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Caligula-カリギュラ-

 果たして彼はこんな性格だっただろうか。暖かい春の陽だまりのような…とでも言うのか、そんな感じの性格だったような気がする。少なくともこんなにヒステリックではなかったし、ここまで攻撃的ではなかったはずだ。
 メビウスに招かれている以上、彼もまた「弱い人間」で、RPGに出てくるような「主人公」のような存在のはずがない。彼にも弱さがあって、トラウマを抱えているなんてわかりきっていたことだろう。それなのに、どうして彼の今の状態を否定しようとするのだろう。「彼はこんな人間じゃない」そんな考えばかりが頭に浮かぶ。そんな僕も大概なのだ。

「あぁ、幸せだなぁ。この世界は何て素晴らしいんだろう。ねえ鍵介、君もそう思うよね。」
「…確かに、メビウスは素晴らしい世界でしょうね。」

 下手に反対意見をいう訳にもいかず、あくまで肯定するように答えた。今の彼を前にして反対意見を言える人などいるだろうか。焦点の合わない虚ろな目をした人間がいれば自然と「ああ、そうですね」と肯定して逃げたくもなるだろう。今まさに僕がそうであるように。

「けんすけ、けーんすけ。俺の大事な人で、恋人。唯一無二の存在。俺だけを愛してくれる素直で、純粋で、××みたいなかわいい子。君だけが俺を見てくれるし、否定なんてしない。ねえ、そうでしょ?…ん?あれ。もしかして君ってμが用意してくれたNPC?んー、ふふ。そうは見えないけどなぁ。やっぱり生身の人間だよね。いやいや、でもこんなに俺にとっていいこと尽くしの存在がそう簡単にいて良いのかな。…変だよねぇ、あり得ないよねぇ。」

 饒舌になって自問自答を繰り返す。もう明らかに「やばい人」なんだろう。どうにか逃げ出せないかそろりと視線を巡らせる。すると、ぬっと僕の視界に入ってきた先輩と目が合う。

「――けーんすけっ。落ち着きないね、どうしたのかな。」

 何とか声を抑えるが、僕のこの動揺に先輩が気付かないはずがない。すっと細められた先輩の灰色の瞳の奥には嘲笑の色が見て取れた。

「もしかして、NPCなのかな。…気になるなぁ。」

 何かただならぬ気配を感じ、慌てて訂正をする。

「ちが…違いますよ!僕は、NPCなんかじゃありません!!」
「ん…ふふ、本当かなぁ。そうだなあ、試してみようか。」
「な…にを…?」

 無様な僕の姿を見て満足そうに先輩は笑い、良い子で待っているんだよ、といつもの優しげな声音でささやく。
 生活感のまるでないこの部屋の奥に先輩は消えてく。
 その様子を見送り、姿が見えなくなった途端に僕はベッドから抜け出す。ああ、誰か助けて。物音を決してたてないように足元に、手元にも気を配る。
まだまだ暗い室内はトロリとした夜に悲惨なくらいに沈んでいた。

何とか玄関にたどり着くと、張りつめていた緊張がほぐれ、「油断」を産んだ。まだ、早いのに。

「…――鍵介」

それは大きな声ではなかったが、妙に耳について離れない。激しい頭痛が襲い、「終わった」と、もはやどうすることもできずに思考は停止していく。

「ねえ、俺は待っていてって言ったはずだけど。それなのに、どうして君はこんなところにいるんだ?」
「…せん、ぱい…」
「君まで、俺を裏切るの?全部、俺になすりつけて、自分たちだけ幸せそうに笑って!!!!」
「ま、ってください…先輩…!」

 何の話だ。僕はそんなこと、言っていない。

「あぁ、もう…!!うるさいな、うるさいうるさいうるさい……!!!――ああ、そうさ!!全部仕返ししたさ!!同じ目に遭わせて、俺よりももっと酷い目に遭わせたさ!なのに、なんで、なんで、なんで…!?なんで俺が悪いんだ、悪いのは全部、あっちなのに!」

 尋常じゃないその様子を僕はただ茫然と見ていることしかできない。会話なんてままならないし、聞く耳も持たないだろう。
 かしゃん、と何かが落ちる音が玄関に響く。それは、カッターだった。

「せん、ぱい…それ…は、何に使うつもりなんですか…」
「ねえ、××。君は、どうして生きているんだろうね?俺を、貶めて何が楽しいの?ねえ、答えてよ、××。」

 「××」――それは僕の知らない名前だった。先輩は僕と、「××」を重ねてみている。だとしたら、僕はどれほど酷い人間に見られているのだろうか。先輩が、ていを気にせずにわめくくらいに酷い「××」と同等だなんて、酷い侮辱だ。

「――先輩、僕は、響鍵介です。あなたが執着する「××」ではない!」
「――…ひびき、けんすけ…。…あぁ、うん、そうだ。君は××じゃない。だから、これは間違いで、俺は、最低な、言葉を…言ってしまったんだね。」

 僕の名前を繰り返して、何度も何度も「××」じゃない、と自分に言い聞かせるようにする。一つ一つの言葉を噛みしめて、違うんだ、違うんだと呟く。

「…っ…俺は、なんで、こんなことに…どうしていつも、こうなってしまうんだ…」
「…先輩、泣いているんですか」

 初めてだった。感情をあらわにする彼をみたのは。ましてや、涙を流すなんて。
 もうその瞳にはあの狂気など存在しなかった。

「…ごめん、けんすけ、俺…君に酷いことを言って…赦されるわけないよね、わかってるから…。それでも、謝らせてくれ…」
「…いえ。別に…」

 何て情けない。掛けるべき言葉が解らなくて、ただ情けなくて仕方がない。

「…もう、大丈夫ですよ」

 子供の様に泣きじゃくる先輩を抱きしめて、ようやく出てきた言葉をつぶやく。不安定な弱さを持つ先輩でも、僕にとっては大切な人なんだ。
 ああ、そうだ。きっと彼は誰にも打ち明けられずにずっと苦しんでいたんだ。例えこんな形でも”僕だけ”に教えてくれたのだ。よく考えれば、随分と贅沢で、幸せなことじゃないか。

「僕にとって先輩が特別であるように、先輩にとっても僕は、特別なんでしょう?ねえ。」

 いつの間にか、夜は明けていた。
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