ショート作品(クレ海・イーグル)



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「Ginger」



自分のくしゃみで目が覚めた。
目を開けば、視界の全てが薄いオレンジ色。
少し顔を引くと、目の前であたたかいかたまりが膨らんだり縮んだりしている。
ベッドの上の茶トラ猫は、呼吸によって体積をぷかぷかと変えながら小さないびきを立てていた。

起こさないようそっと身を起こしベッドから足を下ろす。足の指先に鈴のおもちゃが触れてチャリンと音が立った。音に反応して三角の耳がピクリと動いた。

空気だけの、音声を持たない声で「みい」と名を呼ぶと、茶トラはまた、プスプスと寝息を立て始めた。身を伸ばしながらぐるんと寝がえりを打ち、愛らしい顔がこちらを向く。

ふわふわした腹に顔をうずめたい気持ちをこらえて、ヘッドボードに手を伸ばす。充電器からスマートフォンを外して立ち上がり、もう片方の手にフロアモップを持った。
一通のメッセージを打ちながらフローリングの床をなぞると、昨夜も同じことをしたのに、結局は今朝も同じ量のオレンジ色がモップにまとわりついた。


階段を降りて、がらんとしたリビングでパンをトースターにセットした。
電気ケトルで湯をわかし、インスタントコーヒーの粉をカップに入れる。

「子供があんまり飲みすぎちゃだめ」と母はよく言う。
なので、いつもなら数日に一回しか許されていないコーヒーを、毎日、朝から飲めることに小さな喜びを感じる。
出張中の両親に替わってこの家の留守を守っているのだから、これくらいの豪遊は許されたい。

朝食の支度が整う前に洗面所に向かう。
顔を洗い歯を磨いていると、トトトという小さな音が聞こえた。
「起きたな」
寝起き一番だというのに階段を見事な速さで器用に駆け下りた茶トラ猫が、クレフの足元にすりより尻尾を絡めた。
「おはよう」
しゃがんで背中を叩いてやると、さっそくゴロゴロと喉が転がる。猫は「くるる」と一度鳴いてからすぐにリビングのほうへ駆けて行った。
口をゆすぎ、猫を追いかけると彼女はとっくにキッチンに到着していて、棚のうちのひとつ『みいちゃんのごはん』と母親の字で書かれた扉の前を落ち着きなく歩き回っていた。

電気ケトルがパチンと鳴り、続いてトースターがチンと音を立てた。
「一緒に食べよう」と言ってクレフは『みいちゃんのごはん』の棚の扉を開いた。
カラカラと器に流し込むと、茶トラはいよいよ「なおん」と声を上げ、そわそわと動き回った。
「水を飲んだか?」
猫はそれを無視して、クレフの足元をまとわり続けた。

ダイニングチェアを引いて器を置く。猫は椅子の上にスッと飛び上がり、カリカリと良い音を立て始めた。

クレフは、パンを皿に乗せカップの中のインスタントコーヒーを湯で溶かした後、猫の隣の椅子を引いて腰かけた。
餌を夢中でかっ食らう丸まった背中をぽんと触ると『あげない』と言わんばかりに、猫は身体をずらして自分の皿を守った。

トーストをかじりながらスマートフォンを開く。やはり返信は来ていない。既読もついていない。無駄だと思いつつも、一応通話の発信をしてみる。食事を終えた猫が、スマートフォンを持つクレフの腕の袖をかぷりと噛んでつまんだ。
「待て待て、ねぼすけを起こすから」
案の定応答の無い通話を終了させた後、クレフは残りのパンを全てほおばり、再び二階へと戻った。

しばらくして、わきに鞄をはさみ、制服のネクタイをしめながらクレフが階段を降りて来た。リビングに戻った飼い主を、毛づくろいの合間に猫がちらりと見る。
クレフが耳の後ろをかいてやると、茶トラは再び喉を鳴らし、額をブレザーの袖にごつんと押し付けた。

その時、スマートフォンがポンと鳴った。
「今日は早いな」
そんな独り言を言って、一通の返信をする。

「迎えに行ってやるか」
猫が首をかしげたので(そういうふうにクレフの目には見えたので)クレフは猫に話しかけた。
「ねぼすけが珍しく早起きできたから、迎えに行くんだ」
意味がわかったのかわかっていないのか、猫は毛づくろいの続きを始めた。
「留守番、頼んだぞ」
「あい」と喉が鳴ったのをクレフは返事と捉えて、もう一度頭をぽんぽんと撫でてやった。


家を出て足早に向かう。
相も変わらず偉い大きさの門の前で待っていると、向こうのほうで「行ってきます」という声と、駆けて来る足音が響いた。

「クレフ!」
クレフの姿を見つけた海が、驚いて声を上げた。
「迎えに来てくれたの?」
「なんだ、読んでないのか」
クレフが言うと、海は慌てて鞄からスマートフォンを取り出し、画面を見て「ごめーん」と言った。

幼い頃には自分よりも少し背の低いくらいだった海は、小・中学の成長期の恩恵をクレフよりも多く受けた。
身長とスタイルに恵まれた海が、『もう止まっちゃったみたい』と言ったのは一昨年の頃で、たしかに彼女の身の伸びはそこでストップしたように思う。
一方、クレフは緩やかながらも幸い成長が止まることはなく、ジワジワと海の背に追い付こうとしているのだけれど、そう一日二日で結果の出るようなことでもない。

身長を追い越したら告白する。
そう決心してから早数年が経っていた。

わずかばかり目線の上、海の明るい表情を見ながら、クレフは『焦りは禁物』と心に呟く。
その時、海が突然自分の袖をつまんできたのでクレフはたじろいだ。
「なんだいきなり」
跳ねる鼓動を悟られないよう、あくまで淡泊に返す。
「みいちゃん、ついてきてた」
海が指先につまんだ一本の薄オレンジの毛は、ほとんど白色に見える。

「ああ、出る前に猫がすりついてきたから」
「やだ、まだ『猫』って呼んでるの?」
海がクスクスと笑った。
「せっかくかわいい名前を付けてあげたんだから、名前で呼んだらいいのに」
「家では呼んでいる」
クレフはごく淡々とした口調で返した。


クレフの名付けた大変かわいらしい猫の名前が、まさか自分の名に由来しているなどとは露知らず、海はふうん、とあいづちをうった。




『Ginger』
end




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・猫を愛でるクレさんが書きたかった
・ちゃんと温かい親がいるクレさんが書きたかった
(どうしても天涯孤独な設定にしがちなので笑)
・ねぼすけにモーニングコールするクレさんが書きたかった
・ブレザーなクレさんが書きたかった

海ちゃんのパパとママに「クレフ君」って呼ばれるクレフ氏、あまりに良くない😇???????

イーグルVerはこちら→【夢】



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