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何となく、彰の様子がおかしいなとは思っていた。どこかうわの空と言うか、何か別のことに思考を囚われているような、そんな様子が最近は多かった。普段から頻繁に会うというわけでは無かったけれど、それでもそう感じるぐらいにはここ最近の彰はいつもと違っていて。お互いの家の合鍵は持っていたし、大学も近くだったからいつでも彼の顔を見ようと思えば見れたはずなのに、それをしなかった自分に今少しだけ後悔している。
「何で今言うの」
彰の口から放たれた言葉に咄嗟に返した言葉だ。その瞬間に部屋の温度が一気に下がったようだった。
「一週間後、ってどういうこと?」
ふつふつと沸いてくる怒りのような感情は留まることを知らない。口を開けば呼吸が震えて、それでも冷静でいようと握り締めた拳に力がこもる。
「……ごめん」
答えにならない彰の返事。顔を伏せた彼は謝るくせに何も話してはくれない。でも、それで納得出来るほど私も出来た人間じゃない。
「ごめん、ってそれしか言わないね。もっと他に言うことあるんじゃない?」
いつだって彰は言葉足らずだ。私が何でもかんでも分かってくれると思ってる。今だって。
「留学するから一週間後に日本を出るっていきなり言われて、私がそうなんだ行ってらっしゃいってすんなり受け入れると思ってたの?」
何も無い彰の部屋を見た私の気持ちが分かるのだろうか。がらんどうとした部屋に居るだけの彰に「わりぃ、お茶も出してやれないな」と気まずげな顔をされた私の気持ちが。
「受け入れられるわけないでしょ、そんなこと急に言われて」
話しながら声が震えていく。滲み出した視界にもう駄目かもな、とどこかで察する自分が居る。じわじわ、じわじわと浸食するように滲み出して、そしてそれを阻むことが出来る人はここには居ない。
「わたしが今日ここに来なかったら、ずっと黙ってるつもりだったの? なんにも言わないで行くつもりだったの? そんなの、わたしのこと捨てるのと一緒じゃん」
「ちが、」
「違わないよ!」
あぁ、ついに声を荒らげてしまった。それがきっかけになったように涙がボロボロ溢れ出して、それを見た彰が驚いた表情をする。咄嗟に手を伸ばそうとするくせに、その手が私に触れることは無くて。彼はごめん、とまた俯くだけだった。
ありえない。最低だよ。そんな思い付く限りの言葉で彰を責め立てる。俯いているばかりの彰は私と目を合わせようともしない。
色んなことが頭に浮かんでは受け止めきれなくて、ぐちゃぐちゃなままの脳内。真っ先に抱いたのは「信用されていない」という気持ち。だからこそ許せなくて、ごめんとしか言わない彰に腹が立って。
「謝るぐらいならもっと早く言ってよ! なんでずっと黙ってたのかちゃんと説明して!」
捲し立てるようにそう言った後にふと、私がこんなんだからかって頭の片隅で思う。応援することも、笑って送り出すことも出来ずにただただ責めるだけの恋人に、相談することなんて出来るわけないよね、と静かに悟る。
ぜんぶ、私が悪いんじゃん。
彰に説明を求めていた頭は急速に冷えていく。気が付けば「もう別れよう」と口走っていて、彰の顔も見ずに部屋を去っていた。後ろから彼の声が聞こえたような気がしたけど、振り返ることはしなかった。
だってもう、全部どうだってよかった。
*
一週間経った。一週間経ったのに、この一週間の記憶はあまり無い。死んだみたいだ、と思う。あの日から全てが一変したようだ。
部屋の隅には彰の使っていたものが居座っている。捨てようとして袋に詰めたのに、捨てられずにそのまま。
彰のことを考える度に涙が滲み出る。歯ブラシもマグカップもパジャマも、もう使うことなんて無いのに私がそれを捨てることが出来ないのは、そうやって何度も子供のように泣いてしまうからだ。分かっている。私は本当は今でも彰のことが大好きだ。大好きだからこそ、受け入れられなくて、悲しくて、まるで裏切られたような気持ちになっている。
