SS
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
その姿を見た瞬間、私は呆気なく恋に落ちた。慌てて追いかけたけど、あんなに身長の高い人なのにすぐに見失ってしまって、私の中に残ったのは名前も声も知らないたった一目見ただけの男の人への熱烈な感情だけだった。
「ホントに! 凄いイケメンだったの!!」
朝一登校するなり同じクラスの友達に先日見かけた男の人の話を興奮を抑えきれずに語る。友達は少しびっくりした様子で私の話を聞いていたけど、段々とニヤニヤと表情を緩め、「へぇ〜。一目惚れしちゃったんだ?」と私に問いかけてくる。
「うん! めちゃくちゃタイプだった!」
一目惚れって本当にあるんだって知った。遠目からでしかも横顔を見ただけだったけど、鼻筋の通った綺麗な顔立ちは今でもドキドキと胸を高鳴らせる。背が高くて、体格はしっかりとしていて、それでいてスタイルは抜群で。白と黒のモノトーンの服装はいたってシンプルな出立ちなのに、モデルかと思うぐらいに映えていた。
「はぁ〜……もう一回会いたい……好き……」
記憶の中の彼に想いを馳せ、うっとりと呟く。「もう一回行ってみなよ。また会えるかもよ?」と笑みを絶やさずに言った友達に、言われなくても!とぐっと拳を握った私は早速その日から、先の場所へと向かうことにした。
しかし、現実は中々上手くいかないものである。家とは逆方向の場所にも関わらず頻繁に出向いているのに、あれっきり彼の姿を見かけることはなく、何の収穫も無いまま過ぎる日々。時間帯をズラしてみたり、見かけた日は休日だったので休日に行ってみたりと試行錯誤を繰り返すものの、あのかっこいい男の人は見つからなかった。
「どこに居るんだろ〜……」
ミルクたっぷりのカフェラテをストローで吸い上げながら嘆く。そんな私に目の前に座る男の子は「まぁまぁ。焦ってもしょうがねーって」と優雅にアイスコーヒーを飲みながら呟いた。
「仙道くんとは沢山会うのにね」
「まぁ、オレこの辺に住んでるからな」
仙道彰くん。隣のクラスで陵南高校では知らない人は居ないだろうっていうぐらいの有名人。そんな仙道くんと私がどうして一緒に居るかと言うと、例に漏れず彼の人を探していた私が仙道くんとすれ違った拍子に思わず「あっ」と声を出したのが始まりだ。隣のクラスで時折廊下ですれ違うだけの存在。私は一方的に仙道くんのことを知っていたけど、当然仙道くんは私のことを知らなくて。不思議そうに振り返った彼に慌てて怪しい者では無いことをアピールしたのを覚えている。それがきっかけで、彼とはこうして出会う度に話をする関係になった。
「仙道くんぐらい背が高い人だから、すぐに見つかると思ったんだけど……」
あまりはっきりと顔が見れていないことが悔やまれる。時間が経って段々と記憶が朧げになっているのも懸念点だった。
「オレぐらい背が高くて、ガタイが良くて、カッコいい人か……オレもその日この辺居たけど、そんなモデルみてーな人見かけてねぇからなぁ」
「ホントに別次元だったの! 追いかけたけどあの長い足に追いつけなかった……」
またひょっこり現れないかなぁと窓ガラス越しに外を眺めるが、やっぱりあの人の姿は見当たらない。はぁ、と憂いのこもったため息に仙道くんは苦笑する。仙道くんにとっては大したことじゃないかもしれないけど、私にとっては本当に一世一代の恋なのだ。
「好きなんだもん……一目惚れとか、初めてだから、諦めたくない……」
私の言葉に仙道くんは瞬きを繰り返す。よくよく見れば仙道くんも結構綺麗な顔をしている。長い睫毛が揺れているのはちょっと、羨ましいと思う。
「そっか。うん。それなら、絶対見つけねーとな」
そうやって笑ってくれる仙道くんに力強く頷く。仙道くんがみんなから好かれる理由ってこういうところなんだろうなぁって、一緒に窓の外を眺めながら密かに納得した。
毎日、とはいかないけど、あの人の姿を探す。仙道くんと会ったら仙道くんも一緒に探してくれる。でも、やっぱり見つからない。諦めたくないって意気込んではいたけど、あまりに見つからないから、徐々に気持ちがしょげていく。
「ミョウジさん、はい」
「……ありがとう」
