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──彰が何を考えているのか分からない。
彼の隣を歩く度、いつもそう思う。彼の思考に思いを馳せては、結局何ひとつ分からなくて、密かに落ち込んで。歩幅を合わせて歩いてくれる彰は、私のペースが遅くなると「速かった?」と言って、必ず私の手を握る。背中を見せてはくれない。まるで、踏み込むことを拒むように。彰は私に、全てを教えてはくれないのだ。
「今度、あそこの店行こうぜ」なんて本人は呑気に笑っているけれど、私の胸中はちっとも穏やかじゃない。ただ分かるのはいつかはこの関係に終わりが来るということ。そして、それを告げられるのはきっと、私の方だということだった。
私達の始まりは曖昧だった。同じクラスになって、仲良くなって、友達と呼ぶには親しくなりすぎて。
「付き合う?」と、そう、教室での何気ない日常会話の合間に切り出してきた彼に、私はなんて事ないように答えた。そうだね、なんて、今思えば可愛げの欠片も無い。それでも心臓はずっとドキドキしてたし、声が震えないように必死だった。だって貴方のこと、本当はずっと前から好きだった。
それからは順調に、とは言えないけど、人並みに、それなりに、恋人らしくやっていけていたと思う。手は繋いだし、キスもしたし、それ以上だってした。いつだって余裕そうな表情の彼に、何だか私だけが必死になってるみたいで、一度、彼に理不尽な言葉をぶつけてしまったことがある。私ばっかり必死になってるみたいじゃん、本当は私のことなんて好きじゃないんでしょ?なんて、自分でも面倒だな、と思う言葉を吐いて。
「そんなことねぇけどな」
私の言葉に怒る訳でもなく、ただ、彰はそう言った。やっぱり、表情はいつもと変わらなかったけど、普段より少しだけ、眉を下げて。
彰のことが分からないな、と思うようになったのはそれからだった。彼はいつだって優しいけれど、いつだってどこかに線を引いている。それは私にだって、それ以外の人にだって。追い付けない、と思ったのは、彼が私よりもずっとずっと遠い所に居るからだと気付いてしまったからだ。
私はこの時、ひとつの覚悟を決めた。それは、私にとっての自己防衛だった。いつか来る別れを受け入れる為の保身に過ぎなかった。でも、自分から告げるという選択肢は、どうしたって私の中には現れなかった。
──彰のことが知りたいよ。貴方のことをもっと、教えてほしい。
彰を見上げる度に、そう思う。脳裏をチラつく別れの影に呑み込まれそうになっては必死に息を繋いで、彼を追い掛ける。お願い、お願い。と祈りながら、こぼれ落ちそうになる涙を堪えながら。
私が離れられなくなる前に、早く私を手放して。
そう思ってしまうのは、今が恐ろしいぐらいに幸せだからだ。
その日は突然来た。大学四年生になる前の、本格的に就職活動が始まり出した冬の頃。珍しく彼から家に来て欲しいと言われて、ただ、何かをするでも無く、ゆったりと穏やかな時間を過ごしていた。暖房の効いた部屋で毛布にくるまって大きなクッションに身を預けていると、次第にウトウトとしてきて、私はほとんど眠りに落ちかけていた。そんな微睡みの中、ポツリと呟いた彼の言葉が、やけにはっきりと私の耳に届く。
「誘われてんだ」
ぼんやりとまぶたを開く私の視界に入る彼の背中。いつもは見せてくれない、彼の大きくて広い、逞しい背中。独り言のように呟いた彼は続けて、私には馴染みの無い遠い国の名前を出した。
──あぁ、来てしまった。
咄嗟に察した私の意識は、どこか遠い所にあるようだった。自分に話し掛けられているのに、まるで他人事のように彼の言葉を聞いている。
「卒業したらこっちに来ないかって。まだ、返事は保留にしてんだけど、早い内に答えが欲しいって言われてる」
ずっと、ずっと、覚悟していたことだ。何度も頭の中で考えて、その日が来るまでは、と今の幸せを手放さないようにして。彼がこの後、何を言うのかは分かっている。受け入れる準備は出来ていた。とっくに微睡みから覚めた頭で、何度もシミュレーションする。
「オレも、あっちでバスケをやってみたいって欲はある。こっちよりずっと、上手くて強ぇー奴がゴロゴロ居るんだ。オレの何倍もスゲェ奴が、あっちでバスケやってる」
──行こうと、思ってる。親にも、話した。
私は静かに目を閉じた。背を向けている彼には分からないだろう。それで良い。それで良かった。
だから、と言葉を繋いで、彰は一度口を閉じる。私は必死に息をしていた。彼が次に言う言葉を想像して、自分が言うべき言葉を必死に頭の中で唱える。
軋んだ音がどこかから聞こえている。それは、私にだけ聞こえている音だった。私の内側の、ずっとずっと奥にある感情が、抑え切れずに溢れ出しそうになっている音。
分かってるよ、大丈夫。大丈夫だから。最後ぐらいは聞き分けの良い、物分りの良い恋人で居るから。
彰が息を吸う音がする。私は、彼が発する言葉に備える為に、ぎゅ、とまぶたに力を込めた。
「付いてきてほしい」
うん、分かった。そう言いかけて、頷こうとして、え?と目を見開いた。
彼は振り返っていた。私をじっと見据えて、その表情に、いつもの余裕さなど湛えてはいなかった。
──ねぇ、彰は何を考えてるの?