もう彰は日本を出たのだろうか。私の知らないところに旅立ってしまっているのだろうか。それを知ったところで私にはどうすることも出来ないのに。
見送りなんて出来るわけがなかった。笑って送り出せるはずがなかった。あれだけ啖呵を切って、今更のうのうと彰の前に顔を出せるはずがなかった。
こぼれそうになる涙を手で拭う。毎日毎日泣いてしまっているからまぶたは少し腫れている。彰だったら、彰が居たら、こんな私に温かいタオルを持ってきてくれたかもしれないと考えてまた涙が出る。
もう二度と会えないのかな。それを選んだのは自分のはずなのに、その事実にひどく胸が苦しくなった。
突然、単調なメロディー音が鳴る。それは来訪者を知らせるインターホンだった。こんな時になんなのだろうとやさぐれた気持ちのまま、ただぼんやりと天井を眺める。居留守を使うつもりだった。今はとにかく誰にも会いたくなくて、こんなみっともない格好を見せたいとも思わなかったから。
そんな私の気持ちとは裏腹にインターホンは何度も鳴る。ドンドン、とノックの音が聞こえて、微かに聞こえた声は聞き覚えのあるもので、ため息を吐きながら仕方なく立ち上がった。
「……なに、こんな時間に」
どこかホッとした様子で立っていたのは両親だった。わざわざ平日に休みを取って神奈川から東京までやって来たらしい。
「いや、ちょっとね、ナマエに付き合ってほしいところがあって」
「ほら、暇してるんだろう? せっかくだから一緒にどうだ?」
暇じゃないと断わろうとして、でもどうせ家に居たところで彰のことを思い出して泣くだけだと考えを改める。
「……準備するから」
多分、ちょっとした買い物にでも行くつもりなんだろう。親との買い物なんだからちゃんとした格好はしなくて良いやと適当な服に着替えて、髪もそんなに整えずにひとつに結った。正直化粧はしたかったけど、やたらと両親が急かしてくるからすっぴんのまま鞄を持つ。部屋の隅に置かれたゴミ袋を見た両親が何かを言おうとして、それを遮るように二人の背中を押した。関係ない、両親には。もう全部終わったことだ。
電車でここまで来たのかと思ったらわざわざ父親が車を出してここまで来たらしい。助手席には母親が乗って、後部座席に私が乗った。両親が私に何かを話しかけてきて、私はそれに適当に相槌を打つ。どこに向かっているのかは分からない。窓から見える景色を眺めていると、だんだんと眠くなってきて小さくあくびをこぼす。
──眠 ぃ?と優しい表情で問いかけてきた彰が頭をよぎる。不機嫌になることもなく、いつもその広い肩を貸してくれた彰の温もりを、私はもう二度と感じることが出来ない。
***
両親に揺り動かされて目を覚ます。どうやらあのまま眠っていたらしい。伸びをしながらまだぼんやりとした頭で窓の外を見て、目を見開いた。
「なんで……」
呆然と呟く私に両親はバツが悪そうに「仙道くんのご両親に頼まれたから」と言う。空港だった。両親が私を連れて来たのは、彰が旅立つであろう空港の駐車場だった。
いやだ、と思わず呟く。行きたくないと首を横に振って、名前を呼ばれても駄々をこねるように車から降りることを拒んだ。
「私たちもう別れたんだよ、関係ない」
「別れたからって会わない理由にはならない。このまま一生会えなくても良いのか?」
「そうよ、ナマエ。仙道くんのことが嫌いになったわけじゃないんでしょ? そんなに泣きはらした顔で、荷物も捨てられてなくて……あなただって本当は別れたいなんて思ってないんでしょ?」
何で知ったように言うんだろう。私の気持ちなんてなんにも分からないくせに、どうしてこんなことをするんだろう。
両親は私の腕を引っ張った。離して、と何度も言ったのに聞き入れてくれなかった。
