何日遅れでも、思い込んだ者勝ち

「すっかり遅くなってしもうたぜよ」
言葉通り、時刻はすでに深夜零時を過ぎていた。
暦も十月から十一月へと変わっている。
坂本辰馬は一軒の借家の前でコートのポケットをまさぐって鍵を探しながら、独り言を呟き続けた。
「爺様共が!なんが、ハロウィン・パーティーぜよ。月見の茶会で十分じゃろうに。こがな夜中まで騒いでポックリ逝っても、わしゃ知らんぞ」
それは、商工会のお歴々に向けた文句。
当初の予定では会社主催のパーティーが終わった後、真っすぐ恋人・桂小太郎の待つ家に帰る筈だった。
桂のペット兼片腕のエリザベスも、今夜は気を利かせて遊びに出ている。
二人きりのハロウィン・ナイトを、堪能するつもりだったのに。
会社から出た途端の待ち伏せ。
商工会会長と副会長から左右を挟み込まれ、無理やり車に乗せられてパーティー会場だという料亭まで拉致された。
相手が同年代なら振り切って逃げることも出来たが、いかんせん商工会メンバーはご老人揃い。
坂本の強力で払えば、怪我人が出てしまう。それはそれで面倒事だ。

『商工会の爺様連中に捕まって ばっさりいったきに、帰り遅くなるぜよ。すまんのぉ、先に寝ていてくれてえいやか』
トイレに立つ振りをして桂に電話を入れたが、返ってきた返事は素っ気無い言葉。
『そうか、分かった』
冷静で穏やかに聞こえる声音だが、その声の僅かなイントネーションから坂本の背に嫌な汗が流れた。
(ヤバい、怒っちゅう!)
長年の付き合いがあるからこそ分かる、些細な声の調子。
今朝、玄関での見送り時に見た笑顔が脳裏に甦る。
『はろうぃんだし、今夜は仮装するか?』
楽しそうに、そう言っていた。
もしかしたら……いや、確実に何か用意してくれていたのだろう。
電話を切ってからは、老人どもを酔わせるのに必死になった。
一刻でも早く、お開きにさせようと。
朝までコースもままあるメンバーだが、諦めるわけにはいかない。
桂が家で待ってくれているのだと思うと、いてもたってもいられない気分だった。

必死の努力で、やっと辿り着いた玄関先。
明かりはすべて消されていて、家人は寝静まっている様子。
ふて寝してしまったのかもしれない桂を起こさないように、なるべく音を立てず注意して扉を開閉する。
下駄が鳴らないよう、そっと脱いで上り框に足を乗せた途端。

「わっ?!」
いきなり廊下の明かりが点いて、坂本は驚きに声を上げる。
廊下に面した寝室の襖の前に、桂が立っていた。
「お、おんし……」
寝ていたのでは? と聞くべきか、起こしてしまったか? と謝るべきか。
迷ってしまったのは、桂の出で立ちのせい。
すっぽりと頭から毛布を被り、エリザベス皮を纏っているかのように全身を隠していた。
寝てもいなければ、起こしても無いような?
だが、何をしていた? と聞くのも違う気がする。

「はろうぃんは、終わってしまったぞ」
桂の不機嫌そうな声に、坂本の行動は決まった。
「ただいま」
帰ってきた挨拶をし、急いで桂に近付く。
「遅おなって、すまんかったぜよ」
纏っている毛布ごと抱きしめ、詫びの言葉を口にする。
心底悪かったという気持ちを、声に滲ませて。
「……おかえり」
その思いが通じたのか微妙な間の後、ちゃんと出迎えの言葉を口に上らせた。
ただその唇は、まだ少し拗ねたように尖らせている。
「こがな時間にお菓子ってのも、アレやき」
抱擁を解き、桂の顔を両手で包み込む。
見上げてくる黒い瞳に笑んで見せてから、拗ねた唇に唇を重ねた。

「ふっ、ンっ」
挨拶というには長すぎるキスに、桂の手は毛布を放し坂本の背に回される。
坂本の手も桂の頬から離れ、悪戯を仕掛けるように太い指が項や背筋を撫でながら蠢く。
互いが漏らす吐息が、熱を帯びる。
湿った水音に刺激され、欲が高まってゆく。

「ぅん?」
桂の下半身へと伸ばした、坂本の手が止まる。
それに気付いた桂も、坂本から身を離した。
二人の間に隙間が出来て、坂本は改めて桂の姿を眺める。
背を撫でていた時から感じていた、いつもの着物の生地ではない触り心地。
下半身を弄ろうとして、洋装だと気付いた。
『はろうぃんだし、今夜は仮装するか?』と言った、桂の言葉を再び思い出す。

