仔ぼろちゃん in 奈落
幕府からの暗殺命令が立て込んだ秋が過ぎ、落ち着きを取り戻した冬。暗殺集団天照院奈落の首領は、久し振りに隠れ里に戻って来た。
といっても、戻って来たのは夜半で屋敷の留守を預かる下働きの使用人たちは大概が寝静まっており、備えの門番だけが主を出迎えた。
「おかえりなさいませ。すぐにお床の準備を」
湯浴みや寝具の用意をさせる為に使用人を起こそうと動いた門番を、片手で引き留める。
「無用です」
そう伝えると家屋裏手の厩へ向かい、自ら馬の世話をした後、屋敷へと入って行った。
彼は自室に戻ると返り血に染まった法衣を脱ぎ捨て、箪笥から綺麗に畳まれた長着を取り出し簡単に羽織る。
寝具は出さなかった。幾つもの部隊を並行して使った厳しい工程ではあったが、肉体的な疲れは無い。ただ、人らしい眠り方をするのが酷く面倒だった。実際の所、アルタナエネルギーさえあれば眠りも食事も必要は無いのだが、この里の中では人らしくあろうとしていた。
だが今夜はその思いも手放す。冬の凍てつく気温を気にする事無く、刀だけを抱いて床柱を背凭れにし眠った。
翌朝の目覚めは、穏やかだった。
その穏やかさは、小鳥の囀りでもなく、差し込む朝陽がもたらしたものでも無い。小さな気配が彼の心を穏やかにし、口元に笑みを刻ませた。
薄目を開けて、気配の持ち主の様子を窺う。銀髪の髪を三角巾で覆い、襷をかけて熱心に畳を拭く小さな背中が見えた。その傍には駕籠が置かれ、中には昨夜脱ぎ捨てた法衣が入っている。その他にも、見覚えのある脚絆や手甲もあった。それは、昨夜身につけたまま眠っていた筈のもの。あの小さな手で外された事に気付かない程、深く眠っていたのかと笑みを苦笑に変えた。
(この私が、これほど気を許していたとは……)
他の人間ならば、たとえ眠っていようと察知出来た。
この小さな子供は、もう己の中で特別な存在になっているのだと、改めて気付かされる。それは驚きと、不思議な高揚感をもたらした。
「おはよう、朧。これは、君が?」
朝の挨拶と共に、胸元に掛けられていたかいまき布団を捲る。
「先生、おはようございます」
振り向いた少年は、花が綻ぶような笑顔を見せた。
手にしていた雑巾を二つに畳んで帯に挟み、駕籠を持ち上げる。
「先生が風邪をお召しにならないよう、押し入れから出させて頂きました。本当なら布団を敷くべきなのですが、」
「君の腕では、私を布団に運べませんからね。良い判断でした」
言い淀んだ朧の言葉を引き継ぎ、無力さを嘆かせる前にその行いを褒める。落ち込む顔を見るよりも、笑顔の方を見たかった。
「とても、暖かでした」
かいまき布団を軽く畳んでから立ち上がると、畳まれた布団を押し入れに戻す為に近付いてきた朧の頭を撫でる。朧は、そこでやっと安心したようにはにかんだ笑みを浮かべた。
「それは、よろしゅうごさいました。では朝餉と湯浴み、どちらを先になさいますか?」
見上げる眼差しには、奉仕の喜びが溢れている。師とも仰ぐ首領の世話を出来ることが、嬉しくて仕方無いと真っ直ぐに伝えていた。
「そうですねぇ。留守の間の里の様子を君が話してくれるなら、先に朝餉をいただきます」
まだ話したい、傍にいなさいと言外に伝える。それを汲み取ったのか、朧は嬉しそうに頷く。
「はい、先生。朝餉を運んでまいります」
少年の足取りは軽く、駕籠を抱えて一旦退出した。
「いただきます」
両手を合わせ、朧が運んできた膳に手を付ける。朧は障子を背にして、首領の斜め右隣に跪坐して櫃を置いた。
