朧、誕生日おめでとう!
具材も飯も、ほぼ食べ終えたところで晋助が立ち上がった。
「手、洗ってくる」
その言葉に、朧以外の全員が歌の時間だと分かって頷く。
三味線を持って戻ってくるだろうから、今の内に食器を片付けてしまおうと小太郎も立ち上がった。
「あたしも、お手伝いする」
信女もお椀や小皿を持って、小太郎の後についてゆく。
朧も手伝おうと立ち上がりかけたが、松陽が肩を抑えて止めた。
「君は主役ですから、ここで座っていなさい」
朧を座らせると銀時を呼んで、座敷机を片側の方へ少し移動させる。
入り口側を広くして、そこに子供達が並べる様な場所を作った。
「あの、先生?」
朧は何が始まるのかと尋ねようとしたが、晋助が戻ってきた姿を見て察する。
三味線を持っていることと、晋助からの贈り物が無かったことから、誕生日祝いの演奏をしてくれるのだろうと。
晋助を中心にして、右に銀時と松陽が、左に信女と小太郎が立つ。
朧が座ったまま晋助を見上げると、晋助はすました顔をして一礼した。
「兄弟子の誕生日を祝して、一曲」
妙に大人びた表情と口調で、口上する。
晋助の芸術家肌な一面を見るようで、朧はしゃんと背筋を伸ばした。
静かな部屋の中、晋助が撥を構えて弦を鳴らし始める。
最初は、楽曲のみだった。
朧は聞いた事の無い調べに対し、一身に耳を傾ける。
他の子供達も、やや緊張の面持ちだった。松陽だけは、皆の様子を優しく見守っている。
三味線が奏でる曲調に耳が慣れると、短いフレーズの繰り返しが多いことが分かった。もう一度繰り返して聴けば、きっと手拍子くらいは入れられるだろう。
次から入れてみようかと考えた所で、演奏が止んだ。
朧は手拍子を入れ損ねたことを少し残念に思いながら、惜しみない拍手を贈る。
「ありがとう、晋助。素晴らしい演奏だ!」
賞賛に対して素直な笑顔を見せた晋助の頭を撫でたくて立ち上がろうとしたが、またもや松陽が言葉を挟む。
「まだですよ。次は皆から朧に、歌の贈り物です」
その言葉を受けて、朧はきちんと座り直す。
松陽が晋助を振り返ると、晋助が再び三味線を構えた。
「弾くぞッ」
晋助の合図に、銀時達が頷く。
先程と同じ曲が流れだし、同じ曲調の二週目で全員が声を揃え誕生日の歌を歌いだした。
晋助のしっかりとした声、小太郎の意外と高い声、信女のたどたどしくも可愛らしい声。そして、銀時と松陽の微妙に調子の外れた声音。
それらが混ざり、朧の鼓膜を震わせる。
Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday dear 朧(兄弟子)(朧兄さん)
Happy birthday to you
決して上手とは言えないが、朧には最高の合唱に聴こえた。
恐らく異国の言葉なのだろう。短いとはいえ慣れない歌詞を楽しそうに歌う姿を眺める内に、感動と喜びが胸に押し寄せてくる。
暖かな想いが心を満たし、瞼の裏を熱くした。
(俺は幸せ者だっ)
噛み締めるように、そう思う。
「ありがとう、本当に、ありがとう」
朧は一人一人の顔を見ながら、喜びに震えそうになる声で感謝の言葉を小さく呟いた。
応えるように松陽が歌う一団から抜けて、朧の左隣に座る。
「朧、お誕生日おめでとう」
にっこり笑って朧の肩を抱き寄せ、白銀の柔らかな髪に頬擦りした。
「今年も君の誕生日を祝えて嬉しいです」
「先生ッ」
勿体無いと思う気持ちと、弟弟子達の前での過剰な接触に照れる気持ちが綯い交ぜになり、そこに嬉しさや幸せな気分まで入り込んで、どう反応すれば良いか分からなくなる。
「ずるいっ、私も!」
「松陽、お前さぁ」
松陽に左上半身を固定されている朧の腰目掛けて、真正面から信女が抱きつく。
同時に、銀時は肩を竦めて呆れたように松陽を見下ろした。
