開幕
……‐―
受付に向かうキノの後ろ姿を見送り、ふと『言い過ぎたかな…』と思い、溜め息を吐く。でも、後悔も反省もしていない。こうでもしなければ、あの腰の重いキノを動かせない。
(いいのよね……これで)
ふと後ろから視線を感じ、チラリと見ると、何とも言えない複雑な顔をしたハナと少し怯えた顔をしたモモ。ユカは苦笑いする。元々、この二人はキノが居るから自分のそばにいたようなものだ。特にハナはキノをとても慕っている。彼女を突き放すユカを良くは思わないだろう。
(嫌われちゃったかな…)
祭の最中に仲間割れは致命的だ。でも自分で決めた事、今更変える気はない。キノに勝つまでは……。
…ユカがキノにここまで対抗意識を持つのには理由があった。
―そう、あれは小学校3年生の時……―
二人が初めて出会ったのは、小学校3年生の時だ。当時、この町に引っ越して来たばかりのユカは、内気な性格故にまだ友達も出来ず一人でいる事が多かった。遊びに誘われることも、ましてや誘う勇気もなく、教室で一人机につき、本を読んでいる毎日が続いた。
そんなある日の事だった。
ユカは一人の生徒が気になり始める。いつも寝てばかりで、目が開いているところなんて、数えるくらいしか見たことがない。親しい友達もいるのかいないのか……。無気力で若干世捨て人っぽい雰囲気を醸し出す少女……キノである。彼女を慕う者も少なくなく、まず、彼女が嫌いだという話は聞いた事がない。
最初はただ観察しているだけだったが、新学期の席替えで席が近くなったのをきっかけに、話し掛けてみた。
「ねぇ、キノちゃん…でいいのよね?私はユカ。これから宜しくね」
突っ伏しているキノに近づき声を掛けてみると、キノの体がピクリと揺れ、ムクリと起き上がる。まるでアリクイかナマケモノの動きに似ている……とユカは思った。俯き加減だった顔をユカに向けながら、目を開くキノに、ユカは何故かドキリとした。……綺麗な目だ。もっと死んだ魚の目みたいだろうという先入観が働いていたため、予想外の展開に言葉に詰まった。
「……ふぅん……よろしく……」
10歳にも満たない少女にしてはハスキーな声。ユカは少し分かった気がした。周りに人が集まるのは、おそらくこの人畜無害的な雰囲気と不思議な魅力。(この表現が正しいかどうかは謎だが)あまり人の細部までは知りたがらない、程々に距離をとるような付き合い方。キノはこの年齢で、すでにそんな人間関係を確立させていたのである。
「なに?……他に何か用?」
そんな事を考えているユカにキノは頬杖をつきながら欠伸混じりに言う。それを聞いたユカは慌てて返事をする。
「あ、えっと。友達になって欲しいなって……」
言ってしまった後で、しまった!と思った。とっさに言ってしまったとはいえ、今日初めて言葉を交わした仲で、いきなり『友達になって』は重たいだろう。ふと様子を伺うと、キノは真っ直ぐユカを見たまま、何も言おうとしない…。
目を合わせたまま、重い沈黙が流れる……。正直、この間は堪える。
(……お願い!何か言ってよ!!)
ユカは目を逸らせないまま、心の中でキノに訴える。……すると、
「いいよ。別に………」
と言い………少し笑った。
てっきり断られると覚悟していたユカは、一匹狼なキノの意外な台詞(笑顔のオプション付き)に暫し固まった。しかしすぐに笑顔になる。
「よろしくね。キノ!!」
これが二人の出会いだった。
それからその関係は、中学校に上がっても続いていた。ユカはキノを親友だと思っていた。相変わらず、無愛想で無関心で無気力。それは、ユカに対してもクラスメート達に対しても変わらなかった。でも一つだけ、幼なじみの双子さえ、見たことがない、ユカにしか見せないものがあった。
―笑顔―
口角を少し上げるだけの笑顔だが、その顔を見られるのは自分だけ。それが嬉しかった。
ずっとこの穏やかな関係は続いていくのだと、ユカは思っていた。
ところが、ある些細な事で、その関係が形を変えた。
中学校に入って初めての中間試験。ユカは張り切っていた。授業は真面目に受けていたし、試験勉強だってコツコツやってきた。
(トップを狙えるかもしれない!)
