クレ海全年齢



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ハタチの夏、東京タワーの大規模改修工事が決まった。
着工から完成まで、五年が目途だという。

改修前、最後の―なんて言いたくなかったけれど結果的にそうなってしまった―セフィーロ行き。

誰がいつ泣くか、気が気じゃなかった。
けれど、結局私たちは泣かなかった。
泣けなかった。
泣けたら少しは楽なのかもしれなかったけど、三人合わせても一粒の涙も出なかった。


これからも、つまりたとえ改修中でも、もしかしたら来ることができるかもしれない。できないかもしれない。
そんな、曖昧な死刑台に立たされてるみたいな感覚で、私たちはぼんやりと東京へ帰って来た。

五年。ごねん。5年。
ぼんやりと、ただ頭がしびれる。
帰り道の記憶があまりない。

別れ土産も、さよならのハグもなしに。
日常の延長線上に。

「元気で」なんて言えなかった。
言わないでほしかった。


タワーの改修が始まってからも、私たちは足しげく赤羽橋へ通った。
ほとんど毎週末集まって、東京タワーのなるべく近くまで近づいて〝飛ぶ〟ことを願う。
願いの粒がそこらに落ちてはいないかと、芝公園や増上寺をうろついてみてもだめだった。
光や風、私の家でもだめだった。
夜中に集まって工事現場に潜り込んだ日さえもあった。

高度がポイントなのかもと誰かが言い出して、バイト代をためて旅行をすれば、その地域の名物タワーに立ち寄った。すっかり全国のタワーマニアとなって〝バイト代〟は〝給与〟に名を変えて。
改修が始まってから、あっという間に三年の月日が流れた。

これまで六年間の訪問でわかったのは、セフィーロでも地球でも同じ早さで時が流れているということ。二つの戦いを終え、止まった時間が動き出したのかもしれないと、あの人は言っていた。
七百を超えた人からしてみたら、五年なんて誤差みたいなものよね。
そう私が言った時、彼は笑っていたっけ、怒っていたっけ。


赤羽橋へ通う頻度がだんだん減ってきて、そして、自由になるお金が少しずつ増えてきた頃だった。
三人でお金を出し合って東京観光ヘリコプターの予約をした。

〝高度は関係ない〟
そんなことはとっくに分かっていた。
それでも「何もしない」ということが私たちにはできなかった。


ヘリは新木場のヘリポートから飛び立つ。
軽快に東京探訪をナビしてくれるパイロットは、太陽みたいに明るい人だった。
東京の名所を次々に回り、それはそれは楽しそうに観光案内をしてくれた。
上空600メートルの遊覧にあってもまるではしゃがない私たちを不思議に思ったのか、名所巡りの口上は少しずつ落ち着いてきて、東京タワーへ辿りつくころには彼もすっかり黙っていた。客をよく見る商売なのかもしれない。

ヘリが東京タワーに差し掛かる。
プロペラ音よりも、鼓動のほうが大きく鳴った。



わかってた。




耳に当てたヘッドセットから、啜り泣く声が聞こえる。
自分の泣く声が耳元から聞こえるというのはなんだか不思議な感じだった。

今日くらいは大泣きしてもいいと思った。
それは風も光も同じだった。

〝これで最後にしよう〟

そう三人で決めていたから。

レインボーブリッジを抜け、晴海エリアを見下ろし、葛西の観覧車が見えてきてもパイロットは何も言わなかった。
三人分の泣く声をヘッドホンから聞かされて、たまったものじゃないだろうなと少し申し訳なくもなる。

かと思えば、パイロットは操縦盤から通信機を取り上げ、管制室と何やら連絡を取り始めた。
英語混じりの専門用語に混じって「お客様が延長をご希望されているのですが」という言葉が聞き取れた。
「え?」
私が思わず声を上げると、パイロットは指に手を当てて「シ」と言った。

連絡を終え、通信機を操縦盤に置くとパイロットは言った。
「女の子を泣かせたままで降ろせないよ」
戸惑う私たちに、彼はこう続けた。
「とはいえ一時間も二時間も飛べるわけじゃないんだ。早く泣き止んでくれないと俺の財布が空になる」
サングラスが良く似合う、笑顔の優しい人だった。


