朧、誕生日おめでとう!

天気は快晴。
山間を吹き抜ける風は心地好く、切り株に腰掛けている晋助の髪をそっと揺らしていった。
だが優しいそよ風も、今の晋助の気持ちを穏やかにはしてくれない。
「クソっ! この曲も、ジジむせェ」
三味線の弦を掌で叩いて、演奏を止める。
足下に置いた山菜入りの籠に撥を投げ捨て、親指の爪を噛んだ。
兄弟子の誕生日祝いに、何か一曲贈ろうと決めたものの、どうしても相応しいと思える曲が無い。
せっかく山菜を採るという言い訳まで考えて、練習の為に毎日山籠りしているのに。
実家に帰れば何か楽譜が見つけられるかもしれないが、勘当された身でノコノコト戻りたくはない。
たとえ勘当されていなくとも、戻りたいとは思わなかった。
「楽譜なんてなくても、新しい曲が聴けりゃァ……」
作曲という考えが頭を過ったが、したこともないし時間もない。
「いっそ、かぶいた演奏にしてみるか?」
傾奇者のような恰好をして、音を派手にかき鳴らして。
そんな自分の姿を妄想したところで、首を左右に振る。
真面目な兄弟子に、弟弟子がグレたと思われてしまう危険性が高い。
それに、銀時に大笑いされそうで嫌だ。
良い案が浮かばず、ふうっと大きなため息をついた。

「大きなため息ですね、何か悩んでいるのですか?」
突如背後から声がかり、晋助はビクッと肩を揺らして振り返る。
「松陽先生?!」
「君が山菜採りに出かけたと聞いたので」
松陽は晋助の前に回り込み、手にしていた麦わら帽子をひらひらと振って見せた。
「今日は日差しがきついので、これが必要かと思いまして」
晴れた空を見上げた後「ねっ」と、微笑んで晋助の頭の上に麦わら帽子をかぶせる。
「あ、ありがとうござぃ……っ」
師の気遣いは嬉しかったが、山菜採りを口実に三味線の練習をしていたことを見られた気まずさに、言葉の語尾があやふやに消えた。
いつから聞かれていたのだろう?
せめて、まともな演奏ができていれば気まずさはもう少しマシだったのにと唇を噛む。
「ところで、晋助の悩みは何ですか?」
「あ、あっ、の」
ばつの悪い顔をしてしまっても帽子のつばで隠せると思ったが、松陽は背を丸めて膝を抱え込み大きく首を傾けて視線を合わせてきた。ジッと晋助の瞳を見詰めて、待つ姿勢に徹している。
静かで穏やかな表情なのに、なぜか無言の圧力を感じて晋助は口を開いた。
「兄弟子の誕生日に演奏する曲が、決まらねェから…… 知ってる曲は、どうもしっくりこねェ、っかジジむせェし、なんかもっとこう、誕生祝いみたいな感じの曲がないかって」
知らず識らずのうちに、三味線を握っていた指に力が籠る。
敬愛する師の前で自分の無知を晒しているようで、情けなくなってきた。
「君は、とても朧が好きなのですね。そんなに真剣に悩むほど、曲に拘っているなんて」
なんて可愛いのでしょうと、続ける言葉は飲み込む。それは、恐らく彼にとっては誉め言葉にならない。
うっすらと頬を染め無言で視線を泳がせる晋助に、松陽は人差し指を立てて見せた。
「一生懸命な君に、一つだけ秘密の曲を教えましょう」
「え?」
立ち上がった松陽の動きに合わせて、晋助の視線も上がる。
秘密の曲とは何だろうかと、瞠目した。

「これは、とある場所で聴いた歌なのです。異国の歌なので、誰にも教えたことがありません」
「異国の歌って?」
予想外の言葉に、思わず晋助も立ち上がる。
「君の思っている通りの曲ですよ。誕生日お祝いの短いものですが、こんな曲です」
そう前置きすると、松陽は声を張り上げ歌い始めた。