嫌だ。会いたくない。
胸が張り裂けそうに痛かった。国際線のターミナルの中を両親はまるで居場所が分かっているかのように突き進む。人ごみに紛れて抜け出したかった。それなのに、両親は私の腕を強く引っ張って離さない。
──居た。見つけてしまった。
たまらず立ち止まった私の視界に映る彼の姿。遠目から見る彰はどこか覇気が無くて、今から海外に留学するっていうのにそんなんで大丈夫なんだろうかと心配になるぐらいで。露骨に元気のない姿は今までに見たことのないものだった。
私のせい、なんだろうか。
竦んで動かない足を、両親に背中を押される形でぎこちなく動かす。彰の元に一歩ずつ近付いていく度、胸が苦しくなった。苦しくて、苦しくて、──怖かった。
彰の両親が先に私に気付いた。安堵の表情を浮かべた彼らに、気まずくなって顔を俯かせる。
急だったからすっぴんだし、服も適当だし、こんなことならもっとちゃんとした格好をすればよかった。そう考えて、少しでも彼によく見られたいと思っている自分に気付いてしまう。
「ナマエ……」
心底驚いたように呟く彰。そんな彰の声を聞いて「浮気したら許さないから」と口をついて出ていた。別れたはずなのに、別れようと言ったのは自分なのに何を言っているんだろう。視線を落としたままでいると、突然強い衝撃に包まれる。
「絶対しねぇ。するわけがねぇ」
彰の温もりだ。もう二度と感じることが出来ないと思っていたあたたかさ。震えた声で告げた彼は更に言葉を続けた。
「本当はもっと早く言う予定だった。でも、おまえと離れたくなくて、傷付けたくなくて……言えなかった」
その結果、もっと傷付けちまったけど。と彼は自嘲するように笑う。
本当だよ。すごく、すごく傷付いた。でも、私もきっと同じぐらいに彰のことを傷付けてしまった。
彰の温もりを忘れたくなかったから、彼の身体を強く抱き締め返した。大きくて安心する彰の胸の中にずっと居たいと心の中で呟く。
「一緒に居てくれるって言ったのに」
ずっと前の話だ。不安になった時に彰が言ってくれた言葉。恨み言のように呟いて、「はなれたくない、さみしい」と心の内を明かす。
「……ごめんな」
ぎゅ、と彼の腕の力が強くなる。
「オレもナマエと離れたくない。一緒に居たい……でも、どうしてもやりてーことがあるんだ」
分かってる。知ってるよ。あなたがどれだけバスケが大切か知っているから。
顔を上げて彰の首の後ろに手を回すと、彼は察したように腰を屈める。少しだけ背伸びをして彼の唇にキスをする。優しく触れ合って、視線を合わせて。
「いってらっしゃい」
そう言って、ようやく彼の前で笑えた。彰は少しだけ目を丸くして、くしゃりと泣きそうな表情をする。
「なぁ、別れるってのは無しだよな……?」
私の前でこんなに情けない表情を晒す彰を初めて見た。不安そうで、泣きそうな、そんな表情。
「ん~……」
視線をずらしながら曖昧な返事を返すと、本気で傷付いた表情をするから思わず笑ってしまう。
「ごめんね。あの時咄嗟に言っちゃったの」
あからさまにホッとする彰の手を取って、優しく握る。今度はちゃんと彰の顔を見た。
「待ってる。ずっと、待ってるから」
彰は眩しそうに目を細める。瞳の中で煌めく滴には気付かない振りをして。
「──うん。帰って来たらまた一緒に居よう」
彰のそんな言葉に、救われるようだった。
見送りが出来る直前まで彰のそばに居て、時間が来ても名残惜しそうにしている彼の背中を押した。いってきますといってらっしゃいを言い合って、私と彼の両親と一緒にその背中を眺める。思い立って、彰の名前を大声で呼ぶ。
「愛してる!!」
彰へのありったけの想い。振り返った彼は大きく目を見開いて、心から嬉しそうな笑顔を浮かべて。
「──オレも、愛してる!!」
*
今度こそ消えていく背中を見送って、見えなくなって、頬を伝う涙を堪えられなくなってその場にしゃがみ込む。
