💎💎💎初恋(完結)
4.香
泉に面した緑道を入って十分ほど歩くと、見事な果樹園にたどり着いた。
果樹には青から黄色にかけて色々の実が生 っている。洋梨のような形をしたあの果実は私もよく知っている。クラッチという名前の果物だったはずだ。
クレフは、木にくくりつけられた木箱にコインを二枚入れると、ひょいひょいと器用に木を登り、クラッチの実を二つもいでこちらへ放ってきた。
土が良いのだろうか。つるんとした手のひら大の実は、モコナに出してもらった時よりも、城の庭でもいだ時よりも、ずっとずっと輝いて見えた。
手の中で輝く果実を宝物のように眺めていると、クレフが隣に降り立って「さあ、食べよう」と言った。
果樹園の木に背を預けて横並びに座る。クレフが皮にナイフで切れ目をいれてくれたので、指で皮を押し開いて剥いてみる。
柑橘の爽やかな香りがふんわりと広がって、みかんの房のような実が現れた。みずみずしさに思わず喉が鳴る。
「取ったばかりのものは食べたことがないだろう」
クレフが言うので、私はこくこく頷きながら一房もいで口に運んだ。
同じ果実のはずなのに、今までに食べたものとはまるで別物だった。
刺激的な酸味がじゅわと口いっぱいに広がって、数秒遅れて舌先からグラデーションを描くように甘味がやってくる。
一房として同じ味のものはなく、咀嚼するたびに強さの異なる酸味と甘みが私の舌に触れる。時折軟口蓋がきゅっとしびれるほどの酸っぱさすら美味に感じられた。
そんな絶妙な味の追いかけっこが面白く、何度も房を口に運んでいるとクラッチの実はあっという間になくなってしまった。
「もう一つ取ろうか?」
クレフが笑うので、恥ずかしくなって私は首を横に振った。
「まだ歩けるか?」と聞かれ、二つ返事で頷く。
履きなれない木靴で歩いているというのに、全くと言っていいほど疲れなかった。そうでなくても私に頷く以外の選択肢はなかったのだけれど。
降り立った街は、夕飯の食材を求める人々で賑わっていた。行き交う人が時折クレフに挨拶をし、ほんの短い会話を交わしていく。
隣を歩く私のことを「あらどなた?」とか「薬師さんのいいひと?」とか尋ねてくる人も少なくなかった。一人勝手に顔を赤くする私をよそに、クレフはそんな会話も軽々と受け流していた。
街でクレフのことを「導師様」と呼ぶ人はあまりいなかった。彼は、ここではもうただの「クレフ」で「薬師さん」なのかもしれなかった。
「すまなかった。少し連れ回しすぎてしまったな」
キッチンのほうで、クレフが申し訳なさそうに言った。
「平気よ。私も全然気づいていなかったんだもの」
ダイニングチェアに腰かけ、裸足の足をプラプラと揺らしながら私は答えた。
クレフが貼ってくれた薬草がひんやり染みて気持ち良い。
両足の小指が真っ赤に腫れていることに気づいたのは、乾いた制服に着替え、ストッキングを履こうとした時だった。
キッチンでは、焜炉 の火に揺られて小鍋がコトコトと音を立てている。「器が足りない」という声が聞こえた気がしたので、手伝うために立ち上がろうとすると「いいから座っていろ」と言われたので、その通りにした。
根菜スープの優しい香り、それから暖炉の上でこんがりと焼けたパンの香りが部屋中に広がっている。
街から戻り、なぜだか一緒に夕食を取る流れになった。断る理由もなかった。もちろん少しの戸惑いはある。二人きりの食事なんて初めてだし、それより何より私はセフィーロの食事のお作法をあまり知らない。
部屋で光達とお菓子を食べるのとはわけが違う。使い方のわからないカトラリや、食べ方のわからない食べ物が出てきたらどうしよう。
そんなことを考えている間に、クレフはあっと言う間にテーブルセットを整えてくれた。
結局お皿は足りなかったらしく、いくつかのパンは買った時の紙袋を切り開いた上に乗っていた。
「行儀が悪くてすまない」とクレフが苦笑いで言った。
木の実を絞った赤いジュースが不思議と食事に合う。
飲み、食べ、スープを口に運ぶ。
