朧、誕生日おめでとう!
「ハクチュン!」
信女は、大きなくしゃみをした。
暦の上では、もう春。しかし三月下旬の川の水は冷たく、吹く風も容赦無く体温を奪ってゆく。それでも信女は、川から上がろうとは思わなかった。
もう、コレしかない!そう決意しての行動。
大好きな兄弟子、朧への贈り物を一生懸命考えた末ここに辿り着いたのだから。
***
最初に考えたのは、おやつのドーナツを残して置いて、それをまとめてプレゼントにしよう作戦だった。
だが、おやつは毎回ドーナツという訳ではなく、集めるのに日にちがかかる。そして、幼い信女は日が経つとドーナツがカビるという厳しい現実を目の当たりにしたのだった。
(こんなことなら、我慢せず食べれば良かった!)
激しい後悔のあと、涙を拭いて立ち上がる。もう時間が無い。自分に出来る贈り物は無いか考えてみた。
うんうん唸っても、良い考えは出てこない。
何か素敵な贈り物が見つからないかと、家から飛び出して畦道や空き地や野原と歩き回る。
おかっぱ頭からじんわり汗が滲むころ、眩しい光が大きな瞳に飛び込んできた。
「なに?」
何処からの輝きなのか、左右をキョロキョロと見回す。
ソレは、直ぐに見つかった。田舎道に沿って流れる小川の水面が、陽の光を受け煌めいている。
信女は小川の縁に駆け寄り、水面を見下ろした。川底には宝石のような輝きを放つ沢山の石があり、視線を奪われる。
「あれだっ!」
こんなに綺麗な石が、川底にあるなんて知らなかった。あれを贈ったら、きっと綺麗だなと微笑んでくれるはず。
朧の優しい笑顔を思い浮かべて、小川へと飛び込んだ。膝より下の浅い水の流れに、くいっと腰を上げて両足を踏ん張り両手を突っ込み、水面に顔を近づけて水底を覗き込む。
陽の光が川の水をキラキラと輝かせて、川底に並ぶ石に流れる模様を描いてゆく。時折小魚が横切って、小さな影を落とした。
丸い石や、楕円や角張った石。どれが一番綺麗だろうかと、あちこちに視線を彷徨わせて贈り物に良さそうな石を夢中になって探しだした。
***
クシャン、クシャンっと、二度、三度、続けてくしゃみが出る。
鼻水が垂れたのも気にせず、真剣な瞳で石を選別してゆく。
「んっと、これ。ううん、やっぱ、あっち!あれが、一番きれい!」
納得のいく石を見つけて、手を伸ばす。
「あっ!」
川底の石を掴んだ瞬間、足が滑る。
信女の小さな体は、あっという間に川の中に沈んだ。
全身の冷たさに、頭より体が反応して上体を起こす。膝の高さ程しかない川で溺れることは無かったが、一瞬でも体が川底に沈んだ恐怖に身が震え立ち上がれなかった。
掴んだ石を握り締めたまま、瞳に涙が盛り上がる。
ふぇぇんっと、声を上げて泣き出しそうになった時、背後から知った声が降ってきた。
首だけで振り向く信女の瞳に、薄い銀の髪を乱した銀時の姿が映る。
「ちょ、お前。この寒ぃのに、ナニやってんの?」
語調は平静を装っているが、荒い呼吸までは誤魔化せ無い。川に入っている信女の姿を見つけ、転んだのを心配して駆けて来たのが分かる。
寒いと言いつつザブザブと川に入って、信女を立ち上げさせようと腕を掴んだ。
「風邪引くだろ、早く立てってばっ」
信女は、ふるふると首を横に揺らす。
「……立てない」
まだ恐怖の余韻があって、足に力が入らなかった。
「あーもー、しゃーねーなっ」
銀時は信女に背を向けて、濡れるのも構わず膝をつく。
「ほらっ」
背中に乗れというように、両腕を信女の前に差し伸べた。
「うん」
握り締めていた石を懐に隠し、両手を伸ばして銀時の背中に体を預ける。
まだ膝に力が入らなかったが、銀時が立ち上がるのと同時に引き上げられた。
川の水を含んだ着物が銀時の背中に触れ、水気と冷たさが銀時の着物にも滲みてゆく。
引き換えのように、銀時の温もりが信女の肌を温める。
温もりが恐怖の余韻を拭い去り、銀時の肩に回していた小さな手に力を戻す。
信女がしっかりとおぶさったのを確認すると、銀時は足を進めて川から川岸へと歩みを進める。
「で、ナニしてた訳ぇ?」
「ひみつ、よ」
兄弟子への贈り物を手にした信女は、満足気な笑みを浮かべた。
***
「銀時! 信女!」
二人の姿を見て、朧が玄関先で驚きの声を上げる。
だが、詳しい事情を聴く前に信女を抱き上げ、銀時を風呂場へと急き立てた。
朧の声に驚いた松陽も、慌てて風呂場に続く廊下に飛び出してくる。
「先生、良いところに。銀時と信女をお願いします。私は、着替えを用意してきますので」