──行かないで。本当はそう言いたかった。謝るぐらいなら、わたしのことを置いていかないで、と。待ってるなんて言ったけれど、彼に会えない生活なんて想像もつかなくて、おそろしくて。
泣き崩れる私を慰めるように背中を撫でる両親の手。
この手が、愛する彼の手だったらどれだけ良かっただろうか。
「何で今言うの」
彰の口から放たれた言葉に咄嗟に返した言葉だ。その瞬間に部屋の温度が一気に下がったようだった。
「一週間後、ってどういうこと?」
ふつふつと沸いてくる怒りのような感情は留まることを知らない。口を開けば呼吸が震えて、それでも冷静でいようと握り締めた拳に力がこもる。
「……ごめん」
答えにならない彰の返事。顔を伏せた彼は謝るくせに何も話してはくれない。でも、それで納得出来るほど私も出来た人間じゃない。
「ごめん、ってそれしか言わないね。もっと他に言うことあるんじゃない?」
いつだって彰は言葉足らずだ。私が何でもかんでも分かってくれると思ってる。今だって。
「留学するから一週間後に日本を出るっていきなり言われて、私がそうなんだ行ってらっしゃいってすんなり受け入れると思ってたの?」
何も無い彰の部屋を見た私の気持ちが分かるのだろうか。がらんどうとした部屋に居るだけの彰に「わりぃ、お茶も出してやれないな」と気まずげな顔をされた私の気持ちが。
「受け入れられるわけないでしょ、そんなこと急に言われて」
話しながら声が震えていく。滲み出した視界にもう駄目かもな、とどこかで察する自分が居る。じわじわ、じわじわと浸食するように滲み出して、そしてそれを阻むことが出来る人はここには居ない。
「わたしが今日ここに来なかったら、ずっと黙ってるつもりだったの? なんにも言わないで行くつもりだったの? そんなの、わたしのこと捨てるのと一緒じゃん」
「ちが、」
「違わないよ!」
あぁ、ついに声を荒らげてしまった。それがきっかけになったように涙がボロボロ溢れ出して、それを見た彰が驚いた表情をする。咄嗟に手を伸ばそうとするくせに、その手が私に触れることは無くて。彼はごめん、とまた俯くだけだった。
ありえない。最低だよ。そんな思い付く限りの言葉で彰を責め立てる。俯いているばかりの彰は私と目を合わせようともしない。
色んなことが頭に浮かんでは受け止めきれなくて、ぐちゃぐちゃなままの脳内。真っ先に抱いたのは「信用されていない」という気持ち。だからこそ許せなくて、ごめんとしか言わない彰に腹が立って。
「謝るぐらいならもっと早く言ってよ! なんでずっと黙ってたのかちゃんと説明して!」
捲し立てるようにそう言った後にふと、私がこんなんだからかって頭の片隅で思う。応援することも、笑って送り出すことも出来ずにただただ責めるだけの恋人に、相談することなんて出来るわけないよね、と静かに悟る。
ぜんぶ、私が悪いんじゃん。
彰に説明を求めていた頭は急速に冷えていく。気が付けば「もう別れよう」と口走っていて、彰の顔も見ずに部屋を去っていた。後ろから彼の声が聞こえたような気がしたけど、振り返ることはしなかった。
だってもう、全部どうだってよかった。
*
一週間経った。一週間経ったのに、この一週間の記憶はあまり無い。死んだみたいだ、と思う。あの日から全てが一変したようだ。
部屋の隅には彰の使っていたものが居座っている。捨てようとして袋に詰めたのに、捨てられずにそのまま。
彰のことを考える度に涙が滲み出る。歯ブラシもマグカップもパジャマも、もう使うことなんて無いのに私がそれを捨てることが出来ないのは、そうやって何度も子供のように泣いてしまうからだ。分かっている。私は本当は今でも彰のことが大好きだ。大好きだからこそ、受け入れられなくて、悲しくて、まるで裏切られたような気持ちになっている。
