十六夜の月

実りの秋という言葉が相応しい、辺り一面の黄金色。重い実をつけた稲穂が頭を垂れ、澄んだ夕暮れの冷たくなり始めた風に吹かれ揺れている様はまるで黄金の漣を思わせる。
にわかに赤く色付く夕空を背に、四つの人影が神社へと通じる畦道を歩いていた。
先頭を歩く朧は、後ろを歩く子供達より抜きん出て背が高い。しかし線の細さや頬の丸みが残っている容姿はまだまだ少年っぽさが残っていた。十二、三の弟弟子達よりは大人だが、今夜の様子は弾んでいてどちらかというと子供達に同化して見える。その原因は、これから行く場所にあった。
村長達が訪ねて来て以来、ひと月の間村塾の道場で師の稽古を見て来たが、とうとう神社での稽古を見学させて貰えることになったのだ。浮かれるなという方が、無理な話だ。

「なあ、朧。ソレさぁ、俺達も食っていいよな?」
最後尾を歩いていた銀時が、朧の持つ風呂敷包みを指差して尋ねる。
「はァ? 馬鹿か! さっき、神主さんへの差し入れだって聞いたばっかだろうがァ」
朧が答えるより先に、銀時の隣を歩いていた晋助が突っ込みを入れた。
「正確に言うなら、これで三度目だな。何度聞こうが、答えは変わらぬというのにな」
朧のすぐ後を歩く小太郎も、追い打ちの言葉を言い放つ。
「仕方の無い奴だな。帰ったら明日のおやつに取っておいた餡ころ餅をやるから、我慢してくれ」
同じ歳の晋助と小太郎からピシャリと厳しい指摘を受けた銀時を可哀想に思った朧は、今夜は特別だと振り返りおやつを前倒しするという妥協案を口にした。
「やったー!」
「うるせェ!」
「朧兄さん、甘過ぎます!」
弟弟子達それぞれの反応に、朧はニコッと笑って言葉を付け足す。
「ただし、帰りまで行儀良くして先生の許可を頂けたらだぞ」
すぐに晋助と口喧嘩をする銀時には、些か難しい条件だ。
「ちぇっ」
拗ねて舌打ちする銀時と、朧の機転に笑う晋助と小太郎。
そんな彼らを引率し、師が待つ神社への残りの道行を急いだ。朱塗りの大きな鳥居をくぐり参道から社務所へ行くべきか、それとも直接右前方にある神楽殿に行くべきかを悩む。
心は一刻も早く師の許へ行きたいが、弟弟子達の手本となる身としては礼儀正しく拝礼を済ませた後に社務所へ挨拶をしてから稽古が行われている神楽殿へ向かうのが正解だろう。
「あ! お囃子が聴こえます」
小太郎が耳敏く、神楽殿のある方を指差す。
「じゃあ、許可貰いにぃ」
「銀時」
その素直さが羨ましいのが半分と、やはり兄弟子として指導せねばという気持ちで名前を呼ぶ。その口調だけで、銀時は叱られたと察し口をちぇっと尖らせむくれる。
「行こうぜ」
晋助が朧の袖を引き、彼らは神楽殿を通り過ぎ拝殿に向かった。きざはしを上って、賽銭箱に小銭を投げ込む。四人並んで合掌し思い思いの祈りを捧げた後、本殿へ歩みを進めた。

「こんばんは」
社務所の戸を開けて、土間から中へと声をかける。奥の方から返事が聞こえて慌ただしい足音がした。いつも落ち着いた神社の雰囲気とは違う感じに朧は眉を顰め、弟弟子達は何かおかしいと首を傾げる。
「お待たせしました」
 現れたのは馴染みの社人ではなく、村長の息子だった。
息子といっても三十路を過ぎている。そんな男が慌ただしく出てくるのだから、やはり何かあったのだろう。それとも、一週間後に迫った秋祭りの準備でてんてこ舞いなだけだろうか。部外者には分からぬ事だと、朧は考えるのを止めた。
風呂敷包みを差し出して、頭を下げる。
「松下村塾から参りました。これを神主さんに、」
 神主は忙しいだろうから、取り次いで貰う必要は無いだろうと和菓子を託すことにした。
「松下村塾! では、君が?」
 村長の息子は風呂敷包みではなく、それを持っていた朧の両手首を掴んで力任せに引き寄せる。いきなりの事に、朧の足元がよろけた。
「兄弟子ッ!」
「朧兄さん!」
 咄嗟に晋助と小太郎が後ろから朧を支える。銀時は前に回って村長の息子の腕を引っ張り、朧から引き離そうとした。
「おい、おっさん! 餡ころ餅を独り占めする気じゃねぇだろーなっ!」
 ギッと睨み付けるが、残念ながら相手は全く銀時を見ていない。その視線は朧だけを見ていた。
「そうか、君が朧君か。今、幾つだい?」
 遠慮の無い視線は、朧の頭の天辺から顔の傷、薄い肩や掴んだ腕から細い腰、子供達が支える腿から足先までを何度も往復する。その視線には好奇の色も含まれてはいたが、それ以上にどこか必死の色があった。
「十五です」
 不快な表情になるのを我慢して、年齢を答える。
その気になればこの不躾な腕を造作も無く振り払えたが、村長の息子相手に騒ぎを起こして師に迷惑が掛かってはいけないと堪えた。
隣に立つ銀時に、手から風呂敷包みを取るよう視線で促した後、村長の息子に向かってもう一度口を開く。
「手を離して頂けませんか」
「いや、とにかく奥へ!」
「ちょっと、まっ」
無理矢理、土間から引き上げられ抗議の声を上げかけた。
「吉田先生に、説明して貰わんとならん!」
村長の息子が漏らした言葉に、朧だけでなく弟弟子達も反応する。草履を脱ぎ捨て、口々に朧の名を呼びながら追いかけた。

