The Name of Vampire


epilogue.桜の時

春の日差しの中、少し力ない様子のクレフの隣を歩く。並木の歩道には花びらが舞い積もっている。見頃はまもなく過ぎるだろう。それにしても、二人で一本さす日傘のせいで桜が見えにくい。クレフに至ってはサングラスのせいで桜の繊細な色など見えていないのではないか。だから夜桜にしようと言ったのに。

クレフが、私から日傘を取り上げて畳んだ。
「こんな中で食事を取るとは、正気の沙汰ではないな」
サングラスの奥の瞳が、怪訝そうに細くなった。目線の少し先には、歩道に面した公園でランチを広げている花見客の姿がある。

クレフは、未だに日光が苦手だ。
「まずは日に慣れる必要がある」と言って、クレフは先月、東京へ〝帰って〟来た翌日から日中のお散歩…というより訓練を始めた。

最初の頃は、翳った夕日にすらよろめき、私の肩にもたれるように両手と額を重ねて乗せてふらつきながら歩くほどだった。彼の性格のこと、弱みを見せるのは嫌だったろうなと思うと、申し訳ないけれどほんの少し微笑ましかった。

私が仕事へ出かけている日中も、一人お日様と向かいあっていたらしく、週末ごとに歩ける距離を伸ばし、一ヶ月経った今では昼間に桜を見に来られるほどとなった。
クレフは「まだまだ」と悔しそうに言うけれど、七百年慣れ親しんだ体と住む世界が変わったのだから、順応は早すぎるくらいだと思う。


ひと月前、『再会と誕生日を祝う会』に『クレフが人間になったお祝い』も追加され、その日はクレフと夜通し話をした。
彼がセフィーロで七百年をどう過ごしてきたのか、地球人の私も知らない、クレフが見て回ってきた様々な国のこと、セフィーロになぜ地球と同じ味のワインがあるのか、吸血種と人間が結ばれることはないとは具体的にどういうことなのか。本当に色々な話を聞いた。
けれど、クレフがなぜあんなにおいしいミートソースを作れたのかは結局教えてくれなかった。「お前は飛行機が飛ぶ原理を知らないと乗れないタイプか?」とはぐらかされて、心底どうでもよくなった。

一方、私の明るくもない一年間のことを話すと、クレフは終始申し訳なさそうな顔をしていた。そして、いずれ私の親友や両親にも会いたいなどとシレッと言ってのけるので、照れた顔を隠すのに苦労した。

いつの間にか、夜が明けていた。そろそろ眠るか、とクレフがぽつりと言うので、軽くシャワーを浴びてメイクを落とし、寝支度をして、ベッドに潜り、それなりに恋人らしいことをして眠った。ちなみに私の積年のコンプレックスが消えたかどうかは内緒だ。

それから、クレフはイーグル送還の手柄と今までのセフィーロでの功労のおかげか、しばらくは生活に苦労しないとのことだった。

このまま体さえ慣れれば、クレフなら、モデルだって、調理師だって、お花屋さんだって、なんだってできるだろう。それにしたって立ち向かうべき問題は色々とある。けれど、クレフがいてくれるならどんな苦労だって甘んじて受け入れる。そう思えた。

歩道の後方から自転車の走行音が聞こえた。右手が温かいものに包まれ、軽く引っ張られる。自転車の姿が見えなくなっても繋がれたままの手がなんだか嬉しくなって、クレフの手をそっと握り返した。



鳥がついばんだか、ガクごと落ちた桜のうち綺麗なものをいくつか持ち帰った。小ぶりのガラスボウルに浮かべると、水中に吸い込まれる淡い光に、我が家にも春が到来した気がした。心躍る私に反し、クレフは「暑くて倒れそうだ」と言ってテーブルにつっぷした。

「今日はかなり頑張ったものね」
グラスにアイスティーを注ぎ、クレフに手渡す。
「でも、これからますます日が強くなるのよ。大丈夫?」
四月に入ってからは日差しがかなり強くなってきていて、今日は私も少しだけ汗ばんだ。もちろん倒れるほどではない。夏になったらクレフはどうなってしまうのだろう。いや、夏の心配を今しても仕方ない。私は、空になったグラスにアイスティーを注いだ。

二杯目を半分ほど飲んだところで、クレフは「見せたいものがある」と言って黒の革財布を広げた。これは『人間になった記念』に私が買ってあげたものだ。クレフは財布の中から一枚のカードのようなものを取り出した。私も一応は持っているものだ。取得して以来、身分証としてしか使っていない。

「なにこれ?」
「運転免許証」
「見ればわかるわよ。それがどうしたの?」
「新しいものを用意させた」
はあ、と間の抜けた返事をする私をよそに、クレフは傍らのブリーフケースに手を伸ばした。例の吸血種さんが持ってきてくれたものだ。着替えやあれこれ、東京の暮らしに必要なものが軒並み入っているらしい。ケースを開けると、パスポート、住民票、それに私ですらまだ発行したことのない証明証の類まで、手品師のように次々と見せてきた。それには私もさすがに目を丸くした。まあ、でも、そうか、とも思う。

「少々裏の手は使ったがな」
「え?」
クレフの言葉に驚いたわけではない。セフィーロはただでさえ非常識な世界だ。別に免許証の製作くらいは容易いのだろう。そうではなく、私が声を上げたのは、クレフが差し出した免許証の中に、非常に慣れ親しんだ文字を見つけたからだ。免許証に印字された名前を指さし訊ねる。
「これ……どういう、こと?」
するとクレフは、まるでペンか何かを借りるくらいの軽い口調で答えた。
「ああ、ラストネームをしばらく借りる」
その口ぶりは、私が断ることなど万に一つもないと確信している。それは確かにその通りなのだけれど、それにしてもあまりの展開の早さに、あんぐりと口を開いたまま呆ける私を見て、クレフは可笑しそうに言った。

「八十年ほどか、短い間だがよろしく頼む」

ああ、暑くて倒れそうだ。










『The Name of Vampire』
end








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あとがき。

お読みいただきありがとうございました。
現パロは書いてて楽しいし地球語もバンバン使えるのでいいですね…笑
若造クレフ、また書きたい💜

章タイトルの曲名とアーティスト名↓

1.Wake Me Up, When September Ends
GREEN DAY

2.I Will Always Love You
ホイットニー・ヒューストン
(映画ボディーガードのテーマ)

3.What a Wonderful World
ルイ・アームストロング

4.tears
Fayray

5.last resort
T.M.Revolution

6.もはや君なしじゃ始まらない
T.M.Revolution

epilogue.桜の時
aiko


また近いうちにお目にかかりましょう。
ありがとうございました。

→あとがき集



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