君を暴く鍵

 採光窓から、西に傾き始めた陽が差し込む。薄暗い店内を照らす陽光は、古道具の歴史ある煤けた金色を照らすと同時に、舞い上がる埃をまざまざと可視化させた。
 狭い。その上、物が多い。掃除が行き届いていない。なのに、不思議と不快感はなかった。むしろ、肌に馴染むような心地よさがある。
「店に魅入られましたな」
 年老いた店主らしき男が言った。入店時に「いらっしゃい」と言ったきりだったのでてっきり無愛想なタイプかと思ったが、そうでもないらしい。カウンターの奥で壺を磨きながら、機嫌の良い声音で言葉を紡いだ。
 ドットは目を瞬く。発言の意味がわからず、「魅入られ?」とオウム返しした。
「ここは魔法道具を売る店ですが、店自体が客を選びます。この店に害なす者、この店に用のない者は店を認識できない。道端の石ころに、目がいかないのと同じように」
 嗄れた声は、決して大きくないのによく響く。ドットは、やけに凪いだ気持ちでそれを聞いていた。
「逆に、この店にとって得のある者、または、この店に用のある者は、積極的に呼び込む。……貴方は、どちらかな」
 そう言われても、ドットにはわからない。先程、往来にいた時のことを思い出す。ふとこの店に入ろうと思ったのは単なる気まぐれだと思っていたが、話を聞くとどうも違うようだ。店がもつ、謎の引力のようなものが自分を引き込んだらしい。だとすれば、そこにドットの意思は介在しない。だから、この店がどんなつもりで呼び込んだのかだなんて、知りようもなかった。
「いや、オレは、」
「――ああ、そういうことでしたか」
 戸惑うドットをよそに、店主は一人得心がいったように笑う。次いで、カウンター奥にある、腰の高さの棚から何かを取り出した。埃を落とす為かそれに羽根はたきを纏わせると、カウンターの上に恭しい手付きで置く。
「どうぞ、近くでご覧ください」
 そう言われ、ドットはようやく入口前から足を動かした。店主に近づき、そこで初めて彼の瞳が晴れた日の空の色であることを知る。空色。嫌いな色だ。二度と見たくないと思うほどに――ドットは店主の顔から逃げるように、カウンターの上へと視線をすべらせた。
「……サイコロ?」
 マホガニー材のような赤茶色で、手のひらに乗るほどの大きさ。丁寧に磨き上げられているのか角は丸く、艶々と光を反射している。しかし、サイコロのように目は書かれておらず「サイコロのような形をした立方体」と呼称するのが、この場合正しいのかもしれない。
「いえいえ。こちらは木箱でございます」
「木箱?」
「はい――任意の感情を心から取り出し、閉じ込めることができる代物でございます」
 店主の説明を聞いて、ドットは弾かれたように顔を上げた。店主は優しげな色を乗せた面で、ドットの鋭い視線を受け止めた。
「……要するに、この店は、オレを『用がある者』と認識して引き込んだってことか?」
 無意識のうちにシャツの胸元を握り締める。自分の心の奥底に、おもりや鎖を何重にも巻いて沈めていたものを、簡単に暴かれた不快感といったらない。ドットが吐き捨てるように言うと、店主は「そうですね」と朗らかにいらえを返す。
「この店はわかっています。貴方が欲しがるであろう物を。そして、私は天啓を得るようにそれを理解し、今こうして貴方にこの品を提示しています。店と私は、言葉を介さずとも会話ができますので」
 そこで言葉を切ると、店主は木箱を手のひらに乗せ目の高さまで上げた。
「確かに貴方は『この店に用のある者』として選ばれた。それと同時に、貴方は『この店にとって得になる者』でもあります」
「……つまり?」
「この木箱、なかなか売れなくてですね。さっさと厄介払いしたいみたいですよ」
 あんまり明け透けな言様に、ドットは呆気にとられる。そうしてから、声を上げて笑った。同情めいた言葉をかけられようものならすぐにでも店を出ていくつもりだったのだが、毒気を抜かれた。
「さあ、どうです? 利害は一致しているように思えますが」
「なかなか商魂逞しいな」
「もちろん。慈善事業ではございませんのでね」
 孫を慈しむような好々爺とした見た目で、なかなかあっさりとした人柄だ。突き放すでも寄りそうでもない店主を前に、ドットの心は軽くなる。
 捨てたくても捨てられないもの。捨てるのを手伝ってくれ、と誰かに頼むわけにもいかなかったもの。それを、降って湧いたようなきっかけで、傷心も感慨もわきに置いて易々と捨てられる。
 なら、こんな好機はないのではないかと思った。
 ドットは、ポケットに手を忍ばせた。
 手持ちの金で、足りるといいのだが。





