【クレ海】ショート作品




key of



城の執務室、大きな作業台を広く余らせ、クレフは手の中の金属を魔術加工する作業に集中していた。

城の厨房の食材管理メインルームの鍵が不調だというので、クレフに相談がもちかけられたのはつい一時間ほど前のこと。
この国最高位の魔導師がこのような雑用を受け入れたのにもわけがあった。
「私は錠前屋ではないというのに」
と、クレフが不機嫌そうにこぼす。

「まあまあ。これでこの前二人で頂いたお夜食の手間を清算チャラにしてくれるって言うんだし、いいじゃない」
給仕長さんおっかないわよね。海が苦笑いを浮かべて言った。

「それも元はと言えば私はお前の空腹に付き合っただけだ」
巻き添えをくらった。なぜ私がこんなことを。そんなことを苦々しげに言い、けれどクレフはどこか楽しそうに錠を宙に浮かべている。

「直りそう?」
「当たり前だ。面倒なだけで」
「終わったらご褒美をあげるから、がんばって」
言いながら、海はとがらせた唇を人差し指でつんつんと触れた。

海の示す、ご褒美口づけは、今のところの二人にとって最大限の愛情表現手段コミュニケーションだった。

彼女たちがここに至る関係を結ぶまでには、ごく一般的な男女と比較すればありえないほどの年月がかかったし、また、ここから先には進む頃には一体いくつになってしまうのか、とクレフが頭を悩ませるところでもあった。

とはいえ、今海がこうして冗談めいて口づけを褒美とするほどには、二人の関係はほんの少し、落ち着いたものにはなってきていた。

「がんばってね」
海がにこりと微笑む。クレフは手元から視線を上げ「すぐに終わらせる」と小さく笑った。

言葉通り、作業はものの数分で終わった。
海が淹れたお茶は、ローテーブルの上で小さく湯気を立てている。
ソファへ座った途端に「褒美はまだか」と急くクレフの唇に人差し指を当てながら海は言った。

「ね、プレセアの家の鍵も、クレフが作ったんでしょう?」
唐突な問いにクレフは小さく瞬きをした。
「そうだが」
「なんで?」
海が再び尋ねた。

「この国最高位の創師の家だ。当然のことだろう」
問いの意図がわからない。クレフがそう答えても海が納得した様子を見せないので、彼は言葉をつなげた。

「知ってのとおりプレセアは剣の腕はそこそこ立つが、魔法は使えん。悪意を持った者たちに襲われでもしてみろ。彼女の家に最大限の防衛を施すことになんの疑問が――」

「そうじゃなくて」
海がクレフの言葉を遮る。
「プレセアに頼まれたの?」
ますます小さくなった声で海が尋ねた。

「……さあ、どうだったか」
はぐらかすつもりはなかった。けれど、自然とそう発言していた。

そう、プレセアから頼まれたわけではない。
自分から提言したことだ。プレセア邸の鍵を作った理由は先ほど海に答えた内容そのままで、他意も無ければもちろん下心などみじんも無かった。けれど、今の海がその事実を素直に受け入れてくれる可能性は極めて低い。クレフは直感でそう悟っていた。

導師グルクレフの『特製』ってゆってた…」
口調を幼く崩し、空気をザラリと撫でるような低い声で海が言った。

「ウミ、何が言いたい?」
「何ってわけじゃないけど……」
モゴモゴと言いよどみながら、海はクレフの手を取り彼の指を握ったりひっぱたりと所在なくいじくり始めた。自分でも無茶苦茶なことを言っていると自覚しているのかもしれなかった。

クレフは少しの抵抗もなく自らの左手を海にゆだねる。
七百も年下の女の手でもてあそばれている自分の指を横目に見ながら、クレフは言った。

「ウミ、まさかとは思うが―」

「妬いているのか?」

クレフの言葉に、海の手の動きがぴたりと止まる。
そして海は「別に」とだけ言った。
それは何よりも強い、肯定の意だ。

参ったな、そんなことを言いながらクレフは宙を仰いだ。言葉に反してクレフの頬はゆるんでいる。表情から喜びを隠すことがまるでできていない。

嫉妬や独占欲に明け暮れているのは自分だけだとばかり思っていた。嫉妬する側の気苦労は痛いほどわかっている。胸の痛みも焼けつくような焦燥感も、決して楽しい感情ではない。それでも、目の前の愛しい女性が自分を思い嫉妬心を滾らせているという事実が、クレフの心をどうしようもなく跳ねさせた。