「はい、任されました」
松陽は笑顔で信女を抱き取り、銀時を促す。
朧は軽く頭を下げると、奥の子供部屋へ向かった。
「二人とも、何をしたのですか?」
松陽は脱衣所で信女を下ろし、信女の帯に手をかける。
「知らね、秘密なんだってさ。お先ぃ」
着物を脱ぎ散らかした銀時が先に答えて、風呂場の扉を開け中に飛び込んだ。
「秘密ですか?まぁ、怪我をしない程度なら問題あ、」
銀時の背中を見送って、呟きながら信女に視線を戻した所で言葉を途切らせる。
信女は掌に載せた小さな丸い石を見詰めて、涙を流していた。
「信女?」
膝をつき、信女の視線の高さに合わせて涙に濡れた瞳を覗き込む。
「石が…… 死んじゃった」
グズグズと鼻を鳴らして、松陽にしがみついた。
松陽は泣きじゃくる信女を抱き締めて、落ち着かせるように優しい声を出す。
「どうして、そう思ったのですか?」
石が死ぬとはどういう意味か分からないが、信女にとっては大事なことなのだろう。とにかく話させて、涙の訳を探ろうとした。
「おぼっ、おたんじょ、川で、キラキラ」
バラバラの単語に、鼻をすする音やエグエグと言葉に成っていない言葉が交ざり、聴き取り難い事この上ない。
それでも松陽は、根気よく信女の話を聞き続けて言わんとする意味を探り当てた。
信女は川の底で見付けた石を、朧の誕生日祝いの贈り物にするつもりだったらしい。見付けた時キラキラと輝いていた石が、懐に入れて持ち帰っている間に輝きを失った。それは、石が死んでしまったからだと思ったようだ。
「大丈夫です。石は、死んでいませんよ」
「……死んでない?」
松陽の言葉に、信女の涙が止まる。抱きついていた腕を離して、松陽の前に握り締めていた石を差し出した。
「全然、ピカピカしてないのに?」
涙を堪えた瞳で、真っ直ぐに松陽を見詰める。
期待と絶望半々の眼差しは、質問の答え次第で晴れにも雨にもなりそうだ。
「はい。石さんは、喉が渇いているだけです。だから、元気が無くてキラキラしないのですよ」
松陽の言葉に、信女は大きく目を瞠る。
喉が渇いているとは、どういうことだろうかと首を傾げた。
顔も口も無いのに、どうやって水を飲ませればいいのか?
信女は石をじっと見詰めながら、必死に考え込む。
諦めず何か手はないかと考えている様子が微笑ましくて、松陽は手助けすることにした。
立ち上がり、洗面所に置いてあるコップに水を満たす。
「石さんは、川でどうやって水を飲んでいたかわかりますか?」
そう言って、信女の目前にコップを差し出した。
信女は石を見つけた時のことを思い出す。
石は川底でキラキラと輝いていたのだ。つまり、水中なら水を飲むことができる。
「わかったっ!」
返事と同時に手に持っていた石を、松陽が持っているコップの中へ投げ込む。
石はポチャンと音を立て、コップの底へと落ち着いた。
松陽がコップを洗面所の明り取りの窓から差し込む陽に翳すと、信女の視線も上へ向けられる。
その瞳は水中で輝きを取り戻した石と同じように、明るく輝いていた。
「石さん、元気になりましたね。さ、風邪をひかないよう、ちゃんと温まってくるのですよ」
「うんっ!」
信女は松陽の手にコップを預けたまま、満面の笑みで肌着を脱ぎ捨てる。
そして、先に銀時が入っている風呂へと飛び込んでいった。
「先生、着替えを…… 今、何か隠されましたか?」
片手で風呂と脱衣所を仕切る扉を閉めたところで、子供たちの着替えを手に持った朧が現れ訝しそうに首を傾ける。
「いいえ、何も」
松陽は着物の袖でそっとコップを隠したまま、胡散臭い笑顔を張り付けたまま「では、私は授業の準備がありますので」と言って踵を返し脱衣所から出ていった。
(あとで、こっそりコップを戻しておかないと、ですね)
そう、心にメモをする。
信女は、大きなくしゃみをした。
暦の上では、もう春。しかし三月下旬の川の水は冷たく、吹く風も容赦無く体温を奪ってゆく。それでも信女は、川から上がろうとは思わなかった。
もう、コレしかない!そう決意しての行動。
大好きな兄弟子、朧への贈り物を一生懸命考えた末ここに辿り着いたのだから。
***
最初に考えたのは、おやつのドーナツを残して置いて、それをまとめてプレゼントにしよう作戦だった。
だが、おやつは毎回ドーナツという訳ではなく、集めるのに日にちがかかる。そして、幼い信女は日が経つとドーナツがカビるという厳しい現実を目の当たりにしたのだった。
(こんなことなら、我慢せず食べれば良かった!)
