聴いて

「今、駅に着いたぜよ」
宇宙から帰還した坂本辰馬が一番に連絡するのは、地球で攘夷活動をしている連れ合いの桂小太郎だ。付き合いは長いが互いに忙しく、一緒に過ごせる時間は少ない。だからこそ、寸暇を惜しんで連絡を取り合っていた。
地球で過ごす時間は桂と共にと決めているが、彼は攘夷党党首という立場上隠れ家を転々と変える。頻繁に連絡を取らなければ所在が掴めなくなるという事情もあった。
そんな諸々を差し引いても、坂本から桂への電話の回数は多い。地球に着いた、ターミナルで入国手続きが済んだ、電車に乗った、駅に着いたと、午前中だけでも四度目だ。
桂の片腕として傍に控えているエリザベスからみても呆れるくらいだが、桂本人は嬉しそうに携帯電話を眺めている。
「あいつは方向音痴だからな。こまめに連絡を貰わなければ、色々出迎えの準備が出来ぬ」
エリザベスの視線を感じたからか、桂は言い訳じみた言葉を口にして玄関の方へ身を翻した。

コホンと咳払いして、ガラスが嵌め込まれてある玄関扉を薄く開く。
駅に着いたばかりなら、まだまだ隠れ家まで距離がある。通りを覗いても、坂本の姿が見える訳では無い。頭では分かっていても、ソワソワするのは止められなかった。
エリザベスには出迎えの準備と言ったが、実際の所は昼食を用意するくらいしかない。それも早々とエリザベスが作ってくれているので、桂が準備する物など何も無いのだ。強いて言うなら、浮かれ過ぎないよう落ち着くことくらいだろうか。
(やはり、部屋に戻って待つか?)
扉を閉めて、廊下へと戻る。台所の前で立ち止まり、回れ右して再び玄関前へ。扉の取手に指を掛け、躊躇して指を離す。短い廊下を行ったり来たりを繰り返している内に時間が過ぎた。
(これではまるで、幼子のようではないか!)
自分の様子に、自分で突っ込む。
「座って待とう」
自身に言い聞かせる為にそう呟いて玄関に背を向けたが、扉の外から聞こえてきた砂利を踏みしめる大きな足音につられて振り返った。
懐かしい下駄の響きで、坂本が帰ってきたことが分かる。再会の嬉しさに胸が高鳴り、自然と口元が緩む。
じっと見詰めていたガラス部分に、大きな影が映った。懐かしい輪郭に、居ても立ってもいられず扉を横滑りさせて開く。

「小太郎、ただいま」
「おかえり、辰馬」
いきなり開いた扉に戸惑う様子も無く両手を広げて屈託なく笑う坂本の胸の中に、出迎えの言葉ごと飛び込む。いつもなら人目に付く場所での抱擁は控えるのだが、今回ばかりは久しぶりの再会の喜びが勝った。
ぎゅっと腰を抱き返されて、足が浮く。
「え、あっ、ちょ」
「逢いたかったちや」
見上げれば余裕を含んだ声で囁かれ、玄関内へと運ばれた。ゆっくりと優しく下ろされて、腰から片手が離れてゆく。カタンと音がしたのは、坂本が後ろ手で玄関扉を閉めたからだろう。
僅かな身長差から、坂本を見上げる形になる。黒いサングラスの隙間から覗く瞳は、面白がっているような輝きを放っていた。
「……おいっ」
両手を坂本の背に回したまた、続ける言葉を探す。心待ちにしていた坂本の帰国。再会出来る日を指折り数え、喜び浮かれていたのは己だけだったのだろうか?
久しぶりの姿に、懐かしい肉声に、手に触れる温もりに、こんなにもドキドキと鼓動を跳ねさせているのに、己を見下ろす彼の瞳は落ち着いていて余裕すら持っているように見えた。