ユカは自信満々で試験に臨んだ。
……結果、学年2位だった。
学年トップは………なんとキノだった。
ユカは自信があっただけに納得がいかなかった。なぜなら、キノは授業中は常に居眠り。授業が終わってから一旦目を覚まし、ユカのノートを写す。そしてまた寝る……を繰り返していた。ハナに聞いてみたのだが、どうやら試験勉強は全くしていないらしい。
なんで?どうして?私はこんなに努力してるのに。
勉強だけじゃない。運動も人間関係も教師からの信頼も、すべてキノがさらっていった。
この瞬間から、ユカはキノに対して強い劣等感を感じ始めた。
―勝ちたい、どんな事でもいいから、キノを追い越したい!!―
そして、期末試験になった。ユカは、またしっかり準備し臨んだ。
……しかし試験当日、キノは欠席した。風邪らしいが、ユカは信じられなかった。少なくとも昨日までは元気そうだった。
(……まさか、ボイコット?)
あまり疑いたくはないが、もしそうならば、何故だろうか。寝過ごした?……いや、いつもギリギリではあるが登校しているのに。
疑いはじめたらキリがない。どんどん深みにはまっていく……。
…ユカがキノが欠席した理由を聞いたのは、試験休みが終わった後だった。
その日、キノは補習のため居残り。ユカはハナとモモと一緒に帰路に着いていた。……ハナなら何か知ってるかもしれない……。
そう考えたユカは思いきってハナに聞いてみた。
「ねぇ、ハナ。キノ、試験当日になんで休んだの?」
「え?……あ、ああ。風邪だよ」
「嘘………本当は違うんでしょ?」
「…………ユカ」
「教えてよ!なんで休んだのよ!」
「お、落ち着いてユカ!!分かったよ……実はね…」
すべてを聞いたユカは愕然とした。やはりキノは試験をボイコットしたのだ。
そして理由は………ユカだった。
勘のいいキノは、ユカが自分に対抗意識を持っている事に気づいていた。面倒事が大嫌いなキノは、ユカを学年トップにする事で、回避しようとしたらしい。……ユカは沸々と怒りが湧いてきた。
(……私馬鹿にされたの?キノ、あなたは私を見下してるの?)
プライドが人一倍高いユカは、怒りに体を震わせながら、来た道を走った。後ろから、ハナが何か言っているが、今のユカの耳には入らなかった。
そんな事態になっているなど露知らず、キノは補習を終え帰宅準備をしていた。…と突然、
ガラガラッ
キノは開いた扉の方を見て、軽く目を見開く。……そこには帰ったはずのユカが居たからだ。ユカはツカツカとキノに近づき、
バチーン…
キノに平手を見舞った。キノは少しよろけたが、体制を立て直し、打たれた頬を抑えもせず、ユカを見つめる。どうしたなんてマヌケな言葉を言うつもりはない。ユカの怒りに満ちた表情を見て、キノはすべてを悟った。そしてこう言った。
「ユカ…私は弁解する気はない。私に勝ちたいんでしょ?………勝てて良かったじゃない」
「馬鹿にしないでよ!!私が喜ぶと思った?なんで逃げるのよ!意気地無し!」
「!!……逃げる?意気地無し?どういう……」
「私に勝つ自信がないんでしょ?だから逃げたんでしょ?キノ!!」
「…っ!!ユカ…」
「最低……卑怯者!!」
「…………」
「でも、絶対に離れないから。あなたは私の唯一のライバルであり親友なんだから……」
「!……そ。勝手にしたら?私は別にどうでもいい……」
「分かった。じゃあ勝手にする……」
――‐…
キノは親友……それは今も変わらない。しかし同時に倒したい好敵手にもなった。だから、この祭で決着を付けたい。まず下準備として、キノにやる気になって貰わなくてはならなかった。だから挑発し、リーダーにしたのだ。
「勝負よ、キノ。絶対に逃がさない…『あの時』みたいに……」
―しかし、ユカはこの行動を後に後悔することになる。それは、ずっと後の話……―
受付に向かうキノの後ろ姿を見送り、ふと『言い過ぎたかな…』と思い、溜め息を吐く。でも、後悔も反省もしていない。こうでもしなければ、あの腰の重いキノを動かせない。
