始まりの時
それは徐々に確実に近づいている……
蝉がうるさいほど鳴いている。
茹だる程の暑さに、キノはベッドの上でゴロンと寝返りをうった。
7/30…夏休みが始まったばかりのこの頃、町ではある祭の準備が密かに行われていた。
毎年、逃走側と追跡側に分かれた町人が、追いかけっこをする。「鬼ごっこなんて…」と思われるかもしれないが、ただの鬼ごっこではない。勝敗いかんでその人の一年の待遇が大きく違ってくる【景品】をかけ、まさに真剣勝負が繰り広げられる。
その景品とは、
・一年間、すべての公共施設が無料で使えるパスを貰える。
・一年間、すべての事において優遇される。
この一時の愉悦を手に入れるため、騙しや裏切りも辞さない、卑劣なゲームが間もなくはじまる。
「キノ~!!もうお昼よ!いつまで寝てるの?いい加減起きなさい!」
キッチンから母の呼び声が聞こえるが、キノはけだるげに目を細め自室のドアを一瞥した後、再び寝返りをうち寝息をたてはじめる。いつまで経っても、降りてこないキノに母は、新聞を畳みながらやれやれ…とため息を吐く。と、新聞の間に白い封筒らしきものが見えた。
「…あら?手紙?」
―――
キノがようやくリビングに顔を出したのは、それから1時間たった後だった。
肩までの黒髪を緩く縛り、シンプルな黒い部屋着を着た、寝ぼけ眼の少女キノ。
「お腹すいた…」
それだけ言うと、ソファに腰掛け欠伸をする。その様子を飽きれ顔で見る母。
「もう!あれだけ呼んだのに、あんた来ないから。パンと昨日の残りで済ませてね」
そう言うと、母は慌ただしく自室へ引っ込んだ。
キノは眠そうに母の後ろ姿を見届けると、ノソノソと動き始める。
キノは普段殆ど寝ている。授業中はもちろん、昼休みやホームルーム中も寝る。ひたすら寝る。そのまま永眠するつもりじゃなかろうか、と思うほど寝る。
しかし、不思議な事に成績は優秀で常に学年トップなのだ。まあ本人はその事に関してはなんとも思っていないらしい。
と、話を戻す。
昨日のシチューとパンで、空腹を満たすと、キノは再びソファに寝転がる。
パタパタとスリッパを鳴らしながら、母がリビングに入ってきたが、また寝に入ろうとしているキノにため息をはく。
「また寝る気?ほら、あんたも準備して!明日からおばあちゃんとこに行くって言ったでしょ?あ…そういえば」
母は思い出したように言うと、リビングのカウンターの上から、一通の白い封筒をキノに差し出す。
「新聞に紛れて入ってたのよ。あんた宛よ」
キノはけだる気に起き上がると、母から封筒を受け取る。封を開けてみると、真っ赤なカードと、キャッシュカードくらいの大きさのプラスチック製のカードが一枚…。真っ赤なカードを見てみる。そこには
とだけ書いてあった。
はじまる。町をあげた鬼ごっこがはじまる。
祭が……はじまる。
―――…
母親は、その紙を見ると「今年はあんたは無理ね…」と残念そうに言った。
その後、キノは自室に戻り、のベッドに寝そべりながら、先ほどの赤いカードを眺めていた。
以前、聞いた事がある。もし、すっぽかしたり無断で代理を立てた場合、町にいられなくなるんだと。それを聞いてしまえば、どんな無精者でも従わざるをえない。居場所をなくすというのは精神的にかなり堪えるからだ。
キノはため息をつき、カードを傍らに置き、目を閉じた。…とその時、
♪~~♪~
携帯が鳴った。しばらく放置していたが、あまりにしつこい。根負けしたキノは携帯を手に取り、着信名を見た。とたんに深くなる眉間のシワ。
「勘弁してよ…」
キノはそうつぶやくと携帯を開き、耳に当てず外側に向け、通話ボタンを押した。とその直後、
「やっと出た!キノ!キノってば!
