朧、誕生日おめでとう!

銀時は、焦っていた。
子供部屋で寝転びながらジャ〇プを読んでいる姿からは窺い知ることは出来ないが、内心は汗だくで読んでいる漫画の内容は一つも頭に入って来ないくらいに焦っていた。
「やべぇ、マジで、やべぇ」
内心の焦りが、声に出る。
信女が一瞬、声に反応して頭を上げたが漫画本を見て直ぐに視線を手元のコップに戻す。
コップに巻いたピンク色のリボンを撫でて、うっとりと水中で輝く石を見詰める信女の姿を、銀時はこっそり盗み見た。
(やっぱ、アレって朧への誕プレだよな。川ン中で体張って取った石だもんなぁ。チビっ子の癖にすげぇ)
数日前の川での事を思い返し一通り感心してから、今度は窓際の机前に正座している小太郎の背中に視線を移す。
(まぁた、献立帳開いてやがんな。何作るか秘密とかさ、松陽にも教えないなんて秘密主義過ぎねぇ? あいつ、むっつりだわ、将来むっつりスケベなハゲになるね、絶対)
小太郎は朧の誕生日祝い料理を作ると松陽から聞いたので、探りを入れたが料理内容は教えて貰えなかった。
どれくらいの物を作るかによって、自分も誕プレを考えるつもりだったが秘密にされては参考にもならない。
再び視線を漫画の上に戻す。

(あいつも、準備出来てるぽいしなぁ)
漫画は瞳に映っているだけで、脳内では晋助の姿が思い浮かんでいた。
風呂敷で丁寧に三味線を包み、こっそり裏口から山へと向かっている姿。
(山菜採りとかさ、三味線いらなくね? どうせ、山で練習してんだろ。あいつのことだから、誕生日祝いの曲とか演奏する気じゃね?)
意地半分、面倒臭さ半分で、後をつけたり覗きに行ったりはしなかったが、おおよそそんな所だろうと予測した。
そう。つまり弟弟子の中で、自分だけが何も祝いを用意できていない。
焦った所で、何も妙案が思い付かないのだ。
「あー! もぉー!」
奇声を上げて、漫画本を放り投げる。
今度は信女だけでなく小太郎も振り返ったが、銀時は気にすることなく部屋を出た。
廊下から玄関へ向かったが、行くあても思い付かない。でも、子供部屋に戻りたくも無かった。
「こーゆー時は、やっぱ」
竹刀を振るうのが一番だと、草履を履く。離れの道場に行こうと扉を開けた所で、後ろから声がかかった。

「銀時。出掛けるなら、お遣いを頼んでいいか? 醤油を、切らしてしまってな」
振り返った銀時の瞳に、廊下を走ってくる朧の姿が映る。調理途中らしく割烹着を着けたまま、片手に財布を握っていた。
「あー、俺、いまぁ」
市場までは遠いし、何より面倒臭い。
そんな思いから、今忙しいと断ろうと朧を見上げた。優しい兄弟子なら、行かないと返事しても怒りはしないだろう。
銀時は、なるべく視線を合わせないようにして口を開いた。
「いっ、」
忙しいと言いかけて、一旦口を噤む。
廊下の一番奥、突き当たりの部屋の襖が細く開いて、そこらがすっと拳を握った腕が差し出されたのを見てしまったのだ。それだけで、頭をゲンコツで殴られたような痛みを感じる。
(アレ、お遣いに行けってことだよな?)
そんな無言の圧力を感じた銀時は、強ばった笑顔で松陽の部屋に届くくらいの大きな声を出した。
「俺、今めっちゃ暇だからぁ、任せて! うん、行ってくるよ」
「そうか。助かる」
おかしな笑い方をする銀時に多少不思議そうな視線を向けながらも「ありがとう」と礼を言い、同じ色合いの頭を撫でる。
朧は財布から代金を取り出し、渡そうとして手を止めた。
「そうだ、少し待ってくれ」
そう言いおいて台所に戻って行ったが、待つほどもなく直ぐに銀時の前に戻ってくる。
「皆には内緒だぞ」
銀時の手を取り、代金と共に小さな紙包みを手渡された。
「え、なに?」
好奇心を抑えきれず、その場で紙包みを開ける。そこには、淡い色合いの小さな星々が十数個並んでいた。
「金平糖! え、いいの?」
「お遣いのお駄賃だからな」
甘味に瞳を輝かせる銀時に、朧は小さく微笑む。内緒にするんだぞと、付け足して。