(いいのよね……これで)
ふと後ろから視線を感じ、チラリと見ると、何とも言えない複雑な顔をしたハナと少し怯えた顔をしたモモ。ユカは苦笑いする。元々、この二人はキノが居るから自分のそばにいたようなものだ。特にハナはキノをとても慕っている。彼女を突き放すユカを良くは思わないだろう。
(嫌われちゃったかな…)
祭の最中に仲間割れは致命的だ。でも自分で決めた事、今更変える気はない。キノに勝つまでは……。
…ユカがキノにここまで対抗意識を持つのには理由があった。
―そう、あれは小学校3年生の時……―
二人が初めて出会ったのは、小学校3年生の時だ。当時、この町に引っ越して来たばかりのユカは、内気な性格故にまだ友達も出来ず一人でいる事が多かった。遊びに誘われることも、ましてや誘う勇気もなく、教室で一人机につき、本を読んでいる毎日が続いた。
そんなある日の事だった。
ユカは一人の生徒が気になり始める。いつも寝てばかりで、目が開いているところなんて、数えるくらいしか見たことがない。親しい友達もいるのかいないのか……。無気力で若干世捨て人っぽい雰囲気を醸し出す少女……キノである。彼女を慕う者も少なくなく、まず、彼女が嫌いだという話は聞いた事がない。
最初はただ観察しているだけだったが、新学期の席替えで席が近くなったのをきっかけに、話し掛けてみた。
「ねぇ、キノちゃん…でいいのよね?私はユカ。これから宜しくね」
突っ伏しているキノに近づき声を掛けてみると、キノの体がピクリと揺れ、ムクリと起き上がる。まるでアリクイかナマケモノの動きに似ている……とユカは思った。俯き加減だった顔をユカに向けながら、目を開くキノに、ユカは何故かドキリとした。……綺麗な目だ。もっと死んだ魚の目みたいだろうという先入観が働いていたため、予想外の展開に言葉に詰まった。
「……ふぅん……よろしく……」
10歳にも満たない少女にしてはハスキーな声。ユカは少し分かった気がした。周りに人が集まるのは、おそらくこの人畜無害的な雰囲気と不思議な魅力。(この表現が正しいかどうかは謎だが)あまり人の細部までは知りたがらない、程々に距離をとるような付き合い方。キノはこの年齢で、すでにそんな人間関係を確立させていたのである。
「なに?……他に何か用?」
そんな事を考えているユカにキノは頬杖をつきながら欠伸混じりに言う。それを聞いたユカは慌てて返事をする。
「あ、えっと。友達になって欲しいなって……」
言ってしまった後で、しまった!と思った。とっさに言ってしまったとはいえ、今日初めて言葉を交わした仲で、いきなり『友達になって』は重たいだろう。ふと様子を伺うと、キノは真っ直ぐユカを見たまま、何も言おうとしない…。
目を合わせたまま、重い沈黙が流れる……。正直、この間は堪える。
(……お願い!何か言ってよ!!)
ユカは目を逸らせないまま、心の中でキノに訴える。……すると、
「いいよ。別に………」
と言い………少し笑った。
てっきり断られると覚悟していたユカは、一匹狼なキノの意外な台詞(笑顔のオプション付き)に暫し固まった。しかしすぐに笑顔になる。
「よろしくね。キノ!!」
これが二人の出会いだった。
それからその関係は、中学校に上がっても続いていた。ユカはキノを親友だと思っていた。相変わらず、無愛想で無関心で無気力。それは、ユカに対してもクラスメート達に対しても変わらなかった。でも一つだけ、幼なじみの双子さえ、見たことがない、ユカにしか見せないものがあった。
―笑顔―
口角を少し上げるだけの笑顔だが、その顔を見られるのは自分だけ。それが嬉しかった。
ずっとこの穏やかな関係は続いていくのだと、ユカは思っていた。
ところが、ある些細な事で、その関係が形を変えた。
中学校に入って初めての中間試験。ユカは張り切っていた。授業は真面目に受けていたし、試験勉強だってコツコツやってきた。
(トップを狙えるかもしれない!)
