落し物を拾ったら、本当は2割まで請求できるって知ってた?

春の陽射しが暖かい昼下がり。
「今日は暖かいから、もう洗濯物が乾きそうだ」
そこは松下村塾の裏庭。
物干し竿に棚引く洗濯物を眺めながら、塾生の筆頭で師の一番弟子でもある朧がそう呟いた。
今日は塾が休みで師の松陽は村の寄り合いに呼ばれて出掛けているし、弟弟子たちは天気の良さに浮かれて遊びに出ている。
朧も行こうと誘われたが、まだ幼い妹弟子の信女を連れて行くことは出来ない。
ヤンチャな弟弟子、特に銀時と晋助のお陰で洗濯物が山のように溜まっていたし、普段簡単にしか出来ない教室の掃除ある。だから、用事があるからと断った。
「朧兄さん。用事なら、俺も手伝う! だから、一緒に遊びましょう」
弟弟子の中で一番しっかり者の小太郎がそう申し出てくれたが、この洗濯日和の一日を逃すのが惜しい。
そう言えば、用事が家事だと知ってますます小太郎は手伝うと言い出すだろう。
「先生にお借りした本を、早く読んでしまいたのだよ」
半分本当で、半分は言い訳の嘘。信女の面倒を見ながら、ゆっくり読むつもりだった。
けれど、読書と聞いて小太郎は表情を明るくする。
勉学に対して、共感するところがあったのだろう。
小太郎は納得して、晋助や銀時と一緒に出掛けて行った。

柔らかな日差しを浴び優しいそよ風に吹かれて、朧は腕を伸ばし春の息吹を胸一杯に吸い込む。
気力が満ちてくるようだった。
「さあ、信女が昼寝している間に掃除して、夕餉の下準備もしてしまうぞ!」
言葉通り、雑巾片手に机や畳を丁寧に拭き清める。
その間も、夕餉を何にするか考えていた。
先生に、美味しいと言って貰えるもの。弟弟子たちが、モリモリ食べてくれそうなおかず。
何と平和で考えるのが楽しい悩みだろうか。
彼らの笑顔を思い浮かべると、掃除中の朧の表情も笑顔になる。
「きっと、泥だらけで帰って来るな。風呂も早めに沸かしておくか?」
帰ってくる弟弟子たちの様子が容易に想像できて、予定を早める事にした。
やがて掃除も済み、起きた信女を居間に広げた積み木で遊ばせながら本を拾い読みする。
どうしても信女の方に注意がゆき本の内容は頭に入って来なかったが、朧は本を読むのを諦めなかった。
いや。読むというよりも本に触れていたかったというのが、本当の所だろう。
先生の私物を、一時的に借り受けて共有している。
単なる貸し借りだが、朧にとってはそんな些細な事柄でも嬉しい。
先生の指が触れた紙面に触れ、先生の目が追った文字を同じように追う。
この追体験は、自分だけのもの。
書かれた内容に対して、先生がどう思い何を考えたか? 
そこまで思いを巡らすのは夜、一人の時間にすればいい。
思春期に入った朧には、この細やかで少し甘酸っぱい想いに浸るだけで十分だった。
「あ!」
頁を捲ると、はらりと細い栞が舞う様に落ちる。
それを目敏く見つけた信女が、栞を拾って朧に差し出した。
「あー、おちた、にぃに、おちたぁ。あいっ」
褒めて貰えるだろうと瞳を輝かせる女児の頭を撫で、ありがとうと良い子だなと期待通りの言葉を伝える。
満足そうに笑う信女の小さな手から、栞を受け取った。
その栞には、黄色の丸い小さな花房が描かれている。
何の花だろうかと首を傾げた所で、玄関先から人の気配を感じた。
「……誰だ?」
栞を本の上に置き、信女を抱き上げて玄関に向かう。
先生や弟弟子たちが帰って来るには、まだ早い時間だった。
しかし、来客の予定は聞いていない。
訝しみながら廊下に出ると、今度はハッキリと「ごめんください」と「ただいま」の声が聞こえた。
聞き覚えの無い大人の男の声と、弟弟子たちの声。
何かあったのだろうかと、急ぎ足で玄関扉に向かった。