激しい後悔のあと、涙を拭いて立ち上がる。もう時間が無い。自分に出来る贈り物は無いか考えてみた。
うんうん唸っても、良い考えは出てこない。
何か素敵な贈り物が見つからないかと、家から飛び出して畦道や空き地や野原と歩き回る。
おかっぱ頭からじんわり汗が滲むころ、眩しい光が大きな瞳に飛び込んできた。
「なに?」
何処からの輝きなのか、左右をキョロキョロと見回す。
ソレは、直ぐに見つかった。田舎道に沿って流れる小川の水面が、陽の光を受け煌めいている。
信女は小川の縁に駆け寄り、水面を見下ろした。川底には宝石のような輝きを放つ沢山の石があり、視線を奪われる。
「あれだっ!」
こんなに綺麗な石が、川底にあるなんて知らなかった。あれを贈ったら、きっと綺麗だなと微笑んでくれるはず。
朧の優しい笑顔を思い浮かべて、小川へと飛び込んだ。膝より下の浅い水の流れに、くいっと腰を上げて両足を踏ん張り両手を突っ込み、水面に顔を近づけて水底を覗き込む。
陽の光が川の水をキラキラと輝かせて、川底に並ぶ石に流れる模様を描いてゆく。時折小魚が横切って、小さな影を落とした。
丸い石や、楕円や角張った石。どれが一番綺麗だろうかと、あちこちに視線を彷徨わせて贈り物に良さそうな石を夢中になって探しだした。
***
クシャン、クシャンっと、二度、三度、続けてくしゃみが出る。
鼻水が垂れたのも気にせず、真剣な瞳で石を選別してゆく。
「んっと、これ。ううん、やっぱ、あっち!あれが、一番きれい!」
納得のいく石を見つけて、手を伸ばす。
「あっ!」
川底の石を掴んだ瞬間、足が滑る。
信女の小さな体は、あっという間に川の中に沈んだ。
全身の冷たさに、頭より体が反応して上体を起こす。膝の高さ程しかない川で溺れることは無かったが、一瞬でも体が川底に沈んだ恐怖に身が震え立ち上がれなかった。
掴んだ石を握り締めたまま、瞳に涙が盛り上がる。
ふぇぇんっと、声を上げて泣き出しそうになった時、背後から知った声が降ってきた。
首だけで振り向く信女の瞳に、薄い銀の髪を乱した銀時の姿が映る。
「ちょ、お前。この寒ぃのに、ナニやってんの?」
語調は平静を装っているが、荒い呼吸までは誤魔化せ無い。川に入っている信女の姿を見つけ、転んだのを心配して駆けて来たのが分かる。
寒いと言いつつザブザブと川に入って、信女を立ち上げさせようと腕を掴んだ。
「風邪引くだろ、早く立てってばっ」
信女は、ふるふると首を横に揺らす。
「……立てない」
まだ恐怖の余韻があって、足に力が入らなかった。
「あーもー、しゃーねーなっ」
銀時は信女に背を向けて、濡れるのも構わず膝をつく。
「ほらっ」
背中に乗れというように、両腕を信女の前に差し伸べた。
「うん」
握り締めていた石を懐に隠し、両手を伸ばして銀時の背中に体を預ける。
まだ膝に力が入らなかったが、銀時が立ち上がるのと同時に引き上げられた。
川の水を含んだ着物が銀時の背中に触れ、水気と冷たさが銀時の着物にも滲みてゆく。
引き換えのように、銀時の温もりが信女の肌を温める。
温もりが恐怖の余韻を拭い去り、銀時の肩に回していた小さな手に力を戻す。
信女がしっかりとおぶさったのを確認すると、銀時は足を進めて川から川岸へと歩みを進める。
「で、ナニしてた訳ぇ?」
「ひみつ、よ」
兄弟子への贈り物を手にした信女は、満足気な笑みを浮かべた。
***
「銀時! 信女!」
二人の姿を見て、朧が玄関先で驚きの声を上げる。
だが、詳しい事情を聴く前に信女を抱き上げ、銀時を風呂場へと急き立てた。
朧の声に驚いた松陽も、慌てて風呂場に続く廊下に飛び出してくる。
「先生、良いところに。銀時と信女をお願いします。私は、着替えを用意してきますので」
「はい、任されました」
