星が綺麗だったから(辰誕2021)

坂本辰馬は認可待ちの書類束から目を上げて、丸窓の外に視線を投げた。
暗い宇宙空間に幾つかの瞬かぬ星が見えるだけで、ここ数ヶ月代わり映えしない。
地球から見上げる星々は、美しく瞬いていた。
輝きは同じでも空気があるか無いかで、心での受け止め方が違うと改めて思う。
坂本は視力に頼るのを止め、目を閉じて遠い故郷の星を思った。
青く輝く宝石のような地球、そしてそこに根付く愛しいもの達。
己の帰りを待ってくれているだろう、大切でかけがえのない存在へと想いが流れてゆく。
『辰馬』
思い描く笑顔に、空耳が重なる。
途端、逢いたくて堪らなくなった。
坂本は執務机を離れて、窓際へと移動する。
地球に残してきた最愛の人、桂小太郎の面影を追いながら窓の強化ガラスに額を押し付けた。
硝子の冷たさは、彼の人の髪の温度に似ている。
「無理はしてないろうか? 小太郎の事やき、上手くやっちゅうとは思うが…… 逢いたいのぉ」
宇宙を巻き込んだアルタナ戦から、もう随分経つ。
戦後処理の忙しさや経済の立て直し、戦争で得た新規の顧客との対応に追われ、桂と二人きりで恋人同士の時間を持つ事が難しくなっていた。
その上、桂が総理大臣に就任したものだから互いの忙しさはさらに加速して、逢瀬はもっぱら通信のみに限られてしまった。
それも通信圏内を離れれば、時差のある文字通信に変わる。昔の文通と大差ない。
逢いたいと焦がれても、触れたいと願っても、即座に叶いはしないのだ。
「地球からじゃと…… 40光年か」
地球から、ここ木星の軌道上の距離を声に出してみると溜息しかでない。
ざっと7億5000万kmと考えるより、光年単位で40という小さな数字に換算して考える方が落ち込みが少なかった。だからと言って、距離が縮まる訳ではないのだが。
嘆いていても仕方無いと、額を窓ガラスから引き離す。
「おんしに負けんよう、頑張るぜよ」
気持ちを切り替え、窓に背を向けた所で来客を知らせるアラームが鳴った。
坂本は立ったまま、扉のロックを解除する。




「こりゃあ、たまげた!」
扉が開いた瞬間、坂本は目を瞠る。
目前に佇む人物の姿に驚きと嬉しさ懐かしさと愛しさに熱い想いが溢れ言葉が続かず、ただ両腕を広げたまま固まった。
その慌てぶりに満足したのか、坂本の前に立った桂小太郎は長い黒髪を肩から払って不敵な笑みを見せる。
「神出鬼没は、お前の特許では無いということだ」
変わらぬ物言いに坂本の体はたちまち軟化し、喜びに溢れた笑顔を弾けさせた。
桂はいつもの暖かい笑顔に迎えられたのが嬉しくて、情動に任せ坂本の広い胸に飛び込こむ。
通信機器越しでは感じられなかった体温を、互いに固く抱き合うことで伝え合った。
「逢えて嬉しいぜよ」
「俺もだ」
桂の頭に頬擦りする坂本と、坂本の胸に顔を埋める桂。互いの声は感動に震え、短い言葉の遣り取りの後は情熱を交わす時間に支配される。
触れ合う唇は深度を増し、熱を孕ませた。湿りを帯びた水音や、衣服の衣擦れの音、乱れてゆく呼吸と高まる鼓動。それらが互いの心中に沈めていた淋しさを掻き消し、空いた隙間までも愛情で満たす。
遠く離れて過ごした時間は淡雪のように解け、訪れた幸福の時間に酔いしれた。

互いを存分に堪能した後やっと、甘い興奮が穏やかに静まってゆく。離れ難かった唇も激しさを潜め、小鳥の様な啄む口づけに変わった。
「キリが無いの」
「全くだ」
瞳を見交わして、苦笑する。
三十路を超えても、愛しい相手を前にしては欲を抑えるのが難しいようだと自覚した。
坂本は執務室の続きにある私室へと、桂の腰を抱いたまま導く。桂も坂本の腰に腕を絡めたまま、畳の上に足を踏み入れた。
「小太郎、時間は?」
「残念ながら」
並んで座った所で、坂本が桂の肩を抱く。
桂は坂本の手に手を重ね、逢瀬の時間が少ないのを匂わせた。
「ほうか、」
「えっ、おい!」
突然、桂の視界がぐるりと反転する。
時間が無いと理解したはずの坂本に、押し倒されていた。
「なんちゃーがやない。なんも、おイタはせんきに」
桂を組み敷き、覆いかぶさって悪戯っ子じみた笑みで囁く。
「もちろん、リクエストがあれば応じるぜよ」
「お前だけが、我慢していると思うな。俺とて時間が許せば……」
両手で軽く坂本の両頬を挟むように叩き、その手を伸ばして坂本の背に回した。
畳の上でもう一度、互いを抱きしめ合う。
(離しとおない)
(離れたくない)
胸中に渦巻く思いを封じ、言葉が飛び出さないようにと唇を塞ぐ。
長く切ない口づけが終わっても、横たわって温もりを分け合った。
互いの腰を抱く腕もそのままにして、額を寄せ睦まじく語らう。