晋助は演奏を止め、三味線を小太郎に押し付けてから、朧の右隣に無言で座り身を傾ける。晋助としては、精一杯の甘えた姿勢だった。
べったり甘え切れない微妙なお年頃らしい姿に、速攻で銀時がからかいの視線を送る。
晋助も、受けて立つ気満々の険しい顔で睨み返した。
小太郎は喧嘩の始まる予感に、預かった三味線の避難場所を目で探す。
落ち着きを無くした小太郎に気付いた朧は、松陽の腕から抜け出し、膝に乗っている信女を抱き上げつつ立ち上がる。
「銀時、先生、小太郎、晋助、信女」
左側から順に皆の名を呼び、最後に抱いている信女に視線を合わせてから、言葉を続けた。
「こんなにも盛大に祝ってくれて、ありがとう。この楽しかった時間を、楽しいまま終わらせたい」
抱いていた信女を、そっと下ろして頭を撫でる。
信女は擽ったそうに目を細めていたが、他一同は、朧が何を言い出すのだろうかと息を詰めて待った。
「よって、これより後片付けに入る。小太郎と信女は、食器の片付けを頼む。銀時と晋助は、部屋の片付けを頼む」
朧らしい祝いの締め方に、子供達は直ちに動き始めた。
小太郎が大きい皿をまとめ、信女は小皿を集める。銀時と晋助は、競うようにして部屋の飾りを取り外してゆく。
「あの? 朧、私は?」
子供達の作業を見守っている朧の袖を引いて、松陽が尋ねる。
朧は少し考え込むような顔をした後で、口を開いた。
「先生は、住職さんにお礼をお願いします」
この誕生日の催しを企てたのは、松陽なのだと見抜いてのお願いだった。
身内の誕生日でもないのに、あんな風に秘密の企てに乗って頂いたことがありがたくも申し訳ない。
自分も後日、礼に行こうと思った。
「分かりました。では、今から行ってきますね」
松陽は、朧に気付かれたことを察して曖昧に微笑みながら頷き返す。
そのまま居間を出てゆく松陽を見送ろうと、朧は後を追う。
子供達はそれぞれの作業で手一杯で、松陽の見送りは兄弟子に任せてしまった。
「先生、誕生日会を主催してくださり、ありがとうございました」
玄関扉の前で向き合うと、朧は改めて松陽に深々と頭を下げた。
笑顔と共に下げられた頭が上がると、今度は愁いを帯びた表情で言葉を続ける。
「ですが、どうか秘密にするのはお止めください。私は皆に嫌われてしまったのかと、疑ってしまいました。そう思ったこと、誠に申し訳なく、己がふっ」
「君を不安にさせてしまったのですね。申し訳ありません」
朧が不甲斐ないと言い切る前に松陽は言葉を被せ、その身をふわりと抱きしめた。
「先生、謝らないでください。私は、ただ」
暖かな腕に包まれて、感情の昂りが徐々に凪いでゆく。
ココにいると、何も考えられなくなった。昼間に味わった不安の欠片が溶けて、幸せで心が一杯になる。
「大丈夫です。みなまで言わなくとも、解りました」
「先生」
言葉にしなくとも解ってくださったと、嬉しくて顔を上げ松陽を見詰めた。
朧の視線を受け止めた松陽も、同じ喜色を瞳に浮かべている。
「では、予告することにしますね。今夜は、大人的なお祝いもしますので! 子供達は、早く寝かしつけてください」
「……えっ?」
予想外のお祝い予告に、朧は顔を真っ赤にした。
だが、松陽は満足した様子で腕の中から朧を開放する。
「では、行ってきます。お祝い、楽しみにしてくださいね」
「ぁ、ちょ、先っ、せいぃぃ!」
呼びかけの声などまるで聞こえていない様子で、松陽は玄関から飛び出して行った。
朧は玄関で崩れるように膝を付き、遠くなる背中を見送るのだった。
(先生…… それは、胸に秘めておいて欲しかったです)
高まる動悸を鎮めるために、深呼吸してから立ち上がる。
「本当に、今日という日は……」
感情の波に翻弄されると額を押さえたけれど、眉間に皺は現れず口元が緩むのだった。
了 2022.07.18