自由にさせていた左手で、今度は海の右手を握る。彼女の心の揺らぎが体温としてクレフに伝わった。ほのかに汗ばんだ小さな手の湿度が心地よい。


「この部屋の鍵をやったろう。あれを持っているのはこの世界でウミだけだ。それでは足りんか?」
格別な穏やさでクレフが言った。海のささくれだった心を和らげようとするクレフの意図は、彼女に伝わっていないわけではなかった。
けれど、一度あらわにしてしまった感情をそう簡単に引っ込めることも難しく、海は「足りない」と呟いて顔をそむけた。
「わがまま娘」
「どうせ子供よ」
海が頬を膨らませて言った。
クレフがかがみこんで顔を覗くと、青い瞳がクレフの眼差しに触れて静かに揺れた。
「ウミ、私にとってはお前だけが特別だ」
「……うそつき」
これでもだめか。クレフが小さくため息をつく。
「仕方がない」そう呟くと、クレフは握っていた海の手をそっと持ち上げ、自分の胸元に軽く触れさせた。一体何事かと海が大きく瞳を瞬かせる。
「わがまま娘に、もっと良いものをやろう」
言うと、クレフは触れさせた海の手に意識を注ぎ込むようにして瞳をゆっくりと閉じた。

その瞬間、海の手がびくりと震えた。
「なに……これ?」
自身の体と心に起きた急激な変化に、海が瞳を見開く。クレフは瞳を閉じたまま静かに微笑んでいた。
クレフに触れた右手から、彼の感情が決壊した川のように流れ込んで来る。そのすさまじい勢いに、海は耐え切れず手を離そうとするが、クレフはそれを許さなかった。

もし体積として換算するならば、クレフの想いは158cmそこそこの海の痩躯では到底受け止めきれるようなものではない。
体から溢れた分が、涙として彼女の瞳からボロボロとこぼれた。悲しみでも喜びでもない、感情を伴わない涙が出るのは海にとって生まれて初めてのことだった。いや、厳密に言えば喜びはあったのだけれど、混乱しきった今の海に、この感情を喜びだと解釈する余裕はなかった。
「もう、無理……!」
海が叫ぶように言うと、クレフはようやく手を離した。

「ちょっと! 一体なんなのよ今のは!」
ぜえはあと肩で息をつき、しゃくりあげながら海が言った。
「もう一つ鍵をやったのだ」
クレフが言った。
「…鍵……?」
「ああ。今の鍵は『特製』どころではないぞ。なにせ私も今初めて作ったのだから」
なおも首を傾げる海に、クレフはそっと微笑んで言葉を足した。

「お前に渡したのは、『心の鍵』だ。今のように私に触れれば、心の中にいつでも入りこむことができる。嫉妬心に駆られた時、不安に苛まれた時、私の愛が信じられなくなった時。用務中でも就寝中でも喧嘩中でも、いつでもこうして触れるといい。いくらでもまた教えてやろう、私がどれほどお前のことを想っているかを」

クレフが言い切ると、海の赤い顔がパンと音を立てて弾けた。
湯気を出しかねない勢いで慌てふためきながら、海は言った。
「入り込むどころか、これじゃそっちが押し入り強盗みたいじゃない!」
それからしばらくの間、クレフを責めたり謝ったり叩いたり抱きついたりしたあと、ようやく呼吸を整えて海は言った。

「触れるたびにこんなにされたら身体がもたない」
顔を赤らめ、もう一度クレフの胸元に擦り寄る。
今度は手のひらではなく、小指の爪の先で先程と同じ胸元にそっと触れれば、爪先からはクレフの温かな愛情そのものが海に流れ込んで行った。

「……クレフ、私のこと好きすぎでしょ」
「伝わって何よりだ」
クレフが可笑しそうにクスクスと笑った。

そういえば、厨房に鍵を届けるのを忘れていた。けれどそれよりもずっと大切なことがある。
たとえば海から褒美をもらうこと、とか。




「key of」

end


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ありがとうございます。がんばります💪


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