常に抱き続けている疑問を、懲りずにまた、頭の中で浮かべる。
彰は決して、自分勝手な人間では無い。マイペースを貫いているような人だけど、何かを人に強要するようなことはしない人だった。──それなのに。
「付いてきてほしい」? それを、彰が言ったの?
私に判断を委ねる言葉じゃなくて、ただ、彼の意見だけを主張した言葉。
私が受け入れる準備をしていた「別れよう」という言葉とは到底かけ離れたものだった。ずっと前から覚悟を決めていた、別れを告げる言葉を、彼は口にしなかった。
「簡単なことじゃないのは分かってる。ナマエに、どれだけ負担を掛けさせるのかも」
淡々と呟く彰の手が、私の手を掴んだ。私よりずっと大きな、バスケットボールに触れ続けた硬い手のひらだった。
「支えてほしい、なんて言わない。ただ、オレの傍に居てくれればそれで良いから」
握り込んだ手が震えている。呆然と、そんな手を見つめて、顔を上げて。ねぇ、と初めて声を出した。
「わたしが……行かないって、いったら、どうするの……」
「こっちに残るよ」
迷うことなく言い切った彼に、私は言葉を失った。それは、ショックにも近い感情だった。
どうして、平気で自分の未来を潰せるの? どうして、貴方は私から離れていかないの?
「わ、かれたら、良いじゃん……私のこと、置いてったら、」
「……ナマエはそうしたい?」
ズルい。そんな風に言われたら、私が頷けないことを分かっている。目を細めた。込み上げてくる感情に、胸が苦しくなる。
「……あきらは……あきらは、なにを、考えてるの……? わからないよ……あなたがなにを考えてるか、わかんない……」
唇が震えている。急き立てる熱い思いが、喉奥から込み上げて、視界を滲ませる。息がしにくかった。苦しくて、苦しくて仕方なかった。
「……おまえが思ってるより、ずっと単純なことだよ」
ふ、と彼が穏やかに笑った。私は、彼のそんな表情に息を吸い込んで。
「──ナマエと一緒に居たい」
堪えきれなかった私の身体を、彰は強く抱き締めた。声を上げて、嗚咽を漏らして泣く私を、彼は腕の中に閉じ込めている。連れて行って。そう言って縋り付く私に彰ははっきりと、うん、と頷いた。
──信じてみよう。と思った。
彰は私より、ずっとずっと、遠い所に居て、何を考えているか分からなかったけど。でも、きっと、彼の言葉に嘘は無いのだ。本当に単純なことなんだと思う。私に付いてきてほしい、なんて言うぐらい。
分からなくたって良い。理解出来なくたって良い。ただ、そばに居れるのなら。
私はどこまでも、貴方に付いて行こう。
*
「別れようって言われるのかと思ってた」
ぽつりと呟いた私に、彰はほんの少し悲しそうに笑った。私はそんな彼を見て、俯いて、唇を引き結ぶ。
「あきら、本当に何考えてるか分かんないだもん……いつか、呆気なく捨てられる日が来るんじゃないかって、ずっと怯えてた」
──覚悟してたの、本当に。
握り締めた手のひらを解くように彼の手が触れる。一本一本を丁寧に緩めていった彼は、最後に爪の跡が残る手のひらを優しく撫でた。
「オレは、ナマエのことしか考えてないよ」
手のひらを撫でていた指が手首に回る。ほんの少し引かれただけで、ポスッと呆気なく私の身体は彼の元へ倒れ込む。彰は優しい手つきで私の頭を撫でた。それだけでどうしようもなく幸せになって、また視界が滲み出す。
「おまえが居ないと何にも出来ない。おまえが居ないと、バスケだって何の意味も無くなる」
──そんぐらい、ナマエのことが好き。
首元に埋めた顔からそんな声が聞こえてくる。カッと身体が熱くなるような感覚に、思わず目蓋を閉じた。彼の吐く息が首元を擽って、恥ずかしさに身を捩る。そんな身体を目敏く見つけて、背中に回る手に力がこもる。