仙道くんに差し出されたココアの缶を受け取って手の中で転がした。気が付いたら季節が二つ越えている。吐いた息は白くなって、あまり外に長時間居たくは無い季節。そんな中でも私達が外に居るのは私の好きな人を探す為だった。カシュ、とプルタブを開ける音が響く。甘いココアを飲み込むと身体の奥まで温かさが染みていくようだった。
「偶々こっちに来た人だったのかなぁ……」
この辺は観光客も多いし、もしかしたら旅行で来た人だったのかもしれない。仕事の出張とか、そういう可能性だってある。友達にだって遠回しに諦めたら?と最近言われたばかりだ。好きだっていう気持ちは残っているのに、もう顔もあんまり思い出せない。甘酸っぱかったはずの感情は気付けば、ほんの少しの苦さを含んだものになっていた。
ポン、と肩に微かな温もりが乗る。ポンポンと柔らかく肩を叩くそれは仙道くんの大きな手のひらだった。
「ミョウジさんがこんなに想ってるんだ。きっとまた、どこかで会えるぜ」
仙道くんじゃなかったら無責任だって怒ってたと思う。でも、あんまりに優しい表情で笑うから、彼の言う通りまたどこかで会える気がしてくる。
「うん……うん。そうだよね」
ギュッと缶を握り締めた。そうだよ。こんなに好きなんだもん。たった一目見ただけの人を、こんなに。諦めちゃダメだ。仙道くんだって応援してくれているのだから。決意を固めて仙道くんを見上げる。依然として優しい笑顔の仙道くんに眩しいな、ともう空はすっかり薄暗くなっているのにそんなことを思った。
*
「おはよ、ミョウジさん」
「仙道くん。おはよう」
あれからまた季節が一つ過ぎた。眠そうに欠伸をしながら隣の席に腰掛けた仙道くんとは、進級してから何と同じクラスになった。しかも隣の席で、始業式の日におぉ〜!と声を上げながら謎に拍手をしてしまったものだ。学校ではほとんど接点の無かった私達が何故か仲が良いから、クラスメイトも今年も同じクラスだった友達も随分と驚いていた。
「げ、数学の教科書忘れた。ミョウジさん見せてくれねぇ?」
「ん、良いよ。……前も忘れてなかったっけ?」
「バレたか。持ってくるのめんどくさくてよ」
あっけらかんと笑う仙道くんにも〜とは言いつつも、普段お世話になっているのでそれ以上特に咎めはしない。どうせ引っ付けるのだから後でも先でも変わらないと机を寄せていると、ホームルームで入って来た担任が「お前らほんと仲良いなー」と少し呆れを含めた笑みを向けてきた。
仙道くんと付き合ってるの?と何度か聞かれたことはあるが、その度に私は全力で否定する。だって、私には忘れられないあの人が居るからだ。そして、その人を探すのを仙道くんが協力してくれているのだといつも伝えている。仙道くんもそんな感じでみんなに伝えているから、何となく私と仙道くんはただの仲良しだと学校中に広まっていた。実際、仙道くんと居るのは凄く楽しくて、最近はあの人を探しつつ普通に遊んだりする。仙道くんは忙しいから大体部活が終わった後とかの短時間だけど、一緒に公園のコートでフリースロー対決をしたり、ファミレスで夕食がてら喋ったりとかそんな感じだ。ちなみにフリースロー対決はハンデ有りでも一度も勝てた試しは無い。相手はあのバスケ部エースの仙道くんだし、私は運動があまり得意ではないので仕方が無いと言える。
そして、そんな運動が得意では無い私にとって非常に憂鬱な行事が近付いていた。
「嫌だなぁ、体力テスト……」
「ん? 嫌なのか? 授業無いからオレは楽だと思ってたけど」
「仙道くんは運動が出来るからそう思えるかもしれないけど、私みたいな運動音痴には本当にキツイの!!」
みんなが好記録を出して喜んでる中、私は自分の冴えない記録を見て落ち込む羽目になる。大体いつも下から数えた方が早いし、体力テストで筋肉痛になるのは私ぐらいだ。
「そんなことねーだろ。ミョウジさん結構バスケ上手いじゃん」
「お世辞は良いよ……」
仙道くんと比べると天と地ほどの差があるというのによく言う。優しすぎるのは仙道くんの悪いところでもあるかもしれない。
「んー、でもそうか。明日ワックス持ってこねーとな」
自分の髪をいじりながら仙道くんが呟く。ワックス? 何で? と問いかけると、「明日身体測定もあるだろ?」と私の方を向いた。
「いつもみたいにしてたら身長測れねーから。終わってからセットしようと思って」
「なるほど……っていうことは、明日仙道くん髪下ろしてくるんだね……!」
仙道くんの髪下ろした姿初めて見る……!!