いつでもおかわりに対応できるようにしながら、口火を切る。普段はそこまで饒舌ではないが、今朝は驚くほど話した。留守の間に紅葉の色が変わってしまったことや、森の小動物の姿を見かけなくなってきたこと、出入り商人に孫が出来たことや、初雪がいつだったか等々。
おおよそ暗殺の生業とは無関係な話題ばかりだったが首領は相槌を打ち、時に問い返す。そんな和やかで楽しい時間は、食事と共に終了した。
「ごちそうさまでした」
「はいっ、お粗末様でした」
笑顔の遣り取りの後、朧が膳を引く。
「では、湯浴みの準備を致します」
「……、君が呼びに来てくれるのを待っていますね」
首領はもう少し話したかったが、働き者の少年は仕事熱心で一礼した後は無駄話もせず膳を片手に障子を開ける。外の冷気が入らぬよう手早く、しかし丁寧に障子を閉めてしまう。
(仕事中に引き留めては、嫌われてしまうかも知れませんね)
心の中で独りごち、小さな影が障子の向こう側から消えてゆくのを見送った。
***
風呂は気持ち良かったが、心の中は今一つ晴れないでいた。新しい着替えも調えられていて、朧の準備が抜かりない事を教える。湯加減に関しても、薪をくべて火加減を調節しているのが朧だと窓から覗いて知った。
「あの子の出来る事が増えてゆくたび、私は……」
小さな子供が成長したという喜びよりも、胸に穴が開いたような淋しさを感じるのは、どうしてだろうか?
はっきり声に出してしまえない思いに囚われたまま、自室へ戻る。部屋には火鉢が置かれ、乾いた手拭いと半纏が用意してあった。文机の上には蓋付き煎茶碗と、留守の間に届いた書簡が並べられている。至れり尽くせりとは、まさにこれだろう。ただ、ここに小さな姿が無いのが寂しい。
「こんな環境下に留めておくより広い世界に出してやる方が、あの子の為には良いのでしょうね」
自分自身を納得させるように、そう呟く。
彼はいつまでも傍で仕えてくれるつもりでいるのだろうが、将来の事を考えれば小さな手を血に染める前に里を出した方がいい。
今のあの子なら、自分で自分の面倒を見ることが出来る。幾ばくかの金子を与え、良さそうな村で暮らせるよう手配してやれば大丈夫だろう。この手を離し、時々遠くから見守れれば……
その先を考えるのを止めて、書簡に手を伸ばす。
「さて、片付けてしまいましょう」
首領は、今やるべき事に没頭した。
書簡の束から、視線を上げる。集中が途切れたのは、廊下から響くパタパタとした軽い音が気になったからだ。
障子に映る影から、朧が中庭に面した廊下を拭いているのだろうと見当が着く。陽が射しているとはいえ、外気に触れて働くのは寒かろう。朧を休憩させるつもりで、茶のお代わりを言い付ける口実を思い付き障子を開ける。
「朧、すまないけれど」
「はい、先生」
返事をした朧の手は水桶の中にあり、雑巾を洗っている所だった。ギュっと絞ってから広げて桶の端に引っ掛ける。
「お茶のお代わりですか?」
首領が手に持っていた煎茶碗を見てそう尋ね、煎茶碗を受け取るつもりで両手を差し出す。だが首領の手は煎茶碗ごと高く掲げられ、朧の手は届かなくなった。
「先生?」
両方の掌を上にしたまま、不思議そうに首を傾げる。
「ちょっと中へ入りなさい」
首領は固い表情で朧の手首を掴み、部屋の中へと引き込んだ。朧の瞳に不安の色が浮かぶが、それを和らげてやる余裕も無い。
首領の視線は、朧の小さな手に注がれていた。
「君は、君の手は……」