ユカは自信満々で試験に臨んだ。
……結果、学年2位だった。
学年トップは………なんとキノだった。
ユカは自信があっただけに納得がいかなかった。なぜなら、キノは授業中は常に居眠り。授業が終わってから一旦目を覚まし、ユカのノートを写す。そしてまた寝る……を繰り返していた。ハナに聞いてみたのだが、どうやら試験勉強は全くしていないらしい。
なんで?どうして?私はこんなに努力してるのに。
勉強だけじゃない。運動も人間関係も教師からの信頼も、すべてキノがさらっていった。
この瞬間から、ユカはキノに対して強い劣等感を感じ始めた。
―勝ちたい、どんな事でもいいから、キノを追い越したい!!―
そして、期末試験になった。ユカは、またしっかり準備し臨んだ。
……しかし試験当日、キノは欠席した。風邪らしいが、ユカは信じられなかった。少なくとも昨日までは元気そうだった。
(……まさか、ボイコット?)
あまり疑いたくはないが、もしそうならば、何故だろうか。寝過ごした?……いや、いつもギリギリではあるが登校しているのに。
疑いはじめたらキリがない。どんどん深みにはまっていく……。
…ユカがキノが欠席した理由を聞いたのは、試験休みが終わった後だった。
その日、キノは補習のため居残り。ユカはハナとモモと一緒に帰路に着いていた。……ハナなら何か知ってるかもしれない……。
そう考えたユカは思いきってハナに聞いてみた。
「ねぇ、ハナ。キノ、試験当日になんで休んだの?」
「え?……あ、ああ。風邪だよ」
「嘘………本当は違うんでしょ?」
「…………ユカ」
「教えてよ!なんで休んだのよ!」
「お、落ち着いてユカ!!分かったよ……実はね…」
すべてを聞いたユカは愕然とした。やはりキノは試験をボイコットしたのだ。
そして理由は………ユカだった。
勘のいいキノは、ユカが自分に対抗意識を持っている事に気づいていた。面倒事が大嫌いなキノは、ユカを学年トップにする事で、回避しようとしたらしい。……ユカは沸々と怒りが湧いてきた。
(……私馬鹿にされたの?キノ、あなたは私を見下してるの?)
プライドが人一倍高いユカは、怒りに体を震わせながら、来た道を走った。後ろから、ハナが何か言っているが、今のユカの耳には入らなかった。
そんな事態になっているなど露知らず、キノは補習を終え帰宅準備をしていた。…と突然、
ガラガラッ
キノは開いた扉の方を見て、軽く目を見開く。……そこには帰ったはずのユカが居たからだ。ユカはツカツカとキノに近づき、
バチーン…
キノに平手を見舞った。キノは少しよろけたが、体制を立て直し、打たれた頬を抑えもせず、ユカを見つめる。どうしたなんてマヌケな言葉を言うつもりはない。ユカの怒りに満ちた表情を見て、キノはすべてを悟った。そしてこう言った。
「ユカ…私は弁解する気はない。私に勝ちたいんでしょ?………勝てて良かったじゃない」
「馬鹿にしないでよ!!私が喜ぶと思った?なんで逃げるのよ!意気地無し!」
「!!……逃げる?意気地無し?どういう……」
「私に勝つ自信がないんでしょ?だから逃げたんでしょ?キノ!!」
「…っ!!ユカ…」
「最低……卑怯者!!」
「…………」
「でも、絶対に離れないから。あなたは私の唯一のライバルであり親友なんだから……」
「!……そ。勝手にしたら?私は別にどうでもいい……」
「分かった。じゃあ勝手にする……」
――‐…
キノは親友……それは今も変わらない。しかし同時に倒したい好敵手にもなった。だから、この祭で決着を付けたい。まず下準備として、キノにやる気になって貰わなくてはならなかった。だから挑発し、リーダーにしたのだ。
「勝負よ、キノ。絶対に逃がさない…『あの時』みたいに……」
―しかし、ユカはこの行動を後に後悔することになる。それは、ずっと後の話……―