***

「小太郎?」
胸に飛びん込んで来た恋しい人は、最初に見せてくれた輝く笑顔も甘い声も隠し、背中に回してくれていた手も下ろしてしまった。
いつも凛として、泰然自若。そんな桂が再会の喜びに我を忘れ、世間体も意識の外にした様子が嬉しくて、可愛らしくて堪らなかった。即座に抱き締め口付けたい衝動を抑え、後で叱られないよう玄関内まで運んだのだから、次は『ただいまのキス』をしたいと思ったのだが……
「どがぁした?」
言葉途中で黙ってしまった桂と視線を合わせようと、サングラスを外して膝を弛めた。
「貴様は……」
桂の呼び方に、坂本はピッと背筋を伸ばす。『お前』ではなく『貴様』呼びの時は、要注意だと経験則から身構えた。
この僅か十数秒間で何をしでかしてしまっただろう? 必死に頭を回転させるが、何も思いつかない。まさかとは思うが、玄関前ならキスしても大丈夫だったのか。
(いや、ほがなこたぁない!)
即座に、心中で己に突っ込みをいれる。行動でないなら、もしかして臭いだろうか。
(わし、汗臭かった? もしや、加齢臭漂っちゅう?)
いや、いや、それなら突き飛ばされるか、距離を取られるだろう。最初に抱き締めた時より僅かに離れはしたが、二人の間は今も息のかかる距離だ。決して加齢臭とかでは無い。多分……
では、他に何が原因なのか?
訳の分からない緊張のせいで、動悸が速まってゆく。ここはもう、桂が言葉の続きを発するのを待つよりも自ら促した方が良いと決意した。
「わしが?」
ゆっくりと、人差し指で己を指差す。
桂の視線が指先を追い、坂本と視線が合うとプイっと横を向いた。
「小太郎!?」
視線を逸らされたことと、明らかに拗ねた様子に坂本は困惑した声を出す。
こうなったら機嫌を損ねた理由を探るのは後だ。とにかく、謝ってしまおうと頭を下げる。
「すまんちや、わしが」
悪いと言おうとした所で、桂の手が坂本の口に当てられた。
「謝るな、お前は別に悪くない」
己は悪くないとの言葉に安堵し、ほっと息を吐く。
気を取り直して再び桂を抱き締めようとしたが、またしても横を向かれてしまった。
「こたろ、こっち向いとおせ」
片手で桂の腰を抱き、もう片手は顔の向きを変えさせようと柔らかな頬を包む。
従うように顔の向きを変えてくれたものの、長い睫は伏せられたままで視線を合わせてはくれなかった。
頬から手を滑らせ、指先に少しだけ力を加えて頤を上げさせる。
「ただいまの挨拶を、させてくれんがか?」
真っ直ぐに瞳を覗き込むと、やっと視線を合わせてくれた。


「……ズルい」
「うん?」
先程の言葉の続きだろうか?
桂の小さな呟きを耳にして、坂本は首を傾げた。何に対してのことなのか不明だが、己に向けられた言葉に違いない。性急に問うことなく、次の言葉を待った。
またも桂は俯き、僅かに顔を横に逸らす。
「俺ばかりが、浮き浮きドキドキして…… なのに、お前はそんなに落ち着いて」
もどかしげに、握った拳を小刻みに揺らしていた。
(こりゃ、つまりアレじゃろうか? 小太郎の方が、わしのこと大好き首ったけ的な?)
そう思うと、目尻も口元も緩んでゆく。
「ほがなこと、ありゃあせんよ」
返す声音にも、嬉しさと愛おしさが滲む。
だが、その穏やかさは桂に取って逆効果でしかない。
「ほらっ、余裕綽々ではないか!」
向けられた笑顔と明るい声に拳を上げて、ぽこぽこと坂本の胸板を叩いて抗議した。
(なんじゃ、この可愛い生きもんは? 尊いが過ぎるぜよ!)
明らかに拗ねて八つ当たりしている様子が、愛らしくて堪らない。抱き寄せて、頬擦りして、キスの嵐を降らせたら、誤魔化したと怒るだろうか?
桂と同じ気持ちでいるのだと解って欲しい。それを伝えるには、どうすれば良いのだろう。
ふと思い付いた方法は、桂に触れられる今だからこそ出来るものだった。
「小太郎」
名前を呼んで、桂の頭を胸元に抱き寄せる。
桂への想いが伝わりますようにと、願いを込めて。
「ほれ、聴いてみ」
愛しい人を抱きしめる喜びと、そしてこの後に見せてくれるだろう優しい笑顔を思うと胸の鼓動が高まってゆく。
「どがぁじゃ?」
手に馴染む滑らかな黒髪を撫でて問いかけると、桂は凭れかかっていた頭を動かし視線を上げた。
「……同じだ」
思った通りの優しい微笑みが、坂本の瞳に映る。それだけで、鼓動はさらに高まった。
「わしも、余裕なんぞありゃせん。いつだって、小太郎に逢えると嬉しゅうてドキドキするぜよ」
その言葉を聴いて桂も坂本の腰を抱き返し、甘えるように胸板に頬を擦り付けた。
桂の機嫌が直った様子を見て安堵する。

二度目の抱擁は長く、互いの鼓動と温もりを確かめ合った。
「すまん。俺としたことが…… 感情的になってしまった」
「なんちゃあないぜよ。むしろ、そればあ思ってくれちゅうと分かって嬉しいやか」
しゅんとした桂に、坂本は笑って返す。
(しょうまっこと、可愛いらしいのお)
溢れる愛おしさと、もっと触れ合いたい思いから言葉を付け足した。
「ほれ、もっとドキドキするコトするぜよ」
抱き締めていた腕を緩めて、鼻先を触れ合わせキスを強請る。
「調子に乗りおって」
いつも通りの桂に戻り呆れ声で睨み上げてきたが、上気した頬の色合いのせいで少しも怖くない。
「まだ、おあずけかえ?」
瞳を覗き込むと、桂の口元が綻んだ。
「そうは言っておらぬ」
桂の手が、ゆっくりと坂本の両頬を包む。
「おかえり、辰馬」
改めて言われた出迎えの挨拶は、穏やかな声音だが嬉しさが滲んでいるのが分かった。
「ただいま、小太郎」
頬に触れている桂の手に、手を重ねる。
互いへの想いも鼓動も一つに溶け合って交わす口づけは甘く、二人は再会の幸せに酔いしれた。



了 2024.3.19

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