もう彰は日本を出たのだろうか。私の知らないところに旅立ってしまっているのだろうか。それを知ったところで私にはどうすることも出来ないのに。
見送りなんて出来るわけがなかった。笑って送り出せるはずがなかった。あれだけ啖呵を切って、今更のうのうと彰の前に顔を出せるはずがなかった。
こぼれそうになる涙を手で拭う。毎日毎日泣いてしまっているからまぶたは少し腫れている。彰だったら、彰が居たら、こんな私に温かいタオルを持ってきてくれたかもしれないと考えてまた涙が出る。
もう二度と会えないのかな。それを選んだのは自分のはずなのに、その事実にひどく胸が苦しくなった。
突然、単調なメロディー音が鳴る。それは来訪者を知らせるインターホンだった。こんな時になんなのだろうとやさぐれた気持ちのまま、ただぼんやりと天井を眺める。居留守を使うつもりだった。今はとにかく誰にも会いたくなくて、こんなみっともない格好を見せたいとも思わなかったから。
そんな私の気持ちとは裏腹にインターホンは何度も鳴る。ドンドン、とノックの音が聞こえて、微かに聞こえた声は聞き覚えのあるもので、ため息を吐きながら仕方なく立ち上がった。
「……なに、こんな時間に」
どこかホッとした様子で立っていたのは両親だった。わざわざ平日に休みを取って神奈川から東京までやって来たらしい。
「いや、ちょっとね、ナマエに付き合ってほしいところがあって」
「ほら、暇してるんだろう? せっかくだから一緒にどうだ?」
暇じゃないと断わろうとして、でもどうせ家に居たところで彰のことを思い出して泣くだけだと考えを改める。
「……準備するから」
多分、ちょっとした買い物にでも行くつもりなんだろう。親との買い物なんだからちゃんとした格好はしなくて良いやと適当な服に着替えて、髪もそんなに整えずにひとつに結った。正直化粧はしたかったけど、やたらと両親が急かしてくるからすっぴんのまま鞄を持つ。部屋の隅に置かれたゴミ袋を見た両親が何かを言おうとして、それを遮るように二人の背中を押した。関係ない、両親には。もう全部終わったことだ。
電車でここまで来たのかと思ったらわざわざ父親が車を出してここまで来たらしい。助手席には母親が乗って、後部座席に私が乗った。両親が私に何かを話しかけてきて、私はそれに適当に相槌を打つ。どこに向かっているのかは分からない。窓から見える景色を眺めていると、だんだんと眠くなってきて小さくあくびをこぼす。
──
***
両親に揺り動かされて目を覚ます。どうやらあのまま眠っていたらしい。伸びをしながらまだぼんやりとした頭で窓の外を見て、目を見開いた。
「なんで……」
呆然と呟く私に両親はバツが悪そうに「仙道くんのご両親に頼まれたから」と言う。空港だった。両親が私を連れて来たのは、彰が旅立つであろう空港の駐車場だった。
いやだ、と思わず呟く。行きたくないと首を横に振って、名前を呼ばれても駄々をこねるように車から降りることを拒んだ。
「私たちもう別れたんだよ、関係ない」
「別れたからって会わない理由にはならない。このまま一生会えなくても良いのか?」
「そうよ、ナマエ。仙道くんのことが嫌いになったわけじゃないんでしょ? そんなに泣きはらした顔で、荷物も捨てられてなくて……あなただって本当は別れたいなんて思ってないんでしょ?」
何で知ったように言うんだろう。私の気持ちなんてなんにも分からないくせに、どうしてこんなことをするんだろう。
両親は私の腕を引っ張った。離して、と何度も言ったのに聞き入れてくれなかった。
嫌だ。会いたくない。
胸が張り裂けそうに痛かった。国際線のターミナルの中を両親はまるで居場所が分かっているかのように突き進む。人ごみに紛れて抜け出したかった。それなのに、両親は私の腕を強く引っ張って離さない。
──居た。見つけてしまった。
