきたす手じゃなれんよ。その事実の方が、怪我なんかよりも痛かったちや」
その痛みも、こうして口に出しても耐えられるほど薄らいでいた事に気付く。
話す前は、もう少し辛いかもしれないと思っていたので意外でもあった。
じっと見上げて来る真っ直ぐな瞳と、重なっている手の温もり。
もしかすると、この真摯な姿に心癒されているのだろうか?
不意に桂を抱き寄せたい衝動に駆られるが、教師としての理性が勝った。
***
「ほがな顔しな。宇宙飛行士にゃーなれんかったけんど先生にゃなれたぜよ」
桂の手の下から、自分の手を抜き出して桂の頭を撫でる。
「数学の世界も、なかなかに面白いぜよ」
もう片方の手も抜いて、手早くポケットからサングラスを取り出して装着した。
目が隠れて、もう感情の揺らぎを見せる事は無い。
桂は、それを残念に思った。そっと手を抜き取られた態度にも、悲しさを感じる。
自分は、一体どうしてしまったのだろうか?
「先生、俺は、」
「うん?」
呼びかけたものの、自分が言おうとしている言葉がおかしいのではないかと躊躇った。
(俺は先生を、癒したいです)
そんな事を言われたら、先生は驚くに決まっている。ドン引かれる可能性大だ。
けれど、この想いを伝えたい。必死に、無難な言い換えの言葉を探した。
辛抱強く待ってくれているのだから、いつまでも無言ではいられない。
(俺に出来る事は、ありませんか?)
これも、なんか違う。こんな事を言っても、無いと言われたらおしまいだ。
とにかく落ち着いて、考えよう。
まだ床に膝を着いたままだったのを思い出し、のろのろと立ち上がってピアノ前の椅子に座り直す。
視界の端に、鍵盤の輝きが目に入った。ああ、そうだと投げかける言葉を見付ける。
「先生、他にリクエストはありませんか?」
先生の為に、ピアノを弾こう。音楽はきっと、聴く者の心を癒してくれるはずだから。
明るい笑顔を坂本に向けて、返事を待った。
坂本は、やはりこの子は『星』だと思う。優しい輝きで、夜空を飾ってくれる星。
「ほうじゃのぉ」
敢えて聞かないようにしていた曲名が頭をよぎった。
昔、行きたかった場所。憧れた星々と、言い換えると愛の歌になる。
「桂君は、知っているかのぉ? 『Fly Me to the Moon』って、曲なんじゃが…… わしの好きな曲ぜよ」
「『Fly Me to the Moon』ですか?」
どこかで聞いた事のあるタイトルだが、今すぐは弾けない曲だった。
せっかく先生を癒やせると思ったのに……
桂は残念そうに、左右に首を振る。
「ほうか、知らんか」
「でも! 楽譜さえあれば、弾けます!」
坂本のトーンダウンした声音を聞いて、桂は奮い立つ。
先生を癒したいと思った気持ちを、この想いをここで諦めたくない。だから、だから。
「まっことか! ほれなら、音楽資料室で探してみるきに、次に桂君の時間のある時に弾いてくれるか?」
必死の思いが届いたように、坂本の方から次の約束が飛び込んで来た。
桂は元気に「はい」と答えて、何度も頷く。
「じゃあ、はやいっさん『Over The Rainbow』を、聴かせてくれんか?」
***
第二音楽室で、楽しい演奏会が終わった後。
次の約束を胸に、桂は家へ帰った。
夕食と風呂と、勉強の後。スマホで『Fly Me to the Moon』を検索する。
曲を聴いてみると、昔のアニメで聴いた事のある曲だと思い出した。
歌詞も検索して、読み進める。
月と星と、木星と火星。
「あ、宇宙の曲な……」
単純に宇宙の曲かと思った桂の目に、ダーリン、キスして、愛してる、と愛の言葉が映る。
「こ、こ、こんな、曲なのだな」
独り言と共にスマホを閉じても、頬の赤みは消えなかった。
高鳴り始める鼓動を、なんとか深呼吸して収めベッドに潜り込む。
「明日、俺も本屋で楽譜を探してみよう」
布団の中で予定を立てて目を閉じる。暗闇は、すぐに睡魔を連れて来た。
その夜、桂は不思議な夢を見た。
それは時代劇のような街並みの中で、日暮れまで歩きまわっている夢。
小太郎と名前を呼ばれて振り向くと、そこにはサングラスに赤いコートと下駄履きという格好をした坂本先生が立っていた。
変な格好だと思ったが、自分も着物を着ているからいいかと思える。
「一緒に、宇宙へ行くぜよ」
手を引かれて、共に夜空を見上げていた。
楽しくて、どこか懐かしい。
「共に行こう」
そう答えると抱きしめられて、苦しくて、でも幸せで。
その続きは、よく覚えていない。
先生に会ったら話してみようと夢の中で思ったけれど、その記憶は朝日に融けて消えてしまった。
唯一つ残ったのは、幸福の余韻だけ。
了 辰桂真ん中バースデー(9/5)に遅刻
2020.9.7
雨の後の輝く青空、流れる綿飴のような白い雲、雲間から差し込む太陽の光を受けて七色に輝く虹の橋。
