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「彰って、欲が無いよね」
平日の朝。二人で食卓を囲んでいた時だった。テレビから流れる天気予報を見ながら、ナマエはオレに視線を向けることなく唐突にそう呟いた。
「……欲?」
うん、と相も変わらずオレに視線を向けないまま、彼女は静かに頷く。手の中にあるお椀に入った味噌汁からは依然として湯気が出ているが、彼女の前に置かれたそれからはもう湯気はたっていない。中身がほとんど無いということもあるが、彼女がオレよりも先に食卓に座っていたことを表していた。
そうだろうか、とナマエの言葉を頭の中で反芻しながら考える。食欲、睡眠欲、性欲。三大欲求と呼ばれるそれらは人並に抱いているはずだ。一緒に暮らしているナマエがそれは一番分かっているだろうに。
「何か欲しいとか、こうしてほしいとか、聞いたこと無い」
ようやく止まっていた箸を動かした。ずず、と甘みのある汁を啜ると、体の内側から温まっていくような心地がする。ナマエの作る味噌汁はいつも同じ味だ。それは決して悪い意味ではなく、彼女の作る味噌汁の味をオレが覚えているだけの話だった。
「新しいルアーが欲しいな、とは思ってるよ」
「でも、本気で欲しいとは思ってないでしょ? 私が買っちゃ駄目って言ったら、彰は買わないよね」
……そうだな。それはそうかもしれない。お互いに働いてはいるが、家計の管理をしているのはナマエの方だ。ナマエが駄目と言ったら、オレは特に何の疑問も抱かずに受け入れるだろう。
「まぁ……それは、そうかもしれねーけど。急にどうした?」
やっとナマエの視線がこっちに向いた。その表情を見ても、何を考えているかは分からなかった。
「んーん。別に。彰らしいなって思っただけ」
それからは特に会話は無かった。朝のニュースを伝えるアナウンサーの声と食事の音だけがダイニングに響く。
いつもと変わらない朝の風景。でも、今日はそれが妙に静かに感じた。
家を出るのはナマエの方が早い。清潔感のある服に身を包んだナマエは普段と変わらない声で「行ってくるね」と告げる。小気味よく鳴るヒールの音を響かせながら歩いていく彼女の背中を見送って、オレは静かに玄関のドアを閉めた。
朝起きるのもナマエの方が早い。オレが起きた時には既に朝食が出来上がっていて、彼女はまるでオレを待っているかのようにゆっくりと食事を進めている。オレが起きると朝食を温めて用意してくれる彼女のささやかな優しさが好きだった。
早く起きようと努力はする。起こしてくれと頼んだこともあった。その時の彼女は「彰、起こしても全然起きないんだもん」と困ったように笑っていた。
ナマエはオレに、何かを望んでいるのだろうか。毎日、出来うる限りの感謝と愛は伝えているつもりだ。ナマエに出来ないことはオレがやって、オレに出来ないことはナマエに任せている。彼女のそばが心地良いと感じるのは、特に何も言わずとも自然とそんな関係が築けていたからだ。
「怒っては、なかったよな」
責められているわけでも、呆れられているわけでも無かった。それでも何となく引っ掛かりを覚えるのは、彼女の表情がどこか不安そうに感じてしまったからかもしれない。
*
学生の頃から続けているバスケットボールは、大人になってからはれっきとした仕事になっている。だからと言ってそれを、義務感で続けているわけではない。
ボールを追いかけるのは夢中になる。強い相手と当たると、感情が燃え上がるように感じるのは、学生の頃から変わらない。変わったのは、学生の頃よりも評価が大切になったことだ。
すっかり手に馴染んでいるボールを手放す日がいつかは必ず訪れる。そのいつかはすぐにやってくるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でもオレはとっくに、その日の覚悟を決めている。本当は大学で終わらせようとも思っていたからだ。
背中を押してくれたのはナマエだった。プロの世界が今までよりも格段と厳しいことは分かっていたし、バスケットを仕事とすることを躊躇っていたオレを、ナマエは「そんなの気にする柄じゃ無いでしょ?」とたったその一言だけで。