「プライドも全部かなぐり捨てて、おまえに付いてきてほしい、なんて言うぐらいだよ。出来ることならずっと一緒に居て欲しいし、一生を共にしたい」
ドクン、と心臓が音を鳴らす。あきら、と焦った声を出す私に、彼はようやく顔を上げて穏やかに微笑む。それだけで私はまた、恋に落ちた。
「今はまだ無理だけど……向こう行って、落ち着いたらさ……結婚しよう。そん時はあっちで暮らしても良いし、こっちに戻って来てもいいから。とにかく、オレのそばに居てほしい」
きっと真っ赤になっている顔に彼が顔を近付ける。額が合わさって、距離の近さにピントが合わなくなる。喉が震えて、声を出せなかった。
「大好き。愛してる。ナマエだけで良い」
他にはなんにも要らない。そう言って、彰は私の唇を奪った。優しいのに、貪欲で、何度も何度も合わさった。呼吸も、意識も、全部彰に持っていかれる。
──彰だけで良い。私もそう思った。
長い長いキスの後、息を整える私を彰は再度抱き締める。存在を確かめるように、壊れ物を扱うように。
私はただ、そんな彼の温もりを享受した。トクトクと聞こえる彼の鼓動に耳を寄せる。
──ナマエだけで良い。
そんな言葉は何よりも、私を喜ばせるには十分だった。
彼の隣を歩く度、いつもそう思う。彼の思考に思いを馳せては、結局何ひとつ分からなくて、密かに落ち込んで。歩幅を合わせて歩いてくれる彰は、私のペースが遅くなると「速かった?」と言って、必ず私の手を握る。背中を見せてはくれない。まるで、踏み込むことを拒むように。彰は私に、全てを教えてはくれないのだ。
「今度、あそこの店行こうぜ」なんて本人は呑気に笑っているけれど、私の胸中はちっとも穏やかじゃない。ただ分かるのはいつかはこの関係に終わりが来るということ。そして、それを告げられるのはきっと、私の方だということだった。
私達の始まりは曖昧だった。同じクラスになって、仲良くなって、友達と呼ぶには親しくなりすぎて。
「付き合う?」と、そう、教室での何気ない日常会話の合間に切り出してきた彼に、私はなんて事ないように答えた。そうだね、なんて、今思えば可愛げの欠片も無い。それでも心臓はずっとドキドキしてたし、声が震えないように必死だった。だって貴方のこと、本当はずっと前から好きだった。
それからは順調に、とは言えないけど、人並みに、それなりに、恋人らしくやっていけていたと思う。手は繋いだし、キスもしたし、それ以上だってした。いつだって余裕そうな表情の彼に、何だか私だけが必死になってるみたいで、一度、彼に理不尽な言葉をぶつけてしまったことがある。私ばっかり必死になってるみたいじゃん、本当は私のことなんて好きじゃないんでしょ?なんて、自分でも面倒だな、と思う言葉を吐いて。
「そんなことねぇけどな」
私の言葉に怒る訳でもなく、ただ、彰はそう言った。やっぱり、表情はいつもと変わらなかったけど、普段より少しだけ、眉を下げて。
彰のことが分からないな、と思うようになったのはそれからだった。彼はいつだって優しいけれど、いつだってどこかに線を引いている。それは私にだって、それ以外の人にだって。追い付けない、と思ったのは、彼が私よりもずっとずっと遠い所に居るからだと気付いてしまったからだ。
私はこの時、ひとつの覚悟を決めた。それは、私にとっての自己防衛だった。いつか来る別れを受け入れる為の保身に過ぎなかった。でも、自分から告げるという選択肢は、どうしたって私の中には現れなかった。
──彰のことが知りたいよ。貴方のことをもっと、教えてほしい。
彰を見上げる度に、そう思う。脳裏をチラつく別れの影に呑み込まれそうになっては必死に息を繋いで、彼を追い掛ける。お願い、お願い。と祈りながら、こぼれ落ちそうになる涙を堪えながら。
私が離れられなくなる前に、早く私を手放して。