小さな手は全体が赤く染まっていて、あちこち腫れている。関節や指先の皮膚は幾つものヒビ割れがあり、出血していないのが不思議なくらいだった。首領は壊れ物を扱う様に、朧の手を自分の掌の上に乗せる。
「こんなになるまで君は、本当に」
「見苦しいものをお見せして、申し訳ありません。毎年、冬はこうなるので平気です。私は子供で、まだ皮膚が薄いからこんなになるだけで、もっと大きくなればこうなりません! だから、御心配には及びません」
ヒビや、あかぎれがあるのは、当たり前のような言い方をした。
「いいえ、朧! ちゃんと手当てしなければ大人になっても治りません。君は、まったく無茶をして」
もっと幼い頃から、このような手をしている状態が普通だったのかと思うと不憫で胸が痛む。そんな思いに突き動かされ、首領は衝動的に朧を引き寄せ抱きしめた。
「先生、先生、苦しいです」
朧の声にハッとして、腕の中から解放してやる。朧は申し訳なさそうに両手を背中側に隠した。
「春になれば、治ります。だから、その……」
手当が分からないのだろう。今までもずっと、春になるまで痛みに耐えて過ごしてきたのが分かった。
「春にならなくとも、治りますよ」
首領は文机の抽斗から軟膏の入った壺を取り出して、朧を傍に呼び寄せる。
「これを、こまめに塗れば治ります。これから毎日、私が薬を塗りますので水仕事が終わったら毎回この部屋に来るのですよ」
そう話して聞かせる内に、首領は笑顔を取り戻した。
壺の蓋を開け、朧の手に軟膏を塗り込んでゆく。
(まだ、手離す時期ではない。この子は、まだまだ知らない事がある。自分を大事にすることを学ばせてから、外の世界に出してあげましょう。もう暫くだけ、君と一緒に……)
都合の良い口実だと思いながらも、その考えを退ける事は出来ない。結局、ただ一緒にいたいのだ。
「先生、ありがとうございます」
首領の思いなど知らぬ朧は、笑顔で軟膏の礼を言う。
「これで、来年からは先生に見苦しい手をお見せしなくて大丈夫になりますね」
無邪気に、未来の話を付け足した。
彼の中で、来年も一緒にいるのだと思われているのが嬉しくて、首領は「はい」とだけ頷き返す。
(いっそ、君と一緒に旅立てたなら……)
そんな思いが、心に芽生えた。
了
2022/01/09 インテ無配ペーパー
といっても、戻って来たのは夜半で屋敷の留守を預かる下働きの使用人たちは大概が寝静まっており、備えの門番だけが主を出迎えた。
「おかえりなさいませ。すぐにお床の準備を」
湯浴みや寝具の用意をさせる為に使用人を起こそうと動いた門番を、片手で引き留める。
「無用です」
そう伝えると家屋裏手の厩へ向かい、自ら馬の世話をした後、屋敷へと入って行った。
彼は自室に戻ると返り血に染まった法衣を脱ぎ捨て、箪笥から綺麗に畳まれた長着を取り出し簡単に羽織る。
寝具は出さなかった。幾つもの部隊を並行して使った厳しい工程ではあったが、肉体的な疲れは無い。ただ、人らしい眠り方をするのが酷く面倒だった。実際の所、アルタナエネルギーさえあれば眠りも食事も必要は無いのだが、この里の中では人らしくあろうとしていた。
だが今夜はその思いも手放す。冬の凍てつく気温を気にする事無く、刀だけを抱いて床柱を背凭れにし眠った。
翌朝の目覚めは、穏やかだった。
その穏やかさは、小鳥の囀りでもなく、差し込む朝陽がもたらしたものでも無い。小さな気配が彼の心を穏やかにし、口元に笑みを刻ませた。