彼は、一回目にはまともに見られなかった景色を、私たちにもう一度見せてくれた。
名所案内の口上はさっきとはまるで別のもので、いわゆる「テンプレート」の口上ではなかったことに驚く。
光と風は、東京タワーを後ろ目に名残惜しそうに見ていた。想いを通わせあっていた分、私なんかよりずっとつらいはずだ。

私は、そうはしなかった。
もうあの赤い塔を見たくなかった。
この時私はもう、自分の心の中にある淀んだ渦のような感情に気付いてしまっていた。

少し、ほっとしている自分に。

セフィーロに通い続けていた六年間。結局私とクレフはつかず離れずだった。
嫌われているとか避けられているとか、そういうことはなかったと思う。かわりに、私が少しでも色恋や告白の気配を出すと、クレフはいつもそれを霞みたいにかわした。


ヘリコプターは再び葛西のほうへ向かう。
観覧車を見下ろす。水族園のドームも小さく眼下に見えた。
パイロットは、私たちの顔から涙が消えたのを確かめると、「下りるよ」と言った。


たとえまたセフィーロに行けるようになったからといって、思いが通じるわけでもない。
これでよかったのかもしれない。そんなことを考える。

忘れる準備を始める時が来たのかも。

このつま先が地面に降りたその瞬間から。
クレフのことを、セフィーロのことを忘れなければいけないのかもしれない。

だから、ヘリから降りる時、パイロットが手渡してきたメモの切れ端を私は迷いなく受け取った。

「鳥羽透」と書かれた走り書きの下には電話番号が書かれていた。
もしかしたら、こんなことは誰にでもやっているのかもしれない。
それでも私はその日のうちに電話をかけた。ここで行かなければもう一生行けない気がした。

メモに書かれた名前が〝鳥羽〟ではなく〝烏羽〟だったことを、彼の電話の第一声で知った。走り書きの拙い文字では〝鳥〟と〝烏〟の見分けがつかなかったのだ。

飛行中の軽快な口調とは反対に、烏羽さんの声は少し緊張していた。けれど数分も話せばまたあの明るくて人懐こい語り口に変わり、それが心地良いなと思うのに時間はかからなかった。

空で街を語る口調はほとんどそのまま、軽快で明るくて。烏羽さんは面白い話をたくさんしてくれた。
タワーの改修が始まって四年。
久しぶりに心の底から笑った気がした。


正直、顔はあまりパッとしない人。
だけど、本当に素敵で優しい人だった。
職業柄、日焼けした肌が男らしい人。
映画の趣味が全然合わない人。
私の作ったケーキをぺろりとホールで食べてくれる人。
そのせいで少しお腹がぷよっとしてきたので「一緒に運動してくれない?」と素直に誘ってくれる人。
休みが合わないのですれ違いも多かったけれど、それでも時間を作って楽しい時を過ごすことができていた。






ケーキを一切れ食べるにもすごく時間がかかる、食の細い人だった。
肌の色も、透けて見えそうなほどに白かった。
そんな比較をしてしまったのも最初のうちだけで。

私は、薄情なのかもしれない。
烏羽さんとの日々は幸せだった。


共通の友人も増えてきて、烏羽さんの仕事仲間とのキャンプに誘ってもらった夜。女子用コテージから外に出て、キャンプ場の共用水道で顔を洗い、歯を磨いていた時。
ちょうど烏羽さんがやってきて、洗顔用のヘアバンドでおでこを丸出しにしている私を見て、大笑いした。
「それもかわいいね」と言って、私のおでこをぺちぺち指で叩きながら笑うので、私も歯ブラシをくわえたままつられて笑った。

かわいいだなんて、そんなこと。
あの人には一度も言ってもらったことがなかった。
歯磨き粉の泡をくっつけたまま、私たちは初めてのキスをした。


それからも、烏羽さんとのお付き合いは順調だった。
パパやママのこともすごく大事にしてくれて、二人も彼をとても気に入っていた。それとなく結婚を促されることも少なくなかった。

