やがて、色づく
坂本が風呂から寝室に戻ると、すでに明かりは小さく絞られていて、淡い橙の色合いが部屋の中央に敷かれた布団の表面を照らしている。
一組の布団は片側がこんもりと盛り上がっていて、桂が先に眠ってしまったのだろうと思わせた。
桂の元へ帰ってきて四日目。
互いに離れていた間の事をたくさん話し、大いに飲んで親交を深め、更に変わらぬ愛情を互いの温もりで確かめ合った。
「さすがに四夜連続は、無理じゃったかのぉ」
小さな独り言に、残念さが滲む。
自分的にはまだ桂を抱き足りないが、桂の方はもう十分に満足したのかもしれない。
それに休暇中の自分とは違い、桂には休みの無い攘夷活動がある。
あまり疲れさせるのも、よくないだろう。
そう、自分を宥めて桂の隣に潜り込む。
「おやすみのチューくらい、えいじゃろ?」
唇に触れるだけの口づけくらいは構わないだろうと、肘をつき上半身をねじって桂の寝顔を覗き込んだ。
薄暗い照明の下でも桂の秀麗な顔立ちは際立っていて、眺めているだけで愛しさが込み上げてくる。
「こたろ、愛しちょるよ」
心に思うまま呟いて、そっと柔らかな頬を撫で口づけた。
「ん、起こしたか?」
微かな身じろぎを感じ、起こしてしまったかと問う。
桂は目を開け、軽く左右に首を振って起きていたと答えた。
「少し…… 考え事を、していただけだ」
天井を見つめたまま一言告げて、後は黙り込む。
続ける言葉を探している気配は無いが、何か悶々としている様子が窺えた。
相談なら前置きをしてから持ち掛けるし、単に聴いてほしいことがある場合は躊躇せず捲し立てる。
それが無いということは、多少強引に出なければならない時だ。
桂は、気持ちを抱え込み隠すのが上手い。周りに気付かせることなく、一人で背負い込む。
たとえそれが小さな事だとしても、坂本はガス抜きをしてやりたいと思う。
直接言葉で尋ねることはせず、布団の中で桂の身を抱き寄せた。
細い腰を抱き込んで足を絡め、二人の間の隙間を埋める。
胸に桂の顔を埋めさせ、坂本は黒髪に頬を擦りつけた。
桂は坂本の腕の中から腕を抜き出し、坂本の背中へと回す。
ぴたりと合わさった体から、互いの鼓動が伝わり温もりが増した。
坂本の無言の温かさに、桂は口を開く。
額を押し付けた状態で発する声は籠っていたが、ちゃんと坂本に耳に届いた。
「俺の攘夷活動は、上手くいっているのだろうか? 俺の独り善がりになっていないだろうかと、ふと気になってな。皆、本当はもう諦めているのではないか。嫌々、俺に付き合っているんじゃないだろうかと……」
言葉と共に、桂の指先に力が入る。
それが苦しいと訴えているようで、坂本は桂を抱く腕に力を込めた。
包み込まれるような優しい温もりに暗い思いが溶かされてゆく気がして、桂は目を閉じる。
坂本がこうしてずっと傍にいてくれれば、どんなに良いだろうか。
彼と二人なら、もっとずっと早く攘夷も成せる気がする。
この国の新しい夜明けを見たいという志は同じなのに、道が違うせいで傍にいられない。
傍にいて欲しい、けれど傍にいられない。相反する想いに、桂は心の中でため息をつく。
何度も何度も繰り返し、心を揺さぶる葛藤。叶わないと分かっているのに……
「……すまぬ。単なる愚痴だ。忘れてくれ」
声が明瞭に聞こえるよう顔を上げ、坂本に視線を合わせる。
坂本を見つめる瞳は乾いていて、絶望に苛まされているのではないことを教えた。
それでも慰めが必要だと、いや、癒したいと坂本は抱擁を緩める。
片手で桂の頭を撫でて微笑む。
「ほりゃあ、愚痴がやないよ。弱音っていうんじゃ。わしの前じゃー、なんぼでも吐いてえいちや」
きっと誰にも弱みを見せないだろう。だからこそ、自分の前でだけは見せて欲しい。