ナマエには敵わない。オレよりも早く起きて、スポーツをするオレの為にとバランスの取れた弁当を毎日用意してくれるナマエには、いつまでも。
──欲ならあるよ。おまえのことを、いつまでも手離したくないと思ってる。
『ごめん。仕事でトラブルがあって今日は帰るの遅くなる』
そんな彼女からの連絡を見たのは練習が終わった後のことだった。いつもならそのまま真っ直ぐ帰るところだが、帰路にコンビニに寄ることを付け加える。適当な弁当でも買って帰ろうと思って、不意に偶にはオレが料理を作ったら彼女は喜んでくれるだろうか、と思い立った。朝の様子が気がかりだったということもある。
ナマエほど美味い料理は作れない。彼女がいつ帰って来るかも分からなかったが、結局何も買わずにコンビニを出て、彼女がよく利用しているスーパーへと立ち寄った。
野菜も肉もどれを選べば良いのかよく分からなかった。家にある食材も把握していなかったから、とりあえず必要な物を全部買って帰ったら、冷蔵庫の中に同じ物があって、普段ナマエに任せっきりな自分を少し恨んだ。
自分でも不器用な方では無いと思っている。普段はしない料理もレシピ通りに作れば、何となく出来上がった。味見をして、まぁ、悪く無いかな、と一人頷く。どことなく物足りないような気もしたが、オレには何が足りないのか分からなかった。
ナマエはまだ帰ってこない。あまりに遅いようだったらこちらから一度連絡しようと考えていたら、そう経たない内に玄関のドアが開く音がした。
「おかえり。大変だったな」
「ただいま……ほんとに。久しぶりに残業したよ」
彼女がコンビニの袋を提げているのを見て、晩飯作ってること伝えりゃ良かったな、とうっすらと考える。疲労を隠しきれていないナマエの背中を労うように撫でたら、ナマエは安心したようにオレに身を預けてきた。
「飯、作ってみたんだけど……食う?」
「えっ、ほんとに?」
「うん。ナマエの口に合うかは分かんねーけど」
そう告げるとナマエは心なしか瞳を輝かせて「たべる」と間髪入れずに答える。
「あっためたら良い?」
「オレもまだ食べてねーから、オレがやるよ。一緒に食べようぜ」
じゃあ、これは明日のお昼にしよ。と帰り道に買って来たであろうコンビニ弁当をナマエは冷蔵庫に仕舞う。その際、妙に増えている食材を見て「もしかしてこの辺も彰が買ってきたの?」と問いかけて来た。素直に「わりィ、何があるか分かんなかったからとりあえず買ったら結構家にもあった」と謝ると、「じゃあ、早めに使わないとね」と特にこちらを咎めることはしなかった。
二人で食卓を囲むのは大体朝か夜だ。昼はお互いに家に居ないし、夜はオレが試合で居ない時もあるから、朝が一番二人で一緒に居る。今日は、朝も夜もナマエと一緒に居ることが出来る日だった。
いただきます、と丁寧に手を合わせた彼女がオレの作った料理を口に運ぶのをじっと見つめる。どう? と問いかければ、彼女は何度か咀嚼を繰り返した後、ごくんと静かに飲み込んだ。
「……おいしい」
小さく呟いて、もう一度、おいしい、とはっきりと呟いた。良かったと安堵すると同時に、揺らいでいる彼女の瞳に気付いて息を呑む。
「……ふふ、なんでだろ。誰かの手料理食べるの、久しぶりだからかな」
嬉しそうに微笑んでいるのに、彼女の瞳からは涙がこぼれ落ちた。言葉を失ってしまったオレに「ごめんね。気にしないで」なんて笑いかけるけど、久しく彼女の涙を見ていなかったオレには無理な話だった。
「……まずい、わけじゃねえんだよな」
「まずくないよ。本当においしい」
首を横に振る彼女が嘘をついていないのは分かる。でも、どうして彼女が泣いているのかはこれっぽちも分からなかった。
「……ナマエ、オレになんか隠してる?」
オレの問いかけにナマエは目を見開いた。
「朝……もさ、なんか、変だったし」
言い淀んでしまったのは、彼女の口から良くないことを聞かされたらどうしようか、と今更躊躇ってしまったからだ。変なわだかまりを残すのも嫌で、正直に疑問を口に出す。