「なんだかクレフと一緒にお食事するなんて変な感じね」
クレフはちぎったパンを一口ほおばりながら、こくりと頷いた。
決して会話の弾む食事ではなかった。緊張もしている。でもそれが苦痛ではない。クレフはとてもゆっくりと食事をする人だった。それが、私の食べるペースに合わせてくれているのだということに、食事も終盤という時にようやく気付いた。
慌ててスープ皿を手にすると「いいからゆっくり食べろ」と言ってクレフは笑った。昼とは真逆の言葉と表情だった。
片付けを終えたクレフが、キッチンからこちらへ戻って来て、また私の正面に座った。
切りたての毛先が気になるのか、クレフは自分の前髪を指先で何度かすいた。
前髪の隙間から青い瞳が覗いて、時々目が合う。
そのたびに私が慌てて視線を外すので、クレフは不思議そうに眉根を寄せた。
赤いジュースはすっかり飲み干して、二つの木製のマグは空になっている。
言うなら今しかない。
言わなければならない。
好きです、と。
今日は本当に、本当に楽しかった。
人生で一番。かもしれない。
こんな暮らしをクレフとしていけたら幸せだろうなと思う。
私は空になった木製のマグを見つめ、すうはあと何度も息を整えた。
その時、「ウミ」とクレフが私を呼んだ。
呼吸の途中で突然呼ばれたので胸がつかえ、むせそうになる。
「先ほどから一体どうした? 具合でも悪いのか?」
「ううん、全然! 大丈夫よ!」
案の定声がひっくり返ってしまった。
「なんでもないの」
私は顔の前でパタパタと手を振った。
言うなら、今しかない。
言わなければいけない。
「あのね、クレフ……」
暖炉の薪がくすぶり、残った火種がぱちと小さく鳴る音だけが響いている。心臓が口から出そうになって、指の跡が付きそうなくらい木製のマグを強く握った。
「私、あなたに言いそびれていたことがあって」
一年間。
言えなかった言葉が、私を支配していた。
「ほんとは、今日……それを言いに来たの」
しばらくの沈黙が部屋中を満たす。
残った薪が、カランと音を立てて崩れた。
「だけど……」
脳裏によぎったのは、城で見たあの大量の手紙。
プレセアだけじゃない。クレフを必要としている人たちが大勢いる。
今はこうでも、クレフはきっと城へ戻る。
自分一人がひとりじめしていいような人ではない。
叶うことを望まないなら、なおさら言うべきではない。
それでも気持ちを知っておいてほしいだなんて、ただの我儘だ。
好きな人を困らせたりはしたくない。
「やっぱり……言わないほうがいい気がしてきたわ」
― 結局、私はあの時と同じ判断を下した。
「そのほうがいい」
クレフがぽつりと言った。
「きっと私は、お前の望むようなことは言ってやれん」
胸がズキンと音を立てて軋む。
足の指よりもよほど痛い。
涙が溢れないように、私はとりつくろうようにまくしてた。
「そ、そんなことより! お手紙! あなた宛てにものすごい量が届いてたわよ! プレセアが困ってたわ。ね、行ってあげて?」
するとクレフはおもむろに立ち上がり、ダイニングの窓をカタンと押し上げた。
クレフが背を向けた隙に、指の甲で涙をぬぐう。
クレフは窓から顔を出し、すっかり暗くなった夜空を見上げた。
「どのみちお前を城に送らねばならない」
ピウと口笛の音が高く響く。
すると、窓の外からヒュウと鋭い風切り音が近づいて来た。
バサリと大きな音を立て、小屋の外に舞い降りたのは、見慣れた鳥型の聖獣だった。
「ねえ、どうしてこの子は消えちゃわないの?」
グリフォンの背の上で、私はクレフに尋ねた。
「森や泉から良質な魔力を分け与えてもらっている。フューラも元気だ」
「本当に!? 今日会えなかったから心配してたのよ」
「そうか、では今度来た時―」
言いかけて、クレフは押し黙った。
グリフォンが少し飛空の速度を上げ、風切音がより鋭く耳に響く。結局それからは私とクレフは城に着くまで何も話さなかった。