思わずワクワクしながら仙道くんを見つめると、彼は苦笑いを浮かべた。
「別に普段とそんな変わんねーけどな」
いやいやそれでも! と首を振る。普段は見れない仙道くんの姿は友達として非常に気になるところだ。体力テストは嫌だけど、一つ、楽しみが出来たような気がする。
*
仙道くん、まだ来ないのかな……。
朝から気分が晴れない。それは今日行われる体力テストのせいなのだから、せめてもの楽しみを期待するのは決して駄目なことでは無いだろう。机に伏せた状態で空席の隣の席を見て、ため息を吐きながら顔の向きを変える。今日はきっと疲れるからあの人を探しに行くのはやめよう。恋の楽しさと辛さを教えてくれた未だに名前も知らない彼を頭の中で思い浮かべる。ガラ、と扉の開く音がした。適度にざわついていた教室が途端に静かになるから何事かと思って扉へと視線を向ける。
──ガタン!! と椅子を倒しながら立ち上がっていた。
え? 何でここに? しかも、制服……え、どういうこと?
大混乱を起こしている脳内。ゆったりとこちらへと近付いてくる姿に早鐘を打つ心臓の音がやけに響いている。
「おはよ」
あまりにも聞き覚えがある。机の横にカバンを掛けて、隣の席に腰掛けた彼に唖然と「仙道くんだ……」と呟いた。よっぽど私が間抜けな顔をしていたのだろう。彼はハハッとおかしそうに声を上げて笑った。
「うん。仙道くんだぜ?」
私は彼から視線が離せなくなっていた。確かに、仙道くんは昨日髪をセットしないで登校してくると言っていた。そして、それを私が楽しみにしていたことも間違いない。でも、これは、一体どういうことなんだろう。私の目の前に居るのはどう見たってあの日、私が恋をした人だ。一目惚れをした人だ。私は大きく息を吸った。感情のままに叫んでいた。
「──私が一目惚れしたの髪下ろした仙道くんだ!!!」
教室中に響き渡る。何なら廊下にまで響いたかもしれない。それぐらい、今までで一番と言っても良いぐらい大きな声で叫んだ。へ、と仙道くんが目を真ん丸にして驚いている。クラスのみんなもあんぐりと口を開けて私達を見ている。
私は、プルプルと分かりやすいぐらいに震えていた。それは奥底から込み上げるとんでもない羞恥心によるものだった。今までの発言を思い出して、本当に死ぬほど恥ずかしかったからだ。
わたし、今まで本人に向かって、あんなに好きって言ってたってこと……? 無理。ムリムリムリ。しにたい。恥ずかしい。穴があったら入りたい! なんて、人生で使うことになるとは思わなかった。
「あー……っと、ちょ、ちょっと、まって……」
仙道くんは私を制止するように片手を差し出し、もう片方で顔を覆っている。堪えるような声で、私に問いかけて来る。
「ミョウジさんが、言ってた……カッコいい人、って」
「か、髪下ろした仙道くん……って、こと、ですね……」
「背が高くて、ガタイが良くて、スタイル抜群、の人、」
「せ……んどう、くん、です、よね……」
顔が熱い。最早全身が熱い。視界が滲んできた。私は、視線をどこに向けたら良いか分からなかった。
「ずっと……オレのことが、好きだった、ってこと、か……?」
ほんの少し覗いた仙道くんの顔が真っ赤で、いよいよ私は耐えられなくて両手で顔を覆った。
いっそ一思いにころしてほしい……!! どうしよう、本当に涙が出てきた。グス、と鼻をすすると、ガタ、と仙道くんが立ち上がって近づいてくる気配がする。ミョウジさん、と震えた声が聞こえてきた。今本当に酷い顔をしているから見ないでほしい。それなのに、もう一度名前を呼ばれると、私の手は勝手に顔から離れていく。見上げた仙道くんの顔はやっぱり真っ赤で、少しだけ泣きそうで。──私が、ずっと焦がれていた人だった。