薄目を開けて、気配の持ち主の様子を窺う。銀髪の髪を三角巾で覆い、襷をかけて熱心に畳を拭く小さな背中が見えた。その傍には駕籠が置かれ、中には昨夜脱ぎ捨てた法衣が入っている。その他にも、見覚えのある脚絆や手甲もあった。それは、昨夜身につけたまま眠っていた筈のもの。あの小さな手で外された事に気付かない程、深く眠っていたのかと笑みを苦笑に変えた。
(この私が、これほど気を許していたとは……)
他の人間ならば、たとえ眠っていようと察知出来た。
この小さな子供は、もう己の中で特別な存在になっているのだと、改めて気付かされる。それは驚きと、不思議な高揚感をもたらした。
「おはよう、朧。これは、君が?」
朝の挨拶と共に、胸元に掛けられていたかいまき布団を捲る。
「先生、おはようございます」
振り向いた少年は、花が綻ぶような笑顔を見せた。
手にしていた雑巾を二つに畳んで帯に挟み、駕籠を持ち上げる。
「先生が風邪をお召しにならないよう、押し入れから出させて頂きました。本当なら布団を敷くべきなのですが、」
「君の腕では、私を布団に運べませんからね。良い判断でした」
言い淀んだ朧の言葉を引き継ぎ、無力さを嘆かせる前にその行いを褒める。落ち込む顔を見るよりも、笑顔の方を見たかった。
「とても、暖かでした」
かいまき布団を軽く畳んでから立ち上がると、畳まれた布団を押し入れに戻す為に近付いてきた朧の頭を撫でる。朧は、そこでやっと安心したようにはにかんだ笑みを浮かべた。
「それは、よろしゅうごさいました。では朝餉と湯浴み、どちらを先になさいますか?」
見上げる眼差しには、奉仕の喜びが溢れている。師とも仰ぐ首領の世話を出来ることが、嬉しくて仕方無いと真っ直ぐに伝えていた。
「そうですねぇ。留守の間の里の様子を君が話してくれるなら、先に朝餉をいただきます」
まだ話したい、傍にいなさいと言外に伝える。それを汲み取ったのか、朧は嬉しそうに頷く。
「はい、先生。朝餉を運んでまいります」
少年の足取りは軽く、駕籠を抱えて一旦退出した。
「いただきます」
両手を合わせ、朧が運んできた膳に手を付ける。朧は障子を背にして、首領の斜め右隣に跪坐して櫃を置いた。
いつでもおかわりに対応できるようにしながら、口火を切る。普段はそこまで饒舌ではないが、今朝は驚くほど話した。留守の間に紅葉の色が変わってしまったことや、森の小動物の姿を見かけなくなってきたこと、出入り商人に孫が出来たことや、初雪がいつだったか等々。
おおよそ暗殺の生業とは無関係な話題ばかりだったが首領は相槌を打ち、時に問い返す。そんな和やかで楽しい時間は、食事と共に終了した。
「ごちそうさまでした」
「はいっ、お粗末様でした」
笑顔の遣り取りの後、朧が膳を引く。
「では、湯浴みの準備を致します」
「……、君が呼びに来てくれるのを待っていますね」
首領はもう少し話したかったが、働き者の少年は仕事熱心で一礼した後は無駄話もせず膳を片手に障子を開ける。外の冷気が入らぬよう手早く、しかし丁寧に障子を閉めてしまう。
(仕事中に引き留めては、嫌われてしまうかも知れませんね)
心の中で独りごち、小さな影が障子の向こう側から消えてゆくのを見送った。
***
風呂は気持ち良かったが、心の中は今一つ晴れないでいた。新しい着替えも調えられていて、朧の準備が抜かりない事を教える。湯加減に関しても、薪をくべて火加減を調節しているのが朧だと窓から覗いて知った。
「あの子の出来る事が増えてゆくたび、私は……」
小さな子供が成長したという喜びよりも、胸に穴が開いたような淋しさを感じるのは、どうしてだろうか?