私は、薄情なんだと思う。
彼との日々は幸せだった。

クレフがいなくても、セフィーロのことを忘れかけても、私は幸せになれるのだと。

無意識のうちに罪悪感を抱いていたのかもしれない。
光と風にはすっかり会わなくなっていた。
冬にタワーの改修が終わり、それから半年と少しをかけて、私たちは再会した。

今日は、きっとセフィーロへ行けるという不思議な確信があった。そしてその確信は、当たった。

五年ぶりの再会は案外あっけなかった。
もちろん、城の皆はもちろん大喜びをして、狂喜乱舞の様相だった。
セフィーロはセフィーロで時が流れ、それぞれに変化もあった。私たちが来られなかったこの五年の間にすっかりと時をとめてしまった、なんてことはなかった。


二人だけで話がしたい、と私は言った。
薬指のリングの意味を知っているのかいないのか。
クレフは、私のことを霞のようにかわすことはしなかった。

クレフは少しだけ疲れた様子で、元々華奢だった体の線は更に細くなっているように感じた。
「疲労がたまっているだけだ」とクレフは言った。

五年前まで毎週のように来ていた部屋。
お茶も出る前に、私は言った。

「私、プロポーズされたの」
クレフは何度か瞬きをして、不思議そうに私を見た。

「あ、あの……結婚を……恋人に、求婚されたのよ」
左手の大きな石いじりながらもごもごと説明を足すと、クレフは「そうか」と言った。


私は、クレフになんと言ってほしいのかわからなかった。

けれど、きっと彼なら次には「おめでとう」と言ってくれるだろう。
そんな予想をした。

「受けるのか?」
だから、クレフがそう尋ねてきたのは本当に意外だった。

「ええ」
と私は言った。

それから「少し、迷ってる」と言葉を足した。
「そうか」と、クレフが言った。
クレフは「なぜ」とは聞いてこなかった。

そこで会話が止まってしまい、私は気まずさをかき消すように「こっちはどうだった?」と尋ねてみた。
クレフは少し押し黙ってから「多忙を極めた」と言った。
「多忙?」
クレフは「ああ」とだけ返した。

「こっちも、忙しかったわ」と私は言った。

工事地に毎週通って、全国を回って、ヘリにまで乗った。
私が詳細に言わずとも、私たちの骨折りの様相が伝わったのかクレフは三度目の「そうか」を言った。

「私、ずっと中途半端だった」

私は、懺悔するみたいに言葉を続けた。
「とても良い人なの。欲しいときに欲しい言葉をくれる人。私、すごく幸せよ。でも、私、その人に何もしてあげられてないの。優しさに甘えてるだけなのかもしれない。これからだって……」

クレフは、何も言わなかった。

「その人ね……」

「……その人、ちょっとクレフに似てるの」

誰にも言ったことのないことを言った。

誰も喜ばないようなことを、ただ自分の心を吐露して解消したいがために話している。私は、ずるい。ずるくて弱い。

「あの……似てるって言っても顔はあんまりかっこよくないのよ? 性格もタイプも全然違うんだけど…でも、すごく優しくて……」

「クレフ、私ね」

「私」

「クレフのこと好きだったの」


日本語は便利だ。
has beenでも had beenでも、この想いは今日を限りに終わる。

もう自分の気持ちがわからなくなっていた。
意図しない涙が出てきて、指でぬぐっているとクレフがやんわりと微笑んで言った。

「だが、お前の心はもう決まっているのだろう」
余計に涙が出て、私は頷いた。

「早く帰って返事をしてやれ」

クレフが言った。

「きっと幸せになれる」






不思議な失恋気分を抱えたまま、私は東京へ戻って来た。
その足で、私鉄とJRを乗り継いで烏羽さんの家へ向かう。

「ごめんなさい」
リビングのローテーブルの前に座って、私は彼に頭を下げた。
「気づいているかもしれないけど、私、あなたに言っていなかったことがあったの」

そのままを伝えた。
遠い国に想っている人がいたこと。
あの日、ヘリコプターを降りた時から忘れる準備を始めようとしたこと。

「私、忘れたかった。けど、忘れたくなかったのかもしれない。あなたと話していると本当に心が救われた。あなたといるとすごく幸せだった。だけど……それが少し寂しかった」

