ねっ、エリザベス!



「ただいまぜよ」
坂本が元気良く、玄関の引き戸を開けた丁度その時。
「おかえり」
台所から居間へと入ろうとしていた桂が居合わせた。
両手に水の入ったガラスコップを携えて、短い廊下を坂本の方へと歩いてゆく。
「今、夕餉の準備が終わった所だ。ナイスなタイミングだな」
向かって来る桂を抱き締めようと両腕を広げ待ち構える坂本と、その腕に中に一直線に入り込んでゆく桂。
迎えられる方も迎える方も、どちらも満ち足りた笑顔で見詰め合う。
ただいまのキスは、ガラスコップのせいで軽く触れるだけになった。
「腹が減っただろう? お前のリクエスト通りカレーに」
「ほれっ! 揚げたてコロッケ、買おてきちゅうよ」
唇が離れた後、二人同時に相手に話しかける。
互いの言葉を聞いて、暫し固まった。
「コロッケ…… だと?」
「ありゃ…… 忘れち」
桂は坂本から一歩離れ、彼が手首にぶら下げている小さなビニール袋を確認する視線を投げてから、再び坂本を睨みつける。
坂本はコロッケの入った袋をかけていない方の手で、慌てて口を塞ぐ。
危うく忘れていたと言い切ってしまう所だったと、内心ヒヤリとしながら桂の視線から目を逸らす。
会社からの帰り道、商店街の前で揚げたてのコロッケについ心奪われ、自分でリクエストした夕食のカレーの事も忘れて夕食の足しにと六つ包んで貰ったのだった。
「今夜はカレーが食べたいと、言ったであろう」
手にしたコップの水を微かに震わせ、声のトーンを押さえて尋ねる。
忘れたと言いかけていた言葉の端をしっかり耳に捉えていたが、どんな言い訳をするのか一応聞くつもりでいた。
桂の声音を聞いた坂本は、必死になって引き攣った笑顔を作る。
「うん! うん! やき、トッピングにえいじゃろ」
「トッピングだと?」
ガラスコップの揺れが収まり、ほんの少しだけ首を傾けた。
苦し紛れの言い訳でも、カレーにトッピングは有りだろうかと。
しかし、揚げ物と言えばカツカレーだろう。コロッケだと、ジャガイモとジャガイモ。
果たして、それは美味いのか?
そんな風に桂が悩んでいる間に、坂本は横を摺り抜けて居間へと入り込む。

【坂本さん! おかえりなさい】
丸い卓袱台にカレー皿を並べていた桂のペット、エリザベスがプラカードを上げて挨拶をした。
「おん、ただいまぜよ」
返事もそこそこにして卓袱台の前に座り込み、カサカサと音を立ててビニール袋からコロッケ包みを取り出す。
手早く紙の包装を解き、コロッケを二つ一片にして指で摘まみあげる。
ほかほかと湯気を立てている白いご飯と、ジャガイモやニンジンの大きな欠片が入った田舎風カレーの境目目掛けて、摘まんだコロッケを投下した。
「おい! 辰馬っ、勝手に」
【私は、要りませんよ!】
廊下から戻ってきた桂と、自分の分のカレー皿を片手でひょいっと持ち上げたエリザベスが抗議する。
しかし間に合わず、桂の分のカレーにはコロッケが投入されてしまった。
「ほれ、二個ずつじゃあ!」
残り二つになったコロッケを携えたまま、ジリジリとエリザベスの方へ近付いていく。
「エリー、遠慮せんでえいよ」
【明日の昼に、いただきます!】
坂本に対してキッパリとプラカードを突き付け、自分の皿を死守する。
桂は二人のやり取りに諦めの視線を向けて、ため息をつきながら自分の皿の前にガラスコップを置いた。
残り一つ、坂本の分のコップも台所から運んでやる。
桂が水の入ったコップを坂本の皿の前に置いて自分の皿の前に座った所で、坂本もエリザベスの皿にコロッケを乗せるのを諦めた。
【冷蔵庫に入れてきます】
坂本の手から、用心しながらコロッケを包み紙ごと掠め取る。その勢いを殺すこと無く、さっさと台所へと向かった。
「辰馬。コートを脱いで、手を洗ってこい。さっさと夕餉にするぞ」
「うん」
やんちゃして母親に叱られた子供のように、坂本はコートを脱ぎ捨てしおしおと洗面所に向かう。
桂はコートを拾い上げハンガーに掛けると、再び座して二人が食卓に戻って来るのを待った。