白いシャツに赤いリボンの紐タイ、黒いベストに黒いスラックス。
桂の足元には、滑り落ちた毛布と一緒に黒マントも落ちていた。
視線を再び桂に戻すと、にっこりと微笑まれる。

「ドラキュラ伯爵で、スタンバっていたのだ」
坂本の目前で足元からマントを拾い上げ、フサッと広げて羽織って見せる。
「だが、もう十一月になってしまったから……」
綺麗な笑顔が苦笑に変わり、そのまま視線を落としてしまう。
「すまぬ。商工会のお歴々との付き合い酒も、仕事のうちだと分かっているのに。つい……」
さすがに拗ねてしまったとまでは口に出来ず、語尾を濁して言葉の変わりと坂本に抱きつく。
時折見せる桂の甘える子供のような仕草が愛おしくて、胸に収まる細い身体を抱きしめ返す。
つむじに軽くキスを落としてから、思いついた言葉を口にした。
「ナイス、仮装ぜよ!さすが、わしの小太郎ちや」
坂本の明るい声に、桂が顔を上げる。
「いきなり何を?」
「吸血鬼なら、活動時間は夜中やきな。今から吸血鬼ごっこするぜよ

「吸血鬼ごっ、うわっ?!」
桂の問いを最後まで言わせず、攫うように抱き上げた。
「ちょ、辰馬っ! ごっこって、何をする気だッ?」
「あはははっ。暴れちゃいかんぜよ。大人しくせんと、落としてしまおる」
横抱きしてしまえば、桂がしがみ付けるのは自分の肩と首だけ。
わざと揺すって、しがみ付かれるのを待つ。
「よせ、落とすな!」
鼻先に良い香りのする黒髪が触れて来るのに満足して、その身を寝室へと運び入れ横たえた。

コートを脱ぎ捨て桂の上に覆い被さり、もう一度口づけを交わす。
「これのどこが、吸血鬼ごっこだ?」
熱を帯びた眼差しで問いかけられて、坂本は笑みを深くする。
「おんしはドラキュラ伯爵さまで、わしゃ攫われた可哀想なお姫様じゃ」
「こんな酒臭くてゴツい姫など、いるものか」
坂本の言い出した設定に、桂が噴き出す。
「やき、ごっこやとゆうてるじゃろう。煩い伯爵さまじゃ」
眉間にしわを寄せ、口をヘの字に曲げてみせると、桂は簡単に折れた。
「分かった、分かった。では、姫君がこんなはしたない真似をしてはダメだ」
坂本の手から解いたリボンタイを片手で取り上げ、シャツにかかっていた指先を払う。
そのまま身体を回転させて、上下の位置を入れ替えた。
「今夜の伯爵さまは大胆じゃのぉ。わしゃ、恐ろしゅうてチビりそうぜよ」
ニヤニヤ笑いでもう一度、桂のシャツのボタンに手を伸ばす。
今度は桂も払いのける事はせず、自分も坂本の襟元に指をかけ寛げた。
盛り上がった大胸筋から鎖骨へ手を滑らせ、首筋へと撫で上げる。
「本当に噛み付いてやろうか?」
坂本のからかう様なニヤニヤ笑いを止めようと、桂は凄んで見せた。

「ほうじゃな……」
ニヤニヤ笑いは影を潜め、蒼い瞳が色濃くなる。
「どうせ噛み付くなら、こっちの口で」
坂本の手は桂のシャツから離れ、スラックスの上から「こっちの口」と呼んだ場所へ指先を食い込ませた。
「たっぷり搾り取って欲しいぜよ」
腰を浮かせて、互いの大事な場所を合わせる様に擦り付ける。
「っん」
生地越しのもどかしい刺激に、桂の身がふるりと震えた。
その反応を見て、坂本は更に腰を押し付ける。
「やはり、お前に姫は無理だ。似合わな過ぎる」
そう言うと、保っていた力を抜いて坂本の上に身を重ねた。
「なら、なんになるかの? ミイラ男か、フランケンシュ」
「狼男でいいだろう。ぴったりだ」
坂本が言い終わらないうちに、桂が決めつける。
「月夜でなくとも、変身するだろうが」
坂本の頬を軽く抓って、クスクス笑う。
「ほがな可愛えい顔で笑われちゃ、ざんじ狼に変身するしかぇいのぉ、どれッ」
「あっ、急に動くなっ!」
ころりと半回転して、またもや上下が入れ替わる。
「狼男と吸血鬼じゃ、どっちが強いかぇ?」
問いかける顔はもう、すっかり発情した雄の表情。
「朝までには、答えが出るだろう」
答える桂もまた、同じイロを瞳に宿す。
互いを求めて抱きしめる腕と、触れ合う唇、絡む脚。
交わり溶け合うハロウィン・ナイト。





2016.11.02
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