キノ~!!」
大音量で携帯から流れる、キンキン声。キノは顔をしかめゆっくりと耳に当てる。そして、
「うるさい」
と一言。
電話の主は幼なじみのハナだった。モモという双子の妹がいる。とにかく毎日お祭り騒ぎな少女で、よく言えばムードメーカー。悪く言えば歩くスピーカー。マイペースなキノは昔から、ハナのハイテンションがとにかく苦手で、最近はあまり構わない。特に脳天に突き刺さるような甲高い声は、キノにとって騒音以外の何物でもない。毎度キノはうっとおしがって突き放すのだが、堪えていないのか、はたまたポジティブなのか、まったく動じることなく纏わり付く。対して妹のモモは大人しく、人見知りが激しい。まともに話が出来るのは、姉とキノだけだ。
「なに…」
キノが不機嫌丸出しで、吐き捨てるように言うが、そんなのお構いなしで、ハナはマシンガンのように話しはじめる。
「んもぅ!キノノリ悪い!もしかして寝起き?そうなの?もうお昼過ぎだよ!起きて起きて!!」
「……用があるなら手短かにして」
言葉を交わすのも億劫になり、冷たく言い放つキノ。また、しょうもない事なんだろうと判断し、早々と切り上げようと、もう切ると言おうとしたキノは、この後のハナの言葉に口をつぐんだ。
「キノにも赤いカード届いた?」
逃走ゲーム
《始まりの時》
《始まりの時》
蝉がうるさいほど鳴いている。
茹だる程の暑さに、キノはベッドの上でゴロンと寝返りをうった。
7/30…夏休みが始まったばかりのこの頃、町ではある祭の準備が密かに行われていた。
―――鬼ごっこ―――
毎年、逃走側と追跡側に分かれた町人が、追いかけっこをする。「鬼ごっこなんて…」と思われるかもしれないが、ただの鬼ごっこではない。勝敗いかんでその人の一年の待遇が大きく違ってくる【景品】をかけ、まさに真剣勝負が繰り広げられる。
その景品とは、
・一年間、すべての公共施設が無料で使えるパスを貰える。
・一年間、すべての事において優遇される。
この一時の愉悦を手に入れるため、騙しや裏切りも辞さない、卑劣なゲームが間もなくはじまる。
「キノ~!!もうお昼よ!いつまで寝てるの?いい加減起きなさい!」
キッチンから母の呼び声が聞こえるが、キノはけだるげに目を細め自室のドアを一瞥した後、再び寝返りをうち寝息をたてはじめる。いつまで経っても、降りてこないキノに母は、新聞を畳みながらやれやれ…とため息を吐く。と、新聞の間に白い封筒らしきものが見えた。
「…あら?手紙?」
―――
キノがようやくリビングに顔を出したのは、それから1時間たった後だった。
肩までの黒髪を緩く縛り、シンプルな黒い部屋着を着た、寝ぼけ眼の少女キノ。
「お腹すいた…」
それだけ言うと、ソファに腰掛け欠伸をする。その様子を飽きれ顔で見る母。
「もう!あれだけ呼んだのに、あんた来ないから。パンと昨日の残りで済ませてね」
そう言うと、母は慌ただしく自室へ引っ込んだ。
キノは眠そうに母の後ろ姿を見届けると、ノソノソと動き始める。
キノは普段殆ど寝ている。授業中はもちろん、昼休みやホームルーム中も寝る。ひたすら寝る。そのまま永眠するつもりじゃなかろうか、と思うほど寝る。
しかし、不思議な事に成績は優秀で常に学年トップなのだ。まあ本人はその事に関してはなんとも思っていないらしい。
と、話を戻す。
昨日のシチューとパンで、空腹を満たすと、キノは再びソファに寝転がる。
パタパタとスリッパを鳴らしながら、母がリビングに入ってきたが、また寝に入ろうとしているキノにため息をはく。
「また寝る気?ほら、あんたも準備して!明日からおばあちゃんとこに行くって言ったでしょ?あ…そういえば」
母は思い出したように言うと、リビングのカウンターの上から、一通の白い封筒をキノに差し出す。
「新聞に紛れて入ってたのよ。あんた宛よ」
キノはけだる気に起き上がると、母から封筒を受け取る。封を開けてみると、真っ赤なカードと、キャッシュカードくらいの大きさのプラスチック製のカードが一枚…。真っ赤なカードを見てみる。そこには
逃走側に任ず。
なお、辞退は認めない。
なお、辞退は認めない。
とだけ書いてあった。
はじまる。町をあげた鬼ごっこがはじまる。
祭が……はじまる。
―――…
母親は、その紙を見ると「今年はあんたは無理ね…」と残念そうに言った。
その後、キノは自室に戻り、のベッドに寝そべりながら、先ほどの赤いカードを眺めていた。
以前、聞いた事がある。もし、すっぽかしたり無断で代理を立てた場合、町にいられなくなるんだと。それを聞いてしまえば、どんな無精者でも従わざるをえない。居場所をなくすというのは精神的にかなり堪えるからだ。
キノはため息をつき、カードを傍らに置き、目を閉じた。…とその時、
♪~~♪~
携帯が鳴った。しばらく放置していたが、あまりにしつこい。根負けしたキノは携帯を手に取り、着信名を見た。とたんに深くなる眉間のシワ。
《ハナ》
「勘弁してよ…」
キノはそうつぶやくと携帯を開き、耳に当てず外側に向け、通話ボタンを押した。とその直後、
「やっと出た!キノ!キノってば!
キノ~!!」
大音量で携帯から流れる、キンキン声。キノは顔をしかめゆっくりと耳に当てる。そして、
「うるさい」
と一言。
電話の主は幼なじみのハナだった。モモという双子の妹がいる。とにかく毎日お祭り騒ぎな少女で、よく言えばムードメーカー。悪く言えば歩くスピーカー。マイペースなキノは昔から、ハナのハイテンションがとにかく苦手で、最近はあまり構わない。特に脳天に突き刺さるような甲高い声は、キノにとって騒音以外の何物でもない。毎度キノはうっとおしがって突き放すのだが、堪えていないのか、はたまたポジティブなのか、まったく動じることなく纏わり付く。対して妹のモモは大人しく、人見知りが激しい。まともに話が出来るのは、姉とキノだけだ。
「なに…」
キノが不機嫌丸出しで、吐き捨てるように言うが、そんなのお構いなしで、ハナはマシンガンのように話しはじめる。
「んもぅ!キノノリ悪い!もしかして寝起き?そうなの?もうお昼過ぎだよ!起きて起きて!!」
「……用があるなら手短かにして」
言葉を交わすのも億劫になり、冷たく言い放つキノ。また、しょうもない事なんだろうと判断し、早々と切り上げようと、もう切ると言おうとしたキノは、この後のハナの言葉に口をつぐんだ。
「キノにも赤いカード届いた?」
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