***

三人揃った所で、いただきますと両手を合わせる。
坂本と桂はコロッケカレー、エリザベスだけは普通のカレー。
卓袱台中央には、大皿にサラダが山盛りで置いてある。その横には、調味料が並べられていた。
最初のひと口ふた口は無言で食べていたが、桂がすっとスプーンを下ろし水を飲む。
「……胸焼けがする。エリザベス、醤油を取ってくれ」
エリザベス寄りにある醤油を貰おうと左手を出した。しかし、エリザベスが差し出すより早く坂本が口を挟む。
「何を言うちょる。コロッケもカレーも、ソースの方が合うぜよ!」
手前にあるソースを掴んで、斜め向かいのエリザベスの皿にソースを垂らした。
「食べてみ! 美味いじゃろ。ねっ、エリザベス」
坂本の態度を見て、桂は膝立ちになり醤油に手を伸ばす。
「何を、おかしな事を!」
掴んだ醤油を、エリザベスの皿に注いでから笑顔でエリザベスに話しかけた。
「醤油の方があっさりしていて、良いに決まっておるわっ! ねっ、エリザベス」
エリザベスは、ソースと醤油をかけられたカレーを無言で見詰める。
何故二人は自分か相手の皿に注がず、ココにかけるのか理解出来ずに固まっていた。

「ソースのコクは、ご飯にも合うぜよ。ねっ、エリザベス!」
白いご飯の上にボトボトとソースが落ちる。
「白米と醤油こそ、日本の心だ! 炊き込みご飯然りっ! ねっ、エリザベス!」
ソースに染められ白米と呼べなくなったソレに、びちゃびちゃと醤油が追加された。
「こんまい事をゆうな! わしらぁは、もっとワールドワイドにならんといかん。ねっ、エリザベス!」
ドボドボドボっと、音を立て注がれる。
「何が、ワイルドワイルドだッ! ちょっとばかりガタイが良いからと、調子に乗るなっ! ねっ、エリザベス!」
びちゃびちゃびちゃと、飛沫が皿の外にまで跳ねた。
「ほがなこと、ゆうてないろう。お前は、まっこと人の話を聞かぇいいごっそうもんじゃ。ねっ、エリザベス!」
ドボドボドボ。
「人の話を聞かないのは貴様だろう! つか、自分が言った事すら忘れているではないか。ねっ、エリザベス!」
びちゃびちゃびちゃ。

坂本と桂の言い合いは続き、ソースと醤油の量もその度に増えてゆく。
もうエリザベスのカレーはカレーと呼べる代物ではなく、暗黒物質と化していた。
坂本と桂、二人が何度目かの「ねっ、エリザベス!」と声をかけた瞬間。
とうとうエリザベスの堪忍袋の緒が、ブツリと音を立て切れた。
【いい加減にしろ!】
プラカードに太字で大きく書かれた文字は、彼の怒りを表している。
だが、坂本も桂もそれを目にしたのは一瞬の事だった。
居合の抜き打ちの様に素早く振り下ろされたプラカードは、彼等の頭を直撃する。
大きな音を立てて、二人の頭は卓袱台に激突した。それでも、コップの水が零れなかったのは奇跡だろう。
エリザベスのカレー皿の周りには、黒い染みが広がっていた。それを見て、小さくため息をついてから立ち上がる。
桂の手から醤油を取上げ坂本のカレーにびちゃびちゃと注ぎ、続いて坂本の手からソースを取上げ桂のカレーにドボドボと流し込んだ。
【しっかり味わって食べなッ!】
プラカードにそう書き残すと、暗黒物質と化したカレー皿を台所へ持って行く。
それを生ゴミとして処理し、冷蔵庫からコロッケを取り出しレンジで温めてからお皿に乗せ、お茶碗にご飯をよそって新たな夕食を完成させた。
居間に戻ると坂本がプラカードを卓袱台から下ろし、桂が卓袱台を布巾で拭いていて、どちらの顔にも反省の色がある。
何事も無かった様にエリザベスが座ると、坂本と桂もきちんと正座した。
エリザベスが箸を持つと、二人はスプーンを握る。
坂本のカレーには醤油が、桂のカレーにはソースがかかっているのに、気付いているのかいないのか?
二人は同時にカレーを掬い、口の中へと運んだ。
「……こりゃあ、」
「むっ……」
ひと言呟いた後、咀嚼して嚥下した。
エリザベスは素知らぬ振りで、ご飯を食べ続ける。もしもまた二人が騒ぎ出したら、すぐ殴れる様に膝の上にプラカードを用意している事はおくびにも出さなかった。

「醤油も、悪く無いのぉ」
「ソースも、まあまあだな」
エリザベスの心配を他所に、二人の表情が和らぐ。
「じゃが、お前は醤油の方が好きじゃろ」
自分の皿からカレーをひと掬いして、桂の口元へと運んでやる。
「ソースの方が、お前らしい味だな」
同じようにして、桂も坂本の口元へスプーンを差し出した。
クスッと笑いあって、互いのスプーンからカレーを食べる。
そうして、すっかりいつもの甘い雰囲気を取り戻した。
二人の様子を見たエリザベスは、もう使う必要は無いと膝の上に置いているプラカードを卓袱台の下へと滑らせるのだった。



了 (2021.05.07)


このお話は、原作9巻75訓の銀時と土方のやり取りに巻き込まれた「ねっ おじさん」をリスペクトしております。
お楽しみ頂けたら、嬉しいです。




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