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「クラッチ」の実のイメージは、LAKI様の神本「A thousand Years」から拝借いたしました🍐✨
泉に面した緑道を入って十分ほど歩くと、見事な果樹園にたどり着いた。
果樹には青から黄色にかけて色々の実が
クレフは、木にくくりつけられた木箱にコインを二枚入れると、ひょいひょいと器用に木を登り、クラッチの実を二つもいでこちらへ放ってきた。
土が良いのだろうか。つるんとした手のひら大の実は、モコナに出してもらった時よりも、城の庭でもいだ時よりも、ずっとずっと輝いて見えた。
手の中で輝く果実を宝物のように眺めていると、クレフが隣に降り立って「さあ、食べよう」と言った。
果樹園の木に背を預けて横並びに座る。クレフが皮にナイフで切れ目をいれてくれたので、指で皮を押し開いて剥いてみる。
柑橘の爽やかな香りがふんわりと広がって、みかんの房のような実が現れた。みずみずしさに思わず喉が鳴る。
「取ったばかりのものは食べたことがないだろう」
クレフが言うので、私はこくこく頷きながら一房もいで口に運んだ。
同じ果実のはずなのに、今までに食べたものとはまるで別物だった。
刺激的な酸味がじゅわと口いっぱいに広がって、数秒遅れて舌先からグラデーションを描くように甘味がやってくる。
一房として同じ味のものはなく、咀嚼するたびに強さの異なる酸味と甘みが私の舌に触れる。時折軟口蓋がきゅっとしびれるほどの酸っぱさすら美味に感じられた。
そんな絶妙な味の追いかけっこが面白く、何度も房を口に運んでいるとクラッチの実はあっという間になくなってしまった。
「もう一つ取ろうか?」
クレフが笑うので、恥ずかしくなって私は首を横に振った。
「まだ歩けるか?」と聞かれ、二つ返事で頷く。
履きなれない木靴で歩いているというのに、全くと言っていいほど疲れなかった。そうでなくても私に頷く以外の選択肢はなかったのだけれど。
降り立った街は、夕飯の食材を求める人々で賑わっていた。行き交う人が時折クレフに挨拶をし、ほんの短い会話を交わしていく。
隣を歩く私のことを「あらどなた?」とか「薬師さんのいいひと?」とか尋ねてくる人も少なくなかった。一人勝手に顔を赤くする私をよそに、クレフはそんな会話も軽々と受け流していた。
街でクレフのことを「導師様」と呼ぶ人はあまりいなかった。彼は、ここではもうただの「クレフ」で「薬師さん」なのかもしれなかった。
「すまなかった。少し連れ回しすぎてしまったな」
キッチンのほうで、クレフが申し訳なさそうに言った。
「平気よ。私も全然気づいていなかったんだもの」
ダイニングチェアに腰かけ、裸足の足をプラプラと揺らしながら私は答えた。
クレフが貼ってくれた薬草がひんやり染みて気持ち良い。
両足の小指が真っ赤に腫れていることに気づいたのは、乾いた制服に着替え、ストッキングを履こうとした時だった。
キッチンでは、
根菜スープの優しい香り、それから暖炉の上でこんがりと焼けたパンの香りが部屋中に広がっている。
街から戻り、なぜだか一緒に夕食を取る流れになった。断る理由もなかった。もちろん少しの戸惑いはある。二人きりの食事なんて初めてだし、それより何より私はセフィーロの食事のお作法をあまり知らない。
部屋で光達とお菓子を食べるのとはわけが違う。使い方のわからないカトラリや、食べ方のわからない食べ物が出てきたらどうしよう。
そんなことを考えている間に、クレフはあっと言う間にテーブルセットを整えてくれた。
結局お皿は足りなかったらしく、いくつかのパンは買った時の紙袋を切り開いた上に乗っていた。
「行儀が悪くてすまない」とクレフが苦笑いで言った。
木の実を絞った赤いジュースが不思議と食事に合う。
飲み、食べ、スープを口に運ぶ。
「なんだかクレフと一緒にお食事するなんて変な感じね」
クレフはちぎったパンを一口ほおばりながら、こくりと頷いた。