ナマエは暫く黙っていた。オレの言葉を噛み砕くのに時間が掛かっていたようだった。
「いや、言いたくねーんだったら、良いんだけど……」
「……ううん。そんな風に思わせてごめんね」
ごめん、って謝ってばかりだ。ナマエは、何がそんなに申し訳ないんだろう。
「隠してる、っていうか……ちょっと、色々考えちゃっただけで……」
色々って? と聞きたくなるのを堪えて、彼女の言葉を待つ。俯いてしまったナマエの頬にまた、涙が伝う。
「わたしが……あきらのこと、縛っちゃってるのかなって」
ナマエの言葉を理解するのに暫く掛かった。浮かび上がる疑問を口にする前に、彼女が言葉を続ける。
「彰、私にわがまま言わないでしょ? 私が嫌って言ったことは絶対しないし、駄目って言ってもすぐ『分かった』って……不満も、文句も言わないから」
不安に、なっちゃったのかも。
自分の感情なのに、ナマエは自分でもよく分かっていないようだった。長い時間、一緒に居たからかもしれない。一緒に居すぎて、抱かせてしまった不安だ。
「……おまえに何も言わないのは、ほんとに思ってないからだよ。不満も文句も一つも無い。縛られてるとも思ったことない。むしろ自由にやらせてもらいすぎてる」
オレの言葉にナマエはほんとに? と不安げに訊ねてくる。ほんとだよ、ともう一度呟いた。
「……なら、いっこだけ。わがまま言っていいか?」
納得していなさそうなナマエに問いかける。え、と少し気の抜けた声を出したナマエに小さく笑って、正面にある彼女の頬に手を伸ばした。
「オレのそばに、ずっと居て」
一瞬、ナマエは息を止めた。震えた呼吸を吐き出した時には、頬に触れていたオレの手を彼女の涙が濡らしていた。
「そんなの、わがままじゃない……っ」
泣きじゃくる彼女を抱き締める為に席を立った。黙って抱き締めた身体はオレの何倍も細くて、小さくて、守ってやらないと、と自然とそう思う。
料理はきっと、もう冷めている。でも、そんなのは些細なことだった。
彼女の泣き声を聞きながら、ナマエと同じ夢を見れたら良いなと思った。そうすれば、夢の中でも君を愛することが出来るから。
平日の朝。二人で食卓を囲んでいた時だった。テレビから流れる天気予報を見ながら、ナマエはオレに視線を向けることなく唐突にそう呟いた。
「……欲?」
うん、と相も変わらずオレに視線を向けないまま、彼女は静かに頷く。手の中にあるお椀に入った味噌汁からは依然として湯気が出ているが、彼女の前に置かれたそれからはもう湯気はたっていない。中身がほとんど無いということもあるが、彼女がオレよりも先に食卓に座っていたことを表していた。
そうだろうか、とナマエの言葉を頭の中で反芻しながら考える。食欲、睡眠欲、性欲。三大欲求と呼ばれるそれらは人並に抱いているはずだ。一緒に暮らしているナマエがそれは一番分かっているだろうに。
「何か欲しいとか、こうしてほしいとか、聞いたこと無い」
ようやく止まっていた箸を動かした。ずず、と甘みのある汁を啜ると、体の内側から温まっていくような心地がする。ナマエの作る味噌汁はいつも同じ味だ。それは決して悪い意味ではなく、彼女の作る味噌汁の味をオレが覚えているだけの話だった。
「新しいルアーが欲しいな、とは思ってるよ」
「でも、本気で欲しいとは思ってないでしょ? 私が買っちゃ駄目って言ったら、彰は買わないよね」
……そうだな。それはそうかもしれない。お互いに働いてはいるが、家計の管理をしているのはナマエの方だ。ナマエが駄目と言ったら、オレは特に何の疑問も抱かずに受け入れるだろう。
「まぁ……それは、そうかもしれねーけど。急にどうした?」
やっとナマエの視線がこっちに向いた。その表情を見ても、何を考えているかは分からなかった。
「んーん。別に。彰らしいなって思っただけ」
それからは特に会話は無かった。朝のニュースを伝えるアナウンサーの声と食事の音だけがダイニングに響く。
いつもと変わらない朝の風景。でも、今日はそれが妙に静かに感じた。