たまらず立ち止まった私の視界に映る彼の姿。遠目から見る彰はどこか覇気が無くて、今から海外に留学するっていうのにそんなんで大丈夫なんだろうかと心配になるぐらいで。露骨に元気のない姿は今までに見たことのないものだった。
私のせい、なんだろうか。
竦んで動かない足を、両親に背中を押される形でぎこちなく動かす。彰の元に一歩ずつ近付いていく度、胸が苦しくなった。苦しくて、苦しくて、──怖かった。
彰の両親が先に私に気付いた。安堵の表情を浮かべた彼らに、気まずくなって顔を俯かせる。
急だったからすっぴんだし、服も適当だし、こんなことならもっとちゃんとした格好をすればよかった。そう考えて、少しでも彼によく見られたいと思っている自分に気付いてしまう。
「ナマエ……」
心底驚いたように呟く彰。そんな彰の声を聞いて「浮気したら許さないから」と口をついて出ていた。別れたはずなのに、別れようと言ったのは自分なのに何を言っているんだろう。視線を落としたままでいると、突然強い衝撃に包まれる。
「絶対しねぇ。するわけがねぇ」
彰の温もりだ。もう二度と感じることが出来ないと思っていたあたたかさ。震えた声で告げた彼は更に言葉を続けた。
「本当はもっと早く言う予定だった。でも、おまえと離れたくなくて、傷付けたくなくて……言えなかった」
その結果、もっと傷付けちまったけど。と彼は自嘲するように笑う。
本当だよ。すごく、すごく傷付いた。でも、私もきっと同じぐらいに彰のことを傷付けてしまった。
彰の温もりを忘れたくなかったから、彼の身体を強く抱き締め返した。大きくて安心する彰の胸の中にずっと居たいと心の中で呟く。
「一緒に居てくれるって言ったのに」
ずっと前の話だ。不安になった時に彰が言ってくれた言葉。恨み言のように呟いて、「はなれたくない、さみしい」と心の内を明かす。
「……ごめんな」
ぎゅ、と彼の腕の力が強くなる。
「オレもナマエと離れたくない。一緒に居たい……でも、どうしてもやりてーことがあるんだ」
分かってる。知ってるよ。あなたがどれだけバスケが大切か知っているから。
顔を上げて彰の首の後ろに手を回すと、彼は察したように腰を屈める。少しだけ背伸びをして彼の唇にキスをする。優しく触れ合って、視線を合わせて。
「いってらっしゃい」
そう言って、ようやく彼の前で笑えた。彰は少しだけ目を丸くして、くしゃりと泣きそうな表情をする。
「なぁ、別れるってのは無しだよな……?」
私の前でこんなに情けない表情を晒す彰を初めて見た。不安そうで、泣きそうな、そんな表情。
「ん~……」
視線をずらしながら曖昧な返事を返すと、本気で傷付いた表情をするから思わず笑ってしまう。
「ごめんね。あの時咄嗟に言っちゃったの」
あからさまにホッとする彰の手を取って、優しく握る。今度はちゃんと彰の顔を見た。
「待ってる。ずっと、待ってるから」
彰は眩しそうに目を細める。瞳の中で煌めく滴には気付かない振りをして。
「──うん。帰って来たらまた一緒に居よう」
彰のそんな言葉に、救われるようだった。
見送りが出来る直前まで彰のそばに居て、時間が来ても名残惜しそうにしている彼の背中を押した。いってきますといってらっしゃいを言い合って、私と彼の両親と一緒にその背中を眺める。思い立って、彰の名前を大声で呼ぶ。
「愛してる!!」
彰へのありったけの想い。振り返った彼は大きく目を見開いて、心から嬉しそうな笑顔を浮かべて。
「──オレも、愛してる!!」
*
今度こそ消えていく背中を見送って、見えなくなって、頬を伝う涙を堪えられなくなってその場にしゃがみ込む。
──行かないで。本当はそう言いたかった。謝るぐらいなら、わたしのことを置いていかないで、と。待ってるなんて言ったけれど、彼に会えない生活なんて想像もつかなくて、おそろしくて。
泣き崩れる私を慰めるように背中を撫でる両親の手。
この手が、愛する彼の手だったらどれだけ良かっただろうか。