「けんど、おんしが宙にとは…… のぉ」
長年、共に宇宙に来て欲しいと願い続けていた。
けれど想い合ってはいても、互いの志だけは曲げられない。
だから坂本は宇宙で、桂は地球で己の道を歩んできた。
一時的に蓮蓬まで遠征した事もあったが、基本的に桂の居場所は地球にある。
そんな彼が、いったい何故ここにいるのかが不思議だった。
「大統領ともなれば、宙に上がる事もあるさ」
桂は向けられた疑問に尤もらしい顔をして、簡単な答えを与える。
「と、ゆうことは、今回は仕事のついでに寄ってくれたってことかぇ?」
成程、そういう訳かと納得しかけた坂本に桂はふわりと華のある笑みを見せた。
「いや、星が綺麗だったから」
「うん?」
どういう意味だろうかと、坂本は首を傾げる。
見かけによらず流行りものが好きで、そのくせどこかズレている桂のこと。
きっと何かある。星に意味があるのか、それとも綺麗が何かのたとえか?
考え込む坂本の様子に、桂は少しキレ気味に言葉を繰り返した。
「だから! 星が綺麗だと、言っているのだ!」
もどかしさからか、はたまた別の意味からか。桂の頬は紅潮し、唇が尖ってきた。
坂本は、ハッと気付く。
それは出会った十代の頃から変わらない照れ隠しの表情だと。この顔を見せるのは、たいてい桂なりに甘い言葉を伝えようと精一杯頑張ったものの、しくじってしまった時だった。
多分彼が伝えたかったのは、あの言葉。
「おん! もてけんど、月が綺麗じゃのぉってアレか?」
遠回しに、愛していると言いたかったのだろう。
忙しい最中にもかかわらず、遠い宇宙まで逢いに来てくれた本当の理由。
坂本は、胸が熱くなるのを感じた。自然に、笑みが広がる。
けれど桂は言い間違いに気付き、坂本の幸せそうな笑顔を見ること無く視線を畳に落として小さく言い訳を呟いた。
「……月も、星も、似た様なものではないか」
サラサラと流れ落ちる長い黒髪が、桂の表情を隠す。
坂本は桂の腰に回していた手を離し、そっと畳に広がる黒髪を掬って桂の耳にかけてやる。
「ほうじゃの、きれえながは同じじゃ」
愁いを帯びた瞳を覗き込み、桂の気持ちはちゃんと受け止めたのだと分からせた。
坂本の瞳の輝きに呼応する様に、桂の瞳にも生き生きとした輝きが戻る。
そして、唇にも笑みが刻まれた。
甘い雰囲気が戻った所で、坂本の手が桂の頬を撫でる。
「やけど、わしにゃおんしの方がもっと綺麗に見えるぜよ」
心底そう思っているのだと、真っ直ぐな眼差しが桂に注がれた。
真面目な顔で、歯の浮く様な台詞を囁く。
己には到底真似できない言動だと、桂は頭ごと視線を逸らして受け流す。
「男に綺麗なぞ、褒め言葉にもならん」
拗ねているのだろうかと、そっぽを向いた桂の頭を引き寄せ視線を取り戻した。
合わせた瞳に映るのは、互いの顔だけ。そこには、愛しさだけが浮かんでいる。
坂本は再び半身を捩じって、桂に覆い被さった。
「小太郎、愛しちゅうよ。宙まで来てくれて、ありがとう」
唇では無く、前髪の上から額に口づけを落とす。桂が愛しくて、愛しくて堪らなかった。
坂本の瞳が言葉より強く、その心を桂に伝える。
「お前に、逢いたかったのだ」
桂も同じ気持ちなのだと伝えたくて、坂本を引き寄せ強く抱きしめた。
「辰馬」
「うん?」
抱きしめたまま、坂本の耳元に口を寄せる。
「誕生日おめでとう」
桂は、はるばる宇宙まで訪ねてきた本当の理由を囁く。
「覚えててくれたんか?」
仕事に追われて自分でも忘れていた事を桂が覚えてくれていたのが嬉しくて、思いっきり腕に力を込めてしまった。余りの馬鹿力に、桂が痛みを訴える。
「離さんか、馬鹿者!」
「おん、すまん、すまん」
腕を弛めたが、改めて同じ問いを発した。
「まっこと! わしの誕生日、覚えててくれたんじゃの」
「当たり前だ。何年の付き合いだと、」
ただ逢いに来てくれただけでも嬉しかったのに、その理由が誕生日とはと気持ちが舞い上がり、桂の言葉を遮って自身の喜びを捲し立てる。
「ほんなら、誕生日祝いに逢いに来てくれたのか!! ほりゃ嬉しいぜよ」
手放しの喜びようを目の当たりにして、桂も嬉しくなった。
やはり、彼の傍にいると幸せな気持ちになる。
ずっと、この気持ちを感じていたい。坂本にも、同じように幸せでいて欲しい。
この想いを伝えたいから、もう一度。
「星が綺麗だったから、お前といたくてな」
愛していると、おめでとうの気持ちを込めて、坂本を見詰めた。


了 2021.11.15





1/1ページ
    スキ