朧誕に大遅刻、ごめんなさい。
「手、洗ってくる」
その言葉に、朧以外の全員が歌の時間だと分かって頷く。
三味線を持って戻ってくるだろうから、今の内に食器を片付けてしまおうと小太郎も立ち上がった。
「あたしも、お手伝いする」
信女もお椀や小皿を持って、小太郎の後についてゆく。
朧も手伝おうと立ち上がりかけたが、松陽が肩を抑えて止めた。
「君は主役ですから、ここで座っていなさい」
朧を座らせると銀時を呼んで、座敷机を片側の方へ少し移動させる。
入り口側を広くして、そこに子供達が並べる様な場所を作った。
「あの、先生?」
朧は何が始まるのかと尋ねようとしたが、晋助が戻ってきた姿を見て察する。
三味線を持っていることと、晋助からの贈り物が無かったことから、誕生日祝いの演奏をしてくれるのだろうと。
晋助を中心にして、右に銀時と松陽が、左に信女と小太郎が立つ。
朧が座ったまま晋助を見上げると、晋助はすました顔をして一礼した。
「兄弟子の誕生日を祝して、一曲」
妙に大人びた表情と口調で、口上する。
晋助の芸術家肌な一面を見るようで、朧はしゃんと背筋を伸ばした。
静かな部屋の中、晋助が撥を構えて弦を鳴らし始める。
最初は、楽曲のみだった。
朧は聞いた事の無い調べに対し、一身に耳を傾ける。
他の子供達も、やや緊張の面持ちだった。松陽だけは、皆の様子を優しく見守っている。
三味線が奏でる曲調に耳が慣れると、短いフレーズの繰り返しが多いことが分かった。もう一度繰り返して聴けば、きっと手拍子くらいは入れられるだろう。
次から入れてみようかと考えた所で、演奏が止んだ。
朧は手拍子を入れ損ねたことを少し残念に思いながら、惜しみない拍手を贈る。
「ありがとう、晋助。素晴らしい演奏だ!」
賞賛に対して素直な笑顔を見せた晋助の頭を撫でたくて立ち上がろうとしたが、またもや松陽が言葉を挟む。
「まだですよ。次は皆から朧に、歌の贈り物です」
その言葉を受けて、朧はきちんと座り直す。
松陽が晋助を振り返ると、晋助が再び三味線を構えた。
「弾くぞッ」
晋助の合図に、銀時達が頷く。
先程と同じ曲が流れだし、同じ曲調の二週目で全員が声を揃え誕生日の歌を歌いだした。
晋助のしっかりとした声、小太郎の意外と高い声、信女のたどたどしくも可愛らしい声。そして、銀時と松陽の微妙に調子の外れた声音。
それらが混ざり、朧の鼓膜を震わせる。
Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday dear 朧(兄弟子)(朧兄さん)
Happy birthday to you
決して上手とは言えないが、朧には最高の合唱に聴こえた。
恐らく異国の言葉なのだろう。短いとはいえ慣れない歌詞を楽しそうに歌う姿を眺める内に、感動と喜びが胸に押し寄せてくる。
暖かな想いが心を満たし、瞼の裏を熱くした。
(俺は幸せ者だっ)
噛み締めるように、そう思う。
「ありがとう、本当に、ありがとう」
朧は一人一人の顔を見ながら、喜びに震えそうになる声で感謝の言葉を小さく呟いた。
応えるように松陽が歌う一団から抜けて、朧の左隣に座る。
「朧、お誕生日おめでとう」
にっこり笑って朧の肩を抱き寄せ、白銀の柔らかな髪に頬擦りした。
「今年も君の誕生日を祝えて嬉しいです」
「先生ッ」
勿体無いと思う気持ちと、弟弟子達の前での過剰な接触に照れる気持ちが綯い交ぜになり、そこに嬉しさや幸せな気分まで入り込んで、どう反応すれば良いか分からなくなる。
「ずるいっ、私も!」
「松陽、お前さぁ」
松陽に左上半身を固定されている朧の腰目掛けて、真正面から信女が抱きつく。
同時に、銀時は肩を竦めて呆れたように松陽を見下ろした。