「さっき、ふらーっと一人でいなくなったよね。どこ行ってたの?」
 マッシュとレモンとランスが、横並びになって石畳の上を歩いている。その光景を数メートル後ろを歩きながら眺めているドットの右側に、フィンが肩を並べた。
 学校が休みの日に連れ立って遊ぶことは、珍しいことではない。今日も今日とて誰かがマーチェット通りに繰り出そうと言い出し、その他の人間が流れるように賛同し、現在五人はオフを満喫している最中だった。
 ドットはフィンの質問を反芻する。どこ行ってたの? ドットは首を傾げた。――どこに行っていたんだろうか。
「どこだっけ」
「え?」
「あー、いや。店の名前忘れた」
 ドットは、咄嗟に誤魔化した。何故かはわからないが、気取られてはいけないような気がしたのだ。
「なんて名前の店だったかな」
 自然に会話を繋げながら、懸命に記憶を辿る。しかし、ひどく曖昧だ。数分前の出来事すら不鮮明で、もう少し遡ろうとすると時系列がバラバラになった今日一日の出来事が断片的に溢れ出してくる。そして、それらを繋ぎ合わせると、空白の時間が現れるのだ。
 その時間、自分はどこにいて、何をしていたんだろうか。それに――とドットは自分の胸元を見下ろす。今気づいたことだが、身体が妙に軽い。まるで、自分を縛り付けていた重石が急になくなったみたいだった。解放感がある。――けれど、それと同時に喪失感も覚えている。
「……ドットくん、大丈夫? そのお店で何かあったの?」
 ドットが漂わせた戸惑いを感じ取ったのか、フィンが心配そうに眉尻を下げている。ドットは殊更明るく振る舞おうと、歯を見せて笑ってみせた。
「何かってなんだよ。なんもねえよ。買い物してただけだって」
「買い物って、そのサイコロみたいなやつ?」
 その、とフィンが指差した先を目で追えば、そこにはドットの左手がある。左手には何かが握られていて、指を開くとフィンが言ったようにサイコロのようなものがあった。笑って誤魔化そうとしていたドットの背筋に、耐えきれなかった薄ら寒いものが走る。流石に異様だ。だって、フィンから指摘され、初めてその存在に気がついたのだ。
「……ドットくん?」
「……え、ああ。そうそう、これ買ったんだよ」
 またしても誤魔化すために会話を繋げながら、ドットは手のひらの上にあるそれをまじまじと見つめた。フィンが言うようにサイコロ然とした見た目だが、よくよく見ると立方体の中心に真一文字に切れ目が入っている。恐らく、上下に引っ張ると開く仕様になっているのだろう。
「箱……」
「あ、ほんとだ。薄っすらだけど線が入ってる。何が入ってるの?」
「何がって――」
 少し下から注がれるフィンの好奇的な視線を受け、ドットは言葉を詰まらせた。気づけば手のひらの中にあったものだ、当然中身など知る由もない。なのに、ドットの声帯は不自然なほど自然に震えだす。
「――オレの大事なもの」
 中身など知る由もない。それでも直感的に理解していた。この箱には、自分にとってかけがえのないものが入っている。それが何なのか、何故そこに入っているのかはわからないけども。
「……そっか」
 意味深長な間を置いて、フィンはそう言ったきり黙り込む。もう明るく振る舞おうという気も起こらず、ドットも同様に黙り込んだ。前方ではあいも変わらず友人たちが談笑している。その中で揺れる空色の頭が妙に眩しくて、ドットは目を眇めた。





