拝啓

 五月の、豊かな緑の匂いがする。強く風が吹くと、より顕著に香った。レースのカーテンが大きくなびき、陽光がちちらちと踊れば、手元にある混じり気ない白色が、光を反射して浮き彫りになる。
 真っ白な便箋。送り主の性格が滲み出たかのようなきちんとした折り目がついていて、広げれば、やはり送り主の性格が滲み出たかのような、細くてはねの強い文字。「拝啓」の書き出しから始まり、続くのは自分の名前だ。
 そこに記された文字と想いを辿るように、何度も人差し指で撫でた。










拝啓 ドット・バレット様

と書き出したはいいが、お前に形式ばった文章を書くのはどうにもむず痒いので以下口語文とする。あと、単純にお前に敬語を使うのが癪だ。

さて、この手紙をお前が読んでいるということは、オレは既にこの世にいないのだろう。

まさか、こんな創作物みたいなことを自分が書く日が来るとは。それも、相手はお前。事実は小説よりも奇なりというが、奇が過ぎる。そう思わないか。
だって、オレとお前だぞ。顔を合わせば喧嘩ばかりで、手が出ることもままあったな。お互い素直な質じゃない上に、絶望的に反りが合わなかったことも原因か。
まあ、八割方お前が悪かったよな。残り二割のうち半分は両成敗で、もう半分は、オレの過失だったと、思わないでもない。
でも、どう思い返しても大概はお前のせいだった。仕様もないことで突っかかってくるのはいつもお前だ。本当に鬱陶しかった。
あと、悪口の語彙も酷かった。なんだ、スカシピアスって。最後の方はイケメンピアスとか言ってなかったか? もはや悪口じゃないだろ。そう言われる度に落ち着かなかったということを、ここに告白しておく。

そんなお前でも、少しは落ち着いたか? 卒業してから何年経つ? 五年か。五年もあれば多少はまともになれるだろう。
お互い大人なんだ。次に再会したら、いがみ合うことなく、酒を酌み交わすぐらいはできるのだろうか。

(二重線で消した跡)

そうだった。お前がこれを読んでいる時、オレはもう死んでいるんだったな。
つい。そんなことがあってもいいんじゃないかと。
考えていたら、無意識に書き連ねていた。書き直そうかとも思ったが、この便箋が最後の一枚だったので、このまま続けることにする。
悪かった。不謹慎だったかもしれない。
いや、不謹慎なのか? 死にいく側が残していく者に対する配慮というのが、よくわからない。
お前に対しては、特に。
オレが死ぬことでお前がどういう気持ちになるのか。泣くのか。怒るのか。せいせいすると笑うのか。全く想像がつかない。だから、何をどう書くのが正解なのかわからないまま、筆をとっている。

まあ、死ぬのは初めての経験だしな。至らない描写があっても、初めて死ぬ男の戯言だと流してほしい。

悪いな。段々乱文が目立つようになってきた。書きながら、今、酒を呑んでいる。飲み慣れないウイスキーだ。六十年ものだとかの貰い物で、大層高価なものだそうだ。遺すには勿体ないからと、無理矢理流し込むように呑んでいる。お前に手紙を書くだなんて、酔うなりして弾みをつけないと、実行できないというのもあるが。

こんな、終い支度みたいなことは、自分でもらしくないと思っている。
何せ、オレは死ぬ気など更々ない。
今度の任務の難易度が高いことは知っている。裏では、死地に赴くようなものだと噂されていることも知っている。
それでも、オレに死ぬ気はない。神覚者である以上そういったリスク自体は承知しているが、当然希死念慮などないし、オレにはこれからも生きて、アンナの輝かしい成長を見守らなければならないという使命がある。

しかし、可能性というものがこの世にはある。オレが死ぬ可能性は、オレの意志が届かないところに確かに存在している。
運命などというクソみたいな表現をする気はないが、もしもこの先死ぬことがあったら、やっておくべきことがあるだろうという考えに至った。