「オレ……ずっと、ミョウジさんが探してるっていう人が、羨ましくて」
きゅ、と唇を噛み締める。涙はどんどん溢れていくばかりだった。
「こんなに想ってもらえて、すげー幸せな奴だなって。……オレの方が仲良いのに、一目見ただけの奴に勝てねーのか、って悔しくて」
瞬きをする。滴が落ちる。ずっと震えている手が何かを求めていた。
「……オレだったんだな」
ぎゅう、と胸が締め付けられた。うん、って涙声で呟くと、仙道くんは少し上擦った声で「そっか」と呟いた。「はは……そっか」って、天井を見上げてもう一度。視線を下ろした仙道くんが私を見つめる。ドクン、と胸が震えた。
「──オレも、ミョウジさんのこと好き」
柔らかな声が届く。目尻がゆるりとしなって、溶けちゃいそうなぐらいの笑顔が目の前で弾けた。
私の手は仙道くんに伸びる。一歩踏み出した足は、仙道くんも同じだった。ぎゅう、と大きな身体に包まれる。私も精一杯彼の背中に腕を回す。仙道くんの香りが胸一杯に広がって、どうしようもできない幸福感に満たされた。
ずっと探していた。会いたかった。ようやく見つけた私の大好きな人は、本当はずっと近くに居た。
「ホントに! 凄いイケメンだったの!!」
朝一登校するなり同じクラスの友達に先日見かけた男の人の話を興奮を抑えきれずに語る。友達は少しびっくりした様子で私の話を聞いていたけど、段々とニヤニヤと表情を緩め、「へぇ〜。一目惚れしちゃったんだ?」と私に問いかけてくる。
「うん! めちゃくちゃタイプだった!」
一目惚れって本当にあるんだって知った。遠目からでしかも横顔を見ただけだったけど、鼻筋の通った綺麗な顔立ちは今でもドキドキと胸を高鳴らせる。背が高くて、体格はしっかりとしていて、それでいてスタイルは抜群で。白と黒のモノトーンの服装はいたってシンプルな出立ちなのに、モデルかと思うぐらいに映えていた。
「はぁ〜……もう一回会いたい……好き……」
記憶の中の彼に想いを馳せ、うっとりと呟く。「もう一回行ってみなよ。また会えるかもよ?」と笑みを絶やさずに言った友達に、言われなくても!とぐっと拳を握った私は早速その日から、先の場所へと向かうことにした。
しかし、現実は中々上手くいかないものである。家とは逆方向の場所にも関わらず頻繁に出向いているのに、あれっきり彼の姿を見かけることはなく、何の収穫も無いまま過ぎる日々。時間帯をズラしてみたり、見かけた日は休日だったので休日に行ってみたりと試行錯誤を繰り返すものの、あのかっこいい男の人は見つからなかった。
「どこに居るんだろ〜……」
ミルクたっぷりのカフェラテをストローで吸い上げながら嘆く。そんな私に目の前に座る男の子は「まぁまぁ。焦ってもしょうがねーって」と優雅にアイスコーヒーを飲みながら呟いた。
「仙道くんとは沢山会うのにね」
「まぁ、オレこの辺に住んでるからな」
仙道彰くん。隣のクラスで陵南高校では知らない人は居ないだろうっていうぐらいの有名人。そんな仙道くんと私がどうして一緒に居るかと言うと、例に漏れず彼の人を探していた私が仙道くんとすれ違った拍子に思わず「あっ」と声を出したのが始まりだ。隣のクラスで時折廊下ですれ違うだけの存在。私は一方的に仙道くんのことを知っていたけど、当然仙道くんは私のことを知らなくて。不思議そうに振り返った彼に慌てて怪しい者では無いことをアピールしたのを覚えている。それがきっかけで、彼とはこうして出会う度に話をする関係になった。