家を出るのはナマエの方が早い。清潔感のある服に身を包んだナマエは普段と変わらない声で「行ってくるね」と告げる。小気味よく鳴るヒールの音を響かせながら歩いていく彼女の背中を見送って、オレは静かに玄関のドアを閉めた。
朝起きるのもナマエの方が早い。オレが起きた時には既に朝食が出来上がっていて、彼女はまるでオレを待っているかのようにゆっくりと食事を進めている。オレが起きると朝食を温めて用意してくれる彼女のささやかな優しさが好きだった。
早く起きようと努力はする。起こしてくれと頼んだこともあった。その時の彼女は「彰、起こしても全然起きないんだもん」と困ったように笑っていた。
ナマエはオレに、何かを望んでいるのだろうか。毎日、出来うる限りの感謝と愛は伝えているつもりだ。ナマエに出来ないことはオレがやって、オレに出来ないことはナマエに任せている。彼女のそばが心地良いと感じるのは、特に何も言わずとも自然とそんな関係が築けていたからだ。
「怒っては、なかったよな」
責められているわけでも、呆れられているわけでも無かった。それでも何となく引っ掛かりを覚えるのは、彼女の表情がどこか不安そうに感じてしまったからかもしれない。
*
学生の頃から続けているバスケットボールは、大人になってからはれっきとした仕事になっている。だからと言ってそれを、義務感で続けているわけではない。
ボールを追いかけるのは夢中になる。強い相手と当たると、感情が燃え上がるように感じるのは、学生の頃から変わらない。変わったのは、学生の頃よりも評価が大切になったことだ。
すっかり手に馴染んでいるボールを手放す日がいつかは必ず訪れる。そのいつかはすぐにやってくるかもしれないし、そうじゃないかもしれない。でもオレはとっくに、その日の覚悟を決めている。本当は大学で終わらせようとも思っていたからだ。
背中を押してくれたのはナマエだった。プロの世界が今までよりも格段と厳しいことは分かっていたし、バスケットを仕事とすることを躊躇っていたオレを、ナマエは「そんなの気にする柄じゃ無いでしょ?」とたったその一言だけで。
ナマエには敵わない。オレよりも早く起きて、スポーツをするオレの為にとバランスの取れた弁当を毎日用意してくれるナマエには、いつまでも。
──欲ならあるよ。おまえのことを、いつまでも手離したくないと思ってる。
『ごめん。仕事でトラブルがあって今日は帰るの遅くなる』
そんな彼女からの連絡を見たのは練習が終わった後のことだった。いつもならそのまま真っ直ぐ帰るところだが、帰路にコンビニに寄ることを付け加える。適当な弁当でも買って帰ろうと思って、不意に偶にはオレが料理を作ったら彼女は喜んでくれるだろうか、と思い立った。朝の様子が気がかりだったということもある。
ナマエほど美味い料理は作れない。彼女がいつ帰って来るかも分からなかったが、結局何も買わずにコンビニを出て、彼女がよく利用しているスーパーへと立ち寄った。
野菜も肉もどれを選べば良いのかよく分からなかった。家にある食材も把握していなかったから、とりあえず必要な物を全部買って帰ったら、冷蔵庫の中に同じ物があって、普段ナマエに任せっきりな自分を少し恨んだ。
自分でも不器用な方では無いと思っている。普段はしない料理もレシピ通りに作れば、何となく出来上がった。味見をして、まぁ、悪く無いかな、と一人頷く。どことなく物足りないような気もしたが、オレには何が足りないのか分からなかった。
ナマエはまだ帰ってこない。あまりに遅いようだったらこちらから一度連絡しようと考えていたら、そう経たない内に玄関のドアが開く音がした。
「おかえり。大変だったな」
「ただいま……ほんとに。久しぶりに残業したよ」
彼女がコンビニの袋を提げているのを見て、晩飯作ってること伝えりゃ良かったな、とうっすらと考える。疲労を隠しきれていないナマエの背中を労うように撫でたら、ナマエは安心したようにオレに身を預けてきた。
「飯、作ってみたんだけど……食う?」
「えっ、ほんとに?」
「うん。ナマエの口に合うかは分かんねーけど」
そう告げるとナマエは心なしか瞳を輝かせて「たべる」と間髪入れずに答える。