坂本の言葉に桂はうっすらと口角を上げるが、それは笑顔というには少し無理があった。
「おんしの攘夷活動は商売とは違って結果が数字にならんきに、現状を推し量るのは難しいのぉ」
桂の前髪を撫でつけ、頬に垂れ下がっていた一束の髪を耳に掛けてやる。
ゆっくりと指の腹で耳朶を愛撫しながら、言葉を続けた。
「攘夷は志があって行動するもんじゃけんど、その志を持たず行動する不逞の輩と区別させるのもおおごとじゃ。おんしの気苦労は、並々ならんじゃろう」
桂の苦労を慮り、分かるよと慈しみの色を瞳に浮かべる。
坂本の手は桂の肩から背中へと曲線を描き、再び腰の括れへと辿り着く。
傍にいてやれたら、少しでも助けになれるだろうに。いっそうの事、宇宙に連れ去れたなら……
叶わぬ言葉を飲み込んで、代わりに強く抱きしめる。
「……辰馬?」
穏やかな慰めが、いきなり強い抱擁に変わったのに驚き桂は問うような声を出した。
「……ごめんちや」
傍にいてやれなくて、同じ道を歩けなくて。
坂本は胸に渦巻く想いを、一言に込めた。
「辰馬、俺は大丈夫だ」
名を呼ぶ声は、驚きから気遣いに代わる。
何に対して謝っているのか分からないが、もしかしたら同じようなことを考えているのかも知れないと思えた。
共にいられなくとも、互いを伴侶と認め合ったのだから謝罪などいらないと。
「うん」
桂の声音に、坂本も気を取り直す。口元には、優しい笑みが戻った。
「ほうじゃの、なんちゃーがやない。こんまい川の流れもやがては、大河になって海へと注ぐ。時が来れば鮮やかに色づく紅葉のように、おんしの活動の結果もはっきりと皆の目に映る。やき、今は我慢の為所ぜよ」
そう断言して、桂の額に口づけを落とす。
「お前にそう言われると、何だかそうなるような気がしてきたぞ」
坂本の揺ぎない言葉と、温かい励ましに桂も笑顔を取り戻した。
「おん! 小太郎なら、成せるぜよ」
攘夷の暁として孤高に立ち、党首として皆を束ね導く桂になら出来る。
その為に、彼は私を捨て公に身も心も費やすだろう。
この国の新しい夜明けを見るまで、止まることなく走り続ける姿が坂本の目に浮かぶ。
「うむっ、俺は、攘夷を、成せる」
一語一語、確かめるように言葉を紡ぐ。桂は、活力が湧いてくる気がした。
見失いそうになっていた自分を取り戻す。
最後の一人となっても、本懐を遂げると決意したではないかと自身を奮い立たせた。
それに、宇宙を股にかけるこの男の連れ合いとして、胸を張れる自分でありたい。
溢れる想いが、桂の笑みを深くする。
心の憂いは霧散して、熱い情が満ちてゆく。
「たつま、あのなっ」
甘えるように、額を坂本の胸に擦り付けた。
ありがとうと言うべきか、愛していると囁くか、妙な気恥しさが言葉を詰まらせる。
はっきりと言葉にしなくとも、鼓動から感じ取ったのか坂本の甘い声が「うん、愛しちょるよ」と、桂の鼓膜を震わせた。
「俺も、あ、ぃ、好きだぞ」
顔を上げ、無自覚な誘惑の色を湛えた瞳で坂本を見つめる。
それは坂本だけが知る甘くて愛しい眼差しで、抗うことなど不可能にさせる桂の素顔。
「ほれじゃ、今夜は……」
横抱きだった体を反転させて、桂を組み敷き獰猛に笑う。
「おんしを、色づかせちゃる」
「見える場所に、痕をつけるなよ」
桂は、誘いに了解の意味での言葉を返す。
坂本は分かっていると軽く頷いて、桂の胸元に手を潜り込ませた。
桂も手を伸ばし、坂本の寝巻の襟を寛がせる。
そして、しっとりと濃密な時間が二人の肌をしだいに色づかせていった。
了
2022.3.7(辰桂真ん中バースデー3/6に遅刻)
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