「仙道くんぐらい背が高い人だから、すぐに見つかると思ったんだけど……」
あまりはっきりと顔が見れていないことが悔やまれる。時間が経って段々と記憶が朧げになっているのも懸念点だった。
「オレぐらい背が高くて、ガタイが良くて、カッコいい人か……オレもその日この辺居たけど、そんなモデルみてーな人見かけてねぇからなぁ」
「ホントに別次元だったの! 追いかけたけどあの長い足に追いつけなかった……」
またひょっこり現れないかなぁと窓ガラス越しに外を眺めるが、やっぱりあの人の姿は見当たらない。はぁ、と憂いのこもったため息に仙道くんは苦笑する。仙道くんにとっては大したことじゃないかもしれないけど、私にとっては本当に一世一代の恋なのだ。
「好きなんだもん……一目惚れとか、初めてだから、諦めたくない……」
私の言葉に仙道くんは瞬きを繰り返す。よくよく見れば仙道くんも結構綺麗な顔をしている。長い睫毛が揺れているのはちょっと、羨ましいと思う。
「そっか。うん。それなら、絶対見つけねーとな」
そうやって笑ってくれる仙道くんに力強く頷く。仙道くんがみんなから好かれる理由ってこういうところなんだろうなぁって、一緒に窓の外を眺めながら密かに納得した。
毎日、とはいかないけど、あの人の姿を探す。仙道くんと会ったら仙道くんも一緒に探してくれる。でも、やっぱり見つからない。諦めたくないって意気込んではいたけど、あまりに見つからないから、徐々に気持ちがしょげていく。
「ミョウジさん、はい」
「……ありがとう」
仙道くんに差し出されたココアの缶を受け取って手の中で転がした。気が付いたら季節が二つ越えている。吐いた息は白くなって、あまり外に長時間居たくは無い季節。そんな中でも私達が外に居るのは私の好きな人を探す為だった。カシュ、とプルタブを開ける音が響く。甘いココアを飲み込むと身体の奥まで温かさが染みていくようだった。
「偶々こっちに来た人だったのかなぁ……」
この辺は観光客も多いし、もしかしたら旅行で来た人だったのかもしれない。仕事の出張とか、そういう可能性だってある。友達にだって遠回しに諦めたら?と最近言われたばかりだ。好きだっていう気持ちは残っているのに、もう顔もあんまり思い出せない。甘酸っぱかったはずの感情は気付けば、ほんの少しの苦さを含んだものになっていた。
ポン、と肩に微かな温もりが乗る。ポンポンと柔らかく肩を叩くそれは仙道くんの大きな手のひらだった。
「ミョウジさんがこんなに想ってるんだ。きっとまた、どこかで会えるぜ」
仙道くんじゃなかったら無責任だって怒ってたと思う。でも、あんまりに優しい表情で笑うから、彼の言う通りまたどこかで会える気がしてくる。
「うん……うん。そうだよね」
ギュッと缶を握り締めた。そうだよ。こんなに好きなんだもん。たった一目見ただけの人を、こんなに。諦めちゃダメだ。仙道くんだって応援してくれているのだから。決意を固めて仙道くんを見上げる。依然として優しい笑顔の仙道くんに眩しいな、ともう空はすっかり薄暗くなっているのにそんなことを思った。
*
「おはよ、ミョウジさん」
「仙道くん。おはよう」
あれからまた季節が一つ過ぎた。眠そうに欠伸をしながら隣の席に腰掛けた仙道くんとは、進級してから何と同じクラスになった。しかも隣の席で、始業式の日におぉ〜!と声を上げながら謎に拍手をしてしまったものだ。学校ではほとんど接点の無かった私達が何故か仲が良いから、クラスメイトも今年も同じクラスだった友達も随分と驚いていた。