 赤、青、黃、緑。日に透けたガラスがプリズムを撒き散らしながら空間を彩る。石造りの像が立ち並ぶ荘厳な雰囲気の中、ビビッドな色彩は一見不釣り合いかのように思われたが、見事な調和で成り立っていた。先人の知恵とセンスと計算が、ここにいる者たちを魅了し、離さない。
 宗教色の強い国柄、修学旅行で巡るのも歴史的に価値のある教会や寺院といった建造物ばかりで、正直辟易していた。自分の体のどこを探しても信仰心などなかったし、初めてできた友人と行く初めての旅行なら、もっと娯楽性の高い施設ではしゃぎたかったからだ。
 しかし、そんな不満も霧散した。教会の入口の真正面に位置するステンドグラスには、有無を言わせぬ美しさがあった。柄にもなく呼気が震えて、光の渦に呑まれていく。一際目を引いたのが、色とりどりのガラスに囲まれた大きな十字架だった。他の色付きガラスと違って透明度の高いものが使用されており、外界の陽光と空の色を吸収して、薄暗い教会の床に同じ形を照射している。
 思わず、バンダナ越しの自分の額に触れる。普段ここに秘められているのは、戒めを象ったものだ。じゃあ、目の前のこれは? 瞬間的に脳裏を過ったのは「赦し」という言葉だった。そうか、だから人はみなこの場に懺悔に来るのか。罪を赦されたくて――。
「お前のと一緒だな」
 鼓膜を揺らした声が意識を引き戻す。右隣へと視線を向ければ、いつも通りの涼しい顔がそこにはあった。温度のない透き通った、ビー玉みたいな瞳でこちらを見つめる。自身の額を長い指で差す。その後は、興味をなくしたかのようにふいと視線が逸らそれた。

 きっかけは何だったか、と問われればそれだけだ。

 修学旅行先にあった教会の十字架とお前のそれは同じ形なのだと、見たまんまの感想を述べられた。たったそれだけ。
 たったそれだけのきっかけで、ドット・バレットは自覚した。





 ランスが「お前、最近おかしいぞ」と言い出したのは、就寝しようと互いがベッドに入った、その瞬間であった。
 部屋の端と端、それぞれに一台ずつのベッドがあり、入口に近い方がドット、大きなはめ殺し窓の横にあるのがランスのベッドだ。今夜は月の光がより強く感じられた。窓の形に切り取られた白い光が、ランスを照らしている。その髪いっぱいに光の粒を反射させた男を、ドットはぼんやりと眺めた。
 こんな時、湧き上がる感情があったはずなのだが、果たしてそれは何だったのか――と考え、こういうところは確かにおかしいなと思う。もうずっと、穴の空いた胸を見つめている。その穴に入るはずのものが確かにあったはずなのに、『それ』が何なのかがわからない。ただ、何処にしまってあるのかだけは知っている。掌の中に馴染むように収まった例の木箱だ。あの日から肌身はなさず持っているその箱の中には、穴にぴったりとはまる『それ』が入っているのだろう。そして、『それ』を箱から出してはいけないということも理解していた。
 ドットは曖昧に笑う。
「何がだよ。なんもおかしくねぇよ」
「……なら、その目はなんだ」
 目、と復唱して自身の目許に触れる。鏡がないので確認はできないが、赤とオレンジの混ざった虹彩がそこにはあるはずだ。
「目がどーしたんだよ」
「……いや、もういい」
 鬼気迫る雰囲気で言及してきた割に、ランスはあっさりと身を引くとさっさとシーツに潜り込んだ。向けられた背中には話しかけるなという意志がありありと示されており、ドットは二の句が告げなくなる。
 一体なんなんだ。倣うようにドットも身を横たえる。ランスに背を向け壁側を向き、感触を確かめるように木箱を握った。
 身体は、あの日からずっと軽い。よく眠れるようになったし、下がり気味だった成績も回復した。失った『それ』により不利益を被ったという実感は、今のところない。
 ただ、身の置きどころのない感覚はずっとある。自覚のない何かが欠けたことによる喪失感。なくなって良かったと思う反面で、『それ』がとても大切なものであると確信している二律背反的な感情。捨てることも保管することも出来ず、木箱をいつまでも携帯してしまう異常性。どれが自分を苛んでいるのか、どれもが自分を苛んでいるのか。周囲の人間から漂う機微にしてもそうだ。フィンからの気遣い、マッシュの真意を見抜こうとする目、レモンの下げられた眉尻。そして、たった今されたランスとの応酬。
 ほっといてくれよ、と思う。調子はいいはずなのだ。それなのに、何故だろうか。まるで、お前は異常なのだと言わんばかりに、周りの目が、呼吸が、言葉がじわじわと迫ってくる。それは、ドットの足元の周囲を囲んで留まり、次の一挙手一投足をじっと見つめているようだった。
 だから言っただろう。お前、おかしいぞ――ふとランスの声が脳裏に響き、振り払うようにして瞼を下ろした。