松陽は笑顔で信女を抱き取り、銀時を促す。
朧は軽く頭を下げると、奥の子供部屋へ向かった。
「二人とも、何をしたのですか?」
松陽は脱衣所で信女を下ろし、信女の帯に手をかける。
「知らね、秘密なんだってさ。お先ぃ」
着物を脱ぎ散らかした銀時が先に答えて、風呂場の扉を開け中に飛び込んだ。
「秘密ですか?まぁ、怪我をしない程度なら問題あ、」
銀時の背中を見送って、呟きながら信女に視線を戻した所で言葉を途切らせる。
信女は掌に載せた小さな丸い石を見詰めて、涙を流していた。
「信女?」
膝をつき、信女の視線の高さに合わせて涙に濡れた瞳を覗き込む。
「石が…… 死んじゃった」
グズグズと鼻を鳴らして、松陽にしがみついた。
松陽は泣きじゃくる信女を抱き締めて、落ち着かせるように優しい声を出す。
「どうして、そう思ったのですか?」
石が死ぬとはどういう意味か分からないが、信女にとっては大事なことなのだろう。とにかく話させて、涙の訳を探ろうとした。
「おぼっ、おたんじょ、川で、キラキラ」
バラバラの単語に、鼻をすする音やエグエグと言葉に成っていない言葉が交ざり、聴き取り難い事この上ない。
それでも松陽は、根気よく信女の話を聞き続けて言わんとする意味を探り当てた。
信女は川の底で見付けた石を、朧の誕生日祝いの贈り物にするつもりだったらしい。見付けた時キラキラと輝いていた石が、懐に入れて持ち帰っている間に輝きを失った。それは、石が死んでしまったからだと思ったようだ。
「大丈夫です。石は、死んでいませんよ」
「……死んでない?」
松陽の言葉に、信女の涙が止まる。抱きついていた腕を離して、松陽の前に握り締めていた石を差し出した。
「全然、ピカピカしてないのに?」
涙を堪えた瞳で、真っ直ぐに松陽を見詰める。
期待と絶望半々の眼差しは、質問の答え次第で晴れにも雨にもなりそうだ。
「はい。石さんは、喉が渇いているだけです。だから、元気が無くてキラキラしないのですよ」
松陽の言葉に、信女は大きく目を瞠る。
喉が渇いているとは、どういうことだろうかと首を傾げた。
顔も口も無いのに、どうやって水を飲ませればいいのか?
信女は石をじっと見詰めながら、必死に考え込む。
諦めず何か手はないかと考えている様子が微笑ましくて、松陽は手助けすることにした。
立ち上がり、洗面所に置いてあるコップに水を満たす。
「石さんは、川でどうやって水を飲んでいたかわかりますか?」
そう言って、信女の目前にコップを差し出した。
信女は石を見つけた時のことを思い出す。
石は川底でキラキラと輝いていたのだ。つまり、水中なら水を飲むことができる。
「わかったっ!」
返事と同時に手に持っていた石を、松陽が持っているコップの中へ投げ込む。
石はポチャンと音を立て、コップの底へと落ち着いた。
松陽がコップを洗面所の明り取りの窓から差し込む陽に翳すと、信女の視線も上へ向けられる。
その瞳は水中で輝きを取り戻した石と同じように、明るく輝いていた。
「石さん、元気になりましたね。さ、風邪をひかないよう、ちゃんと温まってくるのですよ」
「うんっ!」
信女は松陽の手にコップを預けたまま、満面の笑みで肌着を脱ぎ捨てる。
そして、先に銀時が入っている風呂へと飛び込んでいった。
「先生、着替えを…… 今、何か隠されましたか?」
片手で風呂と脱衣所を仕切る扉を閉めたところで、子供たちの着替えを手に持った朧が現れ訝しそうに首を傾ける。
「いいえ、何も」
松陽は着物の袖でそっとコップを隠したまま、胡散臭い笑顔を張り付けたまま「では、私は授業の準備がありますので」と言って踵を返し脱衣所から出ていった。
(あとで、こっそりコップを戻しておかないと、ですね)
そう、心にメモをする。