「おやぁ、銀時だけですか?」
「せ、先生」
「ゲッ、松陽」
消していた気配をいきなり解放したような唐突さで、彼等の背後に松陽が現れた。
手に買い物袋を待ち、朧と銀時をかわるがわる見詰める。
「私も、これから買い物に出るのですよ」
朧は銀時と目を見交わしてから、銀時の手にある金平糖に視線を落とした。
「あ、では、先生に」
「やらねぇからっ! コレは俺が貰ったんだからな! お遣い行くのは譲ってやってもいーけど、コレは俺のだから!」
銀時は金平糖を素早く懐に入れると、朧と松陽にそう言い放つ。
今度は、松陽と朧が目を見交わした。
松陽は笑顔で、朧は複雑な表情で、銀時は二人の様子を上目遣いでじっと見る。
一番良いのは金平糖はこのままで、お遣いは松陽が引き受けてくれること。最悪なのは、金平糖を取り上げられることだ。
(まぁ、朧ならンなことしねぇよな)
兄弟子なら、一度渡した物を取り上げはしないと確信出来る。問題は、言動の予測が難しい松陽の方だろう。
なんとか、兄弟子が上手く取りまとめてくれないかと視線で訴えようとした。
「銀時、半分こで手を打ちましょう。たまには、二人で買い物に行くのも良いものです」
松陽は銀時と朧の間を遮り、圧の強い笑顔で提案をすっ飛ばして確定を伝える。
「先生が、そう仰るなら。銀時、頼んだぞ」
安堵を滲ませた朧の声が、松陽の背中越しに聞こえた。
(ああああっ! 俺の金平糖の半分ンンンンッ!)
銀時は、心の中で叫ぶ。
そうだった! 兄弟子は、先生の言葉には逆らわない。どう転んでも、松陽が出て来た時点で全ての決定権は師が握っていたのに……
どうして、淡い期待を持ってしまったのか。
「では先生、お願い致します」
「はい。任せてください」
銀時が後悔している間に、話は進んで行った。


「銀時、ほっぺが膨らんでますよ」
「誰のせいだが、わかって言ってんだろ?」
取り分が半分になった事だとの思いを込めてジロッと睨み上げるが、松陽の方は返事を聞き流し玄関先で見送っている朧に向かって手を振っていた。
朧が小さく頭を下げた後、玄関扉を閉めるとやっと銀時に答える。
「私が君から金平糖を奪うなんて、本気で思っているのですか?」
笑いの籠った声音に、本当に冗談だったのだろうかと疑いの眼差しを向けた。
「金平糖ではなく、大福だったら本気になりましたけどね」
銀時の疑いを払拭するために、松陽はもう一声付け足す。
その答えに納得したのか、銀時はそっと懐に隠した金平糖の包みを取り出して数個を口に放り込んだ。
口内に広がる甘味に、銀時の頬が緩む。
幸せそうな銀時の笑顔に、松陽も笑みを深くした。
「さあ、お遣いに行きましょう」
銀時の頭に手を乗せ、髪を撫でる。
その手つきはゆっくりとして、銀時を見下ろす瞳は優しさを湛えていた。
「ちょ、ナニっ?」
擽ったいのが心地良い、そう感じてしまったのが面映ゆくて、嫌では無いのに嫌そうな素振りで松陽の手を振り払ってしまう。
「ああ、ちょっと感慨に耽ってしまいました」
「かん、かんがい?」
意味の分からない言葉に、銀時は首を傾げる。
「ええ。あんなに小さかった君が、兄弟子のお遣いを引き受けることが出来るくらいに大きくなったのかと。こう、胸の奥がジーンとしまして」
どうやら成長を喜んでいるらしいと分かったが、その理由に納得がいかない。
そもそもお遣いを引き受けたのは、松陽のゲンコツ脅しがあったからだ。だが、それを口にしても何の事でしょうと流されるだろう。
「あ、そう。じゃ、さっさと醤油買いにいこっ」
下手に突っ込んで疲れるより、足を進める方を優先する。
先をゆく銀時の背中に肩を竦めてから、松陽はあとを追いかけた。