 夢を見た。修学旅行の時の夢だ。様々な光がちらちらと瞬いて、薄暗い教会内で踊るように反射する。
 自分に刻まれた十字。同じフォルムながら、幾人もの心を洗う神聖なる十字。普段は気にしないことなのに、少し、自虐的になっていた。お前のそれとはまるで違うな、と指を差して嗤われたような気持ちになっていた。指を差す男の顔は、自分にそっくりだった。
「お前のと一緒だな」
 誰かにそう言われた。あの十字架とお前のそれは同じ形をしているのだと。他意がないことは理解していた。彼は、ただ感想を述べただけだ。
 それでも、救われた。たったそれだけの言葉で救われて、たったそれだけの言葉で自覚したのだ。
 ――オレ、お前のこと。





 違和感を覚えて、意識が浮上する。
 寝ぼけた頭で、何時だっけ、なんの夢見てたんだっけ、と考え、はたと気づいた。木箱がない。慌てて手元を探る。ない。壁とベッドの間にはまった? ……いや、そんな隙間はない。
 じゃあどこに――と考えて、背後に気配を感じた。勢いよく振り返ると、そこには月の光を背負ってこちらを見下ろすランスがいた。身体の前面に影を纏った男は、表情が見えない。けれど瞳だけは爛々と輝いており、強い意志が漲っていた。
 そして、その手の中には。
「おっ、まえ……! 何勝手に、」
「グラビオル」
 木箱を持つ反対の手で杖を振るわれると、ドットの身体はたちまちシーツに沈んだ。常々思うのだが、一体どれだけの重力がかかっているのだろうか。指一本動かせない状態で、ドットはどうにか目だけでランスの動向を窺う。何故、ランスがその箱を持っているのか。彼は、一体その箱をどうするつもりなのか。混乱する頭で、考え、祈った。――ないとは思いたいが、まさか、箱を開けたりしないよな。
 狼狽するドットをよそに、ランスは実に淡々とした口調で言った。
「オレは、鍵を持っている」
「は……?」
 何の話だろうか。ドットは注意深く彼の様子を探った。
 ランスが聞き覚えのない呪文を口にする。次いで杖を持つ右手が緩く円を描けば、杖の先が青白く光る。その光源は徐々に形を変え、やがて現れたのは古めかしい形をしたウォード錠だった。
「……鍵?」
「そう、鍵だ」
「一体なんの――」
 言い終わる前に、血の気が引いた。
 だって、ランスが杖先を箱に向けたのだ。
 光で象っただけの実態のない鍵。杖の先で青白く光るそれは、今にも箱に触れそうだった。木箱には、真一文字に入った切れ目があるだけで鍵穴などない。それでも、わかる。一体それが、何の鍵なのか。
「ランス、だめだ、」
「お前は、これを捨てたくて仕方なかったんだな」
「ランス、」
「……だけど、手元にずっと置いておきたいほど大切でもあった」
「――やめろっ!」
 制止の声が虚しく響き、光る鍵が沈むように箱に刺さる。カチャリという音は、箱から聞こえたのかそれとも脳裏で響いたのか判別がつかなかった。

 刹那、光の情報が錯綜する。

 赤、青、黄、緑。
 教会の十字架。
 額を差す長い指。
 ビー玉の瞳。
 共に飲んだ紅茶。
 肩にかかる腕の重み。
 預けた背中の温かさ。
 腕の中にある死の気配。
 彼の頬に落とした涙。
 身動きが取れなくなるほど大きくなった、誰にも告げられない想い。