***

「朧兄さん、ただいま帰りました」
「朧ぉ、いちご牛乳あるぅ?」
「兄弟子、客だ」
「どうも、いきなりすみません!」
各々が、一度に話しかける。
それに対応する為、客人に黙礼してから小太郎に「おかえり」と返事をし、信女を奥の部屋へ連れて入るよう頼む。
そして、空いた両手で物言いたげな銀時と晋助の頭を撫でた。
銀時には「手を洗ってから飲むのだぞ」と注意し、晋助にはこの場に残るよう視線で促す。
三人とも兄弟子の指示に対して、素直に従った。
それを見ていた客人は、ホッとしたように表情を弛める。
「あの、うちの弟たちが何かご迷惑をおかけしましたか?」
先生が留守の間、塾の事は自分が護るつもりの朧は真っ直ぐに客人を見詰めてそう尋ねた。
勿論、一方的に話を聞くだけでは無い。
正確な状況判断の為に、晋助を残してある。
朧の強い眼差しに、相手は少し怯んだ。
言葉の前に、手に持っていた風呂敷包みを前に差し出す。
「これは?」
「栄屋の大福」
朧の問いに答えたのは、晋助が先だった。
栄屋は、この萩界隈でも一二を争う老舗の大店。もちろん、金額も張る。
包みの大きさからして、かなりの個数が入っていそうな感じだった。
もしや、弟弟子たちが勝手に注文してしまったのだろうかと不安になる。
自分の持ち合わせでは、到底支払いできない。晋助の肩に置いた手に力が入り、表情が強張ってゆく。
「ああ、申し遅れました。私、栄屋の番頭でございます。この度は、こちらのお坊ちゃま方にお世話になりまして。そのお礼に、参りました次第です」
差し出していた風呂敷包みを、ぐいぐいと朧の胸元に押し付けてくる。
何故こんな強引に押して来られるのだろうかと、朧は戸惑った。
世話になったと言われるよりも、悪戯されたと言われる方がまだ納得がいくのだが……
「……お世話? 弟たちが?」
「あァ、俺達が落し物を拾ってやったンだよ」
些か弟弟子たちに対して失礼な事を思っていると、晋助が説明を加えた。
「左様でございます」
番頭がにこにこ笑って、風呂敷包みを晋助の方へと方向転換して押し付ける。
晋助の方は、貰うのが当然という顔をして即座に受け取った。
「え?」
番頭と晋助の受け渡しに、思わず声を漏らす。
礼と言うからには受け取っても問題無いのだとは思ったが、果たして高級和菓子に見合うだけの事をしたのだろうか?
万が一、間違いでしたでは後で金銭的に困る。
先生にご負担を掛けてはいけないと、朧は気を引き締めた。
「申し訳ありませんが、過分な礼は困ります」
キッパリと言い放ち、晋助の手から風呂敷包みを取り上げる。
晋助が舌打ちするのが聞こえたが、ここは無視して番頭に向き合った。
風呂敷包みを両手で捧げ持ち、自分より幾分背の高い相手の視線を捉える。
大店で働く大人相手でも、筋の通らない事は受け入れないという強い意志を秘めた眼差しで見詰めた。
朧に見上げられた番頭は、思わず息を呑む。
子供達の印象が強烈でそちらにばかり気を持っていかれたが、こうして兄と呼ばれている人物をじっくり見れば雛には珍しく憂いを帯びた雰囲気を持つ白皙の青年だと気付く。
顔に大きな傷があるが、それさえ飾りに思えるほど整った顔立ち。
瞳の色は控え目な熾火の色合いだが、目の下の薄い隈のせいで仄かに妖艶さを漂わせていた。
おかしな気分に囚われそうになるのを何とか自制して視線を外し、風呂敷包みを押し戻す。
「いいえ。坊ちゃま方がいなければ、栄屋の看板に傷が付く所でした。過分などとんでもありません。どうか、お受け取り下さい。でないと、私も主に叱られてしまいます」
番頭の言葉に、朧は眉を顰めた。子供数人の行いで、看板に傷が付くのを防げるものだろうか?
大袈裟過ぎないかと首を傾げると、晋助が袖を引いて朧に耳打ちした。
「俺達が饅頭を拾ってやったから、おっさん達は祝言に間に合ったんだぜェ」
「はい、お陰で助かりました。隣町で行われるお武家様の婚儀に納品する祝いの紅白饅頭を拾って頂いたんですよ。荷を結わえた紐が緩んでいたのでしょう、塗りの箱ごと荷車から転げ落ちまして。走らせている最中に落ちたので、そのまま落ちていたら箱は潰れ中の饅頭も泥まみれになっていた事でしょう。帰って作り直す時間も無く、たとえ中身が無事だったとしても、箱に傷でも付いていましたら私共はどうなっていた事か……」
その先は、言わなくとも分かるだろうと。そんな表情で朧に同意を求める。
しかし朧の方は、番頭よりも晋助の方に視線を移していた。
番頭の話は、俄かに信じられない。
走る荷車から落下した瞬間を捉えていなければ、地に落ちる前に拾うなど不可能だ。
出来るとすれば、前もって荷崩れが起こると分かっている場合ぐらいだろう。
いくら弟弟子たちが悪戯者だとしても、そんな性質の悪い事はしない。
そう確信出来るだけに、余計に不思議だった。
「……晋助。お前たちは、どうやって饅頭を拾ったのだ?」
「拾ったのはぁ、そいつだけど。第一発見者は俺だからっ!」
「見つけたのは、俺だぞ!」
晋助が答える前にいちご牛乳のパックを手に持った銀時と、信女を奥の部屋に置いて来た小太郎が朧の後ろ左右からそれぞれ口を挟む。
「だから実際に拾ったのは、オレだろうがァ!」
晋助も朧の手を離れて後に回り込み、銀時と掴み合いの喧嘩を始める。
いつもなら止める筈の小太郎も、今回は一緒になって掴み掛った。
「やれ、やれ、またですか……」
その騒ぎに番頭が溜め息をつく。それで朧は、この喧嘩が番頭の前でも一度繰り広げられた事を察した。
「銀時、晋助、小太郎、落ち着け!」
三人の名を呼んで一喝する。普段穏やかな朧の怒鳴り声に驚き、三人はピタリと動きを止めた。
「順番に、分かりやすく、話せるな?」
一語一語区切って、ゆっくりと弟弟子たちの顔を見て言い聞かせる。
銀時と晋助は互いに手を引いたものの、まだ不満そうな顔をしていた。
小太郎だけが朧に頷いて口を開く。
「最初は、三人で裏山に行って」
小太郎の話は村塾の門を出て裏山へ遊びに出掛けた所まで遡る。





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