Happy birthday to you
Happy birthday to you
Happy birthday dear oboro
Happy birthday to you

聴いたこともない明るい曲調と、不思議な響きの言葉。
歌詞自体の意味は理解できなかったが、朧という言葉だけは聞き取れた。
同じ音の繰り返しなので、覚えることは簡単そうに思える。
「先生、それは異国の言葉なのか? 何て言ってるのか解んねェけど」
「はい、そうです。お誕生日おめでとうという意味です。お祝いに相応しいでしょう? この曲なら、簡単で信女にも歌えますよ。皆で歌えれば、朧もきっと喜んでくれるでしょう」
松陽の言葉に、晋助も納得した。
短い曲ではあるが、繰り返して演奏すればいい。
同じ歌詞の繰り返しなら、幼い妹弟子も覚えられるだろう。
「先生、楽譜は」
「ありません」
楽譜の有無を確認しようとしたが、全部言い終わる前にバッサリと言い切られた。
「なので適当に伴奏して、歌ってください」
にっこり笑顔で、そう続ける。
適当と言われて、晋助は真顔になった。
それって演奏の意味はあるのだろうかと内心で思ったが、ここで止めてしまっては誕生日に間に合わない。
「覚えるから、もう一回」
もう一度歌って欲しいと頼んでから三味線を持ち直し、切り株に腰を落ち着けた。

四回目を歌い終えると「もう一度ですか?」と、催促される前に質問する。最初に歌ったのを勘定に入れれば、すでに五回歌っていた。
そろそろお役御免かと、小首を傾げる。
「……先生」
「はい?」
晋助は苦虫を噛み潰したような顔で、松陽を見上げた。
「なんで、歌う度に音程が違うんだ?」
「え? 私は、同じ歌い方をしていますよ」
松陽は、真面目に歌っていたつもりなのだろう。何故音程が違うと言われるのか、分からないという顔をした。
晋助は山菜の中に混じってしまった撥を取り上げ、丁寧に袖で拭う。
「最初のが、こうッ」
背筋を伸ばし、撥で弦を弾いて演奏する。
「で、次がこんな」
そう言葉を挟んで、演奏を続けた。
松陽は、目をパチクリさせて聴き比べている。
「最後は、これだ」
そうして、弾き終えると正面から松陽を見た。
客観的に聴けば解るだろうと、瞳が挑戦的に輝いている。
対して松陽の方は見開いていた目を細め口角を上げ、両手をパンっと打ち合わせ緩い拍手を贈った。
「凄い! 凄いです! 楽譜も無しで、たった数回聴いただけの歌を演奏出来るなんて! もしかして、君は音楽の天才ではないですか!」
膝を落とし、三味線ごと晋助を抱きしめる。
「剣の才能に、音楽の才能まで! 君の成長が、ますます楽しみになりました」
「ちょ、三味線が壊れっ、先生ッ」
抱きしめられて、褒められて、照れ臭いやらむず痒いやらで、晋助は素直にありがとうとは言えなくなった。
こうなると、もう音程がどうこうと追及する事も出来ない。
「ああ、すみません。感動のあまり、感情的になってしまいました。三味線は、大丈夫ですか?」
ふわりと温もりが離れたが、優しい眼差しは注がれたまま。
晋助は、形ばかり三味線を点検する振りをしてからコクッと頷く。
「良かった。では、朧の誕生日の演奏を楽しみにしていますよ」
麦わら帽子越しに、晋助の頭を軽く撫でる。
「先生、この事は」
「はい。当日まで内緒、ですね。心得ています」
人差し指を口元に立て、誓って見せた。
晋助は安堵の息を吐き、立ち上がって頭を下げる。
「先生、曲をありがとうございました」
普段口が悪くとも、こういった礼儀正さから育ちの良さや素直さが覗く。
松陽は、笑みを深くして頷いた。
「練習に熱中して、遅くならないように。朧が心配して、探しに来るとバレちゃいますから」
そう忠告の言葉を残して踵を返す。
松陽の背中を、三味線の音が見送った。


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