 気づけば、目尻が濡れていた。あんなに軽かった胸が、鉛を飲み込んだかのように重い。
 遠い旅に出て、二度と帰らないはずだったものが帰ってきた。憎い。帰ってこなくてよかったのに。そう思うのに、胸を掻きむしる指にはどうしたって愛しさが籠もる。
 いつの間にか重力魔法は解かれていた。それでも、ドットの身はピクリとも動かなかった。ただただ涙が溢れる。気を抜くと、大声を出してしまいそうだった。
 ランスがベッドに腰掛ける。ドットの顔を覗き込んで、濡れた目元を繊細な手つきでなぞった。
「そう、その目だ」
 彼は言った。
「オレのことが、好きでどうしようもない――そんな目」
 男にしては細く、長い指が何度も行き来する。ランスの台詞は確かに耳を伝い脳に届いているはずなのに、理解するには至らない。胸が重くて、苦しい。――ああ、そうだった。ランスを好きだと思うだけで、息がし辛いんだった。懐かしい感覚が、指先にまで痺れをもたらす。
「ドット。その感情は捨てたいほどに辛いものなのか?」
 ドットは答えない。否、答えられない。だって、口を開くとみっともなく泣き喚いてしまいそうだったから。
 その沈黙をどう受け取ったのか、ランスは尚も言葉を重ねた。
「捨てたいんだったら、全部オレに寄越せ。――勝手に手放すことは、許さない」
 そう言って、ランスはドットの目元に唇を落とした。ドットは、一連の流れをぼんやりと見つめる。
 今夜は月の光がより強く感じられた。窓の形に切り取られた白い光が、ランスを照らしている。その髪いっぱいに光の粒を反射させた男は、身震いするほど美しかった。





 採光窓から、西に傾き始めた陽が差し込む。薄暗い店内を照らす陽光は、古道具の歴史ある煤けた金色を照らすと同時に、舞い上がる埃をまざまざと可視化させた。
 狭い。その上、物が多い。掃除が行き届いていない。なのに、不思議と不快感はなかった。むしろ、肌に馴染むような心地よさがある。
「店に魅入られましたな」
 年老いた店主らしき男が言った。入店時に「いらっしゃい」と言ったきりだったのでてっきり無愛想なタイプかと思ったが、そうでもないらしい。カウンターの奥で壺を磨きながら、機嫌の良い声音で言葉を紡いだ。
 ランスは目を瞬く。発言の意味がわからず、「魅入られ?」とオウム返しした。
「ここは魔法道具を売る店ですが、店自体が客を選びます。この店に害なす者、この店に用のない者は店を認識できない。道端の石ころに、目がいかないのと同じように」
 嗄れた声は、決して大きくないのによく響く。ランスは、やけに凪いだ気持ちでそれを聞いていた。
「逆に、この店にとって得のある者、または、この店に用のある者は、積極的に呼び込む。……貴方は、どちらかな」
 そう言われても、ランスにはわからない。先程、往来にいた時のことを思い出す。ふとこの店に入ろうと思ったのは単なる気まぐれだと思っていたが、話を聞くとどうも違うようだ。店がもつ、謎の引力のようなものが自分を引き込んだらしい。だとすれば、そこにランスの意思は介在しない。だから、この店がどんなつもりで呼び込んだのかだなんて、知りようもなかった。
「いや、オレは、」
「――ああ、そういうことでしたか」
 戸惑うランスをよそに、店主は一人得心がいったように笑う。次いで、カウンター奥にある、腰の高さの棚から何かを取り出した。埃を落とす為かそれに羽根はたきを纏わせると、カウンターの上に恭しい手付きで置く。
「どうぞ、近くでご覧ください」
 そう言われ、ランスはようやく入口前から足を動かし、カウンターの上にあるものを覗き込む。
「……紙?」
 全体的に茶色く変色した、四つ折りにされた古紙。手に取り開くと、見慣れない文字で短文が書かれていた。
「旧字か?」
「はい、古い呪文です。とある木箱の封印を解くための」
「木箱?」

「ええ――きっとこの先、貴方に必要になるものだと、この店は告げています」
1/1ページ
    スキ