(丸い染みが、ポツポツと拡がっている)

悪い、ウイスキーを零した。少しスペースを下げる。いざ核心に触れるのだと思うと、手が震える。
柄にもなく緊張している。
酔いのせいだと思いたい。


ドット
ドット
ドット・バレット


好きだ


オレが死んだ後、きっとお前はオレの知らない誰かと、もしくは知ってる誰かと幸せになるんだろう。
うるさいし、下品だし、暑苦しいけど、お前には幸せになれるだけの素養がある。誰かと共に歩んでいける懐の深さや優しさもあると思う。

お前は、オレのいないところで勝手に幸せになるんだ。

そう考えると、いてもたってもいられなくなった。
オレを忘れて、生きて、幸せになっていくお前を想像すると、途端に仕事が手につかなくなった。
お前とどうこうなる気なんてなかったのに、自分が死んで、お前は生きて、という岐路に立たされているかもしれないと思うと、飯が喉を通らなくなった。

だから、少しでもお前に傷跡を残したいと思った。
オレが死んでも、きっと誰かと幸せに暮らしていくだろうお前の、記憶に残りたいと思った。

お前がこの先誰かを好きだと思った時に、お前を強く想う男がいたことを少しでも思い出すことがあったなら、オレの企みは成功だ。

これは、呪いだ。
お前はオレに呪われるんだ。
ざまあみろ。

ドット

ドット、好きだ。
ずっと好きだった。

オレのことを、忘れさせたりしないからな。
誰かと幸せになることは許すが、絶対に忘れさせてなんてやらない。

そろそろ便箋が終わりそうだ。

それでは、身体に気をつけて。
オレに呪われながら、幸せになれよ。

敬具

ランス・クラウン










 五月の、豊かな緑の匂いがする。強く風が吹くと、より顕著に香った。レースのカーテンが大きくなびき、陽光がちちらちと踊れば、手元にある混じり気ない白色が、光を反射して浮き彫りになる。
 真っ白な便箋。送り主の性格が滲み出たかのようなきちんとした折り目がついていて、広げれば、やはり送り主の性格が滲み出たかのような、細くてはねの強い文字。「拝啓」の書き出しから始まり、続くのは自分の名前だ。
 そこに記された文字と想いを辿るように、何度も人差し指で撫でた。