朧達が連れてこられたのは、一番奥の部屋。
村長の息子が襖の前で「失礼します」と声を掛けて襖を開けると、部屋中の耳目が集まった。朧と弟弟子達も視線を受けて、同じ様に部屋の中を見返す。
そこは広い和室で、十名ほどの男が神主を中心にして左右に並んで座っている。彼らは村の世話役や有力者達だった。
そんな者達が困惑顔をして闖入者達を見詰める中、村長と神主は厳しい顔つきで末席に座る松陽の涼し気な顔に視線を戻す。朧達も、つられるように松陽へと視線を移した。
「あれぇ? 松陽、なんでココにいんの?」
村塾組の気持ちを代表するように、銀時がそう質問する。
ここ二週間の間、松陽は寺子屋の授業が済むと秋祭りの奉納舞いの練習の為、神楽殿に通っていたのだ。今日も練習だと話していたので、当然神楽殿に居るものだとばかり思っていた。
松陽は銀時の問いには答えず、笑顔で朧を手招きする。
朧は村長の息子の手を振り払い、松陽の隣に跪坐した。
銀時と同じ質問をしたかったが視線で制される。松陽と朧が目で会話をしている間に、村長の息子は父親の後ろへと近付き何事か耳打ちした。その後、村長の視線が朧と松陽に注がれる。
「吉田先生は、その子を、推薦、なさると?」
殊更ゆっくりと言葉を区切って問いかけた。それを受けて、周囲の男達の視線も朧に集中する。弟弟子達も何が起こっているのか分からず、不安そうに朧と松陽をじっと見詰めた。
「推薦?」
朧もまた意味の分からぬ言葉に、戸惑いを隠せない。ただ周りの大人達の厳しい顔つきから、師が何か大変な事を言い出したのだろうと察しはついた。
「君は、私の言葉を信じて下さい」
朧にしか聞こえない小声でそれだけ囁くと、笑顔で村長から順にその場の男達の顔を見渡す。
「改めて、ご紹介致します。私の一番弟子の朧です。先程も申し上げた通り、奉納舞いは彼と踊ります。ご承知頂け無いなら、私も辞退させて頂きます」
スラスラと淀みなく、自分の意思を伝えた。
 予想外の言葉に、朧は腰を浮かす。だが、松陽の手が朧の手を上から押さえてそれ以上の動きを遮った。
(先生……)
敢えて声に出す事はしない。思わず腰を浮かせたが、信じてと言われたのだから信じて説明を待とうと思い直した。
(たとえ悩んだとはいえ、先生に限って一度引き受けた奉納舞いを今更辞退するなどと無責任な事はしない筈だ。何か考えがあって仰っているのだろう)
 朧が黙っているのを見て、村長は更に畳みかけるように言葉を続ける。
「しかし、彼は十五ではありませんか! それに秋祭りまで、あと一週間ですぞ!」
「村にはまだ、十八の若者もいるのですから。そちらから選ぶのが筋ですよ」
 村長の隣に座る助役が、加勢の言葉を発した。それに賛同の声が続くも、松陽は前言を撤回しない。穏やかな見かけに反して、頑固な目付きで神主の方へ首を回らせた。
「神主さんが、お決め下さい。子供達が迎えに来ているので、私はこれで失礼します」
 松陽は立ち上がり、神主に向かって暇を告げる。
「……どうしても、他の青年では?」
 神主の言葉に、松陽は左右に首を振った。
「他の青年でも結果は同じだと思いますよ。村長さんの仰る通り、あと一週間しかないのです。仮に誰か代理が見つかったとしても、また祭り直前に辞退されてはもう代理を探す事など不可能です。奉納舞い無しの祭りでも良いと言うのでしたら、ご自由に」
 話は終わったと、朧の背を押して立ち上がらせる。
「さあ、帰りますよ」
 襖の前で待っていた銀時たちに声をかけ、回れ右する様に促した。その小さな背中を追って、朧が飛び出す。
「あっ! 何すんだよっ」
 手にしていた風呂敷包みを取り上げられた銀時が抗議の声を上げるが、朧は構う事無く風呂敷包みを持って神主の前まで進んだ。
「どうぞ、皆様でお召し上がりください」
いかなる時にも目的を忘れず行動する朧の姿に銀時は怒り、晋助は呆れたように肩を竦め、小太郎はキラキラと瞳を輝かせ尊敬の眼差しで見詰める。松陽は苦笑しつつも、誇らしげな目をして村のお歴々を眺めた。
「決まりましたら、お知らせ下さい」
 最後に神主まで視線を戻すと軽く一礼し、それだけ告げる。
朧が傍らに戻った所で、銀時と晋助の背に手を当てて社務所から出るよう促す。朧と小太郎は残された中の人々に小さく目礼して襖を閉め、松陽の後に続いた。

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