そう思ってしまうのは、今が恐ろしいぐらいに幸せだからだ。
その日は突然来た。大学四年生になる前の、本格的に就職活動が始まり出した冬の頃。珍しく彼から家に来て欲しいと言われて、ただ、何かをするでも無く、ゆったりと穏やかな時間を過ごしていた。暖房の効いた部屋で毛布にくるまって大きなクッションに身を預けていると、次第にウトウトとしてきて、私はほとんど眠りに落ちかけていた。そんな微睡みの中、ポツリと呟いた彼の言葉が、やけにはっきりと私の耳に届く。
「誘われてんだ」
ぼんやりとまぶたを開く私の視界に入る彼の背中。いつもは見せてくれない、彼の大きくて広い、逞しい背中。独り言のように呟いた彼は続けて、私には馴染みの無い遠い国の名前を出した。
──あぁ、来てしまった。
咄嗟に察した私の意識は、どこか遠い所にあるようだった。自分に話し掛けられているのに、まるで他人事のように彼の言葉を聞いている。
「卒業したらこっちに来ないかって。まだ、返事は保留にしてんだけど、早い内に答えが欲しいって言われてる」
ずっと、ずっと、覚悟していたことだ。何度も頭の中で考えて、その日が来るまでは、と今の幸せを手放さないようにして。彼がこの後、何を言うのかは分かっている。受け入れる準備は出来ていた。とっくに微睡みから覚めた頭で、何度もシミュレーションする。
「オレも、あっちでバスケをやってみたいって欲はある。こっちよりずっと、上手くて強ぇー奴がゴロゴロ居るんだ。オレの何倍もスゲェ奴が、あっちでバスケやってる」
──行こうと、思ってる。親にも、話した。
私は静かに目を閉じた。背を向けている彼には分からないだろう。それで良い。それで良かった。
だから、と言葉を繋いで、彰は一度口を閉じる。私は必死に息をしていた。彼が次に言う言葉を想像して、自分が言うべき言葉を必死に頭の中で唱える。
軋んだ音がどこかから聞こえている。それは、私にだけ聞こえている音だった。私の内側の、ずっとずっと奥にある感情が、抑え切れずに溢れ出しそうになっている音。
分かってるよ、大丈夫。大丈夫だから。最後ぐらいは聞き分けの良い、物分りの良い恋人で居るから。
彰が息を吸う音がする。私は、彼が発する言葉に備える為に、ぎゅ、とまぶたに力を込めた。
「付いてきてほしい」
うん、分かった。そう言いかけて、頷こうとして、え?と目を見開いた。
彼は振り返っていた。私をじっと見据えて、その表情に、いつもの余裕さなど湛えてはいなかった。
──ねぇ、彰は何を考えてるの?
常に抱き続けている疑問を、懲りずにまた、頭の中で浮かべる。
彰は決して、自分勝手な人間では無い。マイペースを貫いているような人だけど、何かを人に強要するようなことはしない人だった。──それなのに。
「付いてきてほしい」? それを、彰が言ったの?
私に判断を委ねる言葉じゃなくて、ただ、彼の意見だけを主張した言葉。
私が受け入れる準備をしていた「別れよう」という言葉とは到底かけ離れたものだった。ずっと前から覚悟を決めていた、別れを告げる言葉を、彼は口にしなかった。
「簡単なことじゃないのは分かってる。ナマエに、どれだけ負担を掛けさせるのかも」
淡々と呟く彰の手が、私の手を掴んだ。私よりずっと大きな、バスケットボールに触れ続けた硬い手のひらだった。
「支えてほしい、なんて言わない。ただ、オレの傍に居てくれればそれで良いから」
握り込んだ手が震えている。呆然と、そんな手を見つめて、顔を上げて。ねぇ、と初めて声を出した。
「わたしが……行かないって、いったら、どうするの……」
「こっちに残るよ」
迷うことなく言い切った彼に、私は言葉を失った。それは、ショックにも近い感情だった。
どうして、平気で自分の未来を潰せるの? どうして、貴方は私から離れていかないの?