 手紙を読み終えたドットは、ベッド脇のチェストにあった水差しとグラスを手に取る。そうしてからグラスへと水を注ぎ、部屋の主に断ることなく一気に飲み干した。
 何せ、千字をゆうに超える手紙を朗読したのだ。喉も渇くというものだ。
 グラスやらを元の場所に置き、丸椅子に座り直す。わざとらしく咳払いをしてから、目の前にあるこんもりとした布団の山に向けて声をかけた。
「……とまぁ、こんな手紙が、今朝オレの手元に届きましてね」
 山は、何も言わない。まあそうだろうなと思いつつ、ドットは言葉を重ねた。
「まず、届いたタイミングが最悪だったよな。始業前でみーんないる状態の中、いきなりフクロウが窓から入ってきてさ。オレのデスクに手紙落としていって、まあ、見るわな。そしたらお前、差出人の名前がランス・クラウンで、何事かと思ってその場で封あけて、読んで……大泣きしたわ」
 当時はそんな余裕もなかったが、思い返すとなんとも恥ずかしい。大の男がいきなり泣き崩れたので、ドットの勤める税理士事務所は上を下への大騒ぎだった。何があったんだと問い詰められ、要領を得ないながらもどうにか友人が死んだのだと告げると、今日はもういいからと家に帰らされた。家に帰る道中も涙は止まらず、付き添ってくれた後輩の女の子から背中をずっと撫で続けられた。本当に居た堪れない。
「そしたらお前、家の前でたまたまアンナちゃんと出会して、話をよくよく聞けば、お前、お前……っ! 生きてんじゃねぇか! 涙返せ!」
「……本当に、死ぬかもしれないという瀬戸際だったんだ」
 ドットが顔を真っ赤にしながら吠えると山――もとい、布団の中に籠もっているランスが低い声で唸った。
 ずっとこの調子だ。ばつが悪いのか、ここを訪れた際ドットの手の中にある手紙を視認した瞬間から布団の中で団子になり、未だ顔を見せていない状況にある。
 ドットとて、ランスの心情は理解できる。もう死ぬかもしれないからと思ったからこそ秘めていたものをぶちまけたのに、まんまと生き延びてしまったのだ。もしも自分だったら――と置き換えて考えると心臓がひゅんっと縮み上がる心地だ。
 しかし、それなら仕方ない、と流せる境地にはまだ至れそうにない。
「生きてたんなら、なんでこんな手紙出したんだよ。めちゃくちゃ掻き乱されたわ。そうだよ、テメーの企みは大成功だよ。一生忘れらんねえわ。すげートラウマだわ。もうマジで今朝手紙を見た瞬間のアレが、グワーッて、もう、もう……夢に見るわ! バカ!」
「……死んだらフクロウが飛ぶようにと魔法をかけてあったんだが、戦闘中に一度心臓が止まった瞬間があって……すぐに蘇生したが、恐らくその時に死亡判定がされたようだ」
「はー! ガバガバだな! もーマジでなんなんだよ!」
 ドットはヘアバンドのついてない赤い髪をがしがしとかき回す。いつもつけている筈の愛用のそれは、ここ――魔法中央病院内にある病室――に辿り着くまでの間に落としてしまったらしい。本当に踏んだり蹴ったりである。
 心底腹が立つ。
 死にそうになったことにも、死ぬかもしれないと精算しようとしたことも。
 何よりもだ――。
「呪い、って言ったよな」
「……」
「ランス、テメーのそれはただの言い逃げだぞ」
「……」
「いや、まあ……すんげートラウマって意味では呪いかもだけど……」
「……」
「……お前、オレのこと、ずっと好きだったのか?」
「……」
 うんともすんとも言わないランスに、とうとう堪忍袋の緒が切れた。椅子から立ち上がり山のガワである布団を引き剥がす。その中には胎児のように縮こまったランスがいて、壁の方を向いているため表情はわからないが、包帯が巻かれた水色の髪からのぞく耳は、真っ赤に染まっていた。
 ドットは、導かれるようにその赤に手を伸ばす。ランスの肩が揺れたことにも構うことなく、熱に触れ続けた。
 熱。生きている証――たまらなくなって、もう枯れたと思っていたはずの涙がこみ上げてくる。
「いいよ。呪いなんだろ。じゃあ、呪われてやる。その代わり、お前がその呪いを解け」
 涙混じりの声で言い、ランスの肩に手をかける。そうしてから、頬に触れるだけのキスを落とした。ようやく視線が合う。何事かと見上げてきた丸い水色には、泣き顔の自分が写っていた。
「セオリーだろ。呪いはキスで解ける」
「お前……自分が何してるのか……」
「わかってる。ふざけてこんなことするわけない」
 でも、と続けて、ランスの瞳を真っ直ぐに見下ろす。
「やっぱり、呪いを解くなら口にしないとな」
 言ってから、ランスの唇に自分のものを重ねた。
 柔らかい。あたたかい。ランスが生きてここにいるのだと、改めて実感する。
 言い逃げだ、と詰りはしたが、それでもランスは垣根を越えてこちらへとやってきた。
 ならば、今度は自分の番だ。もうずっと秘め続け、錆びつきそうになっていた想いに油をさした。
 緩やかに動き始めたそれを、今こそランスに明け渡す。

「ランス、オレもずっと好きだった。――お前が生きていて、本当によかった」
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