「あっためたら良い?」
「オレもまだ食べてねーから、オレがやるよ。一緒に食べようぜ」
じゃあ、これは明日のお昼にしよ。と帰り道に買って来たであろうコンビニ弁当をナマエは冷蔵庫に仕舞う。その際、妙に増えている食材を見て「もしかしてこの辺も彰が買ってきたの?」と問いかけて来た。素直に「わりィ、何があるか分かんなかったからとりあえず買ったら結構家にもあった」と謝ると、「じゃあ、早めに使わないとね」と特にこちらを咎めることはしなかった。
二人で食卓を囲むのは大体朝か夜だ。昼はお互いに家に居ないし、夜はオレが試合で居ない時もあるから、朝が一番二人で一緒に居る。今日は、朝も夜もナマエと一緒に居ることが出来る日だった。
いただきます、と丁寧に手を合わせた彼女がオレの作った料理を口に運ぶのをじっと見つめる。どう? と問いかければ、彼女は何度か咀嚼を繰り返した後、ごくんと静かに飲み込んだ。
「……おいしい」
小さく呟いて、もう一度、おいしい、とはっきりと呟いた。良かったと安堵すると同時に、揺らいでいる彼女の瞳に気付いて息を呑む。
「……ふふ、なんでだろ。誰かの手料理食べるの、久しぶりだからかな」
嬉しそうに微笑んでいるのに、彼女の瞳からは涙がこぼれ落ちた。言葉を失ってしまったオレに「ごめんね。気にしないで」なんて笑いかけるけど、久しく彼女の涙を見ていなかったオレには無理な話だった。
「……まずい、わけじゃねえんだよな」
「まずくないよ。本当においしい」
首を横に振る彼女が嘘をついていないのは分かる。でも、どうして彼女が泣いているのかはこれっぽちも分からなかった。
「……ナマエ、オレになんか隠してる?」
オレの問いかけにナマエは目を見開いた。
「朝……もさ、なんか、変だったし」
言い淀んでしまったのは、彼女の口から良くないことを聞かされたらどうしようか、と今更躊躇ってしまったからだ。変なわだかまりを残すのも嫌で、正直に疑問を口に出す。
ナマエは暫く黙っていた。オレの言葉を噛み砕くのに時間が掛かっていたようだった。
「いや、言いたくねーんだったら、良いんだけど……」
「……ううん。そんな風に思わせてごめんね」
ごめん、って謝ってばかりだ。ナマエは、何がそんなに申し訳ないんだろう。
「隠してる、っていうか……ちょっと、色々考えちゃっただけで……」
色々って? と聞きたくなるのを堪えて、彼女の言葉を待つ。俯いてしまったナマエの頬にまた、涙が伝う。
「わたしが……あきらのこと、縛っちゃってるのかなって」
ナマエの言葉を理解するのに暫く掛かった。浮かび上がる疑問を口にする前に、彼女が言葉を続ける。
「彰、私にわがまま言わないでしょ? 私が嫌って言ったことは絶対しないし、駄目って言ってもすぐ『分かった』って……不満も、文句も言わないから」
不安に、なっちゃったのかも。
自分の感情なのに、ナマエは自分でもよく分かっていないようだった。長い時間、一緒に居たからかもしれない。一緒に居すぎて、抱かせてしまった不安だ。
「……おまえに何も言わないのは、ほんとに思ってないからだよ。不満も文句も一つも無い。縛られてるとも思ったことない。むしろ自由にやらせてもらいすぎてる」
オレの言葉にナマエはほんとに? と不安げに訊ねてくる。ほんとだよ、ともう一度呟いた。
「……なら、いっこだけ。わがまま言っていいか?」
納得していなさそうなナマエに問いかける。え、と少し気の抜けた声を出したナマエに小さく笑って、正面にある彼女の頬に手を伸ばした。
「オレのそばに、ずっと居て」
一瞬、ナマエは息を止めた。震えた呼吸を吐き出した時には、頬に触れていたオレの手を彼女の涙が濡らしていた。
「そんなの、わがままじゃない……っ」
泣きじゃくる彼女を抱き締める為に席を立った。黙って抱き締めた身体はオレの何倍も細くて、小さくて、守ってやらないと、と自然とそう思う。
料理はきっと、もう冷めている。でも、そんなのは些細なことだった。
彼女の泣き声を聞きながら、ナマエと同じ夢を見れたら良いなと思った。そうすれば、夢の中でも君を愛することが出来るから。