「げ、数学の教科書忘れた。ミョウジさん見せてくれねぇ?」
「ん、良いよ。……前も忘れてなかったっけ?」
「バレたか。持ってくるのめんどくさくてよ」
あっけらかんと笑う仙道くんにも〜とは言いつつも、普段お世話になっているのでそれ以上特に咎めはしない。どうせ引っ付けるのだから後でも先でも変わらないと机を寄せていると、ホームルームで入って来た担任が「お前らほんと仲良いなー」と少し呆れを含めた笑みを向けてきた。
仙道くんと付き合ってるの?と何度か聞かれたことはあるが、その度に私は全力で否定する。だって、私には忘れられないあの人が居るからだ。そして、その人を探すのを仙道くんが協力してくれているのだといつも伝えている。仙道くんもそんな感じでみんなに伝えているから、何となく私と仙道くんはただの仲良しだと学校中に広まっていた。実際、仙道くんと居るのは凄く楽しくて、最近はあの人を探しつつ普通に遊んだりする。仙道くんは忙しいから大体部活が終わった後とかの短時間だけど、一緒に公園のコートでフリースロー対決をしたり、ファミレスで夕食がてら喋ったりとかそんな感じだ。ちなみにフリースロー対決はハンデ有りでも一度も勝てた試しは無い。相手はあのバスケ部エースの仙道くんだし、私は運動があまり得意ではないので仕方が無いと言える。
そして、そんな運動が得意では無い私にとって非常に憂鬱な行事が近付いていた。
「嫌だなぁ、体力テスト……」
「ん? 嫌なのか? 授業無いからオレは楽だと思ってたけど」
「仙道くんは運動が出来るからそう思えるかもしれないけど、私みたいな運動音痴には本当にキツイの!!」
みんなが好記録を出して喜んでる中、私は自分の冴えない記録を見て落ち込む羽目になる。大体いつも下から数えた方が早いし、体力テストで筋肉痛になるのは私ぐらいだ。
「そんなことねーだろ。ミョウジさん結構バスケ上手いじゃん」
「お世辞は良いよ……」
仙道くんと比べると天と地ほどの差があるというのによく言う。優しすぎるのは仙道くんの悪いところでもあるかもしれない。
「んー、でもそうか。明日ワックス持ってこねーとな」
自分の髪をいじりながら仙道くんが呟く。ワックス? 何で? と問いかけると、「明日身体測定もあるだろ?」と私の方を向いた。
「いつもみたいにしてたら身長測れねーから。終わってからセットしようと思って」
「なるほど……っていうことは、明日仙道くん髪下ろしてくるんだね……!」
仙道くんの髪下ろした姿初めて見る……!!
思わずワクワクしながら仙道くんを見つめると、彼は苦笑いを浮かべた。
「別に普段とそんな変わんねーけどな」
いやいやそれでも! と首を振る。普段は見れない仙道くんの姿は友達として非常に気になるところだ。体力テストは嫌だけど、一つ、楽しみが出来たような気がする。
*
仙道くん、まだ来ないのかな……。
朝から気分が晴れない。それは今日行われる体力テストのせいなのだから、せめてもの楽しみを期待するのは決して駄目なことでは無いだろう。机に伏せた状態で空席の隣の席を見て、ため息を吐きながら顔の向きを変える。今日はきっと疲れるからあの人を探しに行くのはやめよう。恋の楽しさと辛さを教えてくれた未だに名前も知らない彼を頭の中で思い浮かべる。ガラ、と扉の開く音がした。適度にざわついていた教室が途端に静かになるから何事かと思って扉へと視線を向ける。
──ガタン!! と椅子を倒しながら立ち上がっていた。
え? 何でここに? しかも、制服……え、どういうこと?