「指輪、とても嬉しかった」

烏羽さんの表情が曇った。
違うの。そんな顔をさせたくて話したわけじゃない。
やっぱり、日本語は不便だ。

自分の言葉の拙さに空回りながら、私は言った。
「変なことを言ってごめんなさい。こんな私だけど、私なりにけじめをつけてきたつもりよ」

私が笑うので、烏羽さんも緊張の中、少しの微笑みを見せてくれた。曇った彼の表情がほどけて、人懐こい瞳に私が映る。

「私ね、あなたのお嫁さんになりたいの」



これでよかった。
本気で思った。

クレフに会いに行ってよかった。
ずっと、忘れられないかもしれない。
寂しさはきっとずっと消えないだろう。

だけど、今日会いに行ったからこそ、半端だった気持ちにきちんと決着をつけられた気がする。


私がこの人を幸せにする。
二人で幸せになる。



―お前の心はもう決まっているのだろう

そうよ。
私、あなたに引き留めてほしかった。
だけど、ごめんね。

やっぱり背中を押してほしかったの。
幸せになれと、願ってほしかった。

私があなたの幸せを願い続けたように。


烏羽さんは私を抱きしめて「本当にいいの?」と言った。
腕の中で頷くと、彼は続けて尋ねた。

「顔があまりかっこよくなくても?」
「え?」
「『日本人』の造形の平均を採ったつもりだったんだけどな」
彼が、わけのわからないことを言った。


『顔があまりかっこよくなくても?』

そんなこと、誰にも言ったことない。
本人はもちろん、共通の友達にも。
光や風、パパやママにだって。

誰一人。
―たった一人を除いては。


抱かれる心地が変わってくる。
暑い胸板が、華奢な体つきへ。
腕の太さが一回りも二回りも細くなっていく。
日に焼けた肌の色でさえも、色白な肌へと変わっていった。


名前が違う。顔が違う。声が違う。
性格も、喋り方も、一人称だって違う。


腕が解かれ、その人の顔を見た時―

「それも、魔法なの?」

私は驚きを通り越してそんな間抜けなことを尋ねた。

一度だけ、写真魔法で見せてもらったことがある。
大昔の、彼の姿。
背は高いし、大人びた顔立ちは少年姿の彼とは全く違って見える。

けれどたしかに、彼 は 彼だった。


「というか」

写真と全く同じ姿の青年が、ゆっくりと口を開いた。

「今魔法が溶けたと言える」

体が、勝手に吸い込まれるみたいだった。
溶けた魔法で。
クレフの声と姿で。
私は彼に抱きしめられていた。


名前が違う。顔が違う。声が違う。
性格も、喋り方も、一人称だって違う。

体つきも、力加減も、頬に触れる髪の色や柔らかさも。

全部が、違う。

なのにこのぬくもりは、私が一年間感じていたものと全く同じだった。


「だますような真似をしてすまない。お前の幸せを邪魔するつもりはなかった。けれど、ゆずれなかった……これだけは」

そう言って、クレフは私の頬を両手で包んだ。

宝物を愛でるみたいな瞳。

クレフが、あんまり愛おしそうに私を見るので、
私は自分が宝石にでもなってしまったのかと思った。




私が尋ねる前に、クレフは「話せば長い」と言った。

「お前たちがセフィーロへ飛べなくなってから、こちらとて手をこまねいてただ待っていたわけではない」

「当然だが、いくら試しても私自身がこちらへ来ることは叶わなかった。けれど、私はどうしても諦められなかった。年月をかけ心血を注ぎ、どうにかこの世界にあの人格、〝烏羽透〟という人格を生成し、私の魂を送り込むことができた。それがおよそ一年前のことだ」
「人格? 魂……? どういうこと?」
「全てを説明することは不可能だ。術者の私ですら完全には理解が及んでいない。それほどに難しい、前例のない魔法なのだ。たった四年で成功したのは奇跡にも近い」
「……待って! じゃあ、今までデートしたのも喧嘩したのも全部あなただったってこと…!? ねえ! どうして今まで言ってくれなかったの!?」

