【クレ海】ショート作品
Singin' in the Rain
丘
より
見下ろす
街並み には
色
とりどりの
傘が
咲く
傘の往来の中に
点々と混ざる球体状の雨飛沫
それらは、殻によってあらゆる厄災を防除することのできる、数限られた魔法使い達によるものであることは間違いなかった。
あるいは控えめに、あるいは傲慢に。
雨粒のはじき方一つ見れば、その魔法の使い手の心得が垣間見えるようであった。
一度ならず入れてもらったことがある。
彼の殻はそれは繊細に、一粒一粒を気遣うかのように静かに雨を弾いた。それでいて、一粒の雨も侵入させないほどに完璧な殻だった。
魔法を授からなかったことを恥じたことは一度もない。この世の大抵のことは創意工夫でどうとでもなる。〝創〟に関してはこの国で最も秀でている私だ。この傘は、防除の殻に引けをとらないほど、しっかりと私を雨から守ってくれている。
かつてのセフィーロでは、農耕酪農貯水などを除いて、必要外の雨が降ることはなかった。今、しとしとと降るこの雨は、快か不快で言ったら迷わず後者だ。しかし、これも彼女たちがもたらした変革によるものだろうと考えると、それはそれで悪い気はしなかった。
少し歩けば、今いる丘の少し先に、同じく街を見下ろす人の姿が見えた。世界で最も完璧な殻を作れるはずのその人は、ただその身にしとしとと雨を浴びている。いや、包まれているというほうが相応しいか。
足元には、ローブと装飾帯が垂れている。しかし、以前のように裾が地を這うことはない。ほんのわずかに覗く靴が、雨を吸い込んでいた。濡れた髪の重みにサークレットはその役割を忘れ、長い前髪が頬にかかっている。〝大人びた〟と呼ぶには足りない。
それほど、艶麗だった。
「お体に障りますよ」
まだ本調子ではないのでしょう、と声をかければその人は「プレセアか」と言った。また説教でも始まるのかと覚悟したような少し気まずそうな表情だった。
「今日は、こういう気分だから」
と言って、傘を差し出す私の手をやんわりと制した。私とほとんど同じ高さとなった目線で、そして、にこりと笑った。何者も介入させない、優しく残酷な笑顔だ。
弱い雨量に対して、彼の濡れ方は大げさだった。よほど長い時間、ここにたたずんでいたことが―――うかがえた。
―――――
『最高位の座に甘んじていないで、魔法を使えない人の気持ちもわかったほうがいいわよ』
彼女はそう言ったらしい。
『少しは不便も思い出したら?』と。
なんと恐れ多いことか。
以前、その話を導師から聞いた時は、こちらが冷や汗を流したものだった。軽快な物言いは彼女の魅力のうちの一つだ。しかし、それを魅力的だと感じるには、彼女の表情と仕草を見、直接話し合わなければ。つまり、伝聞ではなかなかに厳しいものがあるな、と思ったことをよく覚えている。
導師は、きっと怒らず笑っただろうな、とも思ったことも。
傘など持ったのは何年ぶりだったか、と導師は言った。
『たしかに、少し不便だ』
『でしょう。手は塞がるし足元は濡れるし。文明が発達した地球だって、傘だけはこの形から進化してないの。月へ行ける技術はあっても、傘はずっとコレなわけ』
人が
私と同じ疑念をこの時導師も覚えたらしいが、どうせいつもの冗談だろう、と触れずにいたと聞く。
『なにより裾の始末が一番困る』
右手に傘、左肩に杖を預けながら左手で自身の裾を抱えるように持ちながら言った。
『そんなに長いローブを着てるからよ』
『これでも神聖な装束なのだ。お前たちの衣服と違って次々と変えるわけにはいかん』
『じゃあ、頑張って背を伸ばすことね』
彼女が戯言のように言った言葉が、彼にどう響いたのかは知らない。
導師が、海の言うとおりの背丈になったのは、彼女たちがこの国を去ってほどない頃だった。
「……好きだった」
過去に更ける私を、導師の声が現実へと呼び戻した。
「え?」
思わず返せば、導師は言葉を続けた。
「ウミは、雨が好きだった」
慈しむような瞳で、とらえどころのない雨を手の平に受けている。そして、「雨の日はよく散歩に出たがった」と、まるで精獣か何かを語るような口調で言った。
「水の魔法を授かったから、雨に惹かれるものがあるのかもしれないな」
「……あなたも、そうなのですか?」
私が聞くと、導師はふると首を振った。
それだけ濡れておいてよく否定ができるものだ。
導師は私に背を向けたまま言った。
「雨の日に咲くあの花を見せようと、遠回りをした日にはため息をつかれたものだ」
「今日も咲いている」と言って、導師は杖を掲げた。
遠目に見える小さな丘には二色の花が咲き乱れていた。植生する土壌の成分によってガクの色を変えると言われるその花は、ある地点を境目にするようにぼんやりと色が分かれている。青色と紫色のそれは、二人の象徴のような色だった。
「今度、お前も見に行くか?」
と、尋ねた言葉は、私が絶対に是の返事をしないことをわかっていて発せられたものだった。
そして「若い娘は、花など見ても退屈だったのかもしれないな」と苦く笑った。
「ウミのため息の理由は、本人に聞いたほうが良いかと」
言葉に棘を隠さず言った。導師はほんのわずか目を見開き、そして今日初めて見せるうら淋しげな顔で、笑った。
「機会があれば、な」
私は、いつもより深く頭を下げ、早口に返した。
「私は先に城へ戻ります。導師も早くお戻りを。それで風邪など召されても、今度は面倒見ませんからね」
導師の返事も聞かず顔も見ずに踵を返し、帰路を行く。
景色が、少し滲む。顔を濡らすものは雨なのだと言い訳するかのように、傘を閉じて鈍い空を仰いだ。
この空が、果たして本当に異世界へと繋がっているのだろうか。
あの日を境に一度たりとも姿を見せない、彼女達のことを思う。
雨の中、口ずさむ歌はない。
『Singin' in the Rain』
end
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あとがき
ラルクの「Singin' in the Rain」が、離れ離れになったクレ海ちゃんっぽいのです。
プレセアからの想いを断つためにわざと、とかじゃなく
本気の無意識でこれをやってる残酷クレフ氏。
鈍感すぎるのも罪よねー。
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