はっきり声に出してしまえない思いに囚われたまま、自室へ戻る。部屋には火鉢が置かれ、乾いた手拭いと半纏が用意してあった。文机の上には蓋付き煎茶碗と、留守の間に届いた書簡が並べられている。至れり尽くせりとは、まさにこれだろう。ただ、ここに小さな姿が無いのが寂しい。
「こんな環境下に留めておくより広い世界に出してやる方が、あの子の為には良いのでしょうね」
自分自身を納得させるように、そう呟く。
彼はいつまでも傍で仕えてくれるつもりでいるのだろうが、将来の事を考えれば小さな手を血に染める前に里を出した方がいい。
今のあの子なら、自分で自分の面倒を見ることが出来る。幾ばくかの金子を与え、良さそうな村で暮らせるよう手配してやれば大丈夫だろう。この手を離し、時々遠くから見守れれば……
その先を考えるのを止めて、書簡に手を伸ばす。
「さて、片付けてしまいましょう」
首領は、今やるべき事に没頭した。
書簡の束から、視線を上げる。集中が途切れたのは、廊下から響くパタパタとした軽い音が気になったからだ。
障子に映る影から、朧が中庭に面した廊下を拭いているのだろうと見当が着く。陽が射しているとはいえ、外気に触れて働くのは寒かろう。朧を休憩させるつもりで、茶のお代わりを言い付ける口実を思い付き障子を開ける。
「朧、すまないけれど」
「はい、先生」
返事をした朧の手は水桶の中にあり、雑巾を洗っている所だった。ギュっと絞ってから広げて桶の端に引っ掛ける。
「お茶のお代わりですか?」
首領が手に持っていた煎茶碗を見てそう尋ね、煎茶碗を受け取るつもりで両手を差し出す。だが首領の手は煎茶碗ごと高く掲げられ、朧の手は届かなくなった。
「先生?」
両方の掌を上にしたまま、不思議そうに首を傾げる。
「ちょっと中へ入りなさい」
首領は固い表情で朧の手首を掴み、部屋の中へと引き込んだ。朧の瞳に不安の色が浮かぶが、それを和らげてやる余裕も無い。
首領の視線は、朧の小さな手に注がれていた。
「君は、君の手は……」
小さな手は全体が赤く染まっていて、あちこち腫れている。関節や指先の皮膚は幾つものヒビ割れがあり、出血していないのが不思議なくらいだった。首領は壊れ物を扱う様に、朧の手を自分の掌の上に乗せる。
「こんなになるまで君は、本当に」
「見苦しいものをお見せして、申し訳ありません。毎年、冬はこうなるので平気です。私は子供で、まだ皮膚が薄いからこんなになるだけで、もっと大きくなればこうなりません! だから、御心配には及びません」
ヒビや、あかぎれがあるのは、当たり前のような言い方をした。
「いいえ、朧! ちゃんと手当てしなければ大人になっても治りません。君は、まったく無茶をして」
もっと幼い頃から、このような手をしている状態が普通だったのかと思うと不憫で胸が痛む。そんな思いに突き動かされ、首領は衝動的に朧を引き寄せ抱きしめた。
「先生、先生、苦しいです」
朧の声にハッとして、腕の中から解放してやる。朧は申し訳なさそうに両手を背中側に隠した。
「春になれば、治ります。だから、その……」
手当が分からないのだろう。今までもずっと、春になるまで痛みに耐えて過ごしてきたのが分かった。
「春にならなくとも、治りますよ」
首領は文机の抽斗から軟膏の入った壺を取り出して、朧を傍に呼び寄せる。
「これを、こまめに塗れば治ります。これから毎日、私が薬を塗りますので水仕事が終わったら毎回この部屋に来るのですよ」
そう話して聞かせる内に、首領は笑顔を取り戻した。
壺の蓋を開け、朧の手に軟膏を塗り込んでゆく。
(まだ、手離す時期ではない。この子は、まだまだ知らない事がある。自分を大事にすることを学ばせてから、外の世界に出してあげましょう。もう暫くだけ、君と一緒に……)
都合の良い口実だと思いながらも、その考えを退ける事は出来ない。結局、ただ一緒にいたいのだ。
「先生、ありがとうございます」
首領の思いなど知らぬ朧は、笑顔で軟膏の礼を言う。
「これで、来年からは先生に見苦しい手をお見せしなくて大丈夫になりますね」
無邪気に、未来の話を付け足した。
彼の中で、来年も一緒にいるのだと思われているのが嬉しくて、首領は「はい」とだけ頷き返す。
(いっそ、君と一緒に旅立てたなら……)
そんな思いが、心に芽生えた。
了
2022/01/09 インテ無配ペーパー