爽やかに吹く風、風に乗って飛翔する青い鳥。空を映す海の青、煌めく湖水。
坂本の頭の中に、美しい風景が広がる。ピアノの音が紡ぎ出す澄んだ世界に、心遊ばせている感覚に酔う。
音の調べが、空を飛ぶ憧れを思い出させた。
細い指が白と黒の鍵盤の上で跳ねるように動く。
左右の手が追いかけっこをしているように左に流れては右に戻って、また同じリズムを刻む。
上手く弾かなければという思いは、演奏している内に消えてしまった。
音を楽しむ、その字の通り自身が奏でる調べに気持ちを乗せてゆく。
どんな演奏だろうと、背中に感じる暖かな存在は受け止めてくれるから。
何故そう思うのか、なぜこんなにも慕わしいのか。
今は、そんな疑念よりもこの時間がくれる心地良さが大事に思えた。
最後の一音を押さえていた指先が、そっと鍵盤に別れを告げる。
桂は両手を膝の上に戻して、長い息を吐いた。
演奏が終わった途端、上手に弾けただろうかと不安な気持ちが戻って来る。
坂本の反応が知りたくて、そっと後ろを振り向いた。
サングラスのせいで目を開けているのか閉じているのか分からず、もしや演奏が詰まらなかったので居眠りされてしまったのではと疑念を持ちそうになる。
けれど、それを確信するよりも早く坂本の手が動いた。
パチパチと拍手してから、サングラスを外して胸ポケットに収める。
「凄いやか! 桂君は、上手だにゃぁ! 先生、感動しちゅうよ」
右手の甲で、さり気なく目元を拭った。
「そんな、こ」
そんな事はありませんとの、謙遜の言葉が途中で止まる。
一瞬ではあったが、チラリと見えた右手の掌から手首へ繋がる傷が見えたのだ。
不可解な胸の痛みが、桂の眉間に皴を刻ませる。
「桂君?」
桂の表情と視線から、坂本は手の傷を見られた事に気がついた。
隠しているつもりは無かったが、傷跡など見ていて気持ちの良いものでは無い。
「こりゃ、はや大分昔の傷やき。なんちゃーがやないちや」
下手に隠すよりも、痛みなど無いのだと伝える方がいいと判断して傷跡を晒して見せる。
「でも、この傷では……」
『もう、握れない』そう、頭に浮かんだ続く言葉。
何を握るというのか、全く訳の分からない悲しみと悔しさのない交ぜになった感情が胸の中で荒れ狂う。
無意識の内に坂本の右手を取り、両手で包んでいた。
「どがあした? 桂君?」
坂本の呼び掛けに、桂はハッとして手を離す。
自分が何をしたのか分からないと、混乱したまま坂本を見上げた。
桂の視線を受け止めた坂本の瞳は、凪いだ海のような静かさと色合いで桂の心を落ち着かせる。
「まっことに痛くないちや。見た目は酷いけど傷は中学生の時のやき、はや大昔の事じゃ。ほれにあの頃は、」
向かい合わせになった桂の肩に手を置いて、本当に大丈夫なのだと伝えようと語りかけた。
それで、話しをお終いにするつもりが余計なひと言まで付けてしまう。
桂は、その続きを聞きたがった。
「あの頃って、何ですか? どうして怪我なんか! 中学なんて子供の頃ならもっと、凄く、痛かったですよね」
必死に食い付いて来る桂の迫力に押されて、坂本は再び口を開く。
桂の肩から手を離し、自分の膝の上に両手を置いた。少し背を丸めて躊躇する。
今更、昔の夢を話すのは胸が痛い。
けれど、この子になら話してもよいだろう。いや、もしかしたら聴いて欲しかったのかも知れない。
「交通事故ちや。運良く右手の怪我ばあで済んだんぜよ。ほりゃ、怪我は痛かったが。けどそれよりも、自分の夢を諦める方が痛かったのぉ」
当時の絶望感が甦る。どんなにリハビリを頑張っても、健常者と同じ作業をするのは無理だと宣告された。
ロボットアームを扱うのに、手の障害は致命的過ぎる。
ずっと幼い頃から夢見ていたのに……
話す内に頭が下がってゆき、俯いてしまった。
桂は椅子から下りて、坂本の前に膝を着く。坂本の手に、手を重ねて下から掬い上げるように見詰めた。
「坂本先生……」
見上げる坂本の目に涙は無かったが、泣いているように見える。
心の底から、この人を慰めたいという気持ちが膨れ上がり、抱き締めたい思いが込み上げて来た。
実際、坂本が言葉を続けなければ抱き締めていたかも知れない。
「わしの夢は、宇宙飛行士になる事じゃった。その為に留学も視野に入れとった。どがーに勉強しても、どがーに体を鍛えても、機械の操作に支障をきたす手じゃなれんよ。その事実の方が、怪我なんかよりも痛かったちや」
その痛みも、こうして口に出しても耐えられるほど薄らいでいた事に気付く。
話す前は、もう少し辛いかもしれないと思っていたので意外でもあった。
じっと見上げて来る真っ直ぐな瞳と、重なっている手の温もり。
もしかすると、この真摯な姿に心癒されているのだろうか?