「わ、かれたら、良いじゃん……私のこと、置いてったら、」
「……ナマエはそうしたい?」
ズルい。そんな風に言われたら、私が頷けないことを分かっている。目を細めた。込み上げてくる感情に、胸が苦しくなる。
「……あきらは……あきらは、なにを、考えてるの……? わからないよ……あなたがなにを考えてるか、わかんない……」
唇が震えている。急き立てる熱い思いが、喉奥から込み上げて、視界を滲ませる。息がしにくかった。苦しくて、苦しくて仕方なかった。
「……おまえが思ってるより、ずっと単純なことだよ」
ふ、と彼が穏やかに笑った。私は、彼のそんな表情に息を吸い込んで。
「──ナマエと一緒に居たい」
堪えきれなかった私の身体を、彰は強く抱き締めた。声を上げて、嗚咽を漏らして泣く私を、彼は腕の中に閉じ込めている。連れて行って。そう言って縋り付く私に彰ははっきりと、うん、と頷いた。
──信じてみよう。と思った。
彰は私より、ずっとずっと、遠い所に居て、何を考えているか分からなかったけど。でも、きっと、彼の言葉に嘘は無いのだ。本当に単純なことなんだと思う。私に付いてきてほしい、なんて言うぐらい。
分からなくたって良い。理解出来なくたって良い。ただ、そばに居れるのなら。
私はどこまでも、貴方に付いて行こう。
*
「別れようって言われるのかと思ってた」
ぽつりと呟いた私に、彰はほんの少し悲しそうに笑った。私はそんな彼を見て、俯いて、唇を引き結ぶ。
「あきら、本当に何考えてるか分かんないだもん……いつか、呆気なく捨てられる日が来るんじゃないかって、ずっと怯えてた」
──覚悟してたの、本当に。
握り締めた手のひらを解くように彼の手が触れる。一本一本を丁寧に緩めていった彼は、最後に爪の跡が残る手のひらを優しく撫でた。
「オレは、ナマエのことしか考えてないよ」
手のひらを撫でていた指が手首に回る。ほんの少し引かれただけで、ポスッと呆気なく私の身体は彼の元へ倒れ込む。彰は優しい手つきで私の頭を撫でた。それだけでどうしようもなく幸せになって、また視界が滲み出す。
「おまえが居ないと何にも出来ない。おまえが居ないと、バスケだって何の意味も無くなる」
──そんぐらい、ナマエのことが好き。
首元に埋めた顔からそんな声が聞こえてくる。カッと身体が熱くなるような感覚に、思わず目蓋を閉じた。彼の吐く息が首元を擽って、恥ずかしさに身を捩る。そんな身体を目敏く見つけて、背中に回る手に力がこもる。
「プライドも全部かなぐり捨てて、おまえに付いてきてほしい、なんて言うぐらいだよ。出来ることならずっと一緒に居て欲しいし、一生を共にしたい」
ドクン、と心臓が音を鳴らす。あきら、と焦った声を出す私に、彼はようやく顔を上げて穏やかに微笑む。それだけで私はまた、恋に落ちた。
「今はまだ無理だけど……向こう行って、落ち着いたらさ……結婚しよう。そん時はあっちで暮らしても良いし、こっちに戻って来てもいいから。とにかく、オレのそばに居てほしい」
きっと真っ赤になっている顔に彼が顔を近付ける。額が合わさって、距離の近さにピントが合わなくなる。喉が震えて、声を出せなかった。
「大好き。愛してる。ナマエだけで良い」
他にはなんにも要らない。そう言って、彰は私の唇を奪った。優しいのに、貪欲で、何度も何度も合わさった。呼吸も、意識も、全部彰に持っていかれる。
──彰だけで良い。私もそう思った。
長い長いキスの後、息を整える私を彰は再度抱き締める。存在を確かめるように、壊れ物を扱うように。
私はただ、そんな彼の温もりを享受した。トクトクと聞こえる彼の鼓動に耳を寄せる。
──ナマエだけで良い。
そんな言葉は何よりも、私を喜ばせるには十分だった。