決して会話の弾む食事ではなかった。緊張もしている。でもそれが苦痛ではない。クレフはとてもゆっくりと食事をする人だった。それが、私の食べるペースに合わせてくれているのだということに、食事も終盤という時にようやく気付いた。
慌ててスープ皿を手にすると「いいからゆっくり食べろ」と言ってクレフは笑った。昼とは真逆の言葉と表情だった。
片付けを終えたクレフが、キッチンからこちらへ戻って来て、また私の正面に座った。
切りたての毛先が気になるのか、クレフは自分の前髪を指先で何度かすいた。
前髪の隙間から青い瞳が覗いて、時々目が合う。
そのたびに私が慌てて視線を外すので、クレフは不思議そうに眉根を寄せた。
赤いジュースはすっかり飲み干して、二つの木製のマグは空になっている。
言うなら今しかない。
言わなければならない。
好きです、と。
今日は本当に、本当に楽しかった。
人生で一番。かもしれない。
こんな暮らしをクレフとしていけたら幸せだろうなと思う。
私は空になった木製のマグを見つめ、すうはあと何度も息を整えた。
その時、「ウミ」とクレフが私を呼んだ。
呼吸の途中で突然呼ばれたので胸がつかえ、むせそうになる。
「先ほどから一体どうした? 具合でも悪いのか?」
「ううん、全然! 大丈夫よ!」
案の定声がひっくり返ってしまった。
「なんでもないの」
私は顔の前でパタパタと手を振った。
言うなら、今しかない。
言わなければいけない。
「あのね、クレフ……」
暖炉の薪がくすぶり、残った火種がぱちと小さく鳴る音だけが響いている。心臓が口から出そうになって、指の跡が付きそうなくらい木製のマグを強く握った。
「私、あなたに言いそびれていたことがあって」
一年間。
言えなかった言葉が、私を支配していた。
「ほんとは、今日……それを言いに来たの」
しばらくの沈黙が部屋中を満たす。
残った薪が、カランと音を立てて崩れた。
「だけど……」
脳裏によぎったのは、城で見たあの大量の手紙。
プレセアだけじゃない。クレフを必要としている人たちが大勢いる。
今はこうでも、クレフはきっと城へ戻る。
自分一人がひとりじめしていいような人ではない。
叶うことを望まないなら、なおさら言うべきではない。
それでも気持ちを知っておいてほしいだなんて、ただの我儘だ。
好きな人を困らせたりはしたくない。
「やっぱり……言わないほうがいい気がしてきたわ」
― 結局、私はあの時と同じ判断を下した。
「そのほうがいい」
クレフがぽつりと言った。
「きっと私は、お前の望むようなことは言ってやれん」
胸がズキンと音を立てて軋む。
足の指よりもよほど痛い。
涙が溢れないように、私はとりつくろうようにまくしてた。
「そ、そんなことより! お手紙! あなた宛てにものすごい量が届いてたわよ! プレセアが困ってたわ。ね、行ってあげて?」
するとクレフはおもむろに立ち上がり、ダイニングの窓をカタンと押し上げた。
クレフが背を向けた隙に、指の甲で涙をぬぐう。
クレフは窓から顔を出し、すっかり暗くなった夜空を見上げた。
「どのみちお前を城に送らねばならない」
ピウと口笛の音が高く響く。
すると、窓の外からヒュウと鋭い風切り音が近づいて来た。
バサリと大きな音を立て、小屋の外に舞い降りたのは、見慣れた鳥型の聖獣だった。
「ねえ、どうしてこの子は消えちゃわないの?」
グリフォンの背の上で、私はクレフに尋ねた。
「森や泉から良質な魔力を分け与えてもらっている。フューラも元気だ」
「本当に!? 今日会えなかったから心配してたのよ」
「そうか、では今度来た時―」
言いかけて、クレフは押し黙った。
グリフォンが少し飛空の速度を上げ、風切音がより鋭く耳に響く。結局それからは私とクレフは城に着くまで何も話さなかった。
✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼
「クラッチ」の実のイメージは、LAKI様の神本「A thousand Years」から拝借いたしました🍐✨