大混乱を起こしている脳内。ゆったりとこちらへと近付いてくる姿に早鐘を打つ心臓の音がやけに響いている。
「おはよ」
あまりにも聞き覚えがある。机の横にカバンを掛けて、隣の席に腰掛けた彼に唖然と「仙道くんだ……」と呟いた。よっぽど私が間抜けな顔をしていたのだろう。彼はハハッとおかしそうに声を上げて笑った。
「うん。仙道くんだぜ?」
私は彼から視線が離せなくなっていた。確かに、仙道くんは昨日髪をセットしないで登校してくると言っていた。そして、それを私が楽しみにしていたことも間違いない。でも、これは、一体どういうことなんだろう。私の目の前に居るのはどう見たってあの日、私が恋をした人だ。一目惚れをした人だ。私は大きく息を吸った。感情のままに叫んでいた。
「──私が一目惚れしたの髪下ろした仙道くんだ!!!」
教室中に響き渡る。何なら廊下にまで響いたかもしれない。それぐらい、今までで一番と言っても良いぐらい大きな声で叫んだ。へ、と仙道くんが目を真ん丸にして驚いている。クラスのみんなもあんぐりと口を開けて私達を見ている。
私は、プルプルと分かりやすいぐらいに震えていた。それは奥底から込み上げるとんでもない羞恥心によるものだった。今までの発言を思い出して、本当に死ぬほど恥ずかしかったからだ。
わたし、今まで本人に向かって、あんなに好きって言ってたってこと……? 無理。ムリムリムリ。しにたい。恥ずかしい。穴があったら入りたい! なんて、人生で使うことになるとは思わなかった。
「あー……っと、ちょ、ちょっと、まって……」
仙道くんは私を制止するように片手を差し出し、もう片方で顔を覆っている。堪えるような声で、私に問いかけて来る。
「ミョウジさんが、言ってた……カッコいい人、って」
「か、髪下ろした仙道くん……って、こと、ですね……」
「背が高くて、ガタイが良くて、スタイル抜群、の人、」
「せ……んどう、くん、です、よね……」
顔が熱い。最早全身が熱い。視界が滲んできた。私は、視線をどこに向けたら良いか分からなかった。
「ずっと……オレのことが、好きだった、ってこと、か……?」
ほんの少し覗いた仙道くんの顔が真っ赤で、いよいよ私は耐えられなくて両手で顔を覆った。
いっそ一思いにころしてほしい……!! どうしよう、本当に涙が出てきた。グス、と鼻をすすると、ガタ、と仙道くんが立ち上がって近づいてくる気配がする。ミョウジさん、と震えた声が聞こえてきた。今本当に酷い顔をしているから見ないでほしい。それなのに、もう一度名前を呼ばれると、私の手は勝手に顔から離れていく。見上げた仙道くんの顔はやっぱり真っ赤で、少しだけ泣きそうで。──私が、ずっと焦がれていた人だった。
「オレ……ずっと、ミョウジさんが探してるっていう人が、羨ましくて」
きゅ、と唇を噛み締める。涙はどんどん溢れていくばかりだった。
「こんなに想ってもらえて、すげー幸せな奴だなって。……オレの方が仲良いのに、一目見ただけの奴に勝てねーのか、って悔しくて」
瞬きをする。滴が落ちる。ずっと震えている手が何かを求めていた。
「……オレだったんだな」
ぎゅう、と胸が締め付けられた。うん、って涙声で呟くと、仙道くんは少し上擦った声で「そっか」と呟いた。「はは……そっか」って、天井を見上げてもう一度。視線を下ろした仙道くんが私を見つめる。ドクン、と胸が震えた。
「──オレも、ミョウジさんのこと好き」
柔らかな声が届く。目尻がゆるりとしなって、溶けちゃいそうなぐらいの笑顔が目の前で弾けた。
私の手は仙道くんに伸びる。一歩踏み出した足は、仙道くんも同じだった。ぎゅう、と大きな身体に包まれる。私も精一杯彼の背中に腕を回す。仙道くんの香りが胸一杯に広がって、どうしようもできない幸福感に満たされた。
ずっと探していた。会いたかった。ようやく見つけた私の大好きな人は、本当はずっと近くに居た。