「言えなかった」
クレフは言った。

「言ったろう、前例のない難しい魔法だと。それゆえ、天秤の秤量を合わせるように強い制約が必要だったのだ」
「制約?」
「ああ。一人の人間としてお前に愛されるまで、私は身を明かすことができなかった。それに、少し誤解をしているようだが、お前と恋人としての関係を営んできたのは厳密に言えば私ではない」

クレフは続けた。

先の通り、あの人格に入っていたのはあくまで私の〝魂〟であって〝精神〟や〝思念〟ではない。だから、彼がどのような行動を取り、どのような発言をするかは私の制御できるところではなかった。
私はただ〝お前を愛する〟という基本概念だけを持ってセフィーロあちらから魂を送り、そしてこの世界でお前と時を過ごした〝烏羽透〟の魂を持ち帰る。そんな日々を続けていた。

「私の魂がお前を愛し、お前に愛される。その喜びをこの一年間細く紡いできた」

知らなかった。
そこまでして私を愛してくれていたというのに。

私は、知らなかった―
知らずに幸せになっていた。

強い罪悪感が襲う。
ふさぐ私の顔を両手でそっと持ち上げ、クレフは力強く言った。

「ウミ、それは違う。言ったろう。魂を送りこんだのだと。顔も口調も性格すら違う。にもかかわらず、お前は烏羽透を愛した。お前は、私の魂を見つけてくれた。それは私にとってあまりある喜びだったのだ」

「……ずっと逃げ続けてきた。お前から、愛情から、そして幸せから。しかし、私はもう逃げない」

強い眼差しが、私を見た。

「この命を懸けてお前を愛する。その勇気をくれたのはほかでもない、お前だ。ウミ」

私の涙を拭ったクレフの指が、頼りなげに離れる。
「すまない。身勝手は承知している」
眉尻を下げ、力強さが抜けた様子で。

「お前の心を聞きたい」
と、クレフが尋ねた。


「私の心なら」

唇に、熱。

形や艶は違う。だけど不思議なことに、やっぱり温度だけは烏羽さんの唇と同じだった。
熱が離れればクレフが驚いた顔で私を見るので、照れくさくなって顔を伏せる。

「私の心なら、…さっき言ったとおりよ」

ありがとう。
とクレフが言った。

そしてクレフは、私が泣き止むまでずっとずっと私を抱きしめていてくれた。










「……クレフ、これからどうするの?」
泣きすぎて、鼻の詰まった声がカッコ悪い。

「どうするというと?」
「こっちで暮らすつもり?」
「もちろん」

そのための五年間だ。とクレフは言った。

烏羽さんのポロシャツはクレフにとっては一回りサイズが大きいし、スポーティなデザインはびっくりするくらい彼に似合っていなかった。

「セフィーロはどうするつもり?」
「たまの里帰りは許してほしい。それに、皆もお前たちに会いたがるはずだ」
クレフは笑って、それから今日何度目かのキスをくれた。

「ねえ、魂を送って持ち帰るってどんな感じなの?」
「説明は不可能と言ったろう」
「それでも、どんな感じかくらいはわかるでしょ?」
クレフは少し考え込んで、記憶をたぐるようにゆっくりと話した。

「まず」

「尋常ではない体力と精神力を使う」
それであんなにやつれていたのね。私が尋ねるとクレフは苦笑いを零した。

「送っている時は常に精神を集中させ続けているからな。二倍の人生を生きているようなものだ」
「じゃあ、おいしいものを食べたとか、どこへ行ったとかはわかるの? っていうか! ヘリコプター操縦してたわよ! あれもあなたの魔法なの?」
矢継ぎ早に尋ねると、クレフは「落ち着け」と言って私の頬に唇で触れた。