市場のある町までは少し距離がある。長い畦道を通り過ぎる頃には、銀時の早足も緩んできた。
無言で歩くのに退屈を覚えたのか、隣でゆったり歩む松陽に視線を向ける。
銀時の気配に気付いたのだろう。松陽は首を傾け、銀時の方を見た。
「あ、のさ。松陽はもう、朧の、ほらっ、アレ、決めたのか?」
歯切れの悪い質問だが、朧の誕生日祝いを用意したのかとの意味だと察する。
「お祝いなら、今準備中ですよ。その為に、こうして買い物に出てきたのですから」
銀時の真剣な表情を見て、松陽も真面目に答えた。
「そっか……」
小さく呟いて、唇を尖らせる。
何の用意も出来ていないのは自分だけなのだと分かると、余計に気持ちが焦りだした。
晋助のように音楽の才能は無いし、多少の料理は出来るが桂ほどではない。
信女みたいな幼い子供が宝物を見つけて贈るのは微笑ましいが、自分の年齢でそれは無理がある。
いや、そもそも宝物など持っていない。昔、大事にしていた蝉の抜け殻もいつの間にか失くしてしまった。
大人の松陽が用意する物には敵わないし真似も出来ないだろうが、それでも何か参考にできるかも知れない。
一縷の望みをかけて、もう一度口を開く。
「松陽は、何贈るのさ?」
「ふふふっ、私はお誕生日会の会場を作るのですよ。それが、朧へのお祝いです」
バッと両手を広げて胸を張る松陽の発言に、銀時は思わず立ち止まる。
「へっ?」
「そう、部屋の飾りつけです」
疑問から出た声を都合良く部屋という単語に結び付けて、銀時の背中を押して歩くよう促しながら言葉を続ける。
「色紙を切って輪っかにして繋いで、長い鎖を作りました。部屋の四隅全部を飾れる長さの力作ですよ! お誕生日おめでとうの横断幕も作ったのですが、それを飾る花の材料を買い忘れたのでね」
手に持った買い物袋を、振って見せた。それが、買い物に出た理由なのだと。
「ンなんで、いいのか? 誕生日祝いなのに、マジで?」
思わず、気の抜けた声がでる。まさか大人が誕生日の贈り物を、色紙で作るなんて想像もしていなかった。
「銀時。お祝いは、心が籠っていれば問題ありません。気持ちですよ、気持ち。祝いたいと思う気持ちが大事なのです」
松陽は自分の胸に当てて、そう言い切る。
「朧がどんな時に笑顔を見せてくれるか、思い出せば何を贈ればいいのかなんて思い付くのは簡単ではありませんか?」
にっこりと微笑んで、体を少しだけ銀時の方へ傾けた。
その言葉に、銀時はハッとする。贈り物に悩んでいるのが、バレていたのだと。
そして図らずも、先ほどまでの会話から贈りたい物を思い付いた。
その材料費も、部屋にあるもので十分間に合う。時間的にも余裕だった。
銀時の表情が晴れやかに変わってゆくのを横目にして、松陽は体の傾きを戻す。
「なぁ、松陽。花の材料ってナニ?」
機嫌を良くした銀時が気になっていたことを尋ねる。
「前にも作ったの、覚えていませんか? ちり紙ですよ」
「ちり紙って…… ジジくせぇ言い方ぁ」
プッと噴き出して、軽口を叩く。いつもの銀時の様子に、松陽も軽く切り返した。
「臀の青い君から見れば、誰だってお爺さんですよ」
視線で銀時の後方を見て、口角を上げる。
銀時は咄嗟に、両手で尻を隠した。
「ゲッ! いつ見た?!」
「この間、信女と一緒に濡れて帰ってきた日に、」
「ああああっ! 醤油って、料理に使うから早く買って帰んないとぉぉぉ! ほら、先行くぞ!」
お尻の蒙古斑を気にしていた銀時は、松陽の言葉を遮り強制的に話題を変える。
まだまだ、腕力でも口でも師には敵わない。
こういう時は、さっさと走り出すに限る。

(これで皆、楽しい時間を過ごせそうですね)
銀時の元気な後姿を眺めながら、松陽は心の中で呟いた。



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