晋助は演奏を止め、三味線を小太郎に押し付けてから、朧の右隣に無言で座り身を傾ける。晋助としては、精一杯の甘えた姿勢だった。
べったり甘え切れない微妙なお年頃らしい姿に、速攻で銀時がからかいの視線を送る。
晋助も、受けて立つ気満々の険しい顔で睨み返した。
小太郎は喧嘩の始まる予感に、預かった三味線の避難場所を目で探す。
落ち着きを無くした小太郎に気付いた朧は、松陽の腕から抜け出し、膝に乗っている信女を抱き上げつつ立ち上がる。
「銀時、先生、小太郎、晋助、信女」
左側から順に皆の名を呼び、最後に抱いている信女に視線を合わせてから、言葉を続けた。
「こんなにも盛大に祝ってくれて、ありがとう。この楽しかった時間を、楽しいまま終わらせたい」
抱いていた信女を、そっと下ろして頭を撫でる。
信女は擽ったそうに目を細めていたが、他一同は、朧が何を言い出すのだろうかと息を詰めて待った。
「よって、これより後片付けに入る。小太郎と信女は、食器の片付けを頼む。銀時と晋助は、部屋の片付けを頼む」
朧らしい祝いの締め方に、子供達は直ちに動き始めた。
小太郎が大きい皿をまとめ、信女は小皿を集める。銀時と晋助は、競うようにして部屋の飾りを取り外してゆく。
「あの? 朧、私は?」
子供達の作業を見守っている朧の袖を引いて、松陽が尋ねる。
朧は少し考え込むような顔をした後で、口を開いた。
「先生は、住職さんにお礼をお願いします」
この誕生日の催しを企てたのは、松陽なのだと見抜いてのお願いだった。
身内の誕生日でもないのに、あんな風に秘密の企てに乗って頂いたことがありがたくも申し訳ない。
自分も後日、礼に行こうと思った。
「分かりました。では、今から行ってきますね」
松陽は、朧に気付かれたことを察して曖昧に微笑みながら頷き返す。
そのまま居間を出てゆく松陽を見送ろうと、朧は後を追う。
子供達はそれぞれの作業で手一杯で、松陽の見送りは兄弟子に任せてしまった。
「先生、誕生日会を主催してくださり、ありがとうございました」
玄関扉の前で向き合うと、朧は改めて松陽に深々と頭を下げた。
笑顔と共に下げられた頭が上がると、今度は愁いを帯びた表情で言葉を続ける。
「ですが、どうか秘密にするのはお止めください。私は皆に嫌われてしまったのかと、疑ってしまいました。そう思ったこと、誠に申し訳なく、己がふっ」
「君を不安にさせてしまったのですね。申し訳ありません」
朧が不甲斐ないと言い切る前に松陽は言葉を被せ、その身をふわりと抱きしめた。
「先生、謝らないでください。私は、ただ」
暖かな腕に包まれて、感情の昂りが徐々に凪いでゆく。
ココにいると、何も考えられなくなった。昼間に味わった不安の欠片が溶けて、幸せで心が一杯になる。
「大丈夫です。みなまで言わなくとも、解りました」
「先生」
言葉にしなくとも解ってくださったと、嬉しくて顔を上げ松陽を見詰めた。
朧の視線を受け止めた松陽も、同じ喜色を瞳に浮かべている。
「では、予告することにしますね。今夜は、大人的なお祝いもしますので! 子供達は、早く寝かしつけてください」
「……えっ?」
予想外のお祝い予告に、朧は顔を真っ赤にした。
だが、松陽は満足した様子で腕の中から朧を開放する。
「では、行ってきます。お祝い、楽しみにしてくださいね」
「ぁ、ちょ、先っ、せいぃぃ!」
呼びかけの声などまるで聞こえていない様子で、松陽は玄関から飛び出して行った。
朧は玄関で崩れるように膝を付き、遠くなる背中を見送るのだった。
(先生…… それは、胸に秘めておいて欲しかったです)
高まる動悸を鎮めるために、深呼吸してから立ち上がる。
「本当に、今日という日は……」
感情の波に翻弄されると額を押さえたけれど、眉間に皺は現れず口元が緩むのだった。
了 2022.07.18
朧誕に大遅刻、ごめんなさい。