「記憶はほとんど残っていない。先にも言ったとおり、お前を愛し愛された喜びだけを持ち帰るだけだったから。だがまあ、こうして魔法が溶けたからには、烏羽透としての人格や記憶はこれから次第に私の中へ戻り溶け込むはずだ」

するとクレフははたと何かを思い出し「そうだ、ウミ」と私に尋ねた。

「烏羽はお前を抱いたか?」
「はぇ!?」
変な声が出て、顔が一気に熱くなる。
「な、なななな何を言ってるのよ!」
クレフの様子を見るに、決して冗談ではなさそうだった。
真剣でも困っちゃうけど。
クレフは、私の答えを祈るように待っている。

「し……てない……」

答えると、クレフは天を仰ぎ大きく息を吐いた。

顔に両手を当て「良かった」と心底安心したように息を漏らす。
語尾を伸ばし、人間味のある口調は少しだけ烏羽さんを思わせた。

「ちゅうはしたけどね」
私が申し添えると、クレフが途端に真顔になった。
少しの恐怖すら感じる。
私の怯えを察したのか、クレフは大きなため息をついてヒリついた空気をほどいた。それから、目を片手で押さえてうなだれた。
「クレフ?」

落ち込んでいる。
どう見てもクレフは落ち込んでいた。

「か、か、からだに手を出さなかっただけ誠実よ! い、一年間も! 家に泊まったってキスまででしかしないんだから! ていうか! 烏羽透さんはあなたが作った人格? だったんでしょ? だったら別に……その……」

「たしかに」
クレフが納得したように言った。
「お前の言う通りだ」

突然腕を引き寄せられ、私はまた唇を塞がれた。

温度が、上がる。

知っているのに、知らない口づけ。
深くむさぼるみたいに舌が入って来て、声がもれそうになって私は慌ててクレフの服をつかんだ。
ポロシャツが似合ってるとか似合ってないとか、そんなことを思う余裕は完全に消えた。

クレフの大きな手が、私の胸に触れる。
なんというか、必死で、余裕がない。
こんな触れ方をする人だったなんて知らなかった。

キスも、どんどん深く熱くなっていく。
クレフに求められることが嬉しくて、体が熱くなる。
もっと、もっと、もっと触れてほしい。

なのにクレフは「すまない」と言って、そっと手を離した。
「別にいいのに」なんて言わないけれど、私の考えは多分顔に出ていたんだと思う。クレフは答えるように「順番は守りたい」と言った。

「じゅんばん……?」
「ああ」
「……もしかして、プロポーズのこと?」

瞬き。はにかみ。鼓動。

クレフが頷く。

なんて律義な人。
この人の魂が送られていたんなら、烏羽さんが私に手を出さなかったのも頷ける。
もしかして、結婚するまで〝しない〟つもりなのかしら。

私は幸せが零れるように笑った。
「ねえ、じゃあもう一度言って?」
私が上目遣いに顔を覗くと、クレフの頬がほんの少し赤くなった。

フローリングの上、二人とも正座になって向かい合いに座る。
咳払いなんてされたらこっちが緊張してしまう。

クレフは目線を天井のほうへやったり、かと思えば床を不自然に見つめたりして、それから小さく息をついた。

照れくさそうな笑顔を見るとまた涙が浮かんで来る。
クレフは私の両手を取って、言った。


「結婚しよう、ウミ」


そして私はまた

宝石になる。







✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼

「ゆずれない願い」
End


アンケートご回答特典があります。
ちょっと特別なお話でビクビク公開しているのでぜひご感想等いただければ🙏w

かなり強引な設定でしたが、クレさんの執念に乾杯🥂ということでお許しを!w

「クレさんに『俺』って呼ばせ隊」の悲願が叶った😭✨
ラストシーンは某美少女戦士ものから拝借しました🌙


6月は13作公開しました。
ありがとうございました。

7月は新刊「セイレーン」発刊です。
とんでもない名作です。よろしくお願い致します。


↓ アンケートご回答で作者のやる気がでます

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