【クレ海】ショート作品
「氷の魔物の悪戯」
ノックの音で跳ね起きる。
扉を叩かれるまで来訪に気づかなかった自身の眠りの深さに驚きながらも、クレフはとにかく扉を開けた。
寝室を出ると、私室を経由してさらに扉の向こう。一人の少女が寝間着姿のまま、息を切らして立っていた。
「フウ、どうしたこんな時間に」
「クレフさん! …海さんが!」
回廊を走りながら風の話を聞く。
彼女たちの部屋へ辿りつくまでに話を聞いてわかったことは、どうやら海が氷のように冷たく体を冷やして震えている、ということだった。
そしてそれは、寝室へ入り海の姿を見れば事実としてクレフの目に飛び込んだ。
風の話と違うことと言えば、震えているのは海だけではないということ。
海の体を毛布で包み、その上から彼女の体を抱きしめて背をさする光もまた、顔を青白くして震えていた。
風が「光さんまで!」と瞠目したので、どうやら部屋へ戻る前まではそうでなかったことがうかがえる。
風が駆け寄り、ポットからカップへ湯を注ぐと二人に差し出した。きっと先程も同じ処置をしていたのだろう。カップからはまだ新鮮な湯気が立ち上っている。
風の手を借り、光はなんとか湯を口に含むことができた。緩慢な動きではあるが「ありがとう」と礼を言えるほどには、体を動かせるようだった。問題は海で、歯がカタカタと音を立て震えているので、湯が唇に触れてもうまく飲み下すことができないでいる。
クレフの指示によって、光が海の体から身を離した。
「代わります」と名乗りを上げる風を制して、かわりに一枚の紙切れを風に渡した。
「これを医務室の魔術薬師の所へ。急いでくれ」
風が、
本当に、運が良かった。
海の体を抱きしめるのが風ではなく光だったからこそ、ここまでもった。
これが運によるものか、彼女達の導く必然なのかはクレフの知見の範疇には無い。
クレフは光の名を呼び「心に炎を宿せ」と言った。光は一瞬面食らったが、すぐにクレフの言う通りにした。彼の曖昧な言葉の意味が、今の光にはすんなりと理解できた。
海を抱きしめている時も無意識にそうしていた気がする。心に灯した炎は、海の体に飲み込まれるばかりで自分の身をも冷やしたのだけれど、今ならば―
光は目を閉じ、心の中にある炎に意識を集中した。海に与え続けていたので火は小さく収縮し、揺れている。けれど、意識を集中すれば少しづつ炎は燃え広がり、痺れかけていた指先を溶かすまでに至った。
体に体温が戻り、目を開いて光はぎょっとした。
先程まで自分がしていたことを、今はクレフがしている。
寝間着姿に不釣合いな大きな杖を右手に持ちながら、クレフは海の体を抱きしめていた。杖の宝玉がポウと灯りを灯している。海を抱きしめる目的は、当然自分と同じであろうけれど、この突然の光景に光は大きく目を瞬かせた。
「少し火を借りるぞ」
クレフはそう言って、杖を光の方へかざした。
大きな空色の宝玉が一瞬赤く色を変えたかと思うとまた元の空色に戻った。
クレフは海の背をさすりながら何かを囁いていた。光は、それが詠唱であることに気づき、そしてどこか自分の魔法に似た波動を感じた。
『火を借りる』
とはこういうことなのだろうか。
回廊からパタパタと数人の足音が聞こえ、部屋へ近づいて来た。バタンと扉が開き、風、城の魔術薬師、それから騒ぎを聞きつけたフェリオやプレセアたちが部屋の中へ次々と入って来ては、目の前の状況に目を丸くした。
クレフはそんな一行に構うことなく、「湯は湧いている」と詠唱の合間にぽつりと言った。するとクレフよりも少し背の低い白髪の老人が前へ進み出た。白髪の老人は、新しいカップに湯を注ぐと、持ってきた粉薬の類を次々に投入していった。
いったいこれは何事です? とフェリオが尋ねた。
クレフは「氷の魔物のしわざだ」と短く答え、そして詠唱を続けた。
今ものを尋ねるのはきっと邪魔になるだろうと全員が理解をし、それから手伝えることはないか? と聞けばクレフが首を横に振るので、ただ待つことしかできなかった。
事態の解決を、心から願いながら。
調合を終えた薬師が、薬の入ったカップをクレフのほうへ差し出した。
海を抱く腕をほどき、クレフが受け取る。
クレフが海の口元へカップを運ぶと、海はそれを一口含んだ。
クレフが少しほっとした表情を見せた次の瞬間、海がむせるように激しく咳き込み、今口に含んだばかりの薬をそっくりそのまま吐き出してしまった。
「生意気な」
チと小さな舌打ちをして、クレフが恨めしそうに言った。
「導入薬をお持ちします!」
薬師が言って、部屋を出ようとしたのをクレフが制した。
「いや、間に合わん」
「しかし……」
薬師以上に動揺する光達に、老人は口早に言った。
「氷の魔物がウミ様の中で暴れているのです。薬を吐き出したのも抵抗の証。導入薬をお飲みいただければきっとこの薬湯も飲み込んでいただけるのですが……」
なぜ自分を止めたのか。
不可解な面持ちで薬師はクレフのほうを見た。
クレフがカップに口を付けたのを見て、薬師はハッとした。
「お目こぼしを」
そう言って、薬師は手をパンと合わせた。
室内が、暗闇に包まれる。
何事かと光達が声を上げてたじろいだ。
「終わりましたかな?」と薬師が尋ねた。
返事のないまま時が過ぎ、しばらくして「ん」とくぐもるような海の声、小さな悲鳴の後、トンと床を強く叩く音がして、クレフが「もう良い」と言った。
薬師がもう一度手を叩くと、部屋に灯りが戻った。
ベッドのわき、クレフが立ち上がり杖先で何かをつぶしていた。
見れば、野ネズミほどの大きさの手足の細長い魔物が絶命している。
「これが……氷の魔物?」
光が尋ねるとクレフは「そうだ」と返事をした。
海はと言えば、ベッドの上に座りこみ呆けている。体温が急激にもどったことによる放心かとも思ったが、それにしては顔が異様に赤い。
「海ちゃん大丈夫!?」
光が駆け寄って海の肩に手を置いた。声もなく、海はコクコクと頷く。
光が、「良かった」と言って海の体を抱きしめた
温かい。いや、いくらなんでも熱すぎる。
氷の魔物の影響で海の体に何か悪影響でも及んだのではないか。
「海ちゃん、やっぱり体が―」
「光さん!」
光の言葉を、風が止めた。
そしてクレフのほうを向き「海さんはもう大丈夫ですのね?」と尋ねた。
クレフが頷いたのを見て、風はにっこりとほほ笑んだ。
きっと状況を理解していないのは光だけだろう。
魔物の魔力をもってして薬を拒む海の体に薬を流し込む方法。
そんなものは、先程の状況と、そして顔を赤く染めた海の様子をみれば一つしか思い当たらない。
〝なんてことしてくれたの、導師様〟
〝どうしてくれるの、この空気〟
そんなことを、光以外の全員が心に思いながら、非常に気まずい散開となったのであった。
氷の魔物の悪戯
end
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人前でハグとチュウしちゃうクレ海ちゃんが書きたかった。
ちゃんと長袖着て寝ましょうね。