不意に桂を抱き寄せたい衝動に駆られるが、教師としての理性が勝った。
***
「ほがな顔しな。宇宙飛行士にゃーなれんかったけんど先生にゃなれたぜよ」
桂の手の下から、自分の手を抜き出して桂の頭を撫でる。
「数学の世界も、なかなかに面白いぜよ」
もう片方の手も抜いて、手早くポケットからサングラスを取り出して装着した。
目が隠れて、もう感情の揺らぎを見せる事は無い。
桂は、それを残念に思った。そっと手を抜き取られた態度にも、悲しさを感じる。
自分は、一体どうしてしまったのだろうか?
「先生、俺は、」
「うん?」
呼びかけたものの、自分が言おうとしている言葉がおかしいのではないかと躊躇った。
(俺は先生を、癒したいです)
そんな事を言われたら、先生は驚くに決まっている。ドン引かれる可能性大だ。
けれど、この想いを伝えたい。必死に、無難な言い換えの言葉を探した。
辛抱強く待ってくれているのだから、いつまでも無言ではいられない。
(俺に出来る事は、ありませんか?)
これも、なんか違う。こんな事を言っても、無いと言われたらおしまいだ。
とにかく落ち着いて、考えよう。
まだ床に膝を着いたままだったのを思い出し、のろのろと立ち上がってピアノ前の椅子に座り直す。
視界の端に、鍵盤の輝きが目に入った。ああ、そうだと投げかける言葉を見付ける。
「先生、他にリクエストはありませんか?」
先生の為に、ピアノを弾こう。音楽はきっと、聴く者の心を癒してくれるはずだから。
明るい笑顔を坂本に向けて、返事を待った。
坂本は、やはりこの子は『星』だと思う。優しい輝きで、夜空を飾ってくれる星。
「ほうじゃのぉ」
敢えて聞かないようにしていた曲名が頭をよぎった。
昔、行きたかった場所。憧れた星々と、言い換えると愛の歌になる。
「桂君は、知っているかのぉ? 『Fly Me to the Moon』って、曲なんじゃが…… わしの好きな曲ぜよ」
「『Fly Me to the Moon』ですか?」
どこかで聞いた事のあるタイトルだが、今すぐは弾けない曲だった。
せっかく先生を癒やせると思ったのに……
桂は残念そうに、左右に首を振る。
「ほうか、知らんか」
「でも! 楽譜さえあれば、弾けます!」
坂本のトーンダウンした声音を聞いて、桂は奮い立つ。
先生を癒したいと思った気持ちを、この想いをここで諦めたくない。だから、だから。
「まっことか! ほれなら、音楽資料室で探してみるきに、次に桂君の時間のある時に弾いてくれるか?」
必死の思いが届いたように、坂本の方から次の約束が飛び込んで来た。
桂は元気に「はい」と答えて、何度も頷く。
「じゃあ、はやいっさん『Over The Rainbow』を、聴かせてくれんか?」
***
第二音楽室で、楽しい演奏会が終わった後。
次の約束を胸に、桂は家へ帰った。
夕食と風呂と、勉強の後。スマホで『Fly Me to the Moon』を検索する。
曲を聴いてみると、昔のアニメで聴いた事のある曲だと思い出した。
歌詞も検索して、読み進める。
月と星と、木星と火星。
「あ、宇宙の曲な……」
単純に宇宙の曲かと思った桂の目に、ダーリン、キスして、愛してる、と愛の言葉が映る。
「こ、こ、こんな、曲なのだな」
独り言と共にスマホを閉じても、頬の赤みは消えなかった。
高鳴り始める鼓動を、なんとか深呼吸して収めベッドに潜り込む。
「明日、俺も本屋で楽譜を探してみよう」
布団の中で予定を立てて目を閉じる。暗闇は、すぐに睡魔を連れて来た。
その夜、桂は不思議な夢を見た。
それは時代劇のような街並みの中で、日暮れまで歩きまわっている夢。
小太郎と名前を呼ばれて振り向くと、そこにはサングラスに赤いコートと下駄履きという格好をした坂本先生が立っていた。
変な格好だと思ったが、自分も着物を着ているからいいかと思える。
「一緒に、宇宙へ行くぜよ」
手を引かれて、共に夜空を見上げていた。
楽しくて、どこか懐かしい。
「共に行こう」
そう答えると抱きしめられて、苦しくて、でも幸せで。
その続きは、よく覚えていない。
先生に会ったら話してみようと夢の中で思ったけれど、その記憶は朝日に融けて消えてしまった。
唯一つ残ったのは、幸福の余韻だけ。
了 辰桂真